オモイデカプセル

ワレモア

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高校二年 創立記念の日

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 内海に面した温暖なこの街にも、雪は降る。
 暖冬だった今年も、建国記念日の朝には雪が街をうっすらと覆い、ただでさえ彩度の低い冬の景色をグレーに染めた。

「ねぇ? 部室の床いっぱいにカプセルが散らかってたら、ミンナはどうする?」
 古びた掘立小屋の空気は冷たく澄んでいて、結衣ゆいの白い台詞をあっという間に呑み込んだ。
「『バカばっかり』って菜摘なつみは怒るかな? 『片付けに何時間かかるんだよ』なんて言いながら晴史はるふみがカプセルを拾って、あきらは『計算しろよ。せいぜい一時間で終わるだろ?』なんて……」
 そんな楽しげな光景を想像をしながらガチャガチャマシーンレバーをまわすと、スカイブルーのカプセルが転がる。
「バレちゃった……」
 結衣はほぞを噛む。もう一度まわすとピンクのカプセルが出てくる気がして、結衣は冷たいレバーから手を引いた。
「あと四十九日で四月一日だよ? ミンナは三年生」
 自分がそこに居ないと思うと、結衣は寂しくてしょうがない。
「人の噂も七十五日。噂くらいしてくれる?」
 最後の最後に部室を思いっきり散らかすつもりで、結衣はここに来た。
「ワタシはわたし。ね。今日はわたしの誕生日なんだよ?」
 スカイブルーのカプセルを開けて、中のカードを胸ポケットに入れる。半分に割れたカプセルはマシーンの横のゴミ箱に捨てた。
「結衣。そろそろ行こうか?」
 外から聞こえた優しい声に、結衣は「うん」と吐息交じりに返事する。
「幸せを探しに行くんだ」
 空っぽの部屋にそんな台詞を投げ入れてから、結衣は重い木の扉を閉めた。
「きっと、大丈夫だよ」父親が結衣の頭を撫でる。
「考えたってしょうがないでしょ?」母親はもう背中を向けて歩き出していた。
 結衣は、雪の花壇にチューリップの小さな芽を見つけた。
 通い慣れた通用門を出ると『あの丘の公園』への長い階段が続いている。

 朝陽に照らされた軒先から雫がこぼれる。
 この雪は、明日になにかを残すわけではない。光に溶かされて街にみて、今日の景色をいつもより少しだけ深く、濃く、彩って、空に溶けていく。

 錆の浮いたパイプ椅子が体温を奪っていく。そんな気がして、明は詰襟つめえりの下に着込んだカーディガンの袖を指先まで引き伸ばした。
「パイプ椅子は畳んで持ち運ぶ前提だよな? 背もたれと座板の隙間は、あと2センチは欲しいところだ。他にも座版の裏金を丸めて腕を入れて楽に運べるように……」
 そんな新しいパイプ椅子のデザインを妄想してみても、座版に挟まれた手の甲の痛みが取れるわけではない。まとめて三脚も持ち上げると、肘にズシリと重みが伝わった。
「これ、何時間かかるんだろう?」
 すぐ隣では、晴史が椅子を端から順にひとつひとつ並べ直す。要領の悪さは簡単に変わるものではない。
「少しは計算しろよ。全部動かすより、新しく椅子を四つ組んで通路を埋める方が早いだろ? もともと四列片付けて通路を作ったんだから。要領よくやろうぜ?」
 冬の定期公演は『卒業生を送る会』のために体育館に並べられた椅子を客席に流用した。部員八十人の吹奏楽部とは違い、たった五人で八百人分の客席をセッティングするのは難しい。
 ただ、式典用の中央にしか通路がない座席配置は客席に不都合で、二百脚ほどを片付けて通路を増やした。
「祝日の朝から椅子並べだもんなぁ……」
 晴史は言われた通りに椅子を四脚組み立てて、それでも、明の理想では動かさずに済む椅子を三つも動かした。
「ハンッ。まだグダグダ言ってんの? ようは全部運んで、全部並べるだけでしょうが!」
 菜摘は逆さまにしたパイプ椅子を左右の肩に六つずつ引っ掛けて、十二脚まとめて豪快に運ぶ。それを一年生の堀井ほりい石垣いしがきが黙々と組み立てて並べた。
「あっちの方が効率はいいよな……」
 そうは呟いてみても、明には十二脚のパイプ椅子をまとめて持ち上げる自信はない。
「ま、俺たちは俺たちで頑張らないとな」
 椅子の運び方のつもりで言った明に、
「三人かぁ……」
 同調するように晴史が呟く。
「バカばっかり! 五人でしょうが」
 菜摘が不服そうに訂正した。
 明はまず四人の顔を思い浮かべる。それはすぐに六人になり、十人になり、やがて体育館いっぱいのパイプ椅子に座ってくれた人々の顔になる。
 アーチ屋根に積もった雪が滑り落ちるらしく、時折、ドスンと鈍い音が体育館の床を揺らす。
 椅子を並べていた後輩たちの手が一度止まって、また、動き出した。

『雪、積もるといいね』誰かが昨夜、そんな言葉を口にしただろうか?
 ほんの短い時間だけ街を自分色に染めて、喜ばれて、輝いて、美しく消えていく都会の雪は、北国の根雪よりも幸福なのかもしれない。

「ハンッ! けっばい髪の毛……」
 体育館二階通路で暗幕を畳みながら菜摘が呟いた。
「そうだね。けど、なんだかさ…… オリンピックの金銀銅って感じもする」
 脚立の上で左手にまとめたカーテンフックをジャラジャラ鳴らしながら、晴史も窓の外に目を遣る。
 窓の向こうに見える長い階段の途中には、ロマンスグレーと呼ぶには少し白くなりすぎた父親と、艶やかな長い黒髪にシックなスーツの母親。そんな夫妻の少し後ろに、ゆっくりと階段を登っていく結衣の後ろ姿がある。
「どう見ても金と銀と黒だろ? それに……」いつの間にか戻って来た明が眼鏡を外して窓にひたいを寄せる。「……随分と汚い金メダルだよな」
「金銀黒じゃ、パッとしないなぁ」晴史が手の中にあるカーテンフックを見つめる。
「ゴールドにプラチナにブラック。ガチャゲームならアイツはゴミってことよね」菜摘が冷やかに言う。
「あのなぁ、金と銀と黒といえば日本の伝統的配色の王道だぞ? 例えば尾形おがた光琳こうりん蒔絵まきえとかはさ……」
「あー、美術とか骨董とか〝どう〟でもいい。興味ないし!」暗幕をバサリと鳴らして明の薀蓄を遮ってから「それより部室よ。またアイツに荒らされてたわけ?」と菜摘が訊く。
「いや、全然。ゴミ箱にあったのはスカイブルーのカプセルだけ。ピンクはマシーンの中に残ってたよ。な? 俺の言った通りになった」明はポケットから取り出したピンクのカプセルを菜摘に渡す。
「アイツ…… 最後まで自分勝手なんだから」菜摘は明からカプセルを受け取ると自分のトートバッグに入れた。
「別に、僕は今日くらい部室の片付けでもよかったけど…… 午後は暇だから」晴史が菜摘の頭の上で新しい暗幕を外しながら呟く。
「計算しろよ。まだ舞台袖の片付けがそっくり残ってるぞ? このままいくと、午後どころか夜まで撤収作業だ」そう言い残して明は二階通路の扉をあけて上手かみて袖へと降りていった。
「菜摘はあれから、結衣となにかはなした?」次の暗幕を外し終えた晴史が訊く。
「まさか。アイツを見たのが二ヶ月ぶりってくらいなのに。アンタは?」
「僕は迷ったんだ。だって、今日は誕生日だろ? けど…… やっぱりなにも」
「ハンッ。だったらさ、ここから『退学おめでとう!』って叫んでみれば? まだ聞こえんじゃないの?」
 菜摘が見つめる先、長い階段の途中で立ち止まった結衣は明るい栗色の髪を左手でかき上げて…… ただ、振り返りはしなかった。
っどいなぁ。親友じゃなかった?」晴史が苦笑する。
 菜摘は少し考えてから「キッラィ」と唇を歪めた。

 長い階段の上、街を見晴らす『あの丘の公園』のバウムクーヘン型のベンチには、まだ少し雪が残る。それでも、赤味を帯びた植え込みのツクバネウツギが少しずつ緑を取り戻し、花壇ではチューリップが芽吹いている。
 そうやって、世界は当たり前のように息づいて、今年も冬が終わる。

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