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春の思い出

第三話『若紫』

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 週末のうちに大いに盛り上がった一年三組コミュには『風上晴史はポンコツで、残念ながらロリコンです』とかいう酷い噂まで書き込まれていた。別に、気にするほどのことでもないけど。
 福井さんは着実に十日で十人を撃墜したらしい。けど、露出の多い服で深夜徘徊していたとか、サイエンスコースの男子と五千円でデートしたとか、どちらかというと悪い噂の方が目立つようになってきている。
 福井さんは、クラスのコミュグループには参加していない。
「昨日さ、篠宮で福井ちゃんと会った」
「そうそう。天使みたいな白いワンピース着てで聖書みたいなのまで持ってて、片目にだけブルーのカラコンまで入れてんの! もうびっくり」
 公民館の駐輪場で、見慣れたオレンジの自転車の隣にそれぞれの自転車を並べながら俵木と田守が報告した。
「聖書って言ってもさ、薄っぺらい偽物だったけどね」
「それにしいの!『カラスに食事をさせてるところなの』ってさ、公園のハトにパンの耳を千切ってあげてんだから! もうホントびっくり!」
 そう言えば福井さんのカニポッポはあの子とは違う鳥の形をしたマスコット、ハトポッポなんだ。
「あれはさ、中二病を拗らせたってヤツなのかね?」
 俵木と田守は思い出し笑いする。
 深夜のコンビニでの出来事は、もちろん誰にも話していない。


 今は『あの丘の公園』には花らしい花はなくて、フェンス際のツクバネウツギがところどころに小さな花をつけているだけだった。
 チューリップがあった花壇に新しい苗が植えられて、白いプラスティックプレートに『ペチュニア』という文字が入っていた。
「あれ? 菜っパがいるぅ。びっくり」
 菜摘はバームクーヘン型のベンチにひとり腰掛けて英単語帳をめくっていた。九年間一緒に通学してきたのに『高校の通学は別々にするから』と宣言したのは菜摘だ。
「あれ? おはよ。みんなも徒歩通学にしたの?」
 一昨日は自転車を押して山道を登って、昨日は月代の丘を迂回して高校まで自転車で行った。その結果、遠回りするより徒歩で月代の丘を越える方が早いという結論が出たんだ。それで僕らは公民館に自転車を停めて高校まで歩くことにした。
 菜摘は入学の日からそうしていたらしい。
「うん。だから一緒に行けばいいじゃん」
「クラスが違うとか気にしないさ!」
 俵木と荻畑が菜摘を誘う。
「いやぁ、今日は偶然アイツが忘れ物してさぁ……」
 菜摘は不自然に笑ってから単語帳をオレンジ色のトートバッグに放り込んだ。
「ならさ、六人で一緒に行けばいいじゃん」
 そんな提案をした俵木を心の中で賞賛した僕は、やっぱりポンコツだった。
「そういうことか! 時久ちゃんが晴キャベと一緒なのはNGってことだ!」
 俵木は所詮、性格の捻じ曲がった俵木でしかない。
「な……なんだよそれ?」
 そんな理由については菜摘が一応は否定してくれたけど、本当にそうかもしれないと僕は不安になった。
「がっかり。じゃぁ行くよ? NG君」田守が僕の首根っこを引っ張った。
 僕らが階段を下りかけたとき「ゴメンね、菜っちゃん。玄関に落としちゃってたみたいだよ」と背中で聞こえた声に振り返る勇気は、僕にはなかった。


 週末の到来に浮足立つ金曜の朝の教室は、そわそわしながらもいつも通りを装う。
『福井さん、お高く止まってるよね? カラオケ誘ったのに無視されちゃった』
 話題の福井さんは、色褪せたスカートから伸びる白い素足の親指と人差し指の間にスリッパを挟んで、机の下でブラブラさせている。
『あれ、夏用のスカートでしょ? 男子の視線集めようとしてるんじゃないの?』
 そういえば、制服のジャンパースカートはどうしても寸胴に見えるとかで、菜摘が不満を漏らしていた。
「うん。逆光で脚が透けたりして、いい感じになるさ」
 相変わらず素直な荻畑に対して「違うと思うよ?」と俵木があっさり否定する。
「だねぇ。そもそも未加みか美佳みかの間に福井が入れるわけないもん。びっくり」
 田守も俵木も名前がミカでいつもややこしい。けど、いつも一緒だから、大抵の人はふたりまとめてミカミカと呼んで済ませる。
「なに? どういうことさ?」
「クラス名簿。普通に考えて田守と俵木の間に福井が入ると思う?」
 僕もそのことには入学式の日に気付いていた。タ行の最後にあの子の名前を期待していた僕には、その違和感がすぐに引っ掛かった。
「ホントだ! どういうことだよさ?」
 それも推測くらいはできる。入学が決まってからの数週間で苗字が変わる理由なんて、それほど多くはない。なにより福井さんは入学式の日、先生を遮ってまで自分から『福井結衣』だと名乗った。
 二時間目の授業は体育で、福井さんは俵木と田守と三人で柔軟運動をしていた。形よく膨らんだ体操服の胸にあるはずのローマ字刺繍はほころびだけを残して消されていて、けど〝Fukui〟にしては文字数が多いんだ。
 ふと『一万円』というあの単語が頭をよぎる。
 僕らにとって、お金といえば小遣いだ。けど、鶏の唐揚げと筍の煮付けに野菜炒め、そんな昨日の夕食の値段さえ、僕は知らない。
「お高く止まってるんじゃなくて、誰かと楽しく話す気分じゃないとか?」
 この乾いた四角い世界はそんな事情を汲み取りはしないだろう。イジメが娯楽になり得ることを、僕らはとっくに知っている。
 太っている。貧乏。才能がある。努力家。本が好き。そんな小さな理由で踏みつけられ這いつくばった異端者の上に立って、ほんの少し高い所から見下みくだす。それが、この四角い世界に赦された“笑い”なんだから。
 福井さんはいつも独りぼっち。
「底辺同士、仲良くしようよ?」
 そうやってふたりは昼休みに薄暗く湿った体育館裏の地べたで弁当を…… そんなロマンスがないからこそ、底辺なんだけど。


「晴史ぃ! 今日の放課後、体育館の裏に来て!」
 教室に入って来ればいいのに、菜摘は廊下の窓から身を乗り出してそう叫んだ。
 一年三組は穏やかな午後のレンゲ畑みたいな空気で菜摘が居なくなるのを待って……
「すっげ! 絶対に告白されるだろ? どうすんだよ風上ぃ!」
 それから、みんな揃って新しい注目の的に白羽の矢を好き放題に立て始めた。
 昔、神事の生け贄を捧げる家に矢を立てた。口にするには辛すぎる残酷な知らせを、白い矢羽で伝えたのだと言う。
「単なる幼馴染だよ」告白? じゃない。
 にも関わらず、“幼馴染”というなまめかしい響きにクラスの好奇心は沸騰した。
「高校生になって関係を一歩深めようって意味に決まってんだろ?」
「キャー、青春!」黄色い声なんて形容される女子の声も数人分も混ざってしまえば、もう土留色どどめいろだ。
「でも、さっきの子は違うよね?」名前も知らない女子が僕に訊く。
「一組の子だよね? 見た見た」中島さんが相槌を打った。
「この歳になってもぬいぐるみが手放せないって、ちょっとどうかと思うけど」
 違う。そうじゃない。あの子は前から右手が少し不自由だから、リハビリを兼ねて人形を抱いているだけなんだ。
「なるほど。風上は光源氏計画か……」
 光源氏計画というのは、女の子を自分好みに育てて花嫁にしてしまう人生計画のことだ。
「計算しようよ? 平安時代の平均寿命は今の半分ほどで……」
 さすがの僕もそんな堅苦しい言い訳をしたりはしない。嫌われてしまったら元も子もないんだから……

   おもかげは 身をも離れず 山桜
        心の限り とめて来しかど
                      [第五帖 若紫]

 光源氏は、旅先で見かけた九歳の若紫に亡くなった想い人の面影を見つけて『将来美人になるぞ』と喜ぶ。それは教科書にも載っている。
 この話の続きは『親に挨拶して嫁にするより誘拐する方がカッコいい』と意味不明な持論を展開した挙句、若紫を夜中に叩き起こし、泣き出すのを気にも留めず父親に無断で家に連れ帰る。
 最悪だ。
 住居不法侵入に未成年者略取誘拐、逮捕監禁、青少年保護育成条例違反。書かれている内容だけでも懲役を免れない内容になっている。
「それでも光源氏には、一途な部分もあると思うし……」と返してみる。
「なんのドラマの話をしてるんだよ? 源氏物語は高貴なプレイボーイが女と遊び回るって話だろ?」と笑われた。
 古典の教科書に出てくる源氏物語は、その通りなんだ。
「でも実際さ、あの子はちょっと、可愛かわいいよな」下村君が僕の隣でポソリと呟く。
 入学当初から『彼女を作ってバラ色の高校生活を送る』と堂々宣言していた下村君のそんな言葉に、僕は焦燥を覚えるばかりだった。
 下村君は、俵木と田守と荻畑と四人で映画研究会に入ったらしい。
 春休みに田守が『高校に入ったらみんなで映画を撮ろうよ』とか言い出したから、僕も誘ってもらえるだろうとどこかで期待していた。けど、田守は僕の目の前で下村君だけを映画研究会に誘った。
 下村君は、本当にいい奴だと思う。
 深夜アニメでは、冴えない高校が一途な幼馴染や学校一の美少女や不思議な転校生から理由も分からずベタ惚れされてバラ色の高校生活を送る。けど現実の僕ときたら、幼馴染には『ポンコツ』と罵られ、クラス一番の美少女からは『アンタ臭い』と蔑まれ、肝心のあの子とは入学以来一度も話をしていない。
 僕への冷やかしは、午後の始業チャイムまで続いた。賑やかなクラスメイトたちに机を囲まれて、本当は少し楽しかった。
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