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味見編
Goûte moi 私を味見して 第0話 私をワインの世界へ連れていって
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──ここは、とある街角にある、とあるワインバー。
その扉を、重そうに開ける1人の男の姿。
「いらっしゃいませー!」
「ども……」
店員の声に反して、その声は重く沈んでいる。
「こちらのお席へどうぞ。お飲み物は何になさいます?」
男は座ると、店内を見まわし、壁にかかるメニューや置いてあるボトルを一瞥する。
「……重いワインをください」
「お……重いワイン、ですか?」
「僕、ワインのことあんまりわかってないんです。とにかく重いワインでオススメのもの、お願いします」
「……かしこまりました」
店員は奥に引っ込む。しばらくして、男の前に、二つのグラスを並べた。
「1つで良いです」
「いえ、まずはテイスティングしていただこうかと。──お客様の味の好みを知りたいので」
「は、はあ」
グラスに注がれる少量のワイン。
一つは真紅で、一つは紫がかったガーネット色だ。
「さ、飲んでみてください」
男はおずおずと手を伸ばす。
口に含むと、濃いベリーの香りとパワフルなタンニン、最後にスパイスとスモーキーさが香る。
「今お飲みになったのは、フランス、コート・デュ・ローヌのシラーです。タンニンがしっかり感じられ、飲みごたえもある、しっかりとした赤です。もうおひとつもどうぞ」
二つ目を口に含むと、ベルベットのような舌触りで、煮詰めたジャムのような甘い香りと、最後にカシスが香った。
「こちらは、フランス、ボルドー、グラーヴ地区の赤ワインです。先ほどと同じ重いワインに当たりますが、よりタンニンが滑らかでバランスが良く、余韻が長く続きます」
店員は、身を乗り出す。
「どちらが──お好みでしたか?」
「どっちかっていうと──グラーヴの方かな……」
すると店員はにっこりと笑う。
「ありがとうございます。ではこちらのワインをおつぎしますね」
何故例を言ったのかわからないが、店員はワインを注ぐと、ニコニコとそのまま笑顔でいる。
「お兄さんは、仕事帰りですか?」
「あ、ええ、まあそうですけど」
「お疲れ様です。明日はお休み?」
「はい」
「じゃあゆっくり飲めますね」
すると奥から「メル」と呼ばれ、店員は奥へ行く。
男──武藤はしばらくワインを飲む。少し体があったまってきたところで、店内をもう一度見まわした。
薄暗い店内を、オレンジの明かりが照らし出している。シックな壁にはワインのポスターやラベルが飾られている。カウンター側の壁にはメニューとボトルとグラスが並んでいる。
店員は3名ほど。奥に入って行った店員と店員を呼んだ人と合わせると、5人か。
客は武藤の他にカウンターに2人、ボックス席に2人座ってワインを飲んでいる。
よくよく見ると、店員は皆顔が整っている──というより異国の顔立ちをしていた。
最近よくある外国人雇用か──などと考えていると、先ほどの店員が水グラスとナッツを持って戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「グラスは空ですが、次のワイン、どうします?」
「……赤の甘いやつってあります?」
「あー、ありますけど……レチェートとか?」
「それでお願いします」
「かしこまりました。ご用意しますね」
空になったグラスが下げられ、新しくグラスが置かれる。
注がれたワインの色味は濃い。
「イタリア、ヴァリヴォリチェッラのレチェートです」
武藤は一口のむと、濃い香りと味わいが、口内にぐわっと広がる。
「わー……濃いなぁ」
「赤ワインの甘口って、白の甘口より飲みやすくないですしね。煮詰めたジャムやチョコレートを飲んでるような、でも魅力的ですよね」
武藤は静かに、だが明らかにハイペースで飲み干す。
「──ペースが早いみたいだけど、大丈夫ですか?」
「……ちょっと飲みたい気分で」
「そっか」
「色々あるんすよ、色々……。僕だって飲みたい時が……」
そのままカウンターに突っ伏す武藤。
「あっ……ちょっと……お兄さん……!」
***
武藤が目を覚ますと、ボックス席のソファの上に寝かされていた。営業中のようだが、店内には客は1人もなく、カウンターで店員が会話しているのが見えた。
むくりと起き上がると、先ほどの店員が気づいて、水グラスを持って飛んできた。
「気が付いたかい? やっぱりペース早かったよね。はい、お水、どうぞ」
「あ、あざ……ます」
武藤は乾いて呂律の回らない舌で例を述べ、グラスの水を飲み干す。
「すみません……醜態を晒してしまって……実は自分、下戸で……」
「えっそれであのペースで飲んでたの!?」
店員がびっくりした声を上げる。
「はい……まぁ」
「いけないよ。……何か悩みがあってヤケ酒とか? それでもああゆう飲み方は良くないよ。僕だって、悲しいし……」
「え、なんで……」
「ワインはちゃんと味わって飲んでもらいたいからさ」
武藤の隣に、店員は腰掛ける。
「よかったら、お話聞きますよ。……何か思い悩んでることがあるんじゃないかな?」
「……実は、そうなんです……。自分、レストランで働いてるんですけど……ワインが好きで勉強してはいるんですが、飲めないせいで、全然ちゃんとおすすめができなくて……ソムリエと揉めて……それで……いづらくなって……」
「そっか……」
「重いとか軽いとかわかんないんすよ。ちゃんと飲んだことがないから、知識だけで進めたら、この料理にこのワインを勧めるのはおかしい、って言われて……それで、重いワインを飲んでみようと思って……」
「なるほどね。それで」
「飲むペースわからなくて、飛んだ醜態を晒してしまって……すみません、こんな」
「良いんですよ。気にしないで。初めてお酒を飲む人は必ず通る道です。何度も飲んでみて、自分に合ったペースや味がわかってくるもの。ましてや初めて会った相手の味覚なんてわかるはずないじゃないか。もうちょっと勉強すれば、きっと良いギャルソンになれますよ」
「そうっすかね……」
「ワインが好きって言ってくれるだけで、僕らは嬉しいよ。それより、ちゃんと教育しないそのソムリエが良くないな。僕でよければ、ワインのイロハを教えてあげるけれど、どうかな?」
「え……それはありがたいっすけど……教えるって、どう……」
「うーん、そうだなぁ」
店員はカウンターの方をチラと見る。
「実は、ここのバー、社員がいなくてね。探していたんだけど、どうかな? ここで働いてみるっていうのは」
「え……」
「君はそのお店で続けていきたいなら、強くは言わないけど、でも、楽しい環境で働く方が、僕は身につくと思うんだ」
「そりゃ願ったり叶ったりな話ですけど……自分みたいなのが働いても……いいんすか?」
「君みたいなのって、そんなの関係ないでしょう。大事なのはワインが好きかどうか。ワインについて、もっと深く知りたいんでしょ?」
「は、はい」
「だったら、考えてみてくれないかな。うちは、君が来てくれるのは大歓迎だよ」
「か、考えてみます……」
これが、武藤の波乱の人生の始まりだった。
その扉を、重そうに開ける1人の男の姿。
「いらっしゃいませー!」
「ども……」
店員の声に反して、その声は重く沈んでいる。
「こちらのお席へどうぞ。お飲み物は何になさいます?」
男は座ると、店内を見まわし、壁にかかるメニューや置いてあるボトルを一瞥する。
「……重いワインをください」
「お……重いワイン、ですか?」
「僕、ワインのことあんまりわかってないんです。とにかく重いワインでオススメのもの、お願いします」
「……かしこまりました」
店員は奥に引っ込む。しばらくして、男の前に、二つのグラスを並べた。
「1つで良いです」
「いえ、まずはテイスティングしていただこうかと。──お客様の味の好みを知りたいので」
「は、はあ」
グラスに注がれる少量のワイン。
一つは真紅で、一つは紫がかったガーネット色だ。
「さ、飲んでみてください」
男はおずおずと手を伸ばす。
口に含むと、濃いベリーの香りとパワフルなタンニン、最後にスパイスとスモーキーさが香る。
「今お飲みになったのは、フランス、コート・デュ・ローヌのシラーです。タンニンがしっかり感じられ、飲みごたえもある、しっかりとした赤です。もうおひとつもどうぞ」
二つ目を口に含むと、ベルベットのような舌触りで、煮詰めたジャムのような甘い香りと、最後にカシスが香った。
「こちらは、フランス、ボルドー、グラーヴ地区の赤ワインです。先ほどと同じ重いワインに当たりますが、よりタンニンが滑らかでバランスが良く、余韻が長く続きます」
店員は、身を乗り出す。
「どちらが──お好みでしたか?」
「どっちかっていうと──グラーヴの方かな……」
すると店員はにっこりと笑う。
「ありがとうございます。ではこちらのワインをおつぎしますね」
何故例を言ったのかわからないが、店員はワインを注ぐと、ニコニコとそのまま笑顔でいる。
「お兄さんは、仕事帰りですか?」
「あ、ええ、まあそうですけど」
「お疲れ様です。明日はお休み?」
「はい」
「じゃあゆっくり飲めますね」
すると奥から「メル」と呼ばれ、店員は奥へ行く。
男──武藤はしばらくワインを飲む。少し体があったまってきたところで、店内をもう一度見まわした。
薄暗い店内を、オレンジの明かりが照らし出している。シックな壁にはワインのポスターやラベルが飾られている。カウンター側の壁にはメニューとボトルとグラスが並んでいる。
店員は3名ほど。奥に入って行った店員と店員を呼んだ人と合わせると、5人か。
客は武藤の他にカウンターに2人、ボックス席に2人座ってワインを飲んでいる。
よくよく見ると、店員は皆顔が整っている──というより異国の顔立ちをしていた。
最近よくある外国人雇用か──などと考えていると、先ほどの店員が水グラスとナッツを持って戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「グラスは空ですが、次のワイン、どうします?」
「……赤の甘いやつってあります?」
「あー、ありますけど……レチェートとか?」
「それでお願いします」
「かしこまりました。ご用意しますね」
空になったグラスが下げられ、新しくグラスが置かれる。
注がれたワインの色味は濃い。
「イタリア、ヴァリヴォリチェッラのレチェートです」
武藤は一口のむと、濃い香りと味わいが、口内にぐわっと広がる。
「わー……濃いなぁ」
「赤ワインの甘口って、白の甘口より飲みやすくないですしね。煮詰めたジャムやチョコレートを飲んでるような、でも魅力的ですよね」
武藤は静かに、だが明らかにハイペースで飲み干す。
「──ペースが早いみたいだけど、大丈夫ですか?」
「……ちょっと飲みたい気分で」
「そっか」
「色々あるんすよ、色々……。僕だって飲みたい時が……」
そのままカウンターに突っ伏す武藤。
「あっ……ちょっと……お兄さん……!」
***
武藤が目を覚ますと、ボックス席のソファの上に寝かされていた。営業中のようだが、店内には客は1人もなく、カウンターで店員が会話しているのが見えた。
むくりと起き上がると、先ほどの店員が気づいて、水グラスを持って飛んできた。
「気が付いたかい? やっぱりペース早かったよね。はい、お水、どうぞ」
「あ、あざ……ます」
武藤は乾いて呂律の回らない舌で例を述べ、グラスの水を飲み干す。
「すみません……醜態を晒してしまって……実は自分、下戸で……」
「えっそれであのペースで飲んでたの!?」
店員がびっくりした声を上げる。
「はい……まぁ」
「いけないよ。……何か悩みがあってヤケ酒とか? それでもああゆう飲み方は良くないよ。僕だって、悲しいし……」
「え、なんで……」
「ワインはちゃんと味わって飲んでもらいたいからさ」
武藤の隣に、店員は腰掛ける。
「よかったら、お話聞きますよ。……何か思い悩んでることがあるんじゃないかな?」
「……実は、そうなんです……。自分、レストランで働いてるんですけど……ワインが好きで勉強してはいるんですが、飲めないせいで、全然ちゃんとおすすめができなくて……ソムリエと揉めて……それで……いづらくなって……」
「そっか……」
「重いとか軽いとかわかんないんすよ。ちゃんと飲んだことがないから、知識だけで進めたら、この料理にこのワインを勧めるのはおかしい、って言われて……それで、重いワインを飲んでみようと思って……」
「なるほどね。それで」
「飲むペースわからなくて、飛んだ醜態を晒してしまって……すみません、こんな」
「良いんですよ。気にしないで。初めてお酒を飲む人は必ず通る道です。何度も飲んでみて、自分に合ったペースや味がわかってくるもの。ましてや初めて会った相手の味覚なんてわかるはずないじゃないか。もうちょっと勉強すれば、きっと良いギャルソンになれますよ」
「そうっすかね……」
「ワインが好きって言ってくれるだけで、僕らは嬉しいよ。それより、ちゃんと教育しないそのソムリエが良くないな。僕でよければ、ワインのイロハを教えてあげるけれど、どうかな?」
「え……それはありがたいっすけど……教えるって、どう……」
「うーん、そうだなぁ」
店員はカウンターの方をチラと見る。
「実は、ここのバー、社員がいなくてね。探していたんだけど、どうかな? ここで働いてみるっていうのは」
「え……」
「君はそのお店で続けていきたいなら、強くは言わないけど、でも、楽しい環境で働く方が、僕は身につくと思うんだ」
「そりゃ願ったり叶ったりな話ですけど……自分みたいなのが働いても……いいんすか?」
「君みたいなのって、そんなの関係ないでしょう。大事なのはワインが好きかどうか。ワインについて、もっと深く知りたいんでしょ?」
「は、はい」
「だったら、考えてみてくれないかな。うちは、君が来てくれるのは大歓迎だよ」
「か、考えてみます……」
これが、武藤の波乱の人生の始まりだった。
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