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第六幕 隠せはしない

やり残し

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二人が気持ちを確かめあった翌日に、百子が陽翔の両親に挨拶に行くのは8月上旬に決定した。百子は今から不安に駆られたが、陽翔が電話を掛けた時に、声音からして嫌そうな感じではなかったと報告を受けたので、少しだけ胸を撫で下ろしたのだ。それでも不安はつきまとうが、流石にこればかりは陽翔の家に行ってみないと分からないので、今悩んでも無駄だと頭を振った。

(先の不安よりも、今やるべきことに目を向けないと……)

百子はそう切り替えたが、それはそれでどうしてもやりたくないことにぶち当たってしまい、百子は大きなため息をついた。

「そうだ。私の荷物取りに行かないと……でも行きたくない……」

百子はシンクの掃除を一通り終えて、リビングのソファーに座りながら独りごちる。弘樹に今月中に荷物を取りに行くと言った手前、何がなんでも今週か来週の間にやらねばなるまい。例え家に行きづらくとも、今必要な物でもなくても、回収して安心したいのだ。せめてお気に入りのコートとブーツは回収しておきたい。

「それなら俺も行く」

百子はぎょっとして振り向く。陽翔がお風呂の掃除を終わらせて一息つきに来たのだろう。しかも独り言をばっちり聞かれてしまったらしい。陽翔はそれを見て首をかしげる。何故百子が慌てたのかが今ひとつ分からなかったのだ。

「陽翔……聞いてたの」

陽翔は迷わずに百子の隣に座り、テーブルに置いてある麦茶を飲む。

「いいよ。一人で行く……行きたくないけど、これは私の問題だし。行くとなると有給も取らないと駄目だもん。土日だとあの人がいるから鉢合わせしても嫌だし。陽翔を巻き込む訳にはいかないのよ。仕事の邪魔をしたくないわ。自分の荷物は自分で取りに行かないと」

大方彼女からの答えが予想できた陽翔は迷わずに首を横に振った。

「それについては気にすんな。俺は今月絶対に有給取れって会社から言われてるし。だから俺も行く。むしろ連れてってくれ」

百子は目をぱちくりさせて陽翔を見る。彼の発言は渡りに船ではあったものの、例によって例のごとく、彼に甘えるのに引け目を感じてしまうのだ。長年の癖は中々抜けないものである。誰かに甘えた経験がほとんど無いからかもしれないが。

「えっと……嬉しいけど……本当にいいの?」

百子は何だか外堀を埋められているような心地がしたが、一応それだけ確認を取る。

「遠慮はしなくていい。荷物を運び出すなら男手はいた方がいいだろうが。それに荷物がどれくらいあるか分からんが、どうやって運ぶんだ。お前車とか持ってないだろ」

百子は少しだけ考えたが、すぐに口にする。

「朝に家に着いたら、宅急便に集荷依頼をして、その間に荷物を詰めようと思うの。そんなに物を持ってないし、段ボール5つくらいあれば十分よ」

しかし陽翔は眉を寄せて首を振った。眼鏡の奥は悲しみに濡れており、百子はぎょっとする。

「やっぱり俺も行く。荷物の見積もりって案外当てにならなかったりするもんだし、荷物を運ぶのって割と重労働だ。俺の車に積めば集荷依頼とかしなくてもいいし。それに、荷造りが遅れたりして万が一元彼と鉢合わせしたらどうするんだ。最悪乱暴されるかもしれないんだぞ。それにあんまり考えたくないが、元彼の浮気相手も住み着いてる可能性も無くはない。もしそうなら百子が傷つくだけだ。百子、俺はもう元彼に関係することで泣いて欲しくない。だから俺を頼ってくれ。一人では行かせられん」

一応百子は弘樹の行動時間も自分の荷物の量も把握しているので、一人でできると踏んだのだが、陽翔はどうやら心配らしい。弘樹は基本的に夜の8時になるまでは帰ってこないので昼間に全部終わらせれば良いと考えていたが、よくよく考えると百子と同じ日に有給を取っていたりすることも全く可能性がない訳ではない。しかも今更弘樹に会社に行っているかも聞く訳にもいかない。そもそも百子が弘樹をブロックしているので聞ける訳もないのだが。メッセージが4桁に迫りそうなくらい来ている画面を見るのも嫌である。

(しまった……弘樹の相手のこと考えてなかった)

百子は思わず頭を手で押さえた。確かにあの家は一人で暮らすには広すぎる。陽翔の言った可能性は大いにあった。

(しかも……相手はひょっとしたら……)

元彼のことが陽翔のおかげでかなり吹っ切れてきた百子は、今朝あの忌まわしい現場の証拠映像を陽翔にバレないように見ていたが、相手のことが何だか引っ掛かるのだ。
百子は弘樹の相手は百子の会社の、以前百子がいた部署の後輩ではないかとの疑いを持っている。自分の記憶にあるあの忌まわしい現場と、証拠映像を見て似てるだけだとは思うものの、確証はないに等しい。彼女が映っているのはほんの数秒だし、ほとんど弘樹しか映ってないからだ。仲はそれほど悪い訳でも無かったが、もし本人と確認が取れた場合はまた吐き気と頭痛がコンボで百子を苦しめにかかるだろう。確証がないので、流石に百子はそのことを陽翔には告げていなかったが、心に渦巻く濁った灰色は暗雲となって立ち込め、拭ってもすぐに纏わりついてくるのだ。

「……うん。陽翔……ありがとう。一人だと不安だから、ついてきてくれたら嬉しい」

百子は一時的にその暗雲を振り払い、にっこりと笑ってそう言った。しかし陽翔は彼女が表情を一瞬だけ曇らせたのを見逃さない。
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