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8.【居場所】Side光

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 目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。傍には誰の姿もない。開けられた仕切りの向こう側にも誰も居なかった。個室じゃないのに、誰も。

 夢でも見ているのかと思ったが、いそいそと病室に入ってきた女の看護師に「あなたのお母さん、どうにかしてくれない?」と文句を言われて、完全に目が覚めた。

 母親に文句を言われたそうだ。今も受付で暴れているらしい。母親が来たことに驚いたが、俺には、どうしようもない。ああ……、声が聞こえる。

「息子は死ぬんじゃないんですか?」

 母親の必死な声が聞こえる。直ぐに分かった。この声は、この言葉は俺を心配するものではない。「死ぬんじゃないのか? 邪魔だから死んで欲しいのに」という言葉が後ろに隠されている。

 あの母親が俺なんかを迎えに来た理由が、これで明白になった。俺が死んで金が貰えると思ったのだ。
 いつのまに、俺に保険なんかかけていたのか。
 そんなに俺に死んでほしかったのか……。

「大丈夫ですよ、お母さん。検査の結果、息子さんの頭にも骨にも内臓にも大きな怪我は見つかりませんでしたから、今日中にでも退院出来ます。ですから……お金を……」

 俺は布団に潜り、耳を塞いだ。このまま、何処かに消えてしまいたい。最初から、俺の存在なんて無かったんだと思ってもらいたい。

 轟々と暴風に似た音が聞こえる。篭った母親の声か、自分の耳を流れる血の音か。一瞬、他の場所に行けたような気がしたが、布団の上から肩を数回叩かれた。俺を現実に引き戻したのは誰なのか、それは直ぐに分かった。

「光」

 あんなにも騒がしかった空間で、その声だけが、やけに穏やかに、それでいてハッキリと聞こえた。

「……父さ……親父」

 布団の隙間から覗いた先には、俺の父親が立っていた。変わらないインテリ眼鏡に変わらないスーツを着て、そこに立って居た。

「電話くれただろう? ごめんな、遅くなって」

 俺は勇気を出して、夜中の二時に父親にメッセージを残したのだ。ごめんなさい、助けて欲しい、と。

「親父……、俺……っ」

「光、俺って言うようになったんだな」

「俺……、強くなったよ……?」

 声が震える。涙で視界が滲む。

 ──父さんが「強くなって母さんを守ってやってくれ」って言ったから、僕は……。

「本当にごめんな。辛かったな、ごめん。一緒に帰ろう、光」

 居場所を失い続けた日々が、母親と見知らぬ男に怒鳴られ、殴られ続けた日々が去って行くのを感じた。少しずつ、少しずつ、さよならを。

「光は私が連れて帰ります。お金も私が払います」

 余裕を持った声音をした父親の後ろから、母親が凄い形相でこちらを睨み付けてくる。

 俺は母親のあの顔しか知らない。知っていても、上書きされてしまったのかもしれない。母親は俺を嫌っていた。それでも、俺が産まれた一瞬だけは、俺を愛してくれていたと信じたい……。
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