1 / 46
「第一章」刀匠と剣聖
「第一話」刀匠令嬢、目覚める
しおりを挟む
アルヴァロン王国の最高権力者である『四公』の一角を担うダルクリース家。
誇り高きその一族が住まう屋敷にて、事件は起きたのである。
「ああ……ああ! 私は、私はなんてことを……!」
お許しください、お許しください。泣きながら頭を地面に擦り付ける年配の侍女が視界に映り込む。椅子から立ち上がった父ガレスの怒りに満ちた顔、両手で口を覆い絶望した表情の母ブリセイス、最悪な状況に足がすくみきった他の侍女たち。
そう、あの年配の侍女はミスを犯した。
この家の公爵令嬢であるアイアスの顔に熱い紅茶を浴びせるという、ミスを。
「貴様……よくも私の愛しいアイアスを……!」
「申し訳ございません! 申し訳ございません!」
紅茶にまみれた長い茶髪を片手でそっと掻き分け、アイアスはその炎のように赤い瞳で二人を見つめた。激昂する父ガレス、泣きながら謝り倒す年配の侍女。
「許すわけがないだろう! ……タダで済むと思うな、お前は魔物の餌にしてやる!」
「そ、そんな……お願いです、夫を置いて死ぬなんてできません!」
年配の侍女がその場に崩れ落ち、静かに涙を流し始める。ガレスは容赦なく老婆を睨みつけていて、だんだんとブリセイスの表情も激しいものへと変わっていった。こうなってしまえば、もう誰もあの侍女を救うことは出来ない。公爵家の権力に対抗できるのは、他でもない公爵家だけなのである。
「──待ちな」
ガレスの侍女に対する断罪を静止したのは、一番の被害者であるアイアスだった。
「アイアス……何故だ、何故止める!? この者は、お前の美しい顔に火傷を……」
「……人間ですもの、失敗する時もあるでしょう? 罰とは裁きではありません、一人一つの尊い命を奪うだけの罪を犯したとは、私には思えませんわ」
ガレスの頭から、怒りは殆ど消え去っていた。目の前に居る愛娘が、あまりにも様変わりして大人びていたからである……自分の要求が受け付けられないだけで癇癪を起こすような子供が、怒りを抑え込み、こんなに納得の行く弁を振るえるものなのか。
「それに」
アイアスは困惑するガレスに笑って見せて、ヒリヒリと痛む自分自身の顔を指さした。
「女性は、傷ついてこそ魅力が出ると思いますの。純潔だけが美しさではありませんわ、むしろ私は、そんな箱入りになるのはごめんですの」
「……」
ガレスはしばらく長考した後に、唖然とする侍女に言い放った。
「今この瞬間から、お前を解雇する。そして二度と、我がダルクリース家の領内に足を踏み入れることを禁ずる。──出ていけ!」
「はっ、はいい!」
目尻に涙を浮かべながら、侍女は逃げ腰で廊下へと飛び出していった。おそらくは必要最低限の荷物をまとめ上げ、この屋敷を出ていくのだろう。免れられないはずの死を免れた侍女の心の中は、アイアスへの感謝で埋め尽くされていた。
「ありがとうございます、父上。私の我儘を聞いてもらってしまって」
静寂に包まれた食堂。その静寂を打ち破ったのは、またもや公爵令嬢アイアスだった。
「……お前が良いなら、私はいい。だが、その……まさかお前からあんな言葉が出るとは、思いもしなかったのでな。──立派な女性になったな」
「ありがたいお言葉でございます。……あと少しだけ、聞いていただきたい我儘がございますの」
「ん? ……あ、ああ。何が欲しいんだ? 宝石か? 奴隷か? それとも、土地か?」
ガレスの烈火のごとき怒りは、そのまま上機嫌な笑みへと早変わり。ここまで機嫌が良いのであれば、きっとどんな無茶振りでも叶えてくれるに違いない。それほどまでに、『四公』ダルクリース・イア・ガレスの権力は凄まじかった。──だが、アイアスが願ったのは。
「そうですね、ではまずは槌を数本……大きさ重さが異なる物を幾つか」
「うんうん、いいだろう。……ん? 今なんて?」
「それから金床、大きくて丈夫なものを。火床も要りますね、なるべく大きくて扱いやすいものを。……どうせなら鍛冶場が欲しいです、できますか?」
「よ、用意できなくはない……ないのだが、そんなもの用意して何をするんだ?」
困惑したガレスの顔。いいや、この食堂にいる全員が今の状況把握ができていなかった。
「……何って、決まっているでしょう?」
そんな彼らに対し、僅か十歳のアイアスは素直に答えた。何の捻りも冗談もなく、当然のように。
「かた……剣を打つんです、剣を」
愕然とする彼らをそっちのけに、アイアスの頭の中では創作意欲が溢れ出ていた。炉の熱さと飛び散る火花、赤く染まった刀身が水に冷めていくその様、その果てに形を為す最高の一振り……その輝きと危うい揺らめきを。──そう彼女は、「彼」だった頃の記憶を、あの紅茶の熱さによって思い出していたのだ。
(あっちでは満足いく仕事ができなかったからな。未練がましいかもしれねえが、今度こそ示してやるぜ。俺の刀が、神仏の域に達した大業物だってことをよぉ……!)
これはあくまで、当の本人しか知らない話。
かつて黄金を好む天下人の刀狩りにより、全ての業物が滅ぼうとしていたその時代。
彼は、そう彼だけは己の作り上げた傑作たちを渡してなるものかと抗い、その結果死に至った真性の仕事好き、刀鍛冶の業に取り憑かれた大いなる変わり者。
その男の名を、正重と云う。
そしてアイアス・イア・ダルクリースとは、彼が輪廻転生を経て辿り着いた果て、その姿である。
誇り高きその一族が住まう屋敷にて、事件は起きたのである。
「ああ……ああ! 私は、私はなんてことを……!」
お許しください、お許しください。泣きながら頭を地面に擦り付ける年配の侍女が視界に映り込む。椅子から立ち上がった父ガレスの怒りに満ちた顔、両手で口を覆い絶望した表情の母ブリセイス、最悪な状況に足がすくみきった他の侍女たち。
そう、あの年配の侍女はミスを犯した。
この家の公爵令嬢であるアイアスの顔に熱い紅茶を浴びせるという、ミスを。
「貴様……よくも私の愛しいアイアスを……!」
「申し訳ございません! 申し訳ございません!」
紅茶にまみれた長い茶髪を片手でそっと掻き分け、アイアスはその炎のように赤い瞳で二人を見つめた。激昂する父ガレス、泣きながら謝り倒す年配の侍女。
「許すわけがないだろう! ……タダで済むと思うな、お前は魔物の餌にしてやる!」
「そ、そんな……お願いです、夫を置いて死ぬなんてできません!」
年配の侍女がその場に崩れ落ち、静かに涙を流し始める。ガレスは容赦なく老婆を睨みつけていて、だんだんとブリセイスの表情も激しいものへと変わっていった。こうなってしまえば、もう誰もあの侍女を救うことは出来ない。公爵家の権力に対抗できるのは、他でもない公爵家だけなのである。
「──待ちな」
ガレスの侍女に対する断罪を静止したのは、一番の被害者であるアイアスだった。
「アイアス……何故だ、何故止める!? この者は、お前の美しい顔に火傷を……」
「……人間ですもの、失敗する時もあるでしょう? 罰とは裁きではありません、一人一つの尊い命を奪うだけの罪を犯したとは、私には思えませんわ」
ガレスの頭から、怒りは殆ど消え去っていた。目の前に居る愛娘が、あまりにも様変わりして大人びていたからである……自分の要求が受け付けられないだけで癇癪を起こすような子供が、怒りを抑え込み、こんなに納得の行く弁を振るえるものなのか。
「それに」
アイアスは困惑するガレスに笑って見せて、ヒリヒリと痛む自分自身の顔を指さした。
「女性は、傷ついてこそ魅力が出ると思いますの。純潔だけが美しさではありませんわ、むしろ私は、そんな箱入りになるのはごめんですの」
「……」
ガレスはしばらく長考した後に、唖然とする侍女に言い放った。
「今この瞬間から、お前を解雇する。そして二度と、我がダルクリース家の領内に足を踏み入れることを禁ずる。──出ていけ!」
「はっ、はいい!」
目尻に涙を浮かべながら、侍女は逃げ腰で廊下へと飛び出していった。おそらくは必要最低限の荷物をまとめ上げ、この屋敷を出ていくのだろう。免れられないはずの死を免れた侍女の心の中は、アイアスへの感謝で埋め尽くされていた。
「ありがとうございます、父上。私の我儘を聞いてもらってしまって」
静寂に包まれた食堂。その静寂を打ち破ったのは、またもや公爵令嬢アイアスだった。
「……お前が良いなら、私はいい。だが、その……まさかお前からあんな言葉が出るとは、思いもしなかったのでな。──立派な女性になったな」
「ありがたいお言葉でございます。……あと少しだけ、聞いていただきたい我儘がございますの」
「ん? ……あ、ああ。何が欲しいんだ? 宝石か? 奴隷か? それとも、土地か?」
ガレスの烈火のごとき怒りは、そのまま上機嫌な笑みへと早変わり。ここまで機嫌が良いのであれば、きっとどんな無茶振りでも叶えてくれるに違いない。それほどまでに、『四公』ダルクリース・イア・ガレスの権力は凄まじかった。──だが、アイアスが願ったのは。
「そうですね、ではまずは槌を数本……大きさ重さが異なる物を幾つか」
「うんうん、いいだろう。……ん? 今なんて?」
「それから金床、大きくて丈夫なものを。火床も要りますね、なるべく大きくて扱いやすいものを。……どうせなら鍛冶場が欲しいです、できますか?」
「よ、用意できなくはない……ないのだが、そんなもの用意して何をするんだ?」
困惑したガレスの顔。いいや、この食堂にいる全員が今の状況把握ができていなかった。
「……何って、決まっているでしょう?」
そんな彼らに対し、僅か十歳のアイアスは素直に答えた。何の捻りも冗談もなく、当然のように。
「かた……剣を打つんです、剣を」
愕然とする彼らをそっちのけに、アイアスの頭の中では創作意欲が溢れ出ていた。炉の熱さと飛び散る火花、赤く染まった刀身が水に冷めていくその様、その果てに形を為す最高の一振り……その輝きと危うい揺らめきを。──そう彼女は、「彼」だった頃の記憶を、あの紅茶の熱さによって思い出していたのだ。
(あっちでは満足いく仕事ができなかったからな。未練がましいかもしれねえが、今度こそ示してやるぜ。俺の刀が、神仏の域に達した大業物だってことをよぉ……!)
これはあくまで、当の本人しか知らない話。
かつて黄金を好む天下人の刀狩りにより、全ての業物が滅ぼうとしていたその時代。
彼は、そう彼だけは己の作り上げた傑作たちを渡してなるものかと抗い、その結果死に至った真性の仕事好き、刀鍛冶の業に取り憑かれた大いなる変わり者。
その男の名を、正重と云う。
そしてアイアス・イア・ダルクリースとは、彼が輪廻転生を経て辿り着いた果て、その姿である。
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。

断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!
柊
ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」
ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。
「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」
そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。
(やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。
※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。
婚約破棄からの断罪カウンター
F.conoe
ファンタジー
冤罪押しつけられたから、それなら、と実現してあげた悪役令嬢。
理論ではなく力押しのカウンター攻撃
効果は抜群か…?
(すでに違う婚約破棄ものも投稿していますが、はじめてなんとか書き上げた婚約破棄ものです)
婚約破棄された悪役令嬢。そして国は滅んだ❗私のせい?知らんがな
朋 美緒(とも みお)
ファンタジー
婚約破棄されて国外追放の公爵令嬢、しかし地獄に落ちたのは彼女ではなかった。
!逆転チートな婚約破棄劇場!
!王宮、そして誰も居なくなった!
!国が滅んだ?私のせい?しらんがな!
18話で完結

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる