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第五幕 温めてきた絆
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「暑……何とかならんのかこの気温は」
百子と二人で電車を降りると、車内での冷房に晒された肌が一気に解凍でもされたと錯覚する程の気温と、まとわりつくような湿気も相まって不快なことこの上ない。駅を出て空を見上げると、目に刺さらんばかりの太陽光線から思わず目を背けて下を向いた。しかしアスファルトやコンクリートに反射する光を見るのも億劫だ。そんなことを思っているといきなり自分の頭上に影が差した。
「東雲くん、これ使って」
百子が白を基調とした日傘を差し出したので陽翔はそれを受け取り、百子に日が当たらないように差す。陽翔の体の大半が日光を浴びており、百子は慌てた。
「東雲くん、それじゃ日傘の意味がないじゃない。今は東雲くんの方が暑いんだから自分だけに差したらいいじゃないの」
百子は陽翔の身なりを見て非難がましく告げたが、陽翔は首を振る。
「俺はいい。百子が熱中症になる方が嫌だし」
陽翔は紺色のスーツを身に纏い、それが太陽光を底なしに貪るためかなり暑いのだ。真夏日を通り越して猛暑日が3日前から続いているのに、全身を紺色に固め、さらにネクタイをきっちりと締めているのは愚の骨頂もいいところだが、今日ばかりは訳があった。
「大げさよ……確かにいきなり暑くなったばっかりだし備えるのは大事だけど、それは東雲くんにも言えることよ」
百子はそう口にしつつも彼の気遣いは嬉しく、口元に小さな笑みを浮かべる。陽翔は彼女の発言で思うところがあったのか、一度彼女に傘と持っていた紙袋を預けたと思ったらジャケットを脱いでたたみ、それを腕にかけた。
「これで少しはマシになる」
そう言って陽翔は百子の手から日傘を取り、彼女の腰を引き寄せて日傘で影を作る。少しだけ陽翔の肩がはみ出したが、百子はそのことを突っ込む気が失せてしまう。彼の気遣いを無下にしたくなかったのと、単純に彼に密着しているのが嬉しいからだ。
「ここを曲がって、それから真っ直ぐ15分ほど歩いたら着くよ」
百子は緑道を指差して、上ずった声を蝉の声に隠した。桜やらキンモクセイやらクチナシやらツツジやらが多く植えられているこの道は、クマゼミやらアブラゼミやらの大合唱で話し声が隠れてしまうほどやかましいからだ。ほとんど自分の声が聞こえていない状態ではあったが、陽翔はそれでも通じたらしい。彼は百子のしかめっ面を真似たような顔をして、彼と彼女は無言で赤いアスファルトを歩く。
「ひょっとしてあれが百子の実家か?」
「そうよ……本当に久しぶりだわ」
緑道を抜けると8ヶ月ぶりの実家のマンションが目に入る。入り口のオートロックを実家の鍵で開け、ちょうど1階で待機していたエレベーターに乗り込む。その間も陽翔が百子の腰に回した手を離さないので、暑さとは違う意味で心臓の鼓動が速くなった。
既に両親には連絡を入れていたものの、百子は律儀にインターフォンを鳴らす。いつもよりも少しだけ高い母の声がおかえりと告げるので、百子もただいまと返した。程なくして家のドアの鍵が開けられ、百子はドアを開ける。
「おかえり、百子。電話貰った時はびっくりしたわ。そちらの方が百子が言ってた……」
「はい。東雲陽翔と申します。お会いできて嬉しく思います」
スーツを着こなした陽翔は、まるで分度器で測ったようなきれいな礼をして、頭を上げた後に紙袋を差し出した。
「あの、お口に合わないかもしれませんが……」
紙袋の中身はデパートで買ってきたフィナンシェと煎餅だった。百子の父親はともかく、母親が甘いものをあまり食べないと百子に言われ、当初は洋菓子だけにするつもりだったのを見直したのである。
「あらご丁寧に……わざわざありがとう。さ、上がって下さいな」
陽翔はお邪魔しますと告げ、靴を脱いで後ろ手に靴を揃え、百子に先導されてリビングへと向かう。台所がリビングへ向かう途中にあるのだが、陽翔はそこで台所から出ようとしたごま塩頭の男性と鉢合わせした。
「あ、すみません……お邪魔しております」
陽翔はやや緊張しながらも、百子の父親を驚かせたことを詫びる。だが陽翔を見て目を丸くした彼は一テンポも二テンポも遅れてから反応した。
「いや、こちらこそ済まない。話はダイニングで聞こうか」
陽翔は彼に促されるままダイニングのテーブルについた。百子と彼女の母親は台所でお茶の準備をしているらしく、陽翔は彼女の父親と否が応でも向き合うこととなった。お互い何を話しても良いか分からず、重たい空気がダイニングを支配する。沈黙に耐えかねた彼女の父親はテレビをつけに行った。今週のニュースが纏めて放送されているものの、陽翔の頭には何も入って来なかった。
「貴方が百子の言ってた……」
「は、はい、そうです。東雲陽翔と申します。お会い出来て嬉しゅうございます」
このタイミングで話しかけられるとは思わず、陽翔はやや固い声で口にして礼をする。
「東雲……」
百子の父はその名字に何か思い当たることがあるらしく、再びその目を見開く。そして眉間の皺をデスバレーもかくやというほど深く刻んでいた。
「……もしや貴方は……」
彼が全て言い終わらないうちに、百子と百子の母親がお茶とお菓子を運んできた。お茶をそれぞれの目の前に置いたあと、百子は陽翔の隣に、彼女の母親は父親の横に座る。彼女をちらりと見やると、百子の沈んだ表情がやけに気になった。
百子と二人で電車を降りると、車内での冷房に晒された肌が一気に解凍でもされたと錯覚する程の気温と、まとわりつくような湿気も相まって不快なことこの上ない。駅を出て空を見上げると、目に刺さらんばかりの太陽光線から思わず目を背けて下を向いた。しかしアスファルトやコンクリートに反射する光を見るのも億劫だ。そんなことを思っているといきなり自分の頭上に影が差した。
「東雲くん、これ使って」
百子が白を基調とした日傘を差し出したので陽翔はそれを受け取り、百子に日が当たらないように差す。陽翔の体の大半が日光を浴びており、百子は慌てた。
「東雲くん、それじゃ日傘の意味がないじゃない。今は東雲くんの方が暑いんだから自分だけに差したらいいじゃないの」
百子は陽翔の身なりを見て非難がましく告げたが、陽翔は首を振る。
「俺はいい。百子が熱中症になる方が嫌だし」
陽翔は紺色のスーツを身に纏い、それが太陽光を底なしに貪るためかなり暑いのだ。真夏日を通り越して猛暑日が3日前から続いているのに、全身を紺色に固め、さらにネクタイをきっちりと締めているのは愚の骨頂もいいところだが、今日ばかりは訳があった。
「大げさよ……確かにいきなり暑くなったばっかりだし備えるのは大事だけど、それは東雲くんにも言えることよ」
百子はそう口にしつつも彼の気遣いは嬉しく、口元に小さな笑みを浮かべる。陽翔は彼女の発言で思うところがあったのか、一度彼女に傘と持っていた紙袋を預けたと思ったらジャケットを脱いでたたみ、それを腕にかけた。
「これで少しはマシになる」
そう言って陽翔は百子の手から日傘を取り、彼女の腰を引き寄せて日傘で影を作る。少しだけ陽翔の肩がはみ出したが、百子はそのことを突っ込む気が失せてしまう。彼の気遣いを無下にしたくなかったのと、単純に彼に密着しているのが嬉しいからだ。
「ここを曲がって、それから真っ直ぐ15分ほど歩いたら着くよ」
百子は緑道を指差して、上ずった声を蝉の声に隠した。桜やらキンモクセイやらクチナシやらツツジやらが多く植えられているこの道は、クマゼミやらアブラゼミやらの大合唱で話し声が隠れてしまうほどやかましいからだ。ほとんど自分の声が聞こえていない状態ではあったが、陽翔はそれでも通じたらしい。彼は百子のしかめっ面を真似たような顔をして、彼と彼女は無言で赤いアスファルトを歩く。
「ひょっとしてあれが百子の実家か?」
「そうよ……本当に久しぶりだわ」
緑道を抜けると8ヶ月ぶりの実家のマンションが目に入る。入り口のオートロックを実家の鍵で開け、ちょうど1階で待機していたエレベーターに乗り込む。その間も陽翔が百子の腰に回した手を離さないので、暑さとは違う意味で心臓の鼓動が速くなった。
既に両親には連絡を入れていたものの、百子は律儀にインターフォンを鳴らす。いつもよりも少しだけ高い母の声がおかえりと告げるので、百子もただいまと返した。程なくして家のドアの鍵が開けられ、百子はドアを開ける。
「おかえり、百子。電話貰った時はびっくりしたわ。そちらの方が百子が言ってた……」
「はい。東雲陽翔と申します。お会いできて嬉しく思います」
スーツを着こなした陽翔は、まるで分度器で測ったようなきれいな礼をして、頭を上げた後に紙袋を差し出した。
「あの、お口に合わないかもしれませんが……」
紙袋の中身はデパートで買ってきたフィナンシェと煎餅だった。百子の父親はともかく、母親が甘いものをあまり食べないと百子に言われ、当初は洋菓子だけにするつもりだったのを見直したのである。
「あらご丁寧に……わざわざありがとう。さ、上がって下さいな」
陽翔はお邪魔しますと告げ、靴を脱いで後ろ手に靴を揃え、百子に先導されてリビングへと向かう。台所がリビングへ向かう途中にあるのだが、陽翔はそこで台所から出ようとしたごま塩頭の男性と鉢合わせした。
「あ、すみません……お邪魔しております」
陽翔はやや緊張しながらも、百子の父親を驚かせたことを詫びる。だが陽翔を見て目を丸くした彼は一テンポも二テンポも遅れてから反応した。
「いや、こちらこそ済まない。話はダイニングで聞こうか」
陽翔は彼に促されるままダイニングのテーブルについた。百子と彼女の母親は台所でお茶の準備をしているらしく、陽翔は彼女の父親と否が応でも向き合うこととなった。お互い何を話しても良いか分からず、重たい空気がダイニングを支配する。沈黙に耐えかねた彼女の父親はテレビをつけに行った。今週のニュースが纏めて放送されているものの、陽翔の頭には何も入って来なかった。
「貴方が百子の言ってた……」
「は、はい、そうです。東雲陽翔と申します。お会い出来て嬉しゅうございます」
このタイミングで話しかけられるとは思わず、陽翔はやや固い声で口にして礼をする。
「東雲……」
百子の父はその名字に何か思い当たることがあるらしく、再びその目を見開く。そして眉間の皺をデスバレーもかくやというほど深く刻んでいた。
「……もしや貴方は……」
彼が全て言い終わらないうちに、百子と百子の母親がお茶とお菓子を運んできた。お茶をそれぞれの目の前に置いたあと、百子は陽翔の隣に、彼女の母親は父親の横に座る。彼女をちらりと見やると、百子の沈んだ表情がやけに気になった。
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