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第十四幕 貴方だけ癒せるの
反撃
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陽翔は病室のドアをノックし、百子の元へ足を運ぶ。腕に掛けていたトレンチコートを荷物と一緒に置き、陽翔は一度自分の手を息を吹きかけて温めてから百子の手を握った。
「百子の手、温かいな」
そう呟き、陽翔は美香が作ってくれる色とりどりの薔薇だらけになった病室を見渡し、ふっと微笑んだ。美香と章枝は月に二度百子の元を訪れ、薔薇を作ったり、学校の話を聞いたりして過ごしている。美香が手を握ると、何故か百子は反応を見せるのだ。
「百子が眠ってから3ヶ月、か……」
あれから百子はほとんど反応を見せないものの、脳の機能は失われておらず、何かのきっかけで目覚める見込みだ。しかし肝心の目覚めるきっかけが何かが不明であり、陽翔は百子の好きな音楽をかけたり、季節の和菓子の話や、その日に作る晩御飯のメニューの話をしたりと、あの手この手を駆使している。食べ物の話をすると、比較的反応が出やすいのだ。
「今日はマスカルポーネチーズが安かったから、ココアパウダーとビスケットも買ってきて、ティラミスを作ってみたぞ。味は悪くなかったが、ビスケットをコーヒーに染み込ませるのを忘れてな……」
自らの失敗談を話していると、自然と口元がゆるんで、陽翔は思わずくすくすと笑う。握った百子の手も、僅かに震えて、陽翔はそれに促されるように話を続けた。
「やっちまったって気づいたのは、ビスケットの上にチーズを乗せてからだった……一応食ってみたが、甘ったるくて甘ったるくて……仕方ないからインスタントコーヒーを淹れて、口の中でコーヒーとビスケットを味わう羽目になったんだよな……口に入れたら同じだろって思ってたのに、百子と食べたティラミスと全然違うんだなこれが」
百子の反応は無い。部屋にしばし沈黙が降りたが、彼女が何だか微笑んでいるように見え、それに釣られて陽翔も口元が緩みきってしまう。
「また一緒に行こう。オムレツの店にも、イタリアンの店にも、水族館にも……百子の好きな所に」
陽翔は百子に口付けを落とし、そっと彼女の頭を撫でる。彼女の髪は以前よりも少し伸びており、撫でて乱れた前髪をそっと払ってやった。
「また来るな、百子。愛してる」
陽翔は病室を出るためにドアを開けると、彼はそこにいた者を見てそのまま凍りついた。
「あ、すみません……どなたかいらっしゃるとは思わず……」
手を上げた格好のまま固まっている女性と目が合い、陽翔は女性に向かって爽やかに微笑んで見せる。
「いえ、こちらこそ……お見舞いですか?」
「はい……あの、私、茨城先輩の後輩で……いつもお世話になっていたので……」
分かりやすく頬を染める彼女は、しどろもどろになって陽翔に告げる。しめたと内心でにやりとし、彼は後ろ手にドアを閉め、ポケットの中身を握りしめ、眉を下げて囁いた。
「そうなんだ……きっと百子も喜ぶよ。その前に……俺と少しだけ話さない? 話しかけてはいるけど、返事がなくて……寂しいから話し相手になって欲しいんだ」
「……えっ。いい、ですよ……? 私で良ければ……」
上目遣いをして戸惑う彼女に、陽翔は微笑みを崩さず、女性と入院病棟を出た。
木枯らしの侵入しない病院の中庭を歩いていると、女性は最初のうちこそ、赤面してもじもじとしていたが、陽翔があれこれ彼女の外見を褒めると、彼女は嬉しそうに色々話してくれた。とりとめも無い話ばかりではあったが、それが終わると彼女は陽翔について質問を始めた。
「東雲さんって、茨城先輩の恋人なんですか?」
「はい……そうなんです……でも色々話しかけても、何をしても3ヶ月も目が覚めなくて……それでずっと寂しいんです……このまま目覚めないと、どうなるんだろうって……それが不安で不安で……」
眉根をぐっと寄せ、顔を俯かせた陽翔に、柔らかな声が耳を撫でた。
「私だったら東雲さんをほっとかないのに。長い間目覚めないなんて、そんな東雲さんを悲しませることなんてしません。東雲さんにはもっといい人がいると思うんです」
彼女は陽翔の手を温めるように包み込み、上目遣いをして満面の笑みを浮かべていた。
「……つまり、貴女が百子の代わりになると?」
陽翔の声がほんの少しざらつくが、彼女の声は対照的に、弾んだものとなっていた。
「何で私が考えてることが分かったんですか? 私なら東雲さんを寂しい思いなんてさせません! 私、こう見えて尽くすタイプなんです」
陽翔は口角を上げたまま、甘さを含んだ声音で答えを唇に乗せる。
「それは素敵ですね。では是非……」
彼は一度言葉を切り、彼女に自身の顔を近づける。彼女は頬のみならず、顔全体を朱に染めていた。そして一瞬だけ彼女の目が左右に動き、やがて閉じられる。そんな彼女の耳元に、彼は低い声音を注ぎ込んだ。
「なーんて、俺が言うと思いました? 木嶋さん」
陽翔の呟きに、ビクッとした彼女は目を見開いて、一瞬目を反らす。表情が抜け落ちているのに、口角だけ上げている陽翔をちらりと見た彼女はあからさまに狼狽えた。
「え? 私、名乗りましたっけ……東雲さんみたいな素敵な人は、1回見ただけで忘れない筈なのに……もしかしてどこかで一度お会いしました?」
陽翔は口角を下げず、さらに低い声で言い募る。その目は全く笑っていなかった。
「さて、どこでしょうね? 図々しくも、百子の恋人をあっさり寝取った挙句、彼女の持ち物を無断で捨て、百子の心に傷を負わせた、忌々しい張本人さん」
「百子の手、温かいな」
そう呟き、陽翔は美香が作ってくれる色とりどりの薔薇だらけになった病室を見渡し、ふっと微笑んだ。美香と章枝は月に二度百子の元を訪れ、薔薇を作ったり、学校の話を聞いたりして過ごしている。美香が手を握ると、何故か百子は反応を見せるのだ。
「百子が眠ってから3ヶ月、か……」
あれから百子はほとんど反応を見せないものの、脳の機能は失われておらず、何かのきっかけで目覚める見込みだ。しかし肝心の目覚めるきっかけが何かが不明であり、陽翔は百子の好きな音楽をかけたり、季節の和菓子の話や、その日に作る晩御飯のメニューの話をしたりと、あの手この手を駆使している。食べ物の話をすると、比較的反応が出やすいのだ。
「今日はマスカルポーネチーズが安かったから、ココアパウダーとビスケットも買ってきて、ティラミスを作ってみたぞ。味は悪くなかったが、ビスケットをコーヒーに染み込ませるのを忘れてな……」
自らの失敗談を話していると、自然と口元がゆるんで、陽翔は思わずくすくすと笑う。握った百子の手も、僅かに震えて、陽翔はそれに促されるように話を続けた。
「やっちまったって気づいたのは、ビスケットの上にチーズを乗せてからだった……一応食ってみたが、甘ったるくて甘ったるくて……仕方ないからインスタントコーヒーを淹れて、口の中でコーヒーとビスケットを味わう羽目になったんだよな……口に入れたら同じだろって思ってたのに、百子と食べたティラミスと全然違うんだなこれが」
百子の反応は無い。部屋にしばし沈黙が降りたが、彼女が何だか微笑んでいるように見え、それに釣られて陽翔も口元が緩みきってしまう。
「また一緒に行こう。オムレツの店にも、イタリアンの店にも、水族館にも……百子の好きな所に」
陽翔は百子に口付けを落とし、そっと彼女の頭を撫でる。彼女の髪は以前よりも少し伸びており、撫でて乱れた前髪をそっと払ってやった。
「また来るな、百子。愛してる」
陽翔は病室を出るためにドアを開けると、彼はそこにいた者を見てそのまま凍りついた。
「あ、すみません……どなたかいらっしゃるとは思わず……」
手を上げた格好のまま固まっている女性と目が合い、陽翔は女性に向かって爽やかに微笑んで見せる。
「いえ、こちらこそ……お見舞いですか?」
「はい……あの、私、茨城先輩の後輩で……いつもお世話になっていたので……」
分かりやすく頬を染める彼女は、しどろもどろになって陽翔に告げる。しめたと内心でにやりとし、彼は後ろ手にドアを閉め、ポケットの中身を握りしめ、眉を下げて囁いた。
「そうなんだ……きっと百子も喜ぶよ。その前に……俺と少しだけ話さない? 話しかけてはいるけど、返事がなくて……寂しいから話し相手になって欲しいんだ」
「……えっ。いい、ですよ……? 私で良ければ……」
上目遣いをして戸惑う彼女に、陽翔は微笑みを崩さず、女性と入院病棟を出た。
木枯らしの侵入しない病院の中庭を歩いていると、女性は最初のうちこそ、赤面してもじもじとしていたが、陽翔があれこれ彼女の外見を褒めると、彼女は嬉しそうに色々話してくれた。とりとめも無い話ばかりではあったが、それが終わると彼女は陽翔について質問を始めた。
「東雲さんって、茨城先輩の恋人なんですか?」
「はい……そうなんです……でも色々話しかけても、何をしても3ヶ月も目が覚めなくて……それでずっと寂しいんです……このまま目覚めないと、どうなるんだろうって……それが不安で不安で……」
眉根をぐっと寄せ、顔を俯かせた陽翔に、柔らかな声が耳を撫でた。
「私だったら東雲さんをほっとかないのに。長い間目覚めないなんて、そんな東雲さんを悲しませることなんてしません。東雲さんにはもっといい人がいると思うんです」
彼女は陽翔の手を温めるように包み込み、上目遣いをして満面の笑みを浮かべていた。
「……つまり、貴女が百子の代わりになると?」
陽翔の声がほんの少しざらつくが、彼女の声は対照的に、弾んだものとなっていた。
「何で私が考えてることが分かったんですか? 私なら東雲さんを寂しい思いなんてさせません! 私、こう見えて尽くすタイプなんです」
陽翔は口角を上げたまま、甘さを含んだ声音で答えを唇に乗せる。
「それは素敵ですね。では是非……」
彼は一度言葉を切り、彼女に自身の顔を近づける。彼女は頬のみならず、顔全体を朱に染めていた。そして一瞬だけ彼女の目が左右に動き、やがて閉じられる。そんな彼女の耳元に、彼は低い声音を注ぎ込んだ。
「なーんて、俺が言うと思いました? 木嶋さん」
陽翔の呟きに、ビクッとした彼女は目を見開いて、一瞬目を反らす。表情が抜け落ちているのに、口角だけ上げている陽翔をちらりと見た彼女はあからさまに狼狽えた。
「え? 私、名乗りましたっけ……東雲さんみたいな素敵な人は、1回見ただけで忘れない筈なのに……もしかしてどこかで一度お会いしました?」
陽翔は口角を下げず、さらに低い声で言い募る。その目は全く笑っていなかった。
「さて、どこでしょうね? 図々しくも、百子の恋人をあっさり寝取った挙句、彼女の持ち物を無断で捨て、百子の心に傷を負わせた、忌々しい張本人さん」
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