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第八幕 心の奥分かり合えない
潜める
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居酒屋にしては洗練されている内装が陽翔は気に入ったが、目の前にいるのは百子と陽翔の共通の天敵である深山である事実に、彼は回れ右をしたくなった。深山の話術が巧みなだけに、陽翔の戸惑いは深まるばかりである。陽翔は何とか腹を括り、たこわさや唐揚げ、だし巻きや枝豆をつまむ。陽翔はどちらかというと下戸なのだが、深山はそうでもないようで最初のビールのあとはハイボールやジントニックなどの比較的アルコールが強めの酒を飲んでいたが、下戸の陽翔に合わせたようで飲酒のペースを落とし、おつまみを中心に注文し始めるようになった。話は弾んでいたものの、おつまみではなくかんなくずかダンボールでも食べている気分になってしまい、せっかくの食事が台無しである。一緒に食べている人が違うだけでこんなにも味の感じ方が変わるものかと、陽翔は百子と二人でスパゲッティを楽しく食べていた時との落差をこれでもかと見せつけられてげんなりする。
「竹下さんはどこかに異動されたのですか?」
陽翔にしては珍しく話を投げかけた。彼は基本的に話を投げかけることはせず、聞き役になるのが基本だ。案外聞き役の方が話の流れをコントロールできることを知っているのである。
「はい。本部に栄転になったんですよ。寂しいけど社員としては喜ばしいことなんで、悲喜こもごもなお別れ会でしたよ」
「そうでしたか……竹下さんにはずいぶんと助けられたことがありましたから残念でした。竹下さんは愛妻家で有名でしたね。転勤の時も奥様はついて行かれたかもしれません」
深山はここで表情を曇らせたが、陽翔は期待してた反応を引き出せたので内心でほくそ笑む。
「どうしました? 深山さん」
「いえ……その……」
深山が目を左右に動かしていたが、陽翔はいつも浮かべているよそ行きの笑みを貼り付けて促した。深山の笑い声が大きくなったこのタイミングを逃すわけにはいかないのだ。
「俺で良ければ聞きますよ。もちろんプライベートのことでも」
深山は手元にあるハイボールをぐいっと飲み干すと眉を下げてぽつぽつと話し始めた。
「いや……実は今の彼女と上手く行ってなくて……それで元カノのことをちょいちょい思い出すようになったんです。元カノは小さいことにも気がついて、家事も仕事もそつなくこなしてました……俺よりもずっと段取りも良くて、高給取りで。付き合ってる時はそれが嫌でならなかったんです。プライドを踏みにじられたようで……何で俺は彼女にあんなことを……彼女があの場にさえいなければ上手くいってたのに」
陽翔は煮えたぎる憤怒が火を吹かないようにするので精一杯だった。
(悪いのはお前で百子じゃないのにな。何て奴だ!)
陽翔は深山の仕事での印象が跡形もなく崩れる音を聞いた。仕事はできるかもしれないが、人としては最悪の部類に入るに違いない。陽翔は猛烈に深山を口汚く罵りたかったが、今はその時ではないとぐっとこらえる。
「深山さんは前の彼女が忘れられないんですね。それなのにどうして別れたんですか?」
深山は言い過ぎた自覚があったのか、瞳が気まずそうな光を帯びていた。しかし陽翔がそこに触れなかったことで安心して話し始める。
「そうですね……お互いの価値観が合わなかったからです。元カノとは婚約間近まで進んでましたが、意見の違いで衝突することが多くて、それにうんざりしてしまいました。将来一緒にこのまま暮らしていけるのかが不安になったのも一度や二度ではありません。でも今ではもったいないことをしたなと思ってます……元カノは仕事が忙しい中でも精一杯に家事をこなしてましたし、精神面でも俺を支えてくれたというのに……最後は喧嘩別れしました。まあ元カノに謝ったところで許してくれるとは思いませんが」
(だろうな。あんな酷い裏切られ方をされたのに、ニコニコ笑ってられる方がどうかしてる)
百子のあの悲痛な涙が脳裏にちらつき、陽翔は無意識のうちに拳を握りしめていた。別れる前の生活の詳細は百子から聞いていないので不明だが、価値観の違いは何となく想像がつく。
(婚約者で無いにしても、曲がりなりにも彼女がいるのに他の女と、しかも暮らしてる家で昼間から事に及ぶのは最低だ。それなのにそのことを反省するどころか、百子だけに原因があるだと……! どこまで屑なんだよこいつは!)
陽翔は彼が百子と別れた理由が、彼の手酷い裏切りという一番大事な所を隠したことに最も憤っていた。潔く自分が浮気現場を見られて百子と別れ、酷いことをした自分のことを忘れて彼女に幸せになって欲しいと考えているのであれば、許すことはできないとはいえ計画を実行に移すのは止めにしようと思っていた。
(でも反省もしてなかった……じゃあもう遠慮しなくてもいいよな)
陽翔は顔つきが穏やかに見えるように、口元と目元をなるべく緩め、心の底に憤怒を滾らせているのを隠した。
「そういえば気になってたんですが、どうして喧嘩別れしたんですか? 元カノに見られたくない物を見られたからですか?」
深山の表情が固まった。
「竹下さんはどこかに異動されたのですか?」
陽翔にしては珍しく話を投げかけた。彼は基本的に話を投げかけることはせず、聞き役になるのが基本だ。案外聞き役の方が話の流れをコントロールできることを知っているのである。
「はい。本部に栄転になったんですよ。寂しいけど社員としては喜ばしいことなんで、悲喜こもごもなお別れ会でしたよ」
「そうでしたか……竹下さんにはずいぶんと助けられたことがありましたから残念でした。竹下さんは愛妻家で有名でしたね。転勤の時も奥様はついて行かれたかもしれません」
深山はここで表情を曇らせたが、陽翔は期待してた反応を引き出せたので内心でほくそ笑む。
「どうしました? 深山さん」
「いえ……その……」
深山が目を左右に動かしていたが、陽翔はいつも浮かべているよそ行きの笑みを貼り付けて促した。深山の笑い声が大きくなったこのタイミングを逃すわけにはいかないのだ。
「俺で良ければ聞きますよ。もちろんプライベートのことでも」
深山は手元にあるハイボールをぐいっと飲み干すと眉を下げてぽつぽつと話し始めた。
「いや……実は今の彼女と上手く行ってなくて……それで元カノのことをちょいちょい思い出すようになったんです。元カノは小さいことにも気がついて、家事も仕事もそつなくこなしてました……俺よりもずっと段取りも良くて、高給取りで。付き合ってる時はそれが嫌でならなかったんです。プライドを踏みにじられたようで……何で俺は彼女にあんなことを……彼女があの場にさえいなければ上手くいってたのに」
陽翔は煮えたぎる憤怒が火を吹かないようにするので精一杯だった。
(悪いのはお前で百子じゃないのにな。何て奴だ!)
陽翔は深山の仕事での印象が跡形もなく崩れる音を聞いた。仕事はできるかもしれないが、人としては最悪の部類に入るに違いない。陽翔は猛烈に深山を口汚く罵りたかったが、今はその時ではないとぐっとこらえる。
「深山さんは前の彼女が忘れられないんですね。それなのにどうして別れたんですか?」
深山は言い過ぎた自覚があったのか、瞳が気まずそうな光を帯びていた。しかし陽翔がそこに触れなかったことで安心して話し始める。
「そうですね……お互いの価値観が合わなかったからです。元カノとは婚約間近まで進んでましたが、意見の違いで衝突することが多くて、それにうんざりしてしまいました。将来一緒にこのまま暮らしていけるのかが不安になったのも一度や二度ではありません。でも今ではもったいないことをしたなと思ってます……元カノは仕事が忙しい中でも精一杯に家事をこなしてましたし、精神面でも俺を支えてくれたというのに……最後は喧嘩別れしました。まあ元カノに謝ったところで許してくれるとは思いませんが」
(だろうな。あんな酷い裏切られ方をされたのに、ニコニコ笑ってられる方がどうかしてる)
百子のあの悲痛な涙が脳裏にちらつき、陽翔は無意識のうちに拳を握りしめていた。別れる前の生活の詳細は百子から聞いていないので不明だが、価値観の違いは何となく想像がつく。
(婚約者で無いにしても、曲がりなりにも彼女がいるのに他の女と、しかも暮らしてる家で昼間から事に及ぶのは最低だ。それなのにそのことを反省するどころか、百子だけに原因があるだと……! どこまで屑なんだよこいつは!)
陽翔は彼が百子と別れた理由が、彼の手酷い裏切りという一番大事な所を隠したことに最も憤っていた。潔く自分が浮気現場を見られて百子と別れ、酷いことをした自分のことを忘れて彼女に幸せになって欲しいと考えているのであれば、許すことはできないとはいえ計画を実行に移すのは止めにしようと思っていた。
(でも反省もしてなかった……じゃあもう遠慮しなくてもいいよな)
陽翔は顔つきが穏やかに見えるように、口元と目元をなるべく緩め、心の底に憤怒を滾らせているのを隠した。
「そういえば気になってたんですが、どうして喧嘩別れしたんですか? 元カノに見られたくない物を見られたからですか?」
深山の表情が固まった。
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