茨の蕾は綻び溢れる〜クールな同期はいばら姫を離さない〜

初月みちる

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第四幕 こんなに切ない

蕩ける

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「東雲くん、おまたせ」

仕事が終わり、会社の最寄り駅まで迎えに来てくれた陽翔を見つけると、彼女はパタパタと走って向かう。

「待ってねえよ」

走ってくる百子を認めて手を上げた陽翔は、僅かに口元を緩める。二人で改札を通り、階段を降りてホームに向かうとちょうど電車がホームに入ったところだったので、途中から焦って電車待ちの列に並ぶ。もう少し自分達が遅くホームに到着したら、改札へ向かうたくさんの乗客の波に攫われるところだった。

「やっぱりこの時間は混むな」

電車に乗れたが車内でもみくちゃにされそうになり、陽翔はそう呟いてからさり気なく彼女の腰に腕を回して抱き寄せる。それに驚いて百子は思わず彼と目を合わせた。彼が腰に回した腕に触れているところから、何だか温かいものが広がっていく気がしたが、努めて平静に彼女は疑問を口にした。

「え? なんで?」

「はぐれるだろ。降りるときに流されるぞ」

百子は気恥ずかしくてすぐに目を伏せた。彼の気遣いはありがたいが、こうして彼の胸に顔を埋めていると、昨晩の彼の表情や掛けられた言葉、彼の匂いをどうしても思い出してしまい、心臓がやけに早鐘を打ってしまう。その鼓動と上昇した体温を彼に悟られるのが嫌で、少しだけ体を離そうとしたのだが、電車が揺れて彼のシャツを掴んでしまう。余計に彼にくっつく形になってしまい、百子は目を白黒させた。

「大丈夫か?」

声を掛けられたので百子は彼を見上げる。澄ました顔をしている彼に、百子はどぎまぎしながら頷いた。彼は満足そうに口元を緩めると、視線を上の方に持っていった。

(どうかバレませんように)

祈るように陽翔に縋りついた百子は、ちらりと陽翔を見る。彼はどうやら電車の広告を追っているらしい。自分はずっと陽翔と密着して心臓が盆踊りして落ち着かないというのに、涼しい顔をしている彼を見ると、何だか癪に触るのだ。

(ずるい、東雲くん。私はこんなに余裕がないのに、何でそうやってクールでいられるのよ)

昨晩あれほど百子を乱れさせた陽翔と同一人物とは思えないほど、落ち着き払った様子を見ていると負けん気が何故か湧いてくる。学生時代に彼と首位争いをして負けた時の気持ちによく似ているかもしれない。

(あれ? 東雲くんもドキドキしてる?)

百子がふと横を向くと、耳が彼の左胸の真上にきたので鼓動の音が聞こえると思ったが、流石に電車の走る音にかき消されている。とはいえ、スタッカートのように脈打つリズムはシャツ越しに感じられたのだ。

(……まさかね)

二人は横長の座席の前で立っていたので、本当は陽翔が百子を抱き寄せてようがいまいが、停車するたびに起こる人の波の影響は受けないはずだ。それなのに陽翔は決して彼女を離そうとはせず、最寄り駅で降りて家にたどり着くまでは握った彼女の手を離そうとしなかった。

「ただい……ま」

百子が靴を脱いで玄関に上がろうとすると、鎖骨辺りに彼の腕が回され、背中いっぱいに陽翔の熱を感じていた。耳朶をおかえりと心地よい低音が撫でて、百子は思わず声を上げる。

「ひゃっ! そこで囁かないで……」

「耳弱いもんな、百子は」

陽翔が耳朶を唇で優しく咥え、百子の体が震える。小さくリップ音をさせて陽翔の顔が離れたので、思わず百子は彼を振り返る。それを待ってましたと言わんばかりに、陽翔は彼女の唇に自分の唇を重ねた。しかしそれだけで終わることは無く、百子の唇を割って舌がするりと侵入し、舌を緩急をつけて吸われる。舌を絡めとられてしまい、段々と力が抜けてきたので百子はまずいと思って声を張り上げる。

「待って! ここでするの?」

陽翔の唇が離れたので百子は吐息まじりに弱々しく口にする。陽翔とキスを続けるとすぐに頭がふわふわとするのは何故なのだろう。

「いや、単に百子が可愛かったから悪戯しただけだ。それとも期待してたのか?」

陽翔はその澄ましたように見える顔をニヤリと歪ませる。それを見て揶揄われたと思った百子はさっとその顔をりんごのように赤くさせた。

(東雲くんはずるい。ずっと翻弄されっぱなしなんて面白くも何ともないわ)

「……もう! からかわないで!」

百子がもぞもぞと動くので陽翔は腕を緩めると、彼女は彼の腕を振り払ってさっさと台所に向かってしまった。少し怒る彼女の後ろ姿が何だか微笑ましく思えた陽翔は、小さく笑みを浮かべて自分のカバンを部屋に持っていき、手早くTシャツと半ズボンに着替えた。そして百子と一緒に夕食を作るべく台所に向かおうとすると、何やら話し声が聞こえたので慌ててその場から離れる。浮かない百子の声が気になってしまい、陽翔は耳をそばだてたものの、気落ちしたような彼女の声の方が気になり、内容が入ってこなかった。

「……うん、分かった……来週の土曜日に行くわ……」

百子が電話を切ったらしく、ため息が聞こえたので陽翔は台所に入る。憂いの色が濃い彼女の瞳と目が合い、嫌な予感がふつふつと湧いてきた。

「……まさかお前の元彼が連絡取ってきたとかじゃないよな?」

百子は首と胸の前に持ってきている両手を勢い良く振った。

「ち、違うわ! 母から電話がかかってきたの……土曜日に一度帰って来てほしいって言われただけ……」

百子は最初こそ強めな口調だったが、段々と尻すぼみになってしまい、最後は下を向いてしまう。陽翔は元彼からの連絡でないことに胸を撫で下ろしたが、彼女の沈んだ様子が妙に気になった。

「そうか……それにしては浮かない顔だな。嫌なことを言われたのか?」

陽翔が言い終わらないうちに、小さな獣が唸るような声がした。百子はさっと自分の腹部に手を当てる。そんなところに手を当てたところでどうにもならないのだが、隠したい心理はどうしても働くのだ。

「良かったら食べながら聞かせてくれ。俺も腹が減ったし。今よりも落ち着いて話せるだろ?」

そう言って陽翔は百子の頭に手をぽんと置き、夕食の準備に取り掛かった。
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