無能勇者

キリン

文字の大きさ
上 下
14 / 14
霧隠れの森編

無能勇者、招かれる

しおりを挟む
 霧が晴れて行く森を駈ける。どれだけ速く走ろうが、視界を遮る霧が消えようが、俺の心を蝕む不安を払拭することは出来ない。それだけイグニスさんの体は毒に侵されており、今も命が削られ続けているのである。

 俺にできることは、とにかく医者に診せる事だけだった。一刻も早くこの森を抜け、腕のいい解読魔法が使える人間の元へ。――ただ黙って祈っているより、行動を起こす事しか、俺にできる最善は存在しなかった。

 これも、俺を無能たらしめる怠惰への罰なのだろうか? マーリンさんがいるから魔法を学んでは来なかった、ただ鍛錬を、考えなくてもできるような見せかけの努力しかしてこなかったのだ。

 俺は今まで天罰と云う概念は、怠った本人に対して起こるモノだと思っていた。だが怠惰とは、無能とは、本人のみに及ぶ災いではなかった。現に罰を受けているのは俺ではなく、何の罪も無いイグニスさんだ。

(クソッタレ……!)

 努力を怠った事への悔やみが、今になって襲い掛かる。俺がもしも数多の魔法を使えていたら、この人は生死を彷徨わなくても済んだのだろう。歯軋りはいつも過去の為、勇者を継ぐと誓ったあの日から、俺が成せたことは一体どれだけ存在してくれているのだろうか? ――後ろばかりを見ていた俺は、物理的にも後ろを向いてしまった。そこには、消え去ったはずの霧が立ち込めていた。

(いや違う、あれは……生きている! さっきの蜘蛛か!)

 立ち止まることは出来ない、ただでさえ一刻を争う状況なのに、迎撃の為に時間を割いていられない! 改めて俺は決意する、例え自分の背中があの蜘蛛に滅茶苦茶にされようと、どんなに肉や骨が抉り飛ばされようと……俺は走るのを止めない、必ず彼女を連れて行く!

「―――ォォォォオオォ!!!」

 言葉にならない狂声と同時に、辺り一帯が霧に包まれる。――ただの霧ではなく、紫色の霧……毒霧だ!

「――ッ!」

 ポケットの中から出てきたのは、対毒用のマスクだった。俺はそれをイグニスさんに被らせ、再び走り出す。走り出そうとした……しかし俺は、余りにも霧を吸い過ぎた。

「がはっ……があああっ……」

 吸い込んだ毒霧はそのまま肺に流れ込み、俺の体を内側から崩し始めた。血反吐を吐き、足もガタガタと震え始める……走らなければ、走るために、霧を払わなければ……。しかし今度は頭まで痺れて来た、練り上げようとした怒りもすぐに霧散し、徐々に体の自由が奪われていく。

(イグニス……さん)

 手を伸ばす。せめて、魔法で何処か安全な場所に……だが、魔力を練る事もできない。おまけに霧の向こうには、殺意に満ちた蜘蛛の顔面がある。――万事休すか、俺はそっと瞼を閉じ……諦める一歩手前で、祈った。

『根性あるなぁ、お前さん。――どれ、ちょっくら爺が節介でも焼いてやるかね』

 祈りが聞き届けられたのかと錯覚した。その直後、森一帯を包む霧全てが、吹き荒れる爆風によって薙ぎ払われたのだ。










 
 吹き荒れる風は渦を作り上げ、林立する木々を囲む霧を打ち払った。あれは自然に発生した風では無い……明らかに人為的な物である事が、武人の端くれである俺には分かった。風に乗った微かな殺意、それは、この爆風を巻き起こした人物へと直結していた。

 その人物は、若いが気骨のある人物に見えた。柔らかであるが力強い顔立ち、青年のような見た目に老人のような風格を帯びている……長い茶髪は手拭いで乱暴にまとめ上げられており、輝く大きな額が印象的である。

(『あれ』一本で、この風を起こしたのか……!?)

 服装はやけに職人気質で質素、俺の「もしかして」という予感を決定づけるべく、その手には玄翁が握られていた。

「先に自己紹介でもしとくか。俺の名前は――」
「あぶ、な――!」

 職人気質の男の背後から、殆どゾンビのような蜘蛛が襲い掛かる。不味い、完全に背後を取られている! 助けなければ、今すぐに……ああ体が動かない! 毒で、体が!

「――うるせぇよ」

 火炎一閃。薄暗い森の中を、火花を散らしながらそれは輝く。細長く、反り返っている見た目。俺はあれを聞いたことがある、東の国で使われている『刀』という特殊な剣だ。――だが、あれは燃えていた。撃ち上げて間もないほど熱く、握る事すら敵わない程だろうに……それにあの人は、何処から刀を取り出したのだ⁉

 俺が目を見開いている間にも、蜘蛛は断ち切られた部分から焼け焦げる。たった一撃で、巨大な体躯を全て焦がすほどの火力……それを生み出した太刀は、一気に光を失い、彼の手の中から崩れ落ちて行った。

「人が他人サマに自己紹介してるんだ、礼儀ってのを弁えてから出直してきやがれ」

 ――さてと。面倒事を片付けたかのように、彼は俺たちに向き直り、にんまりと笑って見せた。

「俺はぺパスイトス。こんな森に好き好んで隠居した、鍛冶師一筋の変態爺だ」

  

  







 ペパスイトスを名乗るこの男、俺ははじめこそ疑っていたが、どうやら本人らしい。その証拠に両掌がゴツゴツしていて、腰の玄翁も古めかしい感じだった。

 彼は俺たちに応急処置を施し、その場で毒を治療してくれたのだ。治療の腕はとても高く、先程まで自分たちが死にかけていたことを忘れてしまう程に、気分が良くなっていた。イグニスさんはまだ目を覚まさないが、息はしているし、恩人相手に贅沢は言えまい。

「さぁ着いた……ってなんだぁこりゃ!?」

 そこは先程まで、自分が蜘蛛と戦っていた場所だった。ペパスイトスは飛び散った血飛沫よりも、瓦礫の山に絶句しているようだが。

「すみません、それは俺が壊しました。事情があって……助けてもらったのに、本当にごめんなさい!」
「ん? 何だお前が犯人か。……ならいい、丁度建て直そうと思ってたからな」

 そう言って彼は、膝をついて地面に手を付けた。何かをブツブツと呟き続け……変化は急に、そして迅速に顕れた。
 瓦礫の山が、ふわりふわりと宙を舞う。そして変化し、原型を留めていなかったものが立派な丸太へ、丸太は形を変えながら地面に突き刺さり……大の男が何十人も集まって作るような、立派な木造建築に早変わりした。

「……まぁ、妥協点だな」

 ペパスイトスは満足行かなそうにそれを眺めた後に、俺を出来立てほやほやの家の中に招待した。俺はイグニスさんを背負い直し、そのまま家の中に入っていった。





しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...