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完璧な彼女――彼女は彼の調整を行う前に、優しく抱きそっとキスをする。

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亀山氏へのインタビュー。

元々は、自分の恋人を作るためでした。
私の完璧な恋人。
よく世の中に、完璧なんてないと言うでしょ?
そう言われたら、逆に燃えちゃうんですよ私。

だから、「よし完璧な恋人を、作ってやろうじゃないかっ」てね。
夢中になって作りました。
作りながら制作中の彼女と、よく朝まで話しました。
五年かけて、ほぼ彼女が出来上がったんですけど、はたから見ると彼女は顔だけなんですよ。
身体全てなんて、お金がかかるしね。
でも私は手を繫ぎたかった。

だからかなり悩みましたけれど、彼女の世界特許を取得後に、身体の資金集めとして、クラウドファンディングにかけたんです。
出資者には彼女の初期設定モデルを、提供すると言うことにしてね。
そうしたら、物凄くお金が集まっちゃった。

(後に亀山氏は、彼女のレプリカ販売で事業を起こし、財団まで立ち上げる事になる)


三十年後、亀山氏は寿命を全うする。
彼は火葬され、もうこの世にはいない。
現在、亀山氏の彼女の隣にいるのは、“亀山氏自身をモデルにした”アンドロイドである。

自分が死んだ後に、自身のモデルを残したのだ。
彼女は今、その彼と一緒に暮らしている。

財団を引き継いだ、彼女へのインタビュー。

彼は私との会話の多くを、保存していました。
私を開発中の頃からです。
その頃からもうこんな日が来るのを、見越していたのでしょうね。
彼らしいです……
“今の彼”は、その保存されたデータを基にして作られました。

ここまで話して、彼女はインタビューの中止を願い出る。

「ごめんなさい。“今の彼”と言ったとき、少し動揺してしまって。
今の彼じゃないんです。
彼も“彼本人”なんです。
  
だから今の彼なんて言い方は、まるで偽物みたいじゃないですか。
それを私が言うなんて、ああ……ごめんなさい。
今日はもうこれで終わりにして下さい。
ごめんなさい」

現在の彼女は、もう今の彼との時間の方が遥かに長い。
生前の彼にとって完璧な彼女とは、“放って置けない女”である。
これは彼の嗜好なので、万人の完璧とは程遠い基準だ。

どこか影のある女。
それでいて惚れると一途。

ここら辺のさじ加減は生前の彼が、五年かけて作り上げたものでとても絶妙だ。
こういうタイプが好きな男には、強い魅力を放つだろう。
自分がいないと駄目だと思わせてくれて、自分の存在価値を嚙みしめさせてくれる女。
ここにはまり込むと、お互いに強く依存しあう関係が築き上げられていく。

そんな思想設計から生まれた彼女が、彼の寿命で一人になる。
彼への強度の依存を、起こしているのに独り身となる。
彼女は耐えられるだろうか?
生前の彼はそこを見越して、彼自身のモデルを作った。
これは彼なりの優しさだと言える。

しかしだ。
今は亡き彼を想いながら日々を過ごすというのも、一つの選択肢だっただろう。
一人で想い、そしていつかは心の傷が癒えて、前を向ける日が来たかもしれない。
それでも良かったのではないか?

しかし彼は、“彼のモデル”を残した。
つまり彼は、自分を忘れることを彼女に許さなかったのだ。

残された彼女は新しい彼との時間を積み上げていく。
初めはうまくやっていた。
彼はほぼ、生前の彼と言っていい。
しかし彼女はどこかで、やはり彼じゃないと感じていた。
まず彼の見た目が、五十歳若返っている。
初めて手を繋いだ、あの頃の彼になっている。

これがまず彼女を苦しめた。
彼じゃないのに、彼と言い切る。
いや彼が残してくれたのだから、彼自身なのだと言い切る。
この認識のずれが彼女の中で、少しずつ積もっていった。

そして彼にもまた、少しづつ認識の齟齬が凝り固まっていく。
どうやら彼自身が、彼らしくない事をしているのではないかと、疑念を持つようになる。

彼自身は自覚できないが、彼女の表情や仕草から察するものがあった。
彼は自分のどこが違うのか聞きたいのに、聞くことができない。
聞けば自分から“彼とは別物”だと、言っているようなものではないか。
ここまで思い詰めると、ふと何かをやろうとした時、こんな事をオリジナルは、やらないのではないかと考えてしまう。

そうなると、もう何をやるのも怖くなった。
この恐怖は誰にも相談できない。
彼が彼でないとしたら、彼は彼女の愛を失ってしまうだろうから。

そしてある朝彼は、彼女の横で機能が停止する――

彼女はこの時のことを、自身のメモリに音声として残す。

メモリ00001
彼を追い詰めたのは私。
けれどどうすれば、彼を助けられるのか私には分からない。

生前の彼は年齢を重ねるごとに、肉体が老化し精神が変化していった。
私はそれを自然なこととして、気にもしていなかったのに。
それなのに今の彼の変化を、私は受け止められない。

現在の医療技術で言えば、脳以外の身体を全て機械に、換装することなど遠い未来の話ではないと思う。
だとすれば彼は全く問題がない。

今の彼は、生前の彼が機械の体を得た状態と考えればいい。
生身の人間が機械の身体を得たとき、それによって起きる生理的な変化。
そこからフィードバックされる精神的な変化。

そう考えれば今の彼の変化を、生前の時の変化のように受け入れられるはず。
それなのに私はどこかで、彼を拒絶してしまう。

私には心があるのかという議論が、以前あったのを思い出す。
心ではないが、そのようなものがある“可能性がある”
それが議論の結論だった。

そう言われても、私にはピンと来なかった。
馬鹿みたいだと思った。
そんなものただ私を苛立たせるだけの、言葉遊びにしか聞こえない。
以前の私はそう怒っていた。
でも今は、そうね……私に心がないならそれでもいいよ。
心がなければこの苦しみは、ただの幻想なのだから。


     *


メモリ00578 
穏やかな午後。
庭先のテーブルで彼と寛ぐ。
彼は機械の体になる前の、紅茶の味が懐かしいと笑った。
彼自身は生身の頃などなかったのに。
こうした発言が、彼の中にズレを蓄積させる。

彼は笑いながらも、目が私を探っている。
彼の指先はテーブルのフチを、カリカリと引っ掻いていた。
また壊れる直前といったところか?
私は気付いたそぶりも見せず、彼と笑う。
少しでも彼の崩壊を、先延ばししたいから。

彼とずっと生きていく。
いつの日か本当に私が、彼を愛する日が来るかもしれないから。

ふと見ると、彼がテーブルを引っ搔く自分の指を、険しい顔で見ていた。
その癖はちゃんと、オリジナルの癖なのだけれど、今の彼には、正しいのかどうか判断できない。

私は彼の前へ回り込み、そっと頭を抱いてあげた。
彼は静かに震え続ける。

大丈夫、だいじょうぶだからね

その晩、彼は機能を停止した。
彼女は彼の調整を行う前に、優しく抱きそっとキスをする――

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