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第五幕 温めてきた絆
同族
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「……そう、だったの」
百子の呆然とした声を聞き、陽翔は諦めたように息を吐いた。きっと百子は自分を避けるようになるだろう。もっと早くに言わねばならなかったのに、今頃言うなんて遅すぎる。何なら百子を看病した後に言わないといけなかった。百子に惚れただけでなく、結婚して一緒に暮らしたいと思うのならば。
「百子、聞いての通り俺の家の事情は複雑で面倒なんだ。百子のお父上が苦労するって仰ったのは、結婚したら俺の親との付き合いが他の人間とはだいぶ違うのと、単純に百子と俺の育った背景が違い過ぎて結婚生活が大変だと、そうお思いになったんだと思う。育った環境が違うと価値観も大きく違ってくる場合もあるし、あとは百子が俺の親にいじめられる懸念もあったんだろうな」
こんな話を聞かされて、百子はさぞかし呆れているに違いない。陽翔は百子に振られるのを、まるで処刑を待つ囚人のように待っていた。
「東雲くん、話してくれてありがとう。辛かったよね……」
だが彼を待っていたのは百子の優しい声と、抱きしめてきた彼女の感触と、彼女の髪の匂いだった。そのままゆるゆると頭を撫でられ、陽翔は思わず涙ぐみそうになる。
「……百子? 引かないのか?」
彼の細い声の内容に驚いて、百子は思わず陽翔を体から離す。その顔は怒っているようであり、悲しみに満ちているようにも見えた。
「何で引かないといけないのよ。むしろ何で隠してたかがよく分かったわ。そんなことを迂闊に漏らそうもんなら、お金目当てとか実家目当ての人しか寄ってこなくなるじゃない。言わなくて正解よ。それに、本当に育ちがいい人っていうのは、別に言わなくたってその人の立ち居振る舞いとか、話す話題とかでその人の家の事情を見抜けるわ。どれだけ隠そうとしたって、分かる人には分かるのよ。だから私も東雲くんも大学の時に話が合うことが多かったんだと思う」
陽翔は砂漠もかくやと言うほど乾ききった心に、百子の言葉が隅々まで染み渡るような心地がして、熱かった目の奥が徐々に冷えていく。もっとも、別の意味で鼻がつきんとしてしまったが。
「だって……私だって……私だって母が社長令嬢だったんだから。でもそんなこと、誰にも言えなかった……だって分かち合える相手なんていなかったもの」
今度は陽翔が驚く番だった。だが百子の所作は、お茶を淹れること一つ取っても優雅で洗練されていたことを思い出し、彼女の出自にも納得していた。
そして、お茶を淹れる動作だけでなく、百子は立つ時も上半身に弾みをつけずにスッと立つし、動きに無駄がない。その動作は一朝一夕で身につくものでないと礼法を学んだ陽翔は理解していた。
「それと……私の父の懸念って多分、東雲くんの親御さんのこともそうだけど、東雲くんがお父様かお母様の会社を継ぐって思い込んでるからじゃないかしら。東雲くんってどちらかと言うと一極集中のタイプに見えるから、経営に携わるようには思えないのよね」
陽翔の瞬きが二倍近く速くなった。後者に関しては百子の言っていることが的を得ていたからだ。遠回しに無能だと言われたような気がしないでもないが。
「……よく分かったな。確かに俺は後継ぎじゃない。そもそも会社は血族で継ぐようなもんじゃないからな。誰に何を提供したいか、それがお客様の抱えている問題の解決ができるか、そういうのを見据えないと経営なんてできないしな。しかも自分のことだけを考える訳にもいかない。社員とお客様のことを常に考えて、そして未来を見据えないと経営はすぐに倒れるし。俺みたいに一つの物事に集中し過ぎる人間は向いてないって両親から言われたよ。まあどのみち両親は後を継げなんて一言も俺には言わなかったが」
「……うちの母と同じようなことを言うのね。やっぱりそれが経営の真理なのかな。目的をお客様の問題を解決することに設定して、そのために何ができるか、何を提供できるかを常に考えないと会社はすぐに潰れるって……」
百子は暗い顔をしてため息をつき、麦茶に口をつけて顔をしかめる。まるで麦茶でなくて鉛を飲んだ気分になったからだ。
「百子……? もしかして家のことで何か嫌なことがあったのか?」
百子はぎくりとして肩を僅かに震わせる。
「嫌なことというか何というか……」
百子は額を押さえて首を振ったが、陽翔が手を握り返し、そのまま抱き寄せられて彼の胸板に顔を埋める。そして彼に頭をゆるぬると撫でられていると、彼の温もりがじんわりと百子の心の扉を緩めていった。
「母の父……えっと、うちの祖父は当時マイナスだった会社を大きくしたから経営者としては優秀だったけど、家にあまり帰ってこれなかったから家庭人としては最悪の部類に入るって言ってた。学校でいじめとかあっても、家で祖母と口論になっても、祖父は事なかれ主義というか、見てみぬ振りを貫いてたって……私には優しいおじいちゃんだったけど……それを母から聞いて何か嫌になったわ。東雲くんのお父様の悪口を言うわけじゃないけど、社長っていう人種が私は好きになれない。皆経営が上手く行ってる人を褒め称えるけど、その裏でしわ寄せが来てる家族のこととか、そこには一切目を向けないもの」
百子の呆然とした声を聞き、陽翔は諦めたように息を吐いた。きっと百子は自分を避けるようになるだろう。もっと早くに言わねばならなかったのに、今頃言うなんて遅すぎる。何なら百子を看病した後に言わないといけなかった。百子に惚れただけでなく、結婚して一緒に暮らしたいと思うのならば。
「百子、聞いての通り俺の家の事情は複雑で面倒なんだ。百子のお父上が苦労するって仰ったのは、結婚したら俺の親との付き合いが他の人間とはだいぶ違うのと、単純に百子と俺の育った背景が違い過ぎて結婚生活が大変だと、そうお思いになったんだと思う。育った環境が違うと価値観も大きく違ってくる場合もあるし、あとは百子が俺の親にいじめられる懸念もあったんだろうな」
こんな話を聞かされて、百子はさぞかし呆れているに違いない。陽翔は百子に振られるのを、まるで処刑を待つ囚人のように待っていた。
「東雲くん、話してくれてありがとう。辛かったよね……」
だが彼を待っていたのは百子の優しい声と、抱きしめてきた彼女の感触と、彼女の髪の匂いだった。そのままゆるゆると頭を撫でられ、陽翔は思わず涙ぐみそうになる。
「……百子? 引かないのか?」
彼の細い声の内容に驚いて、百子は思わず陽翔を体から離す。その顔は怒っているようであり、悲しみに満ちているようにも見えた。
「何で引かないといけないのよ。むしろ何で隠してたかがよく分かったわ。そんなことを迂闊に漏らそうもんなら、お金目当てとか実家目当ての人しか寄ってこなくなるじゃない。言わなくて正解よ。それに、本当に育ちがいい人っていうのは、別に言わなくたってその人の立ち居振る舞いとか、話す話題とかでその人の家の事情を見抜けるわ。どれだけ隠そうとしたって、分かる人には分かるのよ。だから私も東雲くんも大学の時に話が合うことが多かったんだと思う」
陽翔は砂漠もかくやと言うほど乾ききった心に、百子の言葉が隅々まで染み渡るような心地がして、熱かった目の奥が徐々に冷えていく。もっとも、別の意味で鼻がつきんとしてしまったが。
「だって……私だって……私だって母が社長令嬢だったんだから。でもそんなこと、誰にも言えなかった……だって分かち合える相手なんていなかったもの」
今度は陽翔が驚く番だった。だが百子の所作は、お茶を淹れること一つ取っても優雅で洗練されていたことを思い出し、彼女の出自にも納得していた。
そして、お茶を淹れる動作だけでなく、百子は立つ時も上半身に弾みをつけずにスッと立つし、動きに無駄がない。その動作は一朝一夕で身につくものでないと礼法を学んだ陽翔は理解していた。
「それと……私の父の懸念って多分、東雲くんの親御さんのこともそうだけど、東雲くんがお父様かお母様の会社を継ぐって思い込んでるからじゃないかしら。東雲くんってどちらかと言うと一極集中のタイプに見えるから、経営に携わるようには思えないのよね」
陽翔の瞬きが二倍近く速くなった。後者に関しては百子の言っていることが的を得ていたからだ。遠回しに無能だと言われたような気がしないでもないが。
「……よく分かったな。確かに俺は後継ぎじゃない。そもそも会社は血族で継ぐようなもんじゃないからな。誰に何を提供したいか、それがお客様の抱えている問題の解決ができるか、そういうのを見据えないと経営なんてできないしな。しかも自分のことだけを考える訳にもいかない。社員とお客様のことを常に考えて、そして未来を見据えないと経営はすぐに倒れるし。俺みたいに一つの物事に集中し過ぎる人間は向いてないって両親から言われたよ。まあどのみち両親は後を継げなんて一言も俺には言わなかったが」
「……うちの母と同じようなことを言うのね。やっぱりそれが経営の真理なのかな。目的をお客様の問題を解決することに設定して、そのために何ができるか、何を提供できるかを常に考えないと会社はすぐに潰れるって……」
百子は暗い顔をしてため息をつき、麦茶に口をつけて顔をしかめる。まるで麦茶でなくて鉛を飲んだ気分になったからだ。
「百子……? もしかして家のことで何か嫌なことがあったのか?」
百子はぎくりとして肩を僅かに震わせる。
「嫌なことというか何というか……」
百子は額を押さえて首を振ったが、陽翔が手を握り返し、そのまま抱き寄せられて彼の胸板に顔を埋める。そして彼に頭をゆるぬると撫でられていると、彼の温もりがじんわりと百子の心の扉を緩めていった。
「母の父……えっと、うちの祖父は当時マイナスだった会社を大きくしたから経営者としては優秀だったけど、家にあまり帰ってこれなかったから家庭人としては最悪の部類に入るって言ってた。学校でいじめとかあっても、家で祖母と口論になっても、祖父は事なかれ主義というか、見てみぬ振りを貫いてたって……私には優しいおじいちゃんだったけど……それを母から聞いて何か嫌になったわ。東雲くんのお父様の悪口を言うわけじゃないけど、社長っていう人種が私は好きになれない。皆経営が上手く行ってる人を褒め称えるけど、その裏でしわ寄せが来てる家族のこととか、そこには一切目を向けないもの」
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