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6 戦慄の身内バレ、そして彼女の秘密
6-3 僕はサンプル、観察対象
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◆◇◆
妹の荷物は三日後に届き、その中には懐かしい食材や妹が通っている女子校の制服もあった。
鞄を送ってもらったのは、そこに夏休みの宿題を入れていたからで、僕の所にいる間にも宿題を進めるつもりのようだ。
妹の制服が羨ましくて見ていると「お姉ちゃん、着てもよかよ」と言われ、袖を通した。
妹とサイズはほぼ変わらず、あまりキツくなく、着れる。
写真を撮られて焦るけど、僕に送ってくれた。
妹は「お姉ちゃん借りるね」と服や化粧品を使い、横浜とか都内に遊びに行っていた。
妹が来た翌週には歌の収録をして、第八回の『キャッチ&すとまっく』も録った。
この回は本牧に行ってみて、イワシ数十匹とアジを数匹釣った。
かなりの数が釣れたので、アンチョビ作りに挑戦してみる。
そのエンディングで、僕の制服写真を朋美さんが「JKいっちゃん、超可愛いよ」とスマホの画面でカメラに向けた。
妹は僕だけでなく、朋美さんにも送っていた――ていうかいつの間に連絡先交換してたんだ。
そんな夏休み後半の中、大学のオープンキャンパスに妹を連れていく。
大学の構内を妹に案内している時に朋美さんを見かけて、妹に言うと「行ってきなよ。うち適当に見て帰っとーけん。きばって」と優しく励まされて、想い人の姿を追う。
――朋美さんは、教授らしい年配の人といた。
普段行っている、教室のある建物などから離れた所にある棟のひとつに入っていく。
大学院の施設のようでためらうけど、入り口くらいならいいかな、と足を踏み入れてみる。
朋美さんがこの棟のどこの部屋に入ったのか、判らない。
ここに来たのは間違いないし、出口で待ってみようかな――そう思って振り返った時、廊下に紙が一枚落ちているのに気がついた。
拾ってみると、文字が埋まっている。
「これ……」
どうやら、朋美さんの書いたもの――の、一部のようだった。
サンプル2:Iさん(クロスドレッサー)
Iさんは、女性的な装いと化粧をする、いわゆる「女装子」や「男の娘」と呼ばれる男性である。
性自認 : シス(男性)
恋愛対象 : ヘテロ(女性)
自身のことは男性と自認しているが、レディスファッションやアクセサリーなどへの興味が強く、またそれを身に着けたいという願望から女装を始めた。
女装している時、彼はある種の開放感を得ている様子である。
また、女装して「女子扱い」されることに愉しみを感じている様子もある。
「女性になりたい」あるいは「心の性との一致を求めて」女装をしているのではないことは、男女の別やボーダーのない社会を体現している――とは大袈裟かも知れない。
社会的ジェンダーという観点で見れば彼の行動は男性的であるが、女装時の外見により周囲から求められたり期待される女性性や女性的な対応を拒否することはなく、そういう点での区別のないのが『男の娘』のキャラクター、と云えるのではないかとも思わせる。
余談ではあるが、観察対象としている贔屓目を極力排し、客観的に見ても彼の女装はとても似合っている。
いわゆる「パス度」は高く、彼が電車で女性専用車両に乗っていたり、街で女性専用のサービスを案内されていても違和感は薄い。実際に女性専用車両に私と乗車した時も、周囲に咎められることはなかった。
男性との交際や性交渉の経験はないようではあるが、特別な男性に個対個での役割的女性性を求められた場合にどのような反応を示すのか、あるいは男性に恋愛感情を抱くことがあれば、あるいは彼に変化が訪れるかも知れない。
以下に、彼の観察記録を時系列順に記す。
――
レポートはまだ続いているけど、追っていられなくなってきた。
膝の力が抜けるのを感じる。
腰を落とす。
研究棟の入り口で、女の子座りで、呆然とする。
紙を持った手がぱたんと力を失う。
――なに、これ。
手が震える。
もう一度読もうと、紙を持ち上げる。
重い。
文字が滲んで、ぼやけて、読めない。
――あれ、どうして?
読めない。
『Iさん』って、樹――ぼく?
これ書いたのは、朋美さん?
朋美さんが大学院に進んで研究することって聞いたことがなかったけど、こういう――セクシャルマイノリティに関することなの、かな。
僕は、その研究サンプルの一人でしかないのかな。
それで初めて会った時――僕を拾った時、あんな質問をして、つい先日、恵理香にもそういうことを聞いたのかな。
僕に昼間の女装外出を勧めたのは?
――いや、そもそも、僕を拾ったのは、これが、目的、だったの?
僕だけ、早とちりと勘違いと童貞らしい妄想で、朋美さんとのことを夢見ていたの?
頭の中を、朋美さんに会ってからのことがぐるぐると泡のように浮かんで、巡る。
釣りに誘ってくれた朋美さん。
料理を褒めてくれた朋美さん。
ナンパ男をイヤがる朋美さん。
時々ギャル的でない朋美さん。
テレビ出演の話が来た時、なんて言った?
――偏見を、って言われると弱いなぁ――
ユキさん――彼は、どうなんだろう。
もと女性、というのも朋美さんの研究対象なんだろうか。
僕は――女装が、女の子モードが、性に合っていると思っている。
周り――當さんも蕪井さんも恵理香も、女の子の方がいいと言う。
朋美さんも、女装している僕を認めている――んだよね?
今日は、パフスリーブのシャツワンピに薄いカーディガン、首元には朋美さんからもらったネックレス。膝上のAラインの裾から出ている脚に男っぽさは少なく、履いてるミュールはちょっとヒールがあって、ストラップの艶感がお気に入りの一足だ。
髪はいつものお下げ。結び目のシュシュも可愛い。
ブラとショーツはセットの。恵理香には「お姉ちゃんのブラきつか、大きくして」って言われた。寄せて上げてパット詰めてもBやけん、仕方ないやん。恵理香は本物の女の子やし、Cカップあるやん。
思考が逃げていることは、わかっている。
握ったままの紙のことは、考えたくない。
足音が聞こえてきた。
「――いっちゃん?」
頭の上から声が降って見上げると、何か探してきた様子のギャルがいる。
「どうしたのこんなところで座っ――」
僕の手元にある紙を見て、彼女は息を呑んだ。
「それ……」
腰を下ろして、ギャルらしい甘い匂いを振りまいて、僕の手からその紙を取る。
「いっちゃん、違うの。聞いて」
僕は首を傾げて彼女を見ていた。
血の気を引かせた顔色で、焦りを見せる瞳で、狼狽した唇で、僕と目の高さを合わせている。
彼女のこんな表情を見るのは、初めてだった。
まだ知らないことが――いや、彼女のことで知っていることの方が少ない。
「いっちゃん――樹くんっ」
僕より背も高くて、豊かな胸で、えっちな体の彼女が、僕を抱き締め――僕は、拒んでいた。
香水が強く漂う。
「樹くん……」
「研究対象、だったんですね」
女の子みたいな声が僕の口から出る。
「ち……違うの」
「違わないじゃないですか」
静かに言って、腰を上げる。
「ずっと、観察してたんでしょう」
「それはそうだけど――それだけじゃなくて」
見た目ギャルなのに、ギャルじゃないような口調。
「いいですよ。どうぞ、観てくださいよ。僕の全部。お好きなように。僕はこんな格好してますけど、男ですよ。女物の下着もつけてますけど、その下にはほら――」
ワンピの裾を持ち上げて、ショーツに指をかけ――
「ばかっ!」
頬が弾けた。
ギャルの目に涙が溜まっていくのは、似合わない。
僕は熱くなった頬を押さえて――裾がはらりと戻る――泣き顔で僕を見上げる彼女を見る。
「――失礼します」
僕は軽く会釈して、背を向けて、建物を出る。
「樹くん、待って!」
追ってきた彼女に捕まりたくなかった。
今はもう彼女の声を聞きたくなかった。
頬が痛い。
心が痛い。
全部痛い。
走って、逃げるように大学から出て、駅まで止まらないで、電車に飛び乗った。
家とは反対方向へ。
妹には『このままバイト行くから寝てて』とメッセージを入れておく。
――なんて言おう。
隠せるかな。
視界はまた、滲んでいた。
妹の荷物は三日後に届き、その中には懐かしい食材や妹が通っている女子校の制服もあった。
鞄を送ってもらったのは、そこに夏休みの宿題を入れていたからで、僕の所にいる間にも宿題を進めるつもりのようだ。
妹の制服が羨ましくて見ていると「お姉ちゃん、着てもよかよ」と言われ、袖を通した。
妹とサイズはほぼ変わらず、あまりキツくなく、着れる。
写真を撮られて焦るけど、僕に送ってくれた。
妹は「お姉ちゃん借りるね」と服や化粧品を使い、横浜とか都内に遊びに行っていた。
妹が来た翌週には歌の収録をして、第八回の『キャッチ&すとまっく』も録った。
この回は本牧に行ってみて、イワシ数十匹とアジを数匹釣った。
かなりの数が釣れたので、アンチョビ作りに挑戦してみる。
そのエンディングで、僕の制服写真を朋美さんが「JKいっちゃん、超可愛いよ」とスマホの画面でカメラに向けた。
妹は僕だけでなく、朋美さんにも送っていた――ていうかいつの間に連絡先交換してたんだ。
そんな夏休み後半の中、大学のオープンキャンパスに妹を連れていく。
大学の構内を妹に案内している時に朋美さんを見かけて、妹に言うと「行ってきなよ。うち適当に見て帰っとーけん。きばって」と優しく励まされて、想い人の姿を追う。
――朋美さんは、教授らしい年配の人といた。
普段行っている、教室のある建物などから離れた所にある棟のひとつに入っていく。
大学院の施設のようでためらうけど、入り口くらいならいいかな、と足を踏み入れてみる。
朋美さんがこの棟のどこの部屋に入ったのか、判らない。
ここに来たのは間違いないし、出口で待ってみようかな――そう思って振り返った時、廊下に紙が一枚落ちているのに気がついた。
拾ってみると、文字が埋まっている。
「これ……」
どうやら、朋美さんの書いたもの――の、一部のようだった。
サンプル2:Iさん(クロスドレッサー)
Iさんは、女性的な装いと化粧をする、いわゆる「女装子」や「男の娘」と呼ばれる男性である。
性自認 : シス(男性)
恋愛対象 : ヘテロ(女性)
自身のことは男性と自認しているが、レディスファッションやアクセサリーなどへの興味が強く、またそれを身に着けたいという願望から女装を始めた。
女装している時、彼はある種の開放感を得ている様子である。
また、女装して「女子扱い」されることに愉しみを感じている様子もある。
「女性になりたい」あるいは「心の性との一致を求めて」女装をしているのではないことは、男女の別やボーダーのない社会を体現している――とは大袈裟かも知れない。
社会的ジェンダーという観点で見れば彼の行動は男性的であるが、女装時の外見により周囲から求められたり期待される女性性や女性的な対応を拒否することはなく、そういう点での区別のないのが『男の娘』のキャラクター、と云えるのではないかとも思わせる。
余談ではあるが、観察対象としている贔屓目を極力排し、客観的に見ても彼の女装はとても似合っている。
いわゆる「パス度」は高く、彼が電車で女性専用車両に乗っていたり、街で女性専用のサービスを案内されていても違和感は薄い。実際に女性専用車両に私と乗車した時も、周囲に咎められることはなかった。
男性との交際や性交渉の経験はないようではあるが、特別な男性に個対個での役割的女性性を求められた場合にどのような反応を示すのか、あるいは男性に恋愛感情を抱くことがあれば、あるいは彼に変化が訪れるかも知れない。
以下に、彼の観察記録を時系列順に記す。
――
レポートはまだ続いているけど、追っていられなくなってきた。
膝の力が抜けるのを感じる。
腰を落とす。
研究棟の入り口で、女の子座りで、呆然とする。
紙を持った手がぱたんと力を失う。
――なに、これ。
手が震える。
もう一度読もうと、紙を持ち上げる。
重い。
文字が滲んで、ぼやけて、読めない。
――あれ、どうして?
読めない。
『Iさん』って、樹――ぼく?
これ書いたのは、朋美さん?
朋美さんが大学院に進んで研究することって聞いたことがなかったけど、こういう――セクシャルマイノリティに関することなの、かな。
僕は、その研究サンプルの一人でしかないのかな。
それで初めて会った時――僕を拾った時、あんな質問をして、つい先日、恵理香にもそういうことを聞いたのかな。
僕に昼間の女装外出を勧めたのは?
――いや、そもそも、僕を拾ったのは、これが、目的、だったの?
僕だけ、早とちりと勘違いと童貞らしい妄想で、朋美さんとのことを夢見ていたの?
頭の中を、朋美さんに会ってからのことがぐるぐると泡のように浮かんで、巡る。
釣りに誘ってくれた朋美さん。
料理を褒めてくれた朋美さん。
ナンパ男をイヤがる朋美さん。
時々ギャル的でない朋美さん。
テレビ出演の話が来た時、なんて言った?
――偏見を、って言われると弱いなぁ――
ユキさん――彼は、どうなんだろう。
もと女性、というのも朋美さんの研究対象なんだろうか。
僕は――女装が、女の子モードが、性に合っていると思っている。
周り――當さんも蕪井さんも恵理香も、女の子の方がいいと言う。
朋美さんも、女装している僕を認めている――んだよね?
今日は、パフスリーブのシャツワンピに薄いカーディガン、首元には朋美さんからもらったネックレス。膝上のAラインの裾から出ている脚に男っぽさは少なく、履いてるミュールはちょっとヒールがあって、ストラップの艶感がお気に入りの一足だ。
髪はいつものお下げ。結び目のシュシュも可愛い。
ブラとショーツはセットの。恵理香には「お姉ちゃんのブラきつか、大きくして」って言われた。寄せて上げてパット詰めてもBやけん、仕方ないやん。恵理香は本物の女の子やし、Cカップあるやん。
思考が逃げていることは、わかっている。
握ったままの紙のことは、考えたくない。
足音が聞こえてきた。
「――いっちゃん?」
頭の上から声が降って見上げると、何か探してきた様子のギャルがいる。
「どうしたのこんなところで座っ――」
僕の手元にある紙を見て、彼女は息を呑んだ。
「それ……」
腰を下ろして、ギャルらしい甘い匂いを振りまいて、僕の手からその紙を取る。
「いっちゃん、違うの。聞いて」
僕は首を傾げて彼女を見ていた。
血の気を引かせた顔色で、焦りを見せる瞳で、狼狽した唇で、僕と目の高さを合わせている。
彼女のこんな表情を見るのは、初めてだった。
まだ知らないことが――いや、彼女のことで知っていることの方が少ない。
「いっちゃん――樹くんっ」
僕より背も高くて、豊かな胸で、えっちな体の彼女が、僕を抱き締め――僕は、拒んでいた。
香水が強く漂う。
「樹くん……」
「研究対象、だったんですね」
女の子みたいな声が僕の口から出る。
「ち……違うの」
「違わないじゃないですか」
静かに言って、腰を上げる。
「ずっと、観察してたんでしょう」
「それはそうだけど――それだけじゃなくて」
見た目ギャルなのに、ギャルじゃないような口調。
「いいですよ。どうぞ、観てくださいよ。僕の全部。お好きなように。僕はこんな格好してますけど、男ですよ。女物の下着もつけてますけど、その下にはほら――」
ワンピの裾を持ち上げて、ショーツに指をかけ――
「ばかっ!」
頬が弾けた。
ギャルの目に涙が溜まっていくのは、似合わない。
僕は熱くなった頬を押さえて――裾がはらりと戻る――泣き顔で僕を見上げる彼女を見る。
「――失礼します」
僕は軽く会釈して、背を向けて、建物を出る。
「樹くん、待って!」
追ってきた彼女に捕まりたくなかった。
今はもう彼女の声を聞きたくなかった。
頬が痛い。
心が痛い。
全部痛い。
走って、逃げるように大学から出て、駅まで止まらないで、電車に飛び乗った。
家とは反対方向へ。
妹には『このままバイト行くから寝てて』とメッセージを入れておく。
――なんて言おう。
隠せるかな。
視界はまた、滲んでいた。
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