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第三章 ある少年の回顧録

第334話 僕の名前は高宮ひろしだ

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「ラスト、シャトルラン五十回!」
「はい!」

あれから僕の生活は変わった。
歌の仕事やドラマの仕事、映画の仕事など多忙な日々は相変わらずだが、少しでも時間ができればジムに通いトレーニングに励んだ。
美穂先生が探してくれたこの皇スポーツクラブは、多くのオリンピックメダリストを排出する名門スポーツクラブであり、その指導は無駄がなく的確なものであった。
僕は自分でもハッキリと自覚できるその成長に、強く自信を深めていった。


"はいカット、本番終了です。お疲れ様でした。"

「ひろし君、なかなか良かったわよ。なんかイキイキしていて、この調子で頑張ってね。」

「ありがとうございます、プロデューサー。
やっぱり目標があるのがいいんですかね?このところずっと鍛えているんですが、なんかそれが楽しくって。」

僕の中の逃走王への情熱は、全く冷めることはなかった。むしろより強くなったと言ってもいいだろう。
でもそれは他をないがしろにすると言うものでは決してなく、仕事にしろ私生活にしろ、以前よりもより鮮明に充実したものになって行った。

「そう言えばもうすぐ第三回逃走王決定戦ね、でもなんかあの番組ディレクターが代わったって聞いたんだけど。選手の選出方法も以前の書類選考に戻したって言うし、あの感動の第二回逃走王決定戦とは大分変わっちゃうんじゃないかしら?」

「えっ、ディレクターさんってあの植松さんじゃないんですか?あんな映像作れる人なんて、そうそういないですよね?」

一抹の不安が脳裏をよぎる。僕の"逃走王"が、以前に見た芸能人のドタバタ忖度劇に成り下がって仕舞うのではないかと。

「まぁ、そうなんだけどね。この世界も色々あるから。
でも安心して、鬼役はちゃんとオリンピック選手たちだし、クオリティーが下がるって事はそうそうないから。」

「はぁ、ま、僕は僕の出来る事をするだけですから。」

気持ちのざわめきは直ぐには治まらなかった。しかしこればかりは蓋を開けて見なければ分からない。僕は力のないただの子供なのだから。


「"お待たせ致しました。これより、第三回逃走王決定戦本選を開始致します!!"」

嫌な予感は的中した。辺りをドタバタと逃げ回る何処かの芸能事務所のイケメンたち。有名配信者と呼ばれる人間もちらほら見える。
こんな状態で、こんな茶番で、僕の逃走王を汚すな!
沸き上がる負の感情。
僕はこんな気持ちで何時間も過ごさなければいけないのか。

"ゾクッ"
その思いは直ぐにうち消される事となった。

鬼たちは本気だった。彼女たちにも番組の思惑忖度は伝わっているはず。
しかし彼女たちはその身体能力を余すところなく発揮し、男性参加者愚鈍な獲物捕縛して喰らっていった。
数分後、狩りは終わった。しかし獣の群れは決して獲物を逃がさない。
捕捉し、その動向に目を光らせる。

開始から一時間が経過した時、再びの蹂躙が始まった。これまで無言のプレッシャーを掛け続けられた羊たちにそれを跳ね退ける力はなかった。
そして再びの沈黙。
そうか、彼女たちは守っているんだ、番組側の思惑を。その上でこう言っているんだ、"我々を馬鹿にするなよ"と。

あは、あはははは、熱い、熱いじゃないか。
と言う事は僕の本番はラスト三十分。
全力だ、今までの訓練の全て、僕の差し出せるものを全部掛けて。
掴んで見せる、"逃走王"!

その女性はとても静かな歩みで僕の前に現れた。

「こんにちは、"hiroshi"君。全力で行かせて頂きますね。頑張って下さい?」

そこからはまさに死闘であった。一分一秒が何時間にも感じられる刹那の攻防、呼吸をする隙すら許されない。
隙を作り誘い込み、反らし、避け、かわし。
思考を加速し、本能を全開にし。
追い詰められた、来る、今だ!瞬間相手の意識外に身を落とし立ち位置を代える技、"木の葉落とし"!

躱した、そう思った、だが次の瞬間、僕は地面に倒れ伏していた。
一瞬の空白。今、いったい何が起きた?僕は完全に躱しきった、では彼女は・・・。
記憶がゆっくり再生される、あの瞬間、その身を縮め勢いを殺す事なく僕に飛び掛かって来た彼女・・・。

「アハ、アハハハハハ、負けた、完全に負けた、文句なしの完敗です。まだだ、くそー!」
お母さん、ダメだったよ、届かなかったよ。僕は"逃走王"に、誰にも負けない"理想の王子様"にはなれなかったよ。

溢れる想い、蘇るこれまでの事。悔しい、悔しくて堪らない。
声を荒げ、流れる涙に手で顔を覆うひろし。

そんな彼に、共に激闘を繰り広げた女性はその手を差し伸べ語り掛けた。

「世界を知りなさい。今回の貴方は前大会より更に強くなっていた。ただ私たちも同様に強くなった、それだけの事。色んな経験をし、様々な人々とふれ合いなさい。貴方は更なる力を手に入れるでしょう、そして挑みなさい、"真の逃走王"に。」

僕はやはり何処か浮かれていた。調子に載っていた。思いはなんでも叶う、僕に出来ない事はない、僕は特別なんだ、だって転生者なんだから、この世界の主人公なんだから。
僕は僕だ、前世なんか関係ない、そう思っているつもりだった。でも違ったんだ、僕は心の何処かでこの世界の人々を馬鹿にしていたんだ。この世界と言ってる時点で一線を引いていたんだ、僕とは違うって。
何が特別だ、僕なんて全然じゃないか、井戸の中狭い世界でイキがっているただのカエル世間知らずじゃないか。

"よう、相棒。随分落ち込んでるじゃないか。"

"俺が言うのもなんだけど、お前は頑張ってるよ、スゲーと思うよ。でもこの世界の人々もまた必死に生きてる、それだけの事なんだよ。"

"あの人も言ってるじゃないか、世界を見ろって。理想の王子様を目指すのもいいさ、でももっと周りを良く見てもいいんじゃないか?
お前も分かっただろう?みんな必死に生きてる、みんなスゲーんだって。"

"お前もそろそろ生きてみろよ、自分の足で自分の人生って奴をさ。"

俺は涙をぬぐい彼女の手を取って立ち上がる。
これは俺の人生、俺の道。

「俺は諦めませんよ、必ず真の逃走王になって見せます。
貴女方に恥じる事のないね。」

その力強い眼光は何を見据えるのか。彼はその場に背を向けると、確りとした足取りで会場を後にする。

"お母さん、今までありがとう。
俺はもう大丈夫、これからは俺の道を行くね。"

俺の名は高宮ひろし。
偉大なる男優、高宮律子の息子だ。
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