37 / 100
第六幕 隠せはしない
やり残し
しおりを挟む
二人が気持ちを確かめあった翌日に、百子が陽翔の両親に挨拶に行くのは8月上旬に決定した。百子は今から不安に駆られたが、陽翔が電話を掛けた時に、声音からして嫌そうな感じではなかったと報告を受けたので、少しだけ胸を撫で下ろしたのだ。それでも不安はつきまとうが、流石にこればかりは陽翔の家に行ってみないと分からないので、今悩んでも無駄だと頭を振った。
(先の不安よりも、今やるべきことに目を向けないと……)
百子はそう切り替えたが、それはそれでどうしてもやりたくないことにぶち当たってしまい、百子は大きなため息をついた。
「そうだ。私の荷物取りに行かないと……でも行きたくない……」
百子はシンクの掃除を一通り終えて、リビングのソファーに座りながら独りごちる。弘樹に今月中に荷物を取りに行くと言った手前、何がなんでも今週か来週の間にやらねばなるまい。例え家に行きづらくとも、今必要な物でもなくても、回収して安心したいのだ。せめてお気に入りのコートとブーツは回収しておきたい。
「それなら俺も行く」
百子はぎょっとして振り向く。陽翔がお風呂の掃除を終わらせて一息つきに来たのだろう。しかも独り言をばっちり聞かれてしまったらしい。陽翔はそれを見て首をかしげる。何故百子が慌てたのかが今ひとつ分からなかったのだ。
「陽翔……聞いてたの」
陽翔は迷わずに百子の隣に座り、テーブルに置いてある麦茶を飲む。
「いいよ。一人で行く……行きたくないけど、これは私の問題だし。行くとなると有給も取らないと駄目だもん。土日だとあの人がいるから鉢合わせしても嫌だし。陽翔を巻き込む訳にはいかないのよ。仕事の邪魔をしたくないわ。自分の荷物は自分で取りに行かないと」
大方彼女からの答えが予想できた陽翔は迷わずに首を横に振った。
「それについては気にすんな。俺は今月絶対に有給取れって会社から言われてるし。だから俺も行く。むしろ連れてってくれ」
百子は目をぱちくりさせて陽翔を見る。彼の発言は渡りに船ではあったものの、例によって例のごとく、彼に甘えるのに引け目を感じてしまうのだ。長年の癖は中々抜けないものである。誰かに甘えた経験がほとんど無いからかもしれないが。
「えっと……嬉しいけど……本当にいいの?」
百子は何だか外堀を埋められているような心地がしたが、一応それだけ確認を取る。
「遠慮はしなくていい。荷物を運び出すなら男手はいた方がいいだろうが。それに荷物がどれくらいあるか分からんが、どうやって運ぶんだ。お前車とか持ってないだろ」
百子は少しだけ考えたが、すぐに口にする。
「朝に家に着いたら、宅急便に集荷依頼をして、その間に荷物を詰めようと思うの。そんなに物を持ってないし、段ボール5つくらいあれば十分よ」
しかし陽翔は眉を寄せて首を振った。眼鏡の奥は悲しみに濡れており、百子はぎょっとする。
「やっぱり俺も行く。荷物の見積もりって案外当てにならなかったりするもんだし、荷物を運ぶのって割と重労働だ。俺の車に積めば集荷依頼とかしなくてもいいし。それに、荷造りが遅れたりして万が一元彼と鉢合わせしたらどうするんだ。最悪乱暴されるかもしれないんだぞ。それにあんまり考えたくないが、元彼の浮気相手も住み着いてる可能性も無くはない。もしそうなら百子が傷つくだけだ。百子、俺はもう元彼に関係することで泣いて欲しくない。だから俺を頼ってくれ。一人では行かせられん」
一応百子は弘樹の行動時間も自分の荷物の量も把握しているので、一人でできると踏んだのだが、陽翔はどうやら心配らしい。弘樹は基本的に夜の8時になるまでは帰ってこないので昼間に全部終わらせれば良いと考えていたが、よくよく考えると百子と同じ日に有給を取っていたりすることも全く可能性がない訳ではない。しかも今更弘樹に会社に行っているかも聞く訳にもいかない。そもそも百子が弘樹をブロックしているので聞ける訳もないのだが。メッセージが4桁に迫りそうなくらい来ている画面を見るのも嫌である。
(しまった……弘樹の相手のこと考えてなかった)
百子は思わず頭を手で押さえた。確かにあの家は一人で暮らすには広すぎる。陽翔の言った可能性は大いにあった。
(しかも……相手はひょっとしたら……)
元彼のことが陽翔のおかげでかなり吹っ切れてきた百子は、今朝あの忌まわしい現場の証拠映像を陽翔にバレないように見ていたが、相手のことが何だか引っ掛かるのだ。
百子は弘樹の相手は百子の会社の、以前百子がいた部署の後輩ではないかとの疑いを持っている。自分の記憶にあるあの忌まわしい現場と、証拠映像を見て似てるだけだとは思うものの、確証はないに等しい。彼女が映っているのはほんの数秒だし、ほとんど弘樹しか映ってないからだ。仲はそれほど悪い訳でも無かったが、もし本人と確認が取れた場合はまた吐き気と頭痛がコンボで百子を苦しめにかかるだろう。確証がないので、流石に百子はそのことを陽翔には告げていなかったが、心に渦巻く濁った灰色は暗雲となって立ち込め、拭ってもすぐに纏わりついてくるのだ。
「……うん。陽翔……ありがとう。一人だと不安だから、ついてきてくれたら嬉しい」
百子は一時的にその暗雲を振り払い、にっこりと笑ってそう言った。しかし陽翔は彼女が表情を一瞬だけ曇らせたのを見逃さない。
(先の不安よりも、今やるべきことに目を向けないと……)
百子はそう切り替えたが、それはそれでどうしてもやりたくないことにぶち当たってしまい、百子は大きなため息をついた。
「そうだ。私の荷物取りに行かないと……でも行きたくない……」
百子はシンクの掃除を一通り終えて、リビングのソファーに座りながら独りごちる。弘樹に今月中に荷物を取りに行くと言った手前、何がなんでも今週か来週の間にやらねばなるまい。例え家に行きづらくとも、今必要な物でもなくても、回収して安心したいのだ。せめてお気に入りのコートとブーツは回収しておきたい。
「それなら俺も行く」
百子はぎょっとして振り向く。陽翔がお風呂の掃除を終わらせて一息つきに来たのだろう。しかも独り言をばっちり聞かれてしまったらしい。陽翔はそれを見て首をかしげる。何故百子が慌てたのかが今ひとつ分からなかったのだ。
「陽翔……聞いてたの」
陽翔は迷わずに百子の隣に座り、テーブルに置いてある麦茶を飲む。
「いいよ。一人で行く……行きたくないけど、これは私の問題だし。行くとなると有給も取らないと駄目だもん。土日だとあの人がいるから鉢合わせしても嫌だし。陽翔を巻き込む訳にはいかないのよ。仕事の邪魔をしたくないわ。自分の荷物は自分で取りに行かないと」
大方彼女からの答えが予想できた陽翔は迷わずに首を横に振った。
「それについては気にすんな。俺は今月絶対に有給取れって会社から言われてるし。だから俺も行く。むしろ連れてってくれ」
百子は目をぱちくりさせて陽翔を見る。彼の発言は渡りに船ではあったものの、例によって例のごとく、彼に甘えるのに引け目を感じてしまうのだ。長年の癖は中々抜けないものである。誰かに甘えた経験がほとんど無いからかもしれないが。
「えっと……嬉しいけど……本当にいいの?」
百子は何だか外堀を埋められているような心地がしたが、一応それだけ確認を取る。
「遠慮はしなくていい。荷物を運び出すなら男手はいた方がいいだろうが。それに荷物がどれくらいあるか分からんが、どうやって運ぶんだ。お前車とか持ってないだろ」
百子は少しだけ考えたが、すぐに口にする。
「朝に家に着いたら、宅急便に集荷依頼をして、その間に荷物を詰めようと思うの。そんなに物を持ってないし、段ボール5つくらいあれば十分よ」
しかし陽翔は眉を寄せて首を振った。眼鏡の奥は悲しみに濡れており、百子はぎょっとする。
「やっぱり俺も行く。荷物の見積もりって案外当てにならなかったりするもんだし、荷物を運ぶのって割と重労働だ。俺の車に積めば集荷依頼とかしなくてもいいし。それに、荷造りが遅れたりして万が一元彼と鉢合わせしたらどうするんだ。最悪乱暴されるかもしれないんだぞ。それにあんまり考えたくないが、元彼の浮気相手も住み着いてる可能性も無くはない。もしそうなら百子が傷つくだけだ。百子、俺はもう元彼に関係することで泣いて欲しくない。だから俺を頼ってくれ。一人では行かせられん」
一応百子は弘樹の行動時間も自分の荷物の量も把握しているので、一人でできると踏んだのだが、陽翔はどうやら心配らしい。弘樹は基本的に夜の8時になるまでは帰ってこないので昼間に全部終わらせれば良いと考えていたが、よくよく考えると百子と同じ日に有給を取っていたりすることも全く可能性がない訳ではない。しかも今更弘樹に会社に行っているかも聞く訳にもいかない。そもそも百子が弘樹をブロックしているので聞ける訳もないのだが。メッセージが4桁に迫りそうなくらい来ている画面を見るのも嫌である。
(しまった……弘樹の相手のこと考えてなかった)
百子は思わず頭を手で押さえた。確かにあの家は一人で暮らすには広すぎる。陽翔の言った可能性は大いにあった。
(しかも……相手はひょっとしたら……)
元彼のことが陽翔のおかげでかなり吹っ切れてきた百子は、今朝あの忌まわしい現場の証拠映像を陽翔にバレないように見ていたが、相手のことが何だか引っ掛かるのだ。
百子は弘樹の相手は百子の会社の、以前百子がいた部署の後輩ではないかとの疑いを持っている。自分の記憶にあるあの忌まわしい現場と、証拠映像を見て似てるだけだとは思うものの、確証はないに等しい。彼女が映っているのはほんの数秒だし、ほとんど弘樹しか映ってないからだ。仲はそれほど悪い訳でも無かったが、もし本人と確認が取れた場合はまた吐き気と頭痛がコンボで百子を苦しめにかかるだろう。確証がないので、流石に百子はそのことを陽翔には告げていなかったが、心に渦巻く濁った灰色は暗雲となって立ち込め、拭ってもすぐに纏わりついてくるのだ。
「……うん。陽翔……ありがとう。一人だと不安だから、ついてきてくれたら嬉しい」
百子は一時的にその暗雲を振り払い、にっこりと笑ってそう言った。しかし陽翔は彼女が表情を一瞬だけ曇らせたのを見逃さない。
0
お気に入りに追加
53
あなたにおすすめの小説
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
『番外編』イケメン彼氏は警察官!初めてのお酒に私の記憶はどこに!?
すずなり。
恋愛
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の身は持たない!?の番外編です。
ある日、美都の元に届いた『同窓会』のご案内。もう目が治ってる美都は参加することに決めた。
要「これ・・・酒が出ると思うけど飲むなよ?」
そう要に言われてたけど、渡されたグラスに口をつける美都。それが『酒』だと気づいたころにはもうだいぶ廻っていて・・・。
要「今日はやたら素直だな・・・。」
美都「早くっ・・入れて欲しいっ・・!あぁっ・・!」
いつもとは違う、乱れた夜に・・・・・。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんら関係ありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる