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第六帖 忍道
6-1 戦(4)
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環と別れてのち、菊羽はいくらかの間を置いてまた出立した。
水戸とはまったくの逆方向――伊賀へと向かう、ひとり旅であった。
以前と同じく、女の旅としてまっとうに街道を往く。
体が変わってから数えると半年ほどが過ぎ、男と偽れぬほどの身と香りをまといつつあった。
荷物は、少量であった。
町娘を装って笠をかぶり、懐には環から拝領した小太刀、振分にはこの旅の目的のひとつとも云える師の書。それが、荷のほとんどだった。ほかには水筒や『女の道具』と称して小さく収めた忍びの薬剤類や武具など。
箱根関は、水戸へ行った環が菊羽に送った手形のおかげで荷を検分されることもなく、ほとんど時間を費やさずに通ることができた。
「書を返しに行く」と言っていた菊羽へのはからいであった。
数月前ほどの急ぎ足ではないものの、それでも並の旅人より早く、姫木を発って七日ののちには菊羽の姿は伊賀にあった。
しばらく暮らした地である。
郷里をゆくように菊羽は歩を進め、郡を成す集落のひとつにはこの時は寄ることにしていた。先の生活の中でいくらかとはいえ行くこともあったからだ。
その村に差し掛かる、手前であった。
葉に残る朝露が陽光にきらめく木々の間を抜けて、そろそろ最も外れの畑に至ろうかというあたりで、菊羽が息を呑んで足を止める。
次の瞬間、小さな風切り音とともに菊羽のすぐ足元に細い刃が突き立った。
ぬっ、と木陰から人影が現れた。
「その『気』――おぬしだな」
と、静かに声をかけてきたのは、薄汚れた着物を雑に着流した長身痩躯の男だった。
剃っていない月代に無精髭の、特徴といえる特徴の薄い印象だった。
その中でただ記憶に残りそうな、ぎょろりと白目の多い目が菊羽を睥睨している。
菊羽の進路を遮る格好で立ち、胸元に近い位置にある柄に片手を置く。腰に差した刀は、鞘尻をぐっと下げていた。
「な……なんのこと、でしょう」
何も知らぬ娘のように、菊羽は声を震わせる。
襟をかき抱くように腕を交差させて締め、数歩下がる。
「お、お武家さまなど私、知り合いにははおりませぬ」
菊羽は、心細げな声で男を見上げていた。
「無駄だ。いまそいつを避けたではないか。そこいらの娘にできる芸当ではない」
「た、たまたまでございます。私はただの娘ゆえ――」
菊羽は演技を解かずに、一礼しながら男の脇をすり抜けようとする。
その袖に男の手が伸びる。
すっと体を捻ってその手をさばき、さらに払うように回ってきた足を小さく飛んで躱す。
「その身のこなしで『ただの娘』などと謀れるものかッ」
いつ抜いたのか、男の刀が菊羽の目の前に迫る。
身を落として刃を避け、菊羽はしかしまだ娘を演じ続ける。
「何をなさるのですかっ、ひ、人を呼びますよっ」
「呼べるのなら呼べばよかろう。もっとも、誰か来るまでにおぬしは死んでおろうが」
男は淡々と告げて、切っ先を菊羽に向ける。
「よもや人違いだったとて、死ねば同じこと」
避けて通る隙を男は見せなかった。
「死ぬのはいやでございます――この小娘に用などないでしょう」
演技をやめずに、菊羽は言う。
男がくく、と笑った。
「用は殺してから確かめる。その身肉、この刀に喰わせろ。そのあと、おれも愉しませてもらおう――ッ!」
男が突きから薙いだ。
菊羽は後ろに跳ぶ。
低い姿勢で鞘ごと小太刀を取り、ほかの荷物は脱いだ笠にまとめて傍らに置く。
男が鼻を鳴らした。
「その体術、やはりな――藤林の弟子であった小娘というのは、おぬしであろう」
「お師さま……?」
小娘、という言葉より先に師の名に反応していた。
先日大叔父に斬られた者が、菊羽の脳裏に浮かぶ。
「生駒の……っ?」
男が笑う。
「やはり、そうではないか。
――もっともおれは、生駒など知らんがな」
男が踏み込む。
「えっ」
菊羽の横から刃が襲いかかる。
聞き返したため一瞬間遅れてしまい回避が間に合わず手首の外半分を締めている薄い鋼板で受ける。
火花が弾ける。
ざっ、と土を鳴らして菊羽が滑る。
そこから地を蹴り、着ていた小袖を男に向かって脱いで広げる。
「むッ」
男が刀で布を払ったところに棒手裏剣があった。
慌てた様子で刀を戻して棘のような刃を弾くがその内の一本が男の腕に刺さる。
男と距離をとった菊羽は、動きやすく手足を出した丈の短い、薄い鎖帷子を仕込んだ忍び装束姿になっていた。
小袖の下には襦袢ではなく、装束を着込んでいた。
「生駒ではない――なら、酉谷の残党かっ」
菊羽は対峙の姿勢を見せて、先日片付けた敵の名を投げる。
もう一度鼻で笑って、男は腕から棒手裏剣を抜いて捨てた。
「敵が多いな、おぬし――おれもその一人か」
しかし、と男が間を詰める。
「酉谷などという名も知らんッ」
短い振りながら速度のある一撃が菊羽のこめかみに迫る。
抜いた小太刀で受け流して菊羽は横に転がる。
「では――誰の?」
「誰でもよかろうッ」
男が菊羽を追って刀を振るう。
生まれた風が菊羽を圧す。
風にばさばさと装束を広げられ、腿の根があらわになる。
ふふ、と男が含み笑いをもらした。
「その足、味おうてみたいのう――斬ってからなァ」
長めの舌が薄い唇を這う。
「恨むなら好き勝手嗅ぎ回った藤林のじじいを恨めッ!」
男が一度両手を広げて勢いをつけて前に振る。
また風が興り菊羽を風圧で縛る。
風を追うように男は踏み込み地面近くから刀を振り上げる。
菊羽は後転して駆け上る光条を避け、その流れで立ち上がった。
「お師さまが――何かしたのか?」
心当たりのない菊羽ではなかった。
ともに暮らして修行する中、藤林翁は数日出かけたのちに他所の忍びの術や器具を持ち帰ることもあった。
その中には伊賀のものでも甲賀のものでもないわざや道具もあった。
藤林翁の強さは菊羽は身に沁みて解っている。穏便な手段でそれらを入手してきたのみとは限らないであろうことも、想像に難くはなかった。
「ということは――お前も、忍び?」
一見そうは見えない、ただの――いや、むしろ放蕩の過ぎた浪人のような男をあらためて、菊羽は観察する。
「確かに今の風、並の技じゃない……」
「おれの素性などどうでもいいだろう、ここで死ぬのだからなッ」
男は下卑た唇のかたちを浮かべていた。
「安心せい。よくよく見るとおぬしの器量、嫌いではない――綺麗に斬ってやろう。殺めてからおぬしの女をもらい、そののち腸を抜いて皮を剥ぎ製る我らの秘術にてその姿保ち、愛でてやる」
「――ぃっ!?」
その言動に菊羽は声を引きつらせる。
日本での剥製技術は天保年間にはあったと云われているが、この頃にはまだ広まってはいない。十六世紀のヨーロッパではじまり、邦内で確立したのは明治期である。
男がやや、姿勢を低くした。
刀を垂直に立てたまま、長く息を吐き出し続ける。
ざわざわと木々が騒ぎはじめた。
「えっ……?」
菊羽はつい、周囲を見回してしまう。
「ふんッ!」
男が烈迫の気合とともに刀を捻りながら振り下ろした。
菊羽に刃が届く間合いではない。
――が。
「ぅわっ!」
空気の塊が菊羽を襲う。
菊羽の着ていた布地が切れ、体の線を男に晒す。
風圧に負けて転がったところに男が飛びかかった。
逆袈裟に斬り上げてくるのを菊羽は小太刀で受けて止めずに後方へ跳ぶ。
空中でくるりと回って勢いを殺して着地する。
横に構え直して駆け寄――ろうとするが、男の発する風に阻まれる。
それでも距離を縮めたところでまた薙いできた男の刀を数メートル跳んで避けて、菊羽はふう、と大きく息をついた。
「近づけないなら――」
すう、と細く息を吸う。
「えいっ!」
菊羽は気合とともに装束の腰に固めていた棒手裏剣を一斉に放った。
上空に飛ぶ。
「どこを狙っているッ」
男がまた鼻で笑い、八双に構える。
菊羽の擲った刃は、男を中心に円状に広がっていた。
十数本それぞれが枝葉を打って幹に突き立つ。
棒手裏剣に貫かれた葉に乗っていたしずくは、地面に落ちずに留まっていた。
「行けっ!」
菊羽が網を曳くように両手を握り斜め下に振り下ろした。
それを合図に無数の水滴が疾る。
鋭い棘のように尖った水が四方八方から男に降りそそいだ。
「なぬッ!」
男がやたらに刀を振り回す。
水刃のいくらかはそれで斬り、弾いたものの、それよりも皮膚を穿ち、裂く数のほうが多かった。
男の体中から水と血が飛沫く。
男が膝をつくのと、菊羽が一気に間を詰めたのはほぼ同時だった。
頸に小太刀を当てて菊羽が言う。
「どこの者だっ」
「ふン」
男が血痰を吐いた。
「言う義理などないなッ」
と、菊羽の手を掴んで引いた。
菊羽が放すよりも早く男はその手に口をつけて薄く笑う。
男の頸から血が迸った。
男は、菊羽の指に歯を立てずに舐っていた。
返り血を浴びながら、菊羽は男の口から指を抜いた。
こと切れて倒れ伏した男を調べる――が、素性を明かすものは何一つ出てこなかった。
顔にかかった血を拭って、菊羽は男を道の脇まで運んで浅く埋めた。
墓標代わりに鞘ごと立てた刀に向かって手を合わせ、脱ぎ捨てた小袖と帯を拾って羽織る。
村へは寄らずに、菊羽はそこから山に向かった。
水戸とはまったくの逆方向――伊賀へと向かう、ひとり旅であった。
以前と同じく、女の旅としてまっとうに街道を往く。
体が変わってから数えると半年ほどが過ぎ、男と偽れぬほどの身と香りをまといつつあった。
荷物は、少量であった。
町娘を装って笠をかぶり、懐には環から拝領した小太刀、振分にはこの旅の目的のひとつとも云える師の書。それが、荷のほとんどだった。ほかには水筒や『女の道具』と称して小さく収めた忍びの薬剤類や武具など。
箱根関は、水戸へ行った環が菊羽に送った手形のおかげで荷を検分されることもなく、ほとんど時間を費やさずに通ることができた。
「書を返しに行く」と言っていた菊羽へのはからいであった。
数月前ほどの急ぎ足ではないものの、それでも並の旅人より早く、姫木を発って七日ののちには菊羽の姿は伊賀にあった。
しばらく暮らした地である。
郷里をゆくように菊羽は歩を進め、郡を成す集落のひとつにはこの時は寄ることにしていた。先の生活の中でいくらかとはいえ行くこともあったからだ。
その村に差し掛かる、手前であった。
葉に残る朝露が陽光にきらめく木々の間を抜けて、そろそろ最も外れの畑に至ろうかというあたりで、菊羽が息を呑んで足を止める。
次の瞬間、小さな風切り音とともに菊羽のすぐ足元に細い刃が突き立った。
ぬっ、と木陰から人影が現れた。
「その『気』――おぬしだな」
と、静かに声をかけてきたのは、薄汚れた着物を雑に着流した長身痩躯の男だった。
剃っていない月代に無精髭の、特徴といえる特徴の薄い印象だった。
その中でただ記憶に残りそうな、ぎょろりと白目の多い目が菊羽を睥睨している。
菊羽の進路を遮る格好で立ち、胸元に近い位置にある柄に片手を置く。腰に差した刀は、鞘尻をぐっと下げていた。
「な……なんのこと、でしょう」
何も知らぬ娘のように、菊羽は声を震わせる。
襟をかき抱くように腕を交差させて締め、数歩下がる。
「お、お武家さまなど私、知り合いにははおりませぬ」
菊羽は、心細げな声で男を見上げていた。
「無駄だ。いまそいつを避けたではないか。そこいらの娘にできる芸当ではない」
「た、たまたまでございます。私はただの娘ゆえ――」
菊羽は演技を解かずに、一礼しながら男の脇をすり抜けようとする。
その袖に男の手が伸びる。
すっと体を捻ってその手をさばき、さらに払うように回ってきた足を小さく飛んで躱す。
「その身のこなしで『ただの娘』などと謀れるものかッ」
いつ抜いたのか、男の刀が菊羽の目の前に迫る。
身を落として刃を避け、菊羽はしかしまだ娘を演じ続ける。
「何をなさるのですかっ、ひ、人を呼びますよっ」
「呼べるのなら呼べばよかろう。もっとも、誰か来るまでにおぬしは死んでおろうが」
男は淡々と告げて、切っ先を菊羽に向ける。
「よもや人違いだったとて、死ねば同じこと」
避けて通る隙を男は見せなかった。
「死ぬのはいやでございます――この小娘に用などないでしょう」
演技をやめずに、菊羽は言う。
男がくく、と笑った。
「用は殺してから確かめる。その身肉、この刀に喰わせろ。そのあと、おれも愉しませてもらおう――ッ!」
男が突きから薙いだ。
菊羽は後ろに跳ぶ。
低い姿勢で鞘ごと小太刀を取り、ほかの荷物は脱いだ笠にまとめて傍らに置く。
男が鼻を鳴らした。
「その体術、やはりな――藤林の弟子であった小娘というのは、おぬしであろう」
「お師さま……?」
小娘、という言葉より先に師の名に反応していた。
先日大叔父に斬られた者が、菊羽の脳裏に浮かぶ。
「生駒の……っ?」
男が笑う。
「やはり、そうではないか。
――もっともおれは、生駒など知らんがな」
男が踏み込む。
「えっ」
菊羽の横から刃が襲いかかる。
聞き返したため一瞬間遅れてしまい回避が間に合わず手首の外半分を締めている薄い鋼板で受ける。
火花が弾ける。
ざっ、と土を鳴らして菊羽が滑る。
そこから地を蹴り、着ていた小袖を男に向かって脱いで広げる。
「むッ」
男が刀で布を払ったところに棒手裏剣があった。
慌てた様子で刀を戻して棘のような刃を弾くがその内の一本が男の腕に刺さる。
男と距離をとった菊羽は、動きやすく手足を出した丈の短い、薄い鎖帷子を仕込んだ忍び装束姿になっていた。
小袖の下には襦袢ではなく、装束を着込んでいた。
「生駒ではない――なら、酉谷の残党かっ」
菊羽は対峙の姿勢を見せて、先日片付けた敵の名を投げる。
もう一度鼻で笑って、男は腕から棒手裏剣を抜いて捨てた。
「敵が多いな、おぬし――おれもその一人か」
しかし、と男が間を詰める。
「酉谷などという名も知らんッ」
短い振りながら速度のある一撃が菊羽のこめかみに迫る。
抜いた小太刀で受け流して菊羽は横に転がる。
「では――誰の?」
「誰でもよかろうッ」
男が菊羽を追って刀を振るう。
生まれた風が菊羽を圧す。
風にばさばさと装束を広げられ、腿の根があらわになる。
ふふ、と男が含み笑いをもらした。
「その足、味おうてみたいのう――斬ってからなァ」
長めの舌が薄い唇を這う。
「恨むなら好き勝手嗅ぎ回った藤林のじじいを恨めッ!」
男が一度両手を広げて勢いをつけて前に振る。
また風が興り菊羽を風圧で縛る。
風を追うように男は踏み込み地面近くから刀を振り上げる。
菊羽は後転して駆け上る光条を避け、その流れで立ち上がった。
「お師さまが――何かしたのか?」
心当たりのない菊羽ではなかった。
ともに暮らして修行する中、藤林翁は数日出かけたのちに他所の忍びの術や器具を持ち帰ることもあった。
その中には伊賀のものでも甲賀のものでもないわざや道具もあった。
藤林翁の強さは菊羽は身に沁みて解っている。穏便な手段でそれらを入手してきたのみとは限らないであろうことも、想像に難くはなかった。
「ということは――お前も、忍び?」
一見そうは見えない、ただの――いや、むしろ放蕩の過ぎた浪人のような男をあらためて、菊羽は観察する。
「確かに今の風、並の技じゃない……」
「おれの素性などどうでもいいだろう、ここで死ぬのだからなッ」
男は下卑た唇のかたちを浮かべていた。
「安心せい。よくよく見るとおぬしの器量、嫌いではない――綺麗に斬ってやろう。殺めてからおぬしの女をもらい、そののち腸を抜いて皮を剥ぎ製る我らの秘術にてその姿保ち、愛でてやる」
「――ぃっ!?」
その言動に菊羽は声を引きつらせる。
日本での剥製技術は天保年間にはあったと云われているが、この頃にはまだ広まってはいない。十六世紀のヨーロッパではじまり、邦内で確立したのは明治期である。
男がやや、姿勢を低くした。
刀を垂直に立てたまま、長く息を吐き出し続ける。
ざわざわと木々が騒ぎはじめた。
「えっ……?」
菊羽はつい、周囲を見回してしまう。
「ふんッ!」
男が烈迫の気合とともに刀を捻りながら振り下ろした。
菊羽に刃が届く間合いではない。
――が。
「ぅわっ!」
空気の塊が菊羽を襲う。
菊羽の着ていた布地が切れ、体の線を男に晒す。
風圧に負けて転がったところに男が飛びかかった。
逆袈裟に斬り上げてくるのを菊羽は小太刀で受けて止めずに後方へ跳ぶ。
空中でくるりと回って勢いを殺して着地する。
横に構え直して駆け寄――ろうとするが、男の発する風に阻まれる。
それでも距離を縮めたところでまた薙いできた男の刀を数メートル跳んで避けて、菊羽はふう、と大きく息をついた。
「近づけないなら――」
すう、と細く息を吸う。
「えいっ!」
菊羽は気合とともに装束の腰に固めていた棒手裏剣を一斉に放った。
上空に飛ぶ。
「どこを狙っているッ」
男がまた鼻で笑い、八双に構える。
菊羽の擲った刃は、男を中心に円状に広がっていた。
十数本それぞれが枝葉を打って幹に突き立つ。
棒手裏剣に貫かれた葉に乗っていたしずくは、地面に落ちずに留まっていた。
「行けっ!」
菊羽が網を曳くように両手を握り斜め下に振り下ろした。
それを合図に無数の水滴が疾る。
鋭い棘のように尖った水が四方八方から男に降りそそいだ。
「なぬッ!」
男がやたらに刀を振り回す。
水刃のいくらかはそれで斬り、弾いたものの、それよりも皮膚を穿ち、裂く数のほうが多かった。
男の体中から水と血が飛沫く。
男が膝をつくのと、菊羽が一気に間を詰めたのはほぼ同時だった。
頸に小太刀を当てて菊羽が言う。
「どこの者だっ」
「ふン」
男が血痰を吐いた。
「言う義理などないなッ」
と、菊羽の手を掴んで引いた。
菊羽が放すよりも早く男はその手に口をつけて薄く笑う。
男の頸から血が迸った。
男は、菊羽の指に歯を立てずに舐っていた。
返り血を浴びながら、菊羽は男の口から指を抜いた。
こと切れて倒れ伏した男を調べる――が、素性を明かすものは何一つ出てこなかった。
顔にかかった血を拭って、菊羽は男を道の脇まで運んで浅く埋めた。
墓標代わりに鞘ごと立てた刀に向かって手を合わせ、脱ぎ捨てた小袖と帯を拾って羽織る。
村へは寄らずに、菊羽はそこから山に向かった。
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