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1巻
1-3
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「っ、アッシュ殿下」
「ふはっ」
アシュレイは小さく噴き出すと食事を再開した。枢も食べないわけにはいかず、釈然としないながらもナイフとフォークを動かす。
(――でも、僕のこと考えてくれてたんだ)
思い返すのは先ほどの言葉。
(正面から見られるのは好きじゃない。瑞希くんとか生徒会の人とかみんな、前に立って僕のこと詰ってきてたから目が合うのが怖い。でも今までそんな僕のこと、誰も考えてもくれなかった)
自分が生まれ育った国の人間が、誰一人として理解も共感もしてくれなかったことを、異世界で出会ってほんの少ししか一緒にいなかった人が理解してくれるなんて、どんな奇跡だろう。
(あのとき消えたいって思った気持ちを、神様が聞いててくれたのかな? あんな地獄みたいな場所にいるより、僕のことをちょっとでもわかってくれる人の所に連れていってあげようって)
「……やっぱりここは天国なのかも」
「ここはネオブランジェ王国だが?」
「っ、わかってます……!」
ふざけているのか真面目なのか、よくわからない態度のアシュレイに、ほんの少しだが枢は、久々に笑うことができた。
「それでは改めて。カナメ」
食後のお茶を飲みながらアシュレイが切り出した。ジュードはお茶の用意だけすると退室してしまったので、部屋には二人っきりだ。
アシュレイは見た目はリラックスしているようだが、その顔はどこか真剣だ。
「カナメには明日、国王に謁見してもらう」
「は、はいっ!?」
「昼間に陛下には話をしてある。そう怖がらずともよい。陛下は私の兄だ」
「お、お兄さん。や、でもそういうことじゃなくてっ! 僕そんな偉い人に会うなんて……」
「異世界から来た神子で、精霊魔法が使える貴重な存在なのだ。国の長が自ら迎えずしてどうする」
「……そんなの、きっと何かの間違い……」
「まだ信じていないのか?」
「き、急に言われたって、そう簡単に信じられないです。それに、お昼に会った宰相さん? も僕には魔力がないって言ってたし。ジュードが使っていた魔法ともなんか違いましたし。僕に魔法なんて使えるわけ……」
少し前に嬉しくて温かくなった心は、今ではまた萎んで急速に冷えていく。だんだんと下がる視線に、隣からため息が聞こえた。
ビクッと肩が震える。呆れられたと思ったが、聞こえてきた声は穏やかだった。
「なんと言おうとカナメが精霊魔法を使っているのは間違いない。ただ、いろいろなことがあって、お前もまだ混乱しているだろう。また明日訪ねるから、今日はもう休むといい」
そう言ってアシュレイは優しく枢の頭を撫でた。少し首をすくめながらも彼の大きな手のひらを大人しく受け入れる。
あっさりと手を離し部屋を出ていくその背を、枢はなんとも言えず見つめることしかできなかった。
◇◆◇
「んぅ……いいにおい」
鼻をくすぐる香ばしい匂いで目が覚めた。ぼんやりする目を擦ると、テーブルセッティングをするジュードの姿が見える。……どうやら枢は昨日、知らぬ間に寝落ちしてしまったらしい。
「……ジュード?」
「おはようございますカナメ様。よくお休みになられましたか?」
「……うん」
「ふふ、まだしっかりとお目覚めにはなってないみたいですね。ただいまお食事の準備をしておりますが、先に浴室にご案内いたしましょうか?」
「え?」
「昨日とお召し物が変わっていらっしゃいません。湯浴みされていないでしょう?」
「あ、そうだった。僕、お風呂入ってない……」
「お食事と湯浴み、どちらでもお好きなほうをお選びくださいませ」
「んー、折角だから、温かいうちにご飯をもらおうかな」
「かしこまりました。もう準備が整いますので、こちらにお座りになってお待ちください」
柔らかな笑みを浮かべたまま、ジュードが椅子を引いてくれた。
テーブルには湯気を立ててカップに注がれる紅茶や、こんがりと焼け香ばしい匂いが漂うパンが並んでいる。
元々少食で朝食は抜いていた枢だが、目の前の美味しそうな匂いに、自然と食欲が刺激された。
「お待たせいたしました。どうぞ、お召し上がりください」
「ありがとう。いただきます!」
小さく手を合わせると焼き色のついたパンに手を伸ばし、一つ取って半分に割る。外側がカリカリで中はふんわりとしている。一口かじると、バターのコクと小麦の香りが鼻に抜け、じゅわりと唾液があふれ出た。
「美味しい!」
枢は顔を綻ばせる。幸せそうに食べるその姿を見て、ジュードも嬉しそうにしていた。
「昨夜はアシュレイ殿下と何をお話になられたんですか?」
にこやかに微笑んだままジュードが話しかけてきた。枢はビクッと肩を震わせてジュードを見やった。
「っ、なんで?」
「いつ呼ばれるかと待機しておりましたが、一向にお声がかからなかったものですから。よほどお話が弾んでいるのかと」
「ずっといたの?」
「はい、おりました」
「そっか。うん、別に大したことはなにも。話はすぐに終わったし……あっ」
何もないと言いかけ、枢はそこで大事な話を思い出した。
「いかがなさいました?」
「そういえば、今日の午後、国王陛下に会うって……」
「まことでございますか?」
「う、うん。どうしよう、今まで忘れてたけど、急に緊張してきた!」
「大丈夫でございます。国王陛下はお優しい方でいらっしゃいます。よほどのことがない限り、咎められることはないはずです」
「そう、なの? そうだといいけど」
「国王陛下に謁見なさるのでしたら、まずは身なりを整えましょう。食事もあらかた済んだご様子ですし、そろそろ浴室へ参りましょうか」
不安感に苛まれながら、枢はジュードに促され、浴室へと向かった。
「待って! 一人でできるからっ!」
「いいえ! これも侍従の務めです! 体の隅々まで磨いて差し上げますので、どうぞ! 遠慮なさらず!」
「っ……恥ずかしいから! 一人で入らせて!」
浴室に着くと、ジュードは枢の服を脱がせようとした。あまりにも恥ずかしいので枢は必死に抵抗するが、ジュードは一歩も引かない。
「貴人が侍従に湯浴みの世話をさせるのは普通のことなのですから、恥ずかしがらずともいいのです!」
「僕は普通の高校生だから! 知り合ったばっかりの人に裸なんて見せないし、風呂の世話なんてさせないからぁ!」
しばらく言い争った挙句、ようやくジュードが折れてくれた。何かわからないことがあればすぐに彼を呼ぶよう約束させられて、やっと一人で入浴を始めることができた。
枢はまず掛け湯をし、いい香りがする石鹸で全身を洗う。ジュードにお小言をもらわないようしっかり隅々まで。そうして湯船に浸かった。
最後に入浴してからそう時間は経っていないものの、なんだか久しぶりのような気がしてその気持ちよさに思わず声が出てしまう。
「あぁ~、きもちい~」
まるでオヤジだなと思いつつ、心ゆくまで風呂を楽しんだ。
浴室から出ると、タオルと真新しい衣類が準備されていた。広げてみると肌触りのよさそうな真っ白いシルクのシャツで、襟や袖にフリルがあしらわれている。細身の黒のスラックスは少し体のラインが出すぎないか心配になった。
用意された衣類を身につけ、ジュードのもとへと向かう。
「ねぇこれ、おかしくないかな?」
「何もおかしくはありませんよ。よくお似合いです」
「リボンタイまであるなんて……」
「国王陛下にお会いになるのですからそれくらいしなくては。これでもまだ足りないくらいです」
「そんなに着飾らなきゃダメなの?」
「今は急ぎのことでございますし、咎められはしないでしょうが、本来ならばもっと華美な服装でお出ましになることが多いですね」
「そうなんだ……」
「まずはその濡れた髪を乾かしましょう。風魔法を使いますのですぐ終わります。乾いたら香油をつけましょう」
少しばかり楽しそうなジュードにされるがまま、髪だけでなく顔にもオイルを塗りこまれ、朝からぐったりした枢だった。
午後までまだ時間があるということで、枢はジュードにこの世界について訊ねることにした。
「ここネオブランジェ王国は、エステル大陸に存在する四つの国の一つです。その昔、まだ名前もなかった時代、賢狼ウォルフという狼がこの土地一帯をまとめあげていました」
「狼が?」
「そうです。賢狼ウォルフは高い知性を持ち、人間の言葉を話したそうです。彼はその優れた知性と行動力、種族の違いに囚われない優しさで、辺りの人間たちを統率していました。やがて人々は彼を王に据え、一つの国を作ります。それがこのネオブランジェ王国です。ウォルフは人間の娘を妻に迎え、子を成します。それが今の王家――国王陛下やアシュレイ殿下へと繋がっているのです」
「アッシュ殿下は狼の子孫?」
「そうなりますね」
「ジュードは物知りだねぇ」
「建国神話は誰でも幼い頃に聞かされるので、皆知っているのですよ」
「へぇ~」
話しながらアシュレイの姿を思い浮かべる。狼の子孫と言われれば、なるほど理解できると思った。美しい銀色の長髪も、態度からにじみ出る凛々しさや厳格さなども、孤高の存在である狼と言われればそのようにしか見えなかった。
それからしばらく、ジュードにこの国のことをもっと聞いたり、魔法について訊ねたりした。
「ねぇ、僕〝体内魔力〟っていうのが感じられないって言われたんだけど、ジュードはわかる?」
「……そうですね。普通は誰しもが体内魔力を保有しているので、完全には無理でも、ある程度相手の魔力量を感じ取ることができます。カナメ様からは――確かに、魔力は感じられませんね」
「そっか。僕ってやっぱり魔力ないんだ。なのになんで精霊魔法が使えるって言われるんだろう……」
「うーん……」
ジュードと話しながら、ああだこうだと悩んでいると、いつの間にか昼食の時間になったらしい。すくっとジュードが立ち上がった。
「私は昼食の準備をしてまいりますので、しばらくお待ちください」
部屋を出ていくジュードを見送って、枢はソファにぽすりと寄りかかった。
ジュードからいろいろと聞いたことを頭の中で整理していると、ふいに扉がノックされた。
「はい、どうぞ」
枢が応答するとドアが開く。顔を覗かせたのはアシュレイだった。
「いきなりすまないな。いまから食事なのだろう?」
「え? あっ、はい」
「話があるのだが、私も一緒でかまわないだろうか?」
「っは、はい、もちろん、です……」
王子からの頼みを断れるはずもない。枢は昨日の夜のことを思い出して、どんな顔をしていいかわからないまま俯いてしまう。
アシュレイはそれを気にした様子などなく、テーブルにつくとこちらに来るよう声をかけた。
テーブルまで来てどこに座ろうか悩み、枢は辺りを見回す。結局あれこれ悩んで、椅子を一つ挟んでアシュレイの隣に座った。
するとタイミングよくジュードが戻ってくる。彼は初めからアシュレイがいることを知っていたのか、驚いた顔も見せずに食事の用意を始めた。
「まずは腹拵えだ。話は食後にするとしよう」
「はい」
促されるまま食事を口に運ぶ。とくに会話もなく食器の音だけが響いている。そのなんともいえない空気に耐えかね、枢はしばらくしてナイフを置いた。
横を見ると、どうやらアシュレイは食べ終わったようだ。彼がこちらを向く気配がして、枢は顔を正面に向け視線を逸らした。
「待たせたな。では話をしようか」
「っ、はい!」
「ふっ、何をそんなに緊張しているんだ?」
「なんでも、ないです……」
アシュレイに笑われてしまうが、緊張しすぎてどんな顔をしていいのかわからない。
「まずは話を聞いていてほしいんだが」と前置きをして彼は話し出す。
「そろそろ国王陛下のもとへと向かわねばならない。だが、カナメ。そこには私たちと国王陛下だけではなく、他の諸大臣や役人たちもいる。その者たちが皆、お前が神子であり精霊魔法を使えるということを、簡単に信じるわけではないというのは理解できるか?」
真面目な顔で問いかけられる。枢はそれを受け止めると頷いた。
「わかります」
「そのような者たちからは、お前をこの城に置くことや、お前を賓客として迎えていることなどに不満の声が上がるだろう。そのときお前は、昨日宰相に言われたように『神子である証拠』を見せなければいけないだろう」
「はい」
「そこでだが……カナメはどうしたい?」
「……はい?」
何を言われるだろうかと緊張していれば、逆に質問を投げられて枢はきょとんと首を傾げた。
「どうやってその力を証明するか、と聞いているんだ」
「えっ? えぇ!?」
「精霊魔法を使う者を呼び寄せて、カナメが力を使う瞬間を見てもらうことはできる。だが、私や陛下、それ以外の者たちにはそれが見えないから、説得力に欠ける」
「それ、は……」
誰にでもわかる形で証拠を示す必要がある、ということだ。
「あ、の。何度も言うんですが、やっぱり僕、魔法なんて使えないと思うんです……」
淡々と話を進めるアシュレイに、ここでやっと質問を投げることができた。昨日からずっと思っていることを伝える。
しかし彼はなんてことはないような表情で言った。
「まだそんなことで悩んでいるのか? 私も何度も言うしかないが、お前は間違いなく精霊魔法を使っている」
そう言いきられてしまうと、魔法についてなにも知らない枢はこれ以上意見する術を持たない。
仕方なく枢は気持ちを切り替え、アシュレイの言う『力の証明』について考えることにした。
「……それなら、精霊魔法って、どんなことができるんですか?」
「そうだな。結界魔法、治癒魔法、浄化魔法。基本的にこの三つだ」
「結界、治癒、浄化……。だ、誰かの怪我を治す、とか」
「なるほど? だが、そう都合よく怪我した人間がいるかな? 今は戦があるわけでもない」
「う……、じゃっ、じゃあ浄化……?」
「浄化は穢れを祓う魔法だからな、さすがに陛下の御前に穢れは持ちこめぬ」
「なら結界ですか……。でも僕、どうしたらいいのか、わかりません」
「そうだな、すまない。私が悩ませるようなことを言っているな。……では、昨日と同じようなことをするのはどうだ?」
狼狽える枢を見かねて、アシュレイは一つ提案をした。
「昨日と同じ?」
「そうだ。カナメは無意識にだが私の手を弾いただろう? 昨日も言ったが、あれがおそらく結界魔法だ」
「あれが……」
「カナメの身を守るため精霊が結界を張ったのだろう。なら、今度はそれと同じことを意図的に行うのだ。例えば……」
真面目な顔でその中身を話し始めたアシュレイに、枢は目を瞠る。ジュードも危ないからできればやめてほしいと止め、別の方法を探そうと言った。提案するだけして、アシュレイは枢の反応を待っている。
「あくまでも例え話だ。するもしないも、カナメ次第だ」
成功しないかもしれない、失敗したら自分の命が危ないかもしれない。それでも――と思う。
「っ、やります。アッシュ殿下には、ご迷惑をおかけするんですけど……」
「私のことは気にしなくていい。――本当に、それでいいのだな?」
「っはい。頑張ります!」
無意識とはいえ昨日一度は行ったことなのだ。何も問題はない。枢はそう自分に言い聞かせた。
「そろそろ謁見の間に向かおう」と促され、廊下へと出た。自分の隣にはアシュレイが並び、二人の後ろにリオンとジュードがついてきている。
(……なんか、後ろからの視線がちょっと)
ほんの少し後ろに視線をやると、リオンがじっとこちらを見ていた。
何も言ってはこないが、アシュレイの隣に自分が並ぶことがふさわしくないと言われている気がして、枢は顔を前に戻し唇をきゅっと噛みしめる。
隣を見ると、まっすぐに前を向いて歩いている美しい人がいる。
(確かに、僕なんかふさわしくない)
少しずつ歩く速さを落とし、アシュレイからゆっくり二歩ほど距離をとった。
なんともいえない気持ちのままひたすら歩く。目的の場所に近づいているのだろう。だんだんと人の姿が目に付き始める。
王弟であり第二王子であり、騎士団長でもあるアシュレイが歩いているのだから、人の目を引くのは仕方ない。しかし、枢にもたくさんの人の目が向けられていた。
(……この感じ)
少し前までずっと枢が置かれていた状況と同じだった。たくさんの人からの視線。
(……いやだな)
値踏みされるようなそれに、自分の価値を見誤るな、と言われているような気になってしまう。
「――着いたぞ」
その声にハッと顔を上げると、目の前には厚く大きな扉があった。その前には衛兵が立っており、アシュレイが声をかけるとすぐにそれは開けられた。
「カナメ様。私たちはここまでですので」
そう言ってジュードとリオンは頭を下げ、一歩下がる。
アシュレイに背中を押され、二人で謁見の間に足を踏み入れた。
途端に向けられる、先ほどよりも厳しく鋭い視線。しんと静まり返った空間で感じるそれは、肌をビリビリと痺れさせるようだった。
重苦しい空気に耐えながら進むと、玉座に座る人物が見えた。
(あ……似てる)
銀の髪が光を反射し煌めいている。こちらを静かに見つめる瞳は、空を閉じ込めたような美しいアクアマリンを思わせる青色だった。
王の足元までたどり着くと、アシュレイに倣って膝をつく。頭を垂れると、頭上から声が降ってきた。
「面をあげよ」
アシュレイとは少し違う声音にゆっくりと顔を上げる。
「アシュレイ。隣の者がお前の言う神子なのか?」
「はい」
「見たところ普通の少年にしか見えぬが? 体内魔力も感じられぬ」
「この者は精霊魔法を使うことができます。しかも精霊にとても愛されている」
「ほう? 体内魔力はないのに精霊魔法を……?」
「祈りを捧げずとも精霊が姿を現し、彼を守ろうとしておりました」
「お前は精霊を見ることはできないはずだが? どうやってそれを証明する?」
「精霊魔法を使える者を騎士団から呼んでおります。この場への入室の許可をいただきたい」
「それは構わぬが、この場には術師長もいるのだぞ? 彼に確認してもらうだけでは足りぬのか?」
「そういうわけではありませんが、証人は多いほうがよろしいでしょう?」
枢は口を挟めるはずもなく、矢継ぎ早に交わされる会話を聞くことしかできない。
そのうちアシュレイの要求が通ったらしく、背後の扉が開いて一人の細身の男が入ってきた。
男はアシュレイが着ている服と同じものを身につけている。騎士団員と言うには華奢な印象を覚えた。
「御前に失礼いたします。騎士団員のユリウス・カルヴェインでございます」
枢の右隣に膝をついたその人は、やはり美しかった。
(やっぱりこの国にはイケメンしかいないの?)
四方八方を美形に囲まれているこの状況に、なんとも言えず複雑な気持ちになる。
「ユリウスは騎士団の中で唯一精霊魔法が使える者です。彼にはカナメが精霊魔法を使っているかどうかを見極めてもらおうと考えております」
「……そうか。では術師長、こちらへ」
壁の両側に並んだ人の中から一人が前に出てくる。しっかりと伸ばされた背筋と、真実を見極めようとする鋭い眼光の年老いた男だった。
「それでは、今からここにいるナカタニカナメが、神子であるかどうかの確認を行う。カナメ、前へ」
「っ、はい」
ずっと膝をついていたから少しよろけそうになったが、なんとか踏ん張り、促されるまま玉座のほうへ歩く。そして国王に背を向ける形で振り返り、アシュレイを見た。
「今から私がカナメを斬ります」
剣を抜きながらアシュレイが言うと、謁見の間に集った者たちがどよめき出す。
「精霊魔法を使えるのなら結界を張ることができるはず。……ユリウス」
「はい」
「今カナメの周りに精霊はいるか?」
「……いえ。見当たりません」
アシュレイが術師長を見ると、そちらも頷いていた。
「この状態から私は彼に剣を振り下ろす。普通なら祈りを捧げなければ精霊は力を貸してはくれぬ。だがこのカナメは精霊に愛されている。一瞬のうちに精霊が現れるであろうから、ユリウスと術師長にはそれをしっかりと確認してもらいたい」
「「御意」」
それだけ言うと、アシュレイは切っ先を枢に向ける。そしてしっかりと枢と視線を合わせると、小さな声で「いくぞ」と言う。合図をするように枢が小さく頷くと、次の瞬間、剣が振り上げられた。
(っ、お願い精霊さんっ!!)
恐怖から枢は目をぎゅっと瞑った。
――それは一瞬であり、しかし数分にも感じた。
キィィィィンと甲高い音が響き、周囲のざわめきが聞こえてやっと、枢は目を開くことができた。
「……精霊さん」
目の前にはたくさんの輝く小人たち。その向こうには、何かにぶつかってそれ以上振り下ろされることのなかったアシュレイの剣が見えた。それは小刻みに振動しており、決して彼が力を抜いていないことがわかる。
「剣を下げよ、アシュレイ」
「はっ」
静寂を破った国王の声に、アシュレイが剣を下ろす。それと同時に、精霊たちは枢を取り囲んだ。
「ふふ、ごめんね? ありがとう助けてくれて」
全身に擦り寄ってくる彼らに枢はついつい笑みがこぼれる。
心配をかけてしまったのか、なかなか傍を離れようとしない精霊たちを愛おしげに見つめていると、アシュレイが枢に声をかけた。
「カナメ」
「っ、はい!」
びっくりして周りを見ると、たくさんの人がこちらに注目していた。慌てて俯いて小さくなる。
「ユリウス、術師長。どうだった?」
「はい。僭越ながら発言させていただきます」
そう言ったユリウスの顔は、不思議なものを見たような驚きに満ちたものだった。
「アシュレイ殿下が剣を振り上げた瞬間、数え切れないほどの精霊が一瞬にして神子様の周りに集まりました。神子様は祈りを捧げた様子はなく、まるで精霊が神子様を守るために現れたようにしか見えませんでした」
「なるほど。術師長の見解は?」
「ユリウス殿と同じでございます。私もこれだけの数の精霊を一度に見たのは初めてでございます。この者……いや、神子様は精霊に愛されていると見て間違いないでしょう」
「そうか」
それだけ聞いた国王陛下は何かを思案している。アシュレイはというと、枢を心配そうに見つつ、どこか得意げな顔をしていた。
「……?」
その顔の意味がわからなくて、枢は少しだけ首を傾げた。
「――よくわかった」
少しして、よく通る声で国王陛下が言い、皆の視線がそちらを向く。
「カナメ、と言ったか?」
「え、あ、はいっ」
「そなたが精霊の寵愛を受けているのはわかった。神子であると認めよう」
「っ! あ、ありがとうございます!」
「この大陸に伝わる伝承では、神子は異世界から来ると言われているが、そなたもか?」
「は……はい」
「そうか。……神子よ。そなたがよければだが、この国のために力を貸してはくれぬだろうか」
自分がやったことは無駄ではなかったのだと安堵していると、真剣な声が投げかけられた。
「え?」
「そなたほど強い力を持つ精霊魔法の使い手は滅多にいない。そなたが力を貸してくれれば、国の結界は強く保たれるであろうし、戦で傷ついた騎士たちも、今よりもっと多くの人間が治療できることだろう。よかったら私たちネオブランジェ王国のため、その力を使ってはもらえぬか?」
国を想う、愛にあふれたその強い瞳がまっすぐに枢を射貫く。その真摯な眼差しに枢は眩しさを覚えた。
命をかけて己の力を証明したのだ。せっかくのそれを無駄にしたくはない。そう思って口を開く。
「……僕なんかに何ができるかわかりませんが、必要としてくれるなら精一杯、精霊さんと一緒に頑張りたいと思います」
「そうか。快く引き受けてくれて感謝する。では、この話はこれで終わりだ。皆の者は退室するように。……アシュレイと神子はそのまま残ってくれ」
国王の声に従い臣下たちは一人、また一人と謁見の間から出ていく。
アシュレイと共に残された枢は、どうしたらいいのかわからないまま呆然と立ち尽くしていた。
「ふはっ」
アシュレイは小さく噴き出すと食事を再開した。枢も食べないわけにはいかず、釈然としないながらもナイフとフォークを動かす。
(――でも、僕のこと考えてくれてたんだ)
思い返すのは先ほどの言葉。
(正面から見られるのは好きじゃない。瑞希くんとか生徒会の人とかみんな、前に立って僕のこと詰ってきてたから目が合うのが怖い。でも今までそんな僕のこと、誰も考えてもくれなかった)
自分が生まれ育った国の人間が、誰一人として理解も共感もしてくれなかったことを、異世界で出会ってほんの少ししか一緒にいなかった人が理解してくれるなんて、どんな奇跡だろう。
(あのとき消えたいって思った気持ちを、神様が聞いててくれたのかな? あんな地獄みたいな場所にいるより、僕のことをちょっとでもわかってくれる人の所に連れていってあげようって)
「……やっぱりここは天国なのかも」
「ここはネオブランジェ王国だが?」
「っ、わかってます……!」
ふざけているのか真面目なのか、よくわからない態度のアシュレイに、ほんの少しだが枢は、久々に笑うことができた。
「それでは改めて。カナメ」
食後のお茶を飲みながらアシュレイが切り出した。ジュードはお茶の用意だけすると退室してしまったので、部屋には二人っきりだ。
アシュレイは見た目はリラックスしているようだが、その顔はどこか真剣だ。
「カナメには明日、国王に謁見してもらう」
「は、はいっ!?」
「昼間に陛下には話をしてある。そう怖がらずともよい。陛下は私の兄だ」
「お、お兄さん。や、でもそういうことじゃなくてっ! 僕そんな偉い人に会うなんて……」
「異世界から来た神子で、精霊魔法が使える貴重な存在なのだ。国の長が自ら迎えずしてどうする」
「……そんなの、きっと何かの間違い……」
「まだ信じていないのか?」
「き、急に言われたって、そう簡単に信じられないです。それに、お昼に会った宰相さん? も僕には魔力がないって言ってたし。ジュードが使っていた魔法ともなんか違いましたし。僕に魔法なんて使えるわけ……」
少し前に嬉しくて温かくなった心は、今ではまた萎んで急速に冷えていく。だんだんと下がる視線に、隣からため息が聞こえた。
ビクッと肩が震える。呆れられたと思ったが、聞こえてきた声は穏やかだった。
「なんと言おうとカナメが精霊魔法を使っているのは間違いない。ただ、いろいろなことがあって、お前もまだ混乱しているだろう。また明日訪ねるから、今日はもう休むといい」
そう言ってアシュレイは優しく枢の頭を撫でた。少し首をすくめながらも彼の大きな手のひらを大人しく受け入れる。
あっさりと手を離し部屋を出ていくその背を、枢はなんとも言えず見つめることしかできなかった。
◇◆◇
「んぅ……いいにおい」
鼻をくすぐる香ばしい匂いで目が覚めた。ぼんやりする目を擦ると、テーブルセッティングをするジュードの姿が見える。……どうやら枢は昨日、知らぬ間に寝落ちしてしまったらしい。
「……ジュード?」
「おはようございますカナメ様。よくお休みになられましたか?」
「……うん」
「ふふ、まだしっかりとお目覚めにはなってないみたいですね。ただいまお食事の準備をしておりますが、先に浴室にご案内いたしましょうか?」
「え?」
「昨日とお召し物が変わっていらっしゃいません。湯浴みされていないでしょう?」
「あ、そうだった。僕、お風呂入ってない……」
「お食事と湯浴み、どちらでもお好きなほうをお選びくださいませ」
「んー、折角だから、温かいうちにご飯をもらおうかな」
「かしこまりました。もう準備が整いますので、こちらにお座りになってお待ちください」
柔らかな笑みを浮かべたまま、ジュードが椅子を引いてくれた。
テーブルには湯気を立ててカップに注がれる紅茶や、こんがりと焼け香ばしい匂いが漂うパンが並んでいる。
元々少食で朝食は抜いていた枢だが、目の前の美味しそうな匂いに、自然と食欲が刺激された。
「お待たせいたしました。どうぞ、お召し上がりください」
「ありがとう。いただきます!」
小さく手を合わせると焼き色のついたパンに手を伸ばし、一つ取って半分に割る。外側がカリカリで中はふんわりとしている。一口かじると、バターのコクと小麦の香りが鼻に抜け、じゅわりと唾液があふれ出た。
「美味しい!」
枢は顔を綻ばせる。幸せそうに食べるその姿を見て、ジュードも嬉しそうにしていた。
「昨夜はアシュレイ殿下と何をお話になられたんですか?」
にこやかに微笑んだままジュードが話しかけてきた。枢はビクッと肩を震わせてジュードを見やった。
「っ、なんで?」
「いつ呼ばれるかと待機しておりましたが、一向にお声がかからなかったものですから。よほどお話が弾んでいるのかと」
「ずっといたの?」
「はい、おりました」
「そっか。うん、別に大したことはなにも。話はすぐに終わったし……あっ」
何もないと言いかけ、枢はそこで大事な話を思い出した。
「いかがなさいました?」
「そういえば、今日の午後、国王陛下に会うって……」
「まことでございますか?」
「う、うん。どうしよう、今まで忘れてたけど、急に緊張してきた!」
「大丈夫でございます。国王陛下はお優しい方でいらっしゃいます。よほどのことがない限り、咎められることはないはずです」
「そう、なの? そうだといいけど」
「国王陛下に謁見なさるのでしたら、まずは身なりを整えましょう。食事もあらかた済んだご様子ですし、そろそろ浴室へ参りましょうか」
不安感に苛まれながら、枢はジュードに促され、浴室へと向かった。
「待って! 一人でできるからっ!」
「いいえ! これも侍従の務めです! 体の隅々まで磨いて差し上げますので、どうぞ! 遠慮なさらず!」
「っ……恥ずかしいから! 一人で入らせて!」
浴室に着くと、ジュードは枢の服を脱がせようとした。あまりにも恥ずかしいので枢は必死に抵抗するが、ジュードは一歩も引かない。
「貴人が侍従に湯浴みの世話をさせるのは普通のことなのですから、恥ずかしがらずともいいのです!」
「僕は普通の高校生だから! 知り合ったばっかりの人に裸なんて見せないし、風呂の世話なんてさせないからぁ!」
しばらく言い争った挙句、ようやくジュードが折れてくれた。何かわからないことがあればすぐに彼を呼ぶよう約束させられて、やっと一人で入浴を始めることができた。
枢はまず掛け湯をし、いい香りがする石鹸で全身を洗う。ジュードにお小言をもらわないようしっかり隅々まで。そうして湯船に浸かった。
最後に入浴してからそう時間は経っていないものの、なんだか久しぶりのような気がしてその気持ちよさに思わず声が出てしまう。
「あぁ~、きもちい~」
まるでオヤジだなと思いつつ、心ゆくまで風呂を楽しんだ。
浴室から出ると、タオルと真新しい衣類が準備されていた。広げてみると肌触りのよさそうな真っ白いシルクのシャツで、襟や袖にフリルがあしらわれている。細身の黒のスラックスは少し体のラインが出すぎないか心配になった。
用意された衣類を身につけ、ジュードのもとへと向かう。
「ねぇこれ、おかしくないかな?」
「何もおかしくはありませんよ。よくお似合いです」
「リボンタイまであるなんて……」
「国王陛下にお会いになるのですからそれくらいしなくては。これでもまだ足りないくらいです」
「そんなに着飾らなきゃダメなの?」
「今は急ぎのことでございますし、咎められはしないでしょうが、本来ならばもっと華美な服装でお出ましになることが多いですね」
「そうなんだ……」
「まずはその濡れた髪を乾かしましょう。風魔法を使いますのですぐ終わります。乾いたら香油をつけましょう」
少しばかり楽しそうなジュードにされるがまま、髪だけでなく顔にもオイルを塗りこまれ、朝からぐったりした枢だった。
午後までまだ時間があるということで、枢はジュードにこの世界について訊ねることにした。
「ここネオブランジェ王国は、エステル大陸に存在する四つの国の一つです。その昔、まだ名前もなかった時代、賢狼ウォルフという狼がこの土地一帯をまとめあげていました」
「狼が?」
「そうです。賢狼ウォルフは高い知性を持ち、人間の言葉を話したそうです。彼はその優れた知性と行動力、種族の違いに囚われない優しさで、辺りの人間たちを統率していました。やがて人々は彼を王に据え、一つの国を作ります。それがこのネオブランジェ王国です。ウォルフは人間の娘を妻に迎え、子を成します。それが今の王家――国王陛下やアシュレイ殿下へと繋がっているのです」
「アッシュ殿下は狼の子孫?」
「そうなりますね」
「ジュードは物知りだねぇ」
「建国神話は誰でも幼い頃に聞かされるので、皆知っているのですよ」
「へぇ~」
話しながらアシュレイの姿を思い浮かべる。狼の子孫と言われれば、なるほど理解できると思った。美しい銀色の長髪も、態度からにじみ出る凛々しさや厳格さなども、孤高の存在である狼と言われればそのようにしか見えなかった。
それからしばらく、ジュードにこの国のことをもっと聞いたり、魔法について訊ねたりした。
「ねぇ、僕〝体内魔力〟っていうのが感じられないって言われたんだけど、ジュードはわかる?」
「……そうですね。普通は誰しもが体内魔力を保有しているので、完全には無理でも、ある程度相手の魔力量を感じ取ることができます。カナメ様からは――確かに、魔力は感じられませんね」
「そっか。僕ってやっぱり魔力ないんだ。なのになんで精霊魔法が使えるって言われるんだろう……」
「うーん……」
ジュードと話しながら、ああだこうだと悩んでいると、いつの間にか昼食の時間になったらしい。すくっとジュードが立ち上がった。
「私は昼食の準備をしてまいりますので、しばらくお待ちください」
部屋を出ていくジュードを見送って、枢はソファにぽすりと寄りかかった。
ジュードからいろいろと聞いたことを頭の中で整理していると、ふいに扉がノックされた。
「はい、どうぞ」
枢が応答するとドアが開く。顔を覗かせたのはアシュレイだった。
「いきなりすまないな。いまから食事なのだろう?」
「え? あっ、はい」
「話があるのだが、私も一緒でかまわないだろうか?」
「っは、はい、もちろん、です……」
王子からの頼みを断れるはずもない。枢は昨日の夜のことを思い出して、どんな顔をしていいかわからないまま俯いてしまう。
アシュレイはそれを気にした様子などなく、テーブルにつくとこちらに来るよう声をかけた。
テーブルまで来てどこに座ろうか悩み、枢は辺りを見回す。結局あれこれ悩んで、椅子を一つ挟んでアシュレイの隣に座った。
するとタイミングよくジュードが戻ってくる。彼は初めからアシュレイがいることを知っていたのか、驚いた顔も見せずに食事の用意を始めた。
「まずは腹拵えだ。話は食後にするとしよう」
「はい」
促されるまま食事を口に運ぶ。とくに会話もなく食器の音だけが響いている。そのなんともいえない空気に耐えかね、枢はしばらくしてナイフを置いた。
横を見ると、どうやらアシュレイは食べ終わったようだ。彼がこちらを向く気配がして、枢は顔を正面に向け視線を逸らした。
「待たせたな。では話をしようか」
「っ、はい!」
「ふっ、何をそんなに緊張しているんだ?」
「なんでも、ないです……」
アシュレイに笑われてしまうが、緊張しすぎてどんな顔をしていいのかわからない。
「まずは話を聞いていてほしいんだが」と前置きをして彼は話し出す。
「そろそろ国王陛下のもとへと向かわねばならない。だが、カナメ。そこには私たちと国王陛下だけではなく、他の諸大臣や役人たちもいる。その者たちが皆、お前が神子であり精霊魔法を使えるということを、簡単に信じるわけではないというのは理解できるか?」
真面目な顔で問いかけられる。枢はそれを受け止めると頷いた。
「わかります」
「そのような者たちからは、お前をこの城に置くことや、お前を賓客として迎えていることなどに不満の声が上がるだろう。そのときお前は、昨日宰相に言われたように『神子である証拠』を見せなければいけないだろう」
「はい」
「そこでだが……カナメはどうしたい?」
「……はい?」
何を言われるだろうかと緊張していれば、逆に質問を投げられて枢はきょとんと首を傾げた。
「どうやってその力を証明するか、と聞いているんだ」
「えっ? えぇ!?」
「精霊魔法を使う者を呼び寄せて、カナメが力を使う瞬間を見てもらうことはできる。だが、私や陛下、それ以外の者たちにはそれが見えないから、説得力に欠ける」
「それ、は……」
誰にでもわかる形で証拠を示す必要がある、ということだ。
「あ、の。何度も言うんですが、やっぱり僕、魔法なんて使えないと思うんです……」
淡々と話を進めるアシュレイに、ここでやっと質問を投げることができた。昨日からずっと思っていることを伝える。
しかし彼はなんてことはないような表情で言った。
「まだそんなことで悩んでいるのか? 私も何度も言うしかないが、お前は間違いなく精霊魔法を使っている」
そう言いきられてしまうと、魔法についてなにも知らない枢はこれ以上意見する術を持たない。
仕方なく枢は気持ちを切り替え、アシュレイの言う『力の証明』について考えることにした。
「……それなら、精霊魔法って、どんなことができるんですか?」
「そうだな。結界魔法、治癒魔法、浄化魔法。基本的にこの三つだ」
「結界、治癒、浄化……。だ、誰かの怪我を治す、とか」
「なるほど? だが、そう都合よく怪我した人間がいるかな? 今は戦があるわけでもない」
「う……、じゃっ、じゃあ浄化……?」
「浄化は穢れを祓う魔法だからな、さすがに陛下の御前に穢れは持ちこめぬ」
「なら結界ですか……。でも僕、どうしたらいいのか、わかりません」
「そうだな、すまない。私が悩ませるようなことを言っているな。……では、昨日と同じようなことをするのはどうだ?」
狼狽える枢を見かねて、アシュレイは一つ提案をした。
「昨日と同じ?」
「そうだ。カナメは無意識にだが私の手を弾いただろう? 昨日も言ったが、あれがおそらく結界魔法だ」
「あれが……」
「カナメの身を守るため精霊が結界を張ったのだろう。なら、今度はそれと同じことを意図的に行うのだ。例えば……」
真面目な顔でその中身を話し始めたアシュレイに、枢は目を瞠る。ジュードも危ないからできればやめてほしいと止め、別の方法を探そうと言った。提案するだけして、アシュレイは枢の反応を待っている。
「あくまでも例え話だ。するもしないも、カナメ次第だ」
成功しないかもしれない、失敗したら自分の命が危ないかもしれない。それでも――と思う。
「っ、やります。アッシュ殿下には、ご迷惑をおかけするんですけど……」
「私のことは気にしなくていい。――本当に、それでいいのだな?」
「っはい。頑張ります!」
無意識とはいえ昨日一度は行ったことなのだ。何も問題はない。枢はそう自分に言い聞かせた。
「そろそろ謁見の間に向かおう」と促され、廊下へと出た。自分の隣にはアシュレイが並び、二人の後ろにリオンとジュードがついてきている。
(……なんか、後ろからの視線がちょっと)
ほんの少し後ろに視線をやると、リオンがじっとこちらを見ていた。
何も言ってはこないが、アシュレイの隣に自分が並ぶことがふさわしくないと言われている気がして、枢は顔を前に戻し唇をきゅっと噛みしめる。
隣を見ると、まっすぐに前を向いて歩いている美しい人がいる。
(確かに、僕なんかふさわしくない)
少しずつ歩く速さを落とし、アシュレイからゆっくり二歩ほど距離をとった。
なんともいえない気持ちのままひたすら歩く。目的の場所に近づいているのだろう。だんだんと人の姿が目に付き始める。
王弟であり第二王子であり、騎士団長でもあるアシュレイが歩いているのだから、人の目を引くのは仕方ない。しかし、枢にもたくさんの人の目が向けられていた。
(……この感じ)
少し前までずっと枢が置かれていた状況と同じだった。たくさんの人からの視線。
(……いやだな)
値踏みされるようなそれに、自分の価値を見誤るな、と言われているような気になってしまう。
「――着いたぞ」
その声にハッと顔を上げると、目の前には厚く大きな扉があった。その前には衛兵が立っており、アシュレイが声をかけるとすぐにそれは開けられた。
「カナメ様。私たちはここまでですので」
そう言ってジュードとリオンは頭を下げ、一歩下がる。
アシュレイに背中を押され、二人で謁見の間に足を踏み入れた。
途端に向けられる、先ほどよりも厳しく鋭い視線。しんと静まり返った空間で感じるそれは、肌をビリビリと痺れさせるようだった。
重苦しい空気に耐えながら進むと、玉座に座る人物が見えた。
(あ……似てる)
銀の髪が光を反射し煌めいている。こちらを静かに見つめる瞳は、空を閉じ込めたような美しいアクアマリンを思わせる青色だった。
王の足元までたどり着くと、アシュレイに倣って膝をつく。頭を垂れると、頭上から声が降ってきた。
「面をあげよ」
アシュレイとは少し違う声音にゆっくりと顔を上げる。
「アシュレイ。隣の者がお前の言う神子なのか?」
「はい」
「見たところ普通の少年にしか見えぬが? 体内魔力も感じられぬ」
「この者は精霊魔法を使うことができます。しかも精霊にとても愛されている」
「ほう? 体内魔力はないのに精霊魔法を……?」
「祈りを捧げずとも精霊が姿を現し、彼を守ろうとしておりました」
「お前は精霊を見ることはできないはずだが? どうやってそれを証明する?」
「精霊魔法を使える者を騎士団から呼んでおります。この場への入室の許可をいただきたい」
「それは構わぬが、この場には術師長もいるのだぞ? 彼に確認してもらうだけでは足りぬのか?」
「そういうわけではありませんが、証人は多いほうがよろしいでしょう?」
枢は口を挟めるはずもなく、矢継ぎ早に交わされる会話を聞くことしかできない。
そのうちアシュレイの要求が通ったらしく、背後の扉が開いて一人の細身の男が入ってきた。
男はアシュレイが着ている服と同じものを身につけている。騎士団員と言うには華奢な印象を覚えた。
「御前に失礼いたします。騎士団員のユリウス・カルヴェインでございます」
枢の右隣に膝をついたその人は、やはり美しかった。
(やっぱりこの国にはイケメンしかいないの?)
四方八方を美形に囲まれているこの状況に、なんとも言えず複雑な気持ちになる。
「ユリウスは騎士団の中で唯一精霊魔法が使える者です。彼にはカナメが精霊魔法を使っているかどうかを見極めてもらおうと考えております」
「……そうか。では術師長、こちらへ」
壁の両側に並んだ人の中から一人が前に出てくる。しっかりと伸ばされた背筋と、真実を見極めようとする鋭い眼光の年老いた男だった。
「それでは、今からここにいるナカタニカナメが、神子であるかどうかの確認を行う。カナメ、前へ」
「っ、はい」
ずっと膝をついていたから少しよろけそうになったが、なんとか踏ん張り、促されるまま玉座のほうへ歩く。そして国王に背を向ける形で振り返り、アシュレイを見た。
「今から私がカナメを斬ります」
剣を抜きながらアシュレイが言うと、謁見の間に集った者たちがどよめき出す。
「精霊魔法を使えるのなら結界を張ることができるはず。……ユリウス」
「はい」
「今カナメの周りに精霊はいるか?」
「……いえ。見当たりません」
アシュレイが術師長を見ると、そちらも頷いていた。
「この状態から私は彼に剣を振り下ろす。普通なら祈りを捧げなければ精霊は力を貸してはくれぬ。だがこのカナメは精霊に愛されている。一瞬のうちに精霊が現れるであろうから、ユリウスと術師長にはそれをしっかりと確認してもらいたい」
「「御意」」
それだけ言うと、アシュレイは切っ先を枢に向ける。そしてしっかりと枢と視線を合わせると、小さな声で「いくぞ」と言う。合図をするように枢が小さく頷くと、次の瞬間、剣が振り上げられた。
(っ、お願い精霊さんっ!!)
恐怖から枢は目をぎゅっと瞑った。
――それは一瞬であり、しかし数分にも感じた。
キィィィィンと甲高い音が響き、周囲のざわめきが聞こえてやっと、枢は目を開くことができた。
「……精霊さん」
目の前にはたくさんの輝く小人たち。その向こうには、何かにぶつかってそれ以上振り下ろされることのなかったアシュレイの剣が見えた。それは小刻みに振動しており、決して彼が力を抜いていないことがわかる。
「剣を下げよ、アシュレイ」
「はっ」
静寂を破った国王の声に、アシュレイが剣を下ろす。それと同時に、精霊たちは枢を取り囲んだ。
「ふふ、ごめんね? ありがとう助けてくれて」
全身に擦り寄ってくる彼らに枢はついつい笑みがこぼれる。
心配をかけてしまったのか、なかなか傍を離れようとしない精霊たちを愛おしげに見つめていると、アシュレイが枢に声をかけた。
「カナメ」
「っ、はい!」
びっくりして周りを見ると、たくさんの人がこちらに注目していた。慌てて俯いて小さくなる。
「ユリウス、術師長。どうだった?」
「はい。僭越ながら発言させていただきます」
そう言ったユリウスの顔は、不思議なものを見たような驚きに満ちたものだった。
「アシュレイ殿下が剣を振り上げた瞬間、数え切れないほどの精霊が一瞬にして神子様の周りに集まりました。神子様は祈りを捧げた様子はなく、まるで精霊が神子様を守るために現れたようにしか見えませんでした」
「なるほど。術師長の見解は?」
「ユリウス殿と同じでございます。私もこれだけの数の精霊を一度に見たのは初めてでございます。この者……いや、神子様は精霊に愛されていると見て間違いないでしょう」
「そうか」
それだけ聞いた国王陛下は何かを思案している。アシュレイはというと、枢を心配そうに見つつ、どこか得意げな顔をしていた。
「……?」
その顔の意味がわからなくて、枢は少しだけ首を傾げた。
「――よくわかった」
少しして、よく通る声で国王陛下が言い、皆の視線がそちらを向く。
「カナメ、と言ったか?」
「え、あ、はいっ」
「そなたが精霊の寵愛を受けているのはわかった。神子であると認めよう」
「っ! あ、ありがとうございます!」
「この大陸に伝わる伝承では、神子は異世界から来ると言われているが、そなたもか?」
「は……はい」
「そうか。……神子よ。そなたがよければだが、この国のために力を貸してはくれぬだろうか」
自分がやったことは無駄ではなかったのだと安堵していると、真剣な声が投げかけられた。
「え?」
「そなたほど強い力を持つ精霊魔法の使い手は滅多にいない。そなたが力を貸してくれれば、国の結界は強く保たれるであろうし、戦で傷ついた騎士たちも、今よりもっと多くの人間が治療できることだろう。よかったら私たちネオブランジェ王国のため、その力を使ってはもらえぬか?」
国を想う、愛にあふれたその強い瞳がまっすぐに枢を射貫く。その真摯な眼差しに枢は眩しさを覚えた。
命をかけて己の力を証明したのだ。せっかくのそれを無駄にしたくはない。そう思って口を開く。
「……僕なんかに何ができるかわかりませんが、必要としてくれるなら精一杯、精霊さんと一緒に頑張りたいと思います」
「そうか。快く引き受けてくれて感謝する。では、この話はこれで終わりだ。皆の者は退室するように。……アシュレイと神子はそのまま残ってくれ」
国王の声に従い臣下たちは一人、また一人と謁見の間から出ていく。
アシュレイと共に残された枢は、どうしたらいいのかわからないまま呆然と立ち尽くしていた。
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