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第十五幕 黙ったまま早く唇奪って
愛の結晶
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「百子、胃のムカつきはいつからだ? ひょっとして今朝からか?」
「うん……そうだよ。よく分かったね」
今朝は箸が進んでなかったと、しれっと告げた陽翔だったが、そんなことはどうでもいいとばかりに首を振って、さらに百子に尋ねる。
「体がだるいとかは無いか? 目眩とかは?」
「……今日が一番だるいよ。目眩は今日職場であったけど、何で分かるの?」
「いや、何となくだ……ちょっと待っててくれ、確かめたいことがある」
陽翔はブツブツ言いながら立ち上がって、炊飯器の釜に残っているご飯を百子に突きつける。百子は後ずさっていたが、腹の底からこみ上げる感触が無いことに気づき、首をひねった。
「あれ、吐き気、しない……?」
「ご飯を炊いたら気持ち悪くなったんだよな? でも冷えたご飯は何ともないのか」
陽翔は釜を台所に戻してから、ずいっと顔を近づけて百子の瞳を覗き込む。
「百子、今月生理来てないだろ」
「え?! う、うん……いつもより2週間遅れてるけど……ねえ陽翔、さっきから私のことに詳しすぎない?」
月経の件は、始まった時と終わった時に陽翔に告げているだけなのだが、まさか周期まで把握されているとは思わず、彼の言葉に目を白黒させて口をわななかせる。
「夫が妻の生理周期を知ってても、何ら不思議でもないだろ」
絶句した百子をよそに、陽翔は何度か頷いて百子を立たせ、そのままマンションを出る。
「よし、百子。俺が運転するからもう一回病院行くぞ。今はしんどいかもしれないが、今日のうちにはっきりさせた方がいい。吐き気とだるさの原因をな」
陽翔は未だに目を回している百子を車に押し込め、そのまま車を発進させる。月経の周期を把握されている件がたいそう衝撃だったため、放心したままの百子は、陽翔の行きつけの病院に行くのだと信じ込み、彼のされるがままになっていた。そして目的地の病院に入り、診察を受け、その結果を聞くと、百子は今度こそ言葉を完全に失った。
「茨城さん、おめでたですよ。妊娠5週目ですね。まだ胎児ではないですが、あと4週間もしたら、赤ちゃんの動きがわかるようになりますよ」
百子は、結果を聞いてうきうきとして今にも踊り出しそうになっている陽翔に付き添われて家に辿り着いても、陽翔と晩御飯を食べていても、実家に妊娠の報告をしても、久々に一人でお風呂に入っていても、上の空のままだった。陽翔が赤ちゃんの名付けをパソコンとにらめっこしながらリストアップしていたり、マタニティー用品やベビー用品を見つけて片っ端から買い物かごに入れたりしていたので、ようやく彼女も自分に新しい命が宿っていると、徐々に飲み込めるようになり、じわじわと胸が熱くなる。
「陽翔、まだ早いよ。産まれてもないのに」
陽翔が新聞サイズのリストをこしらえるものだから、百子は思わず微苦笑する。濡れた髪を拭きながら陽翔の手元を覗くと、びっしりと文字で埋められており、彼の熱心さを垣間見た気がした。
「そうか? 俺達の赤ちゃんが産まれてくるんだぞ? 準備は早いに越したこと無いと思うが」
すっかり上機嫌な陽翔は、リストをテーブルに置き、百子を優しく自分に引き寄せ、彼女の下腹部を撫でる。その目つきがいつになく柔らかく、百子は陽翔の頬に触れて口付けをした。
「……びっくりした。まさか陽翔の赤ちゃんを宿してるなんて、思ってもみなかったから。陽翔も、両親も、陽翔のご両親も、喜んでくれて嬉しい」
子供を授かった歓喜が後から後から押し寄せ、百子は目を閉じて陽翔の肩にもたれかかる。そんな彼女の頭を撫でながら、弾むように陽翔か告げた。
「嬉しいに決まってんだろ。家族が増えるんだぞ? きっと百子に似た可愛い女の子が産まれる気がする」
子供の性別を断定した陽翔に、百子はくすくすと笑って首を横に振る。
「まだ性別は分かんないよ。あと2ヶ月しないとって先生も言ってたじゃない」
「いや、絶対女の子だ」
きりっとして断言する陽翔に、ついに百子は頭を反らせ、口を開けて笑い出す。陽翔がここまで喜ぶとは百子も想定しておらず、彼の行動や言葉が全て可愛く見えてしまう。このまま幸せに浸っていたい百子だったが、足元から這い上がる不安に心臓を撫でられ、目を伏せてしまう。
「どうした? どこか悪いのか?! それとも心配なことがあるのか?!」
彼女が唐突に下を向いたため、陽翔はあたふたとして彼女の頬に手を添える。曇った表情の百子が目を合わせてきたため、どぎまぎしながら彼女の言葉を待った。
「……そうね。心配事ならたくさんあるよ。今後の仕事のこととか、産休のこととか、通院とか役所の手続きとか……あとはつわりとかを含めて、体調の変化について行けるのかなって……ちゃんと産めるかとか、私がちゃんと育てられるかとか、そこも心配」
つらつらと不安を挙げる百子につられ、陽翔の表情が次第に曇り始める。その様子を見てしまったと思った百子は口を噤んでしまう。陽翔のそんな表情を見たいがために、不安を口にした訳ではないのだ。
「……そうか、そんなに不安だったのか……俺も浮かれてる場合じゃないな」
沈んだ陽翔の声に、百子は強く首を横に振った。
「陽翔、ごめんなさい……幸せな所に水を差しちゃって……」
今度は陽翔が首を横に振る番だった。陽翔は百子がいつも以上に不安を抱えていると気づき、彼女を抱き寄せて頭をゆるゆると撫でた。
「そんな顔しなくていい。俺は百子を責めたんじゃなくて、単に俺の能天気さにちょっと腹立っただけだ。子供を宿した女性ってのは、やっぱり責任感が強いんだなって思ったな。不安があるのは、母親になるって覚悟を決めてるからこそ出てくるんだと俺は思う。俺も親になる覚悟を決めないとな……だから百子、不安を口にすることを怖がらないでくれ。子供のことの不安は百子だけの物じゃねえ。不安をどうしていくかは俺もちゃんと考えるから、どうか一人で悩まないでくれ……」
(陽翔、そんなことを考えてたの……)
百子は返事をする代わりに、陽翔の腕に回している手に力を込めた。百子の不安の大半は、どうやって協力して子育てをするかということだったので、陽翔の言葉は、まるで乾いた地面に春の雨が降ったように、じんわりと染み渡ったのだ。目の奥が熱くなっていた百子は、陽翔の胸に顔を埋めながら、くぐもった声で感謝を述べる。
「うん……ありがとう、陽翔……! 私……妊娠の体調不良は一人で何とかしないとって……自分だけで子育てしないと駄目かもしれないって思って……子供にとっていい環境を作れるかとか、色々浮かんじゃって……!」
(そんなに悩んでたのか……やっぱり母親になる人間は違うな。俺もちゃんと大人にならないと……百子の手伝いをするんじゃなくて、百子と協力して、二人で子育てをしていきたい。そのために色々調べて、少しでも寄り添えるようになりたい)
しゃくり上げながらしがみつく百子の頭を撫で続けながら、陽翔はしっかりとした声で口にした。
「俺達は夫婦だからな。百子の不安は俺の不安でもある。不安のことで、いつでもすぐに相談に乗れるかは分からないが、ちゃんと時間を取るようにするから。どうしていくか、これから二人でしっかり決めような。不安は一つ一つ潰していけばいい。俺も色々調べていくから、二人で親になろうな」
陽翔は今日は夜も遅いから、明日以降に話そうと告げ、百子を横抱きにしてベッドへと向かい、ゆっくりと彼女をベッドに寝かせる。目尻にキスを落として彼女を抱き締めると、百子は安心しきったようで、ふにゃりと陽翔を見上げて微笑み、その唇が陽翔の唇に触れた。
幸せそうに寝息を立てている彼女の頭を撫でていた陽翔は、寝息を子守唄にしたかのように、夢の中へと意識を蕩けさせていく。
そこで陽翔が見たのは、百子によく似た娘と、百子と三人でピクニックに行っている、幸せな夢だった。
「うん……そうだよ。よく分かったね」
今朝は箸が進んでなかったと、しれっと告げた陽翔だったが、そんなことはどうでもいいとばかりに首を振って、さらに百子に尋ねる。
「体がだるいとかは無いか? 目眩とかは?」
「……今日が一番だるいよ。目眩は今日職場であったけど、何で分かるの?」
「いや、何となくだ……ちょっと待っててくれ、確かめたいことがある」
陽翔はブツブツ言いながら立ち上がって、炊飯器の釜に残っているご飯を百子に突きつける。百子は後ずさっていたが、腹の底からこみ上げる感触が無いことに気づき、首をひねった。
「あれ、吐き気、しない……?」
「ご飯を炊いたら気持ち悪くなったんだよな? でも冷えたご飯は何ともないのか」
陽翔は釜を台所に戻してから、ずいっと顔を近づけて百子の瞳を覗き込む。
「百子、今月生理来てないだろ」
「え?! う、うん……いつもより2週間遅れてるけど……ねえ陽翔、さっきから私のことに詳しすぎない?」
月経の件は、始まった時と終わった時に陽翔に告げているだけなのだが、まさか周期まで把握されているとは思わず、彼の言葉に目を白黒させて口をわななかせる。
「夫が妻の生理周期を知ってても、何ら不思議でもないだろ」
絶句した百子をよそに、陽翔は何度か頷いて百子を立たせ、そのままマンションを出る。
「よし、百子。俺が運転するからもう一回病院行くぞ。今はしんどいかもしれないが、今日のうちにはっきりさせた方がいい。吐き気とだるさの原因をな」
陽翔は未だに目を回している百子を車に押し込め、そのまま車を発進させる。月経の周期を把握されている件がたいそう衝撃だったため、放心したままの百子は、陽翔の行きつけの病院に行くのだと信じ込み、彼のされるがままになっていた。そして目的地の病院に入り、診察を受け、その結果を聞くと、百子は今度こそ言葉を完全に失った。
「茨城さん、おめでたですよ。妊娠5週目ですね。まだ胎児ではないですが、あと4週間もしたら、赤ちゃんの動きがわかるようになりますよ」
百子は、結果を聞いてうきうきとして今にも踊り出しそうになっている陽翔に付き添われて家に辿り着いても、陽翔と晩御飯を食べていても、実家に妊娠の報告をしても、久々に一人でお風呂に入っていても、上の空のままだった。陽翔が赤ちゃんの名付けをパソコンとにらめっこしながらリストアップしていたり、マタニティー用品やベビー用品を見つけて片っ端から買い物かごに入れたりしていたので、ようやく彼女も自分に新しい命が宿っていると、徐々に飲み込めるようになり、じわじわと胸が熱くなる。
「陽翔、まだ早いよ。産まれてもないのに」
陽翔が新聞サイズのリストをこしらえるものだから、百子は思わず微苦笑する。濡れた髪を拭きながら陽翔の手元を覗くと、びっしりと文字で埋められており、彼の熱心さを垣間見た気がした。
「そうか? 俺達の赤ちゃんが産まれてくるんだぞ? 準備は早いに越したこと無いと思うが」
すっかり上機嫌な陽翔は、リストをテーブルに置き、百子を優しく自分に引き寄せ、彼女の下腹部を撫でる。その目つきがいつになく柔らかく、百子は陽翔の頬に触れて口付けをした。
「……びっくりした。まさか陽翔の赤ちゃんを宿してるなんて、思ってもみなかったから。陽翔も、両親も、陽翔のご両親も、喜んでくれて嬉しい」
子供を授かった歓喜が後から後から押し寄せ、百子は目を閉じて陽翔の肩にもたれかかる。そんな彼女の頭を撫でながら、弾むように陽翔か告げた。
「嬉しいに決まってんだろ。家族が増えるんだぞ? きっと百子に似た可愛い女の子が産まれる気がする」
子供の性別を断定した陽翔に、百子はくすくすと笑って首を横に振る。
「まだ性別は分かんないよ。あと2ヶ月しないとって先生も言ってたじゃない」
「いや、絶対女の子だ」
きりっとして断言する陽翔に、ついに百子は頭を反らせ、口を開けて笑い出す。陽翔がここまで喜ぶとは百子も想定しておらず、彼の行動や言葉が全て可愛く見えてしまう。このまま幸せに浸っていたい百子だったが、足元から這い上がる不安に心臓を撫でられ、目を伏せてしまう。
「どうした? どこか悪いのか?! それとも心配なことがあるのか?!」
彼女が唐突に下を向いたため、陽翔はあたふたとして彼女の頬に手を添える。曇った表情の百子が目を合わせてきたため、どぎまぎしながら彼女の言葉を待った。
「……そうね。心配事ならたくさんあるよ。今後の仕事のこととか、産休のこととか、通院とか役所の手続きとか……あとはつわりとかを含めて、体調の変化について行けるのかなって……ちゃんと産めるかとか、私がちゃんと育てられるかとか、そこも心配」
つらつらと不安を挙げる百子につられ、陽翔の表情が次第に曇り始める。その様子を見てしまったと思った百子は口を噤んでしまう。陽翔のそんな表情を見たいがために、不安を口にした訳ではないのだ。
「……そうか、そんなに不安だったのか……俺も浮かれてる場合じゃないな」
沈んだ陽翔の声に、百子は強く首を横に振った。
「陽翔、ごめんなさい……幸せな所に水を差しちゃって……」
今度は陽翔が首を横に振る番だった。陽翔は百子がいつも以上に不安を抱えていると気づき、彼女を抱き寄せて頭をゆるゆると撫でた。
「そんな顔しなくていい。俺は百子を責めたんじゃなくて、単に俺の能天気さにちょっと腹立っただけだ。子供を宿した女性ってのは、やっぱり責任感が強いんだなって思ったな。不安があるのは、母親になるって覚悟を決めてるからこそ出てくるんだと俺は思う。俺も親になる覚悟を決めないとな……だから百子、不安を口にすることを怖がらないでくれ。子供のことの不安は百子だけの物じゃねえ。不安をどうしていくかは俺もちゃんと考えるから、どうか一人で悩まないでくれ……」
(陽翔、そんなことを考えてたの……)
百子は返事をする代わりに、陽翔の腕に回している手に力を込めた。百子の不安の大半は、どうやって協力して子育てをするかということだったので、陽翔の言葉は、まるで乾いた地面に春の雨が降ったように、じんわりと染み渡ったのだ。目の奥が熱くなっていた百子は、陽翔の胸に顔を埋めながら、くぐもった声で感謝を述べる。
「うん……ありがとう、陽翔……! 私……妊娠の体調不良は一人で何とかしないとって……自分だけで子育てしないと駄目かもしれないって思って……子供にとっていい環境を作れるかとか、色々浮かんじゃって……!」
(そんなに悩んでたのか……やっぱり母親になる人間は違うな。俺もちゃんと大人にならないと……百子の手伝いをするんじゃなくて、百子と協力して、二人で子育てをしていきたい。そのために色々調べて、少しでも寄り添えるようになりたい)
しゃくり上げながらしがみつく百子の頭を撫で続けながら、陽翔はしっかりとした声で口にした。
「俺達は夫婦だからな。百子の不安は俺の不安でもある。不安のことで、いつでもすぐに相談に乗れるかは分からないが、ちゃんと時間を取るようにするから。どうしていくか、これから二人でしっかり決めような。不安は一つ一つ潰していけばいい。俺も色々調べていくから、二人で親になろうな」
陽翔は今日は夜も遅いから、明日以降に話そうと告げ、百子を横抱きにしてベッドへと向かい、ゆっくりと彼女をベッドに寝かせる。目尻にキスを落として彼女を抱き締めると、百子は安心しきったようで、ふにゃりと陽翔を見上げて微笑み、その唇が陽翔の唇に触れた。
幸せそうに寝息を立てている彼女の頭を撫でていた陽翔は、寝息を子守唄にしたかのように、夢の中へと意識を蕩けさせていく。
そこで陽翔が見たのは、百子によく似た娘と、百子と三人でピクニックに行っている、幸せな夢だった。
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