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自然博物館の案内人
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朝、目が覚めて、ゆっくりとシャワーを浴びたあと、さて、今日はここら辺を散歩して、仕事を探して……と部屋から出たときだった。
「うおっ」
なんだか視線を感じて横を見てみると、隣の部屋の男が立っていた。
夜と同じバスローブ姿で、乱れた髪を掻き上げた状態だ。
やっとはっきり顔が見えたが、シネマに出てきそうな優男だった。
髭のせいか、三十代に見えるが、本当の年齢は分からない。
「その、昨日はごめんね」
俺と同じような灰色の瞳が、へらっと笑いながら謝ってきた。
勢い良く殴ったはずなのに、男の顔面にはアザ一つない。
「……俺は謝らねぇぞ?」
大人げねぇとか言われても知らねぇ。へらへらしてんのも気にくわねぇし、必要以上に関わるつもりもねぇから、俺は謝らない。
「ちょっと失礼」
「んだよ?」
突然、男はグイッと距離を詰めてきて、俺の目をジッと見つめてきた。
謝らねぇからって文句あんのか?
「なんともない?」
「は? なに言ってんだ」
今度はまるで意識を確認されるみてぇに目の前で右手を振られて、意味が分からねぇと思った。
「おかしいな」
首を傾げながら、男がジロジロと俺のことを見てくる。
おかしいのはあんただろ、とまた男の顔面を殴りたくなってきたときだった。
俺は気が付いてしまった。
匂いだ。俺は耳だけが良いわけじゃない。鼻も良い。
男から甘い香水の匂いに混ざって、なんとなく血の匂いがした。
「あんた、人、殺してねぇよな?」
ググッと手で男の身体を押して、自分から遠ざける。
「なに言ってるの、君」
男は俺の手を掴んでニコッと笑った。
「はな、離せっ」
物凄い力で戸惑う。こっちは狼だってバレねぇように力加減してるが、それにしてもこいつ力強すぎだろ?
――こ、殺され……。
「ねぇ、もうお仕事の時間~?」
「もっと楽しみましょうよ」
「ほんと素敵ぃ」
俺が身構えた瞬間、きゃっきゃっと隣の部屋からブロンドの女たちが出てきて、男に纏わり付いた。
昨日の女たち三人が無事だってことは分かったが、ギョッとしてしまう。
「ああ、ごめんね、すぐ戻るから」
男は優しい声音で女たちに言った。
頭を撫でたり、腰に手を回したり、人前で普通にキスしやがるし、ほんとムカつく。
だが、一人の女が俺の手から男の手をかっ攫ったことにより、俺は解放された。
その隙を逃さず、俺は三階分の階段を駆け下りた。
外に出る扉を開け、早歩きで道を歩く。
あの男、騒音以外にもぜってぇやばいことしてるに違いない。早く次に引っ越す場所探さねぇと。そのためには資金を調達しねぇとだな。
と思ってる矢先に古いローカルショップの前で足が止まる。
『午後カウンター番募集』
汚れたガラス窓に貼られた紙に書かれた文字だ。
つまり日用品とか食い物とか飲み物とか客が買いに来たら、レジ打って対応する仕事ってことだな。
「あの、外の貼り紙……」
ショップの扉を開けて、カウンターの向こう側に声を掛ける。
「ああ、働いてくれるの? 若い子、歓迎するよ。この歳になって夕方から夜は体力がきつくてね」
カウンターの越しに目が合う。向こう側で椅子に座っていたのは、結構歳のいったじいさんだった。
どうして、その歳になってまで、この店をやってるのか、ってくらいの歳だ。
本当のところは分からないが、そこまで金に切羽詰まってるって感じもしないしな。
「今日の夕方四時から来れるかい? 夜の十時までなんだが」
今日からか、まあ、始めるなら早いほうがいい。
「はい。来られます」
俺はじいさんに丁寧に返した。
「よし決まりだ。あと、敬語はいらない。わしのことはダニエルでもダニーでも好きなように呼んでくれ」
少し立ち上がって、じいさんは嬉しそうに言った。
「ジョン……だ。ありがとう、ダニエル。じゃあ、また後で」
さらっと答えて、俺は店を後にした。
これでとりあえずの仕事は決まった。こんなにすぐ決まるとはラッキーだな。
仕事が始まるまでには、まだ時間がある。俺は辺りを散策してみることにした。
引っ越すにしても、ただ、あの男の隣から移動すれば良いだけで、別にここから遠いところに移動する必要もない。
早くこの土地に慣れちまったほうが良いだろう。
そう思って辺りを彷徨いた俺が悪かったのだろうか。
自然博物館なんてものに惹かれて、中に入った瞬間、「あれ?」と俺に寄ってきた人間が居た。
品の良いワインレッドのスーツに、きっちりと整えられた黒髪。どうやらこの博物館の案内人のようだ。
「案内は不要だ」
そう言おうと思ったのだが、案内人のほうが先に口を開いた。
「私に会いに来てくれたんですか? お隣さん」
――は?
困惑しながら案内人の顔をしばらく見て、はじめて、隣の部屋の男だと気が付いた。
髭もねぇし、格好もなにもかも別人じゃねぇか。
いま浮かべている笑みも朝に見たものと違って、なんだか品があって、とにかく溢れ出す色気が凄まじい。
こんなのをジッと見ていたら女も男も堪ったものじゃないだろう。
俺も一瞬、目が離せなく……いや、なんでもない。
「あんたに会いに来たんじゃねぇ、早くこの土地に慣れようと思って散歩してただけだ。勝手に勘違いすんな。あと、なんだ、その喋り方」
ムッとしながら言ってやる。こんなところで会うなんざ、アンラッキー以外のなにものでもない。
「一応、お仕事中ですので」
男は清楚な笑顔のままで答えた。
品の良い案内係です、ってか。
「あっそ」
「丁度いい、一緒に帰りませんか? 君のことが気になるんです」
俺の素っ気ない反応なんざ無視して、男が嬉しそうに言った。
全然良くないし、その喋り方をやめろ、と思う。
「はあ? やなこった。俺はこれから仕事なんだよ。それにあんたが居るなら、もうここには来ない」
そう言って、俺は足早に博物館を後にした。
中に何があるのかも分からなかった。ただ、入館料が無駄になっただけだった。
「うおっ」
なんだか視線を感じて横を見てみると、隣の部屋の男が立っていた。
夜と同じバスローブ姿で、乱れた髪を掻き上げた状態だ。
やっとはっきり顔が見えたが、シネマに出てきそうな優男だった。
髭のせいか、三十代に見えるが、本当の年齢は分からない。
「その、昨日はごめんね」
俺と同じような灰色の瞳が、へらっと笑いながら謝ってきた。
勢い良く殴ったはずなのに、男の顔面にはアザ一つない。
「……俺は謝らねぇぞ?」
大人げねぇとか言われても知らねぇ。へらへらしてんのも気にくわねぇし、必要以上に関わるつもりもねぇから、俺は謝らない。
「ちょっと失礼」
「んだよ?」
突然、男はグイッと距離を詰めてきて、俺の目をジッと見つめてきた。
謝らねぇからって文句あんのか?
「なんともない?」
「は? なに言ってんだ」
今度はまるで意識を確認されるみてぇに目の前で右手を振られて、意味が分からねぇと思った。
「おかしいな」
首を傾げながら、男がジロジロと俺のことを見てくる。
おかしいのはあんただろ、とまた男の顔面を殴りたくなってきたときだった。
俺は気が付いてしまった。
匂いだ。俺は耳だけが良いわけじゃない。鼻も良い。
男から甘い香水の匂いに混ざって、なんとなく血の匂いがした。
「あんた、人、殺してねぇよな?」
ググッと手で男の身体を押して、自分から遠ざける。
「なに言ってるの、君」
男は俺の手を掴んでニコッと笑った。
「はな、離せっ」
物凄い力で戸惑う。こっちは狼だってバレねぇように力加減してるが、それにしてもこいつ力強すぎだろ?
――こ、殺され……。
「ねぇ、もうお仕事の時間~?」
「もっと楽しみましょうよ」
「ほんと素敵ぃ」
俺が身構えた瞬間、きゃっきゃっと隣の部屋からブロンドの女たちが出てきて、男に纏わり付いた。
昨日の女たち三人が無事だってことは分かったが、ギョッとしてしまう。
「ああ、ごめんね、すぐ戻るから」
男は優しい声音で女たちに言った。
頭を撫でたり、腰に手を回したり、人前で普通にキスしやがるし、ほんとムカつく。
だが、一人の女が俺の手から男の手をかっ攫ったことにより、俺は解放された。
その隙を逃さず、俺は三階分の階段を駆け下りた。
外に出る扉を開け、早歩きで道を歩く。
あの男、騒音以外にもぜってぇやばいことしてるに違いない。早く次に引っ越す場所探さねぇと。そのためには資金を調達しねぇとだな。
と思ってる矢先に古いローカルショップの前で足が止まる。
『午後カウンター番募集』
汚れたガラス窓に貼られた紙に書かれた文字だ。
つまり日用品とか食い物とか飲み物とか客が買いに来たら、レジ打って対応する仕事ってことだな。
「あの、外の貼り紙……」
ショップの扉を開けて、カウンターの向こう側に声を掛ける。
「ああ、働いてくれるの? 若い子、歓迎するよ。この歳になって夕方から夜は体力がきつくてね」
カウンターの越しに目が合う。向こう側で椅子に座っていたのは、結構歳のいったじいさんだった。
どうして、その歳になってまで、この店をやってるのか、ってくらいの歳だ。
本当のところは分からないが、そこまで金に切羽詰まってるって感じもしないしな。
「今日の夕方四時から来れるかい? 夜の十時までなんだが」
今日からか、まあ、始めるなら早いほうがいい。
「はい。来られます」
俺はじいさんに丁寧に返した。
「よし決まりだ。あと、敬語はいらない。わしのことはダニエルでもダニーでも好きなように呼んでくれ」
少し立ち上がって、じいさんは嬉しそうに言った。
「ジョン……だ。ありがとう、ダニエル。じゃあ、また後で」
さらっと答えて、俺は店を後にした。
これでとりあえずの仕事は決まった。こんなにすぐ決まるとはラッキーだな。
仕事が始まるまでには、まだ時間がある。俺は辺りを散策してみることにした。
引っ越すにしても、ただ、あの男の隣から移動すれば良いだけで、別にここから遠いところに移動する必要もない。
早くこの土地に慣れちまったほうが良いだろう。
そう思って辺りを彷徨いた俺が悪かったのだろうか。
自然博物館なんてものに惹かれて、中に入った瞬間、「あれ?」と俺に寄ってきた人間が居た。
品の良いワインレッドのスーツに、きっちりと整えられた黒髪。どうやらこの博物館の案内人のようだ。
「案内は不要だ」
そう言おうと思ったのだが、案内人のほうが先に口を開いた。
「私に会いに来てくれたんですか? お隣さん」
――は?
困惑しながら案内人の顔をしばらく見て、はじめて、隣の部屋の男だと気が付いた。
髭もねぇし、格好もなにもかも別人じゃねぇか。
いま浮かべている笑みも朝に見たものと違って、なんだか品があって、とにかく溢れ出す色気が凄まじい。
こんなのをジッと見ていたら女も男も堪ったものじゃないだろう。
俺も一瞬、目が離せなく……いや、なんでもない。
「あんたに会いに来たんじゃねぇ、早くこの土地に慣れようと思って散歩してただけだ。勝手に勘違いすんな。あと、なんだ、その喋り方」
ムッとしながら言ってやる。こんなところで会うなんざ、アンラッキー以外のなにものでもない。
「一応、お仕事中ですので」
男は清楚な笑顔のままで答えた。
品の良い案内係です、ってか。
「あっそ」
「丁度いい、一緒に帰りませんか? 君のことが気になるんです」
俺の素っ気ない反応なんざ無視して、男が嬉しそうに言った。
全然良くないし、その喋り方をやめろ、と思う。
「はあ? やなこった。俺はこれから仕事なんだよ。それにあんたが居るなら、もうここには来ない」
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