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第5章 ノア・ウィズダム
第26話 ノア・ウィズダム子爵の訪問
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遺言公開から二日後、セシルの配偶者候補の一人、ノア・ウィズダム子爵から、挨拶に伺うとの知らせがあった。
当日は天気のいい穏やかな日だったので、庭の方で歓談していただこうとテーブルを設置しお茶と菓子を用意した。
がっしりとした体格の大公とは対照的な、ミルキーブロンドの髪にアイスブルーの瞳をした細身の青年であった。
母親似なのかな、と、出迎えたヴォルターは思う。
「初めまして、ノア・ウィズダムと申します。この度は亡きマールベロー公爵より令嬢の配偶者にふさわしい男の一人として推挙していただき、この上ない名誉と心得ております」
穏やかな口調に柔和なまなざし。
セシルの横で一緒にあいさつを受けたアンジュは、庶子とはいえあの大公の息子なのだから多少は尊大なところがあっても不思議はないだろう、と、予想していたので意外な感じがした。
「結婚、と、言われてもセシル嬢にはまだ実感がわかないでしょう。実は僕もそうなのです。ですから、セシル嬢がそれにふさわしいお年頃になるまでに親交を深めることができればうれしく思います」
年長者としての落ち着きを見せながら、セシルを子供として軽んじることもない。
貴族男性として淑女へのふるまい、百点満点だわ、この人!
アンジュをはじめとして、同席していた侍女たちやメイド長のメイソンも、そう感心せずにはいられなかった。
「やさしそうな方でよかったですね、セシル様」
歓談を終了し玄関まで見送るときにアンジュはセシルにそっと耳打ちした。
セシルは特に目立った反応は見せなかった。
玄関を出たウィズダム子爵が馬車に乗り込もうとしたとき、異変は起こった。
乗り込むためのはしごでも踏み外したのか、急に突っ伏したまま倒れこんだ。
御者が下りて駆け寄り声をかけるが反応がない。
見送りに出ていたヴォルターやアンジュも走って近づき様子をうかがった。
「ひどいお熱だ。中にお運びしてベットに寝かせましょう。それからコペトンさんを呼んでください」
その場にいた一番頑丈な御者に抱えられ、ノアは公爵邸の客間のベッドに寝かされた。
やってきた主治医のコペトンの見立てでは風邪による熱だという話。
薬を調合し数日間は安静にするようにと言いつけて帰っていった。
「風邪をこじらせたって大公殿下の作り話じゃなかったのですね」
遺言公開の場では発表されるまで息子の存在を隠しておきたい大公の『嘘』だと解釈していたアンジュがつぶやいた。
「すいません、父に言われてできるだけ早くご挨拶をと思い……、ゴホッ!」
「ああ、どうかそのままで。どうやらお気を使わせてしまったようですね」
ヴォルターが起き上がろうとするノアを制止して再び寝かせた。
「無理をしてお帰りになられては悪化するかもしれませんし、よくなられるまでこちらにて静養された方がいいかもしれませんわね。家の方々にはその旨使いを出して知らせましょう」
「おお、セシル様、それは良いお考えです」
幼いながらもこの屋敷の女主人としてしっかりと意思決定をするセシルの様子に、ヴォルターは頼もしさを感じた。
「我が家には母の代から乳母をやってくれていたばあやしかいません。そのばあやが家のこまごまとしたメイドのような仕事から僕の世話まで一人でやってくれているのです。僕が帰らないとなると心配するでしょう」
セシルの提案にノアは答える。
しかし、それを聞いたマールベロー家の面々は面食らった。
庶子とはいえ大公の息子の家の使用人がばあや一人?
「では、お言葉に甘えて使いを頼めますか? 自宅は……、そうだ上着の胸ポケットに父からの手紙が入っていてそこに住所が……」
ノアに言われてアンジュは掛けられていた彼の上着を探り手紙を取り出した。
「ミリュタイユ通りですね。私が行ってまいりましょう。ついでに、ばあやさんに滞在の間必要なものをいただいて持ってまいりますね」
アンジュが使いをうけおった。
「セシル様はウィズダム子爵のそばについてさし上げてください」
「ちょっと、アンジュさん」
部屋を出て行ったアンジュをヴォルターが追いかけた。
「待ってください。そこに行かれるなら腕利きの騎士を何名かつけましょう、念のためですが」
「……?」
「ミリュタイユ通りというのは貴族の住む高級住宅街の南のはずれ。今はどちらかというと中流の平民の方が多くなっている地域です。治安はそこまで悪くはないでしょうが、公爵家の馬車で行けばどうなるか予想ができませんし……」
「そうなのですか? たしか、この通りはあまりお金のない男爵や子爵が王都に滞在する間だけ間借りするための住宅が多く、子爵とはいえ大公殿下のご子息が、と、疑問には思いましたが……」
「今は様変わりして平民の方が多くなったという話です」
ヴォルターの命令でアンジュには二名の騎士が同行した。
ミリュタイユ通りは、貴族も借りるくらいなのでそれなりにしっかりとした建物が多いが、全体的に集合住宅になっているところが多かった。そして、書かれていた住所には、一階から三階まで一続きのメゾネット式になっている住居がいくつも連なっている集合住宅があった。
アンジュは騎士二人を後ろに立たせてウィズダム邸の玄関のベルを押した。
ハイ、と、中から女性の声が響き扉があいた。
「坊ちゃま、お帰りなさいませ。どうでした、あちらのお嬢様は?」
扉を開けたのは小柄な年配の女性。
この者がノアの言っていた『ばあや』だろう。
彼女は確かめもせず、外にいるのがこの家の主人ノアだと判断し、ドアを開けるとそう声をかけてきた。
「あの……、初めまして。私はマールベロー公爵家から……」
ばあやのせっかちな勘違いにうろたえながらアンジュは名乗ろうとした。
「まあまあ、あなたが坊ちゃまのお嫁さんになってくださる! なんて上品そうでお美しい! あの大公もようやく父親らしい仕事をしたようですね!」
ばあやのせっかちな勘違いはさらに続くのだった。
当日は天気のいい穏やかな日だったので、庭の方で歓談していただこうとテーブルを設置しお茶と菓子を用意した。
がっしりとした体格の大公とは対照的な、ミルキーブロンドの髪にアイスブルーの瞳をした細身の青年であった。
母親似なのかな、と、出迎えたヴォルターは思う。
「初めまして、ノア・ウィズダムと申します。この度は亡きマールベロー公爵より令嬢の配偶者にふさわしい男の一人として推挙していただき、この上ない名誉と心得ております」
穏やかな口調に柔和なまなざし。
セシルの横で一緒にあいさつを受けたアンジュは、庶子とはいえあの大公の息子なのだから多少は尊大なところがあっても不思議はないだろう、と、予想していたので意外な感じがした。
「結婚、と、言われてもセシル嬢にはまだ実感がわかないでしょう。実は僕もそうなのです。ですから、セシル嬢がそれにふさわしいお年頃になるまでに親交を深めることができればうれしく思います」
年長者としての落ち着きを見せながら、セシルを子供として軽んじることもない。
貴族男性として淑女へのふるまい、百点満点だわ、この人!
アンジュをはじめとして、同席していた侍女たちやメイド長のメイソンも、そう感心せずにはいられなかった。
「やさしそうな方でよかったですね、セシル様」
歓談を終了し玄関まで見送るときにアンジュはセシルにそっと耳打ちした。
セシルは特に目立った反応は見せなかった。
玄関を出たウィズダム子爵が馬車に乗り込もうとしたとき、異変は起こった。
乗り込むためのはしごでも踏み外したのか、急に突っ伏したまま倒れこんだ。
御者が下りて駆け寄り声をかけるが反応がない。
見送りに出ていたヴォルターやアンジュも走って近づき様子をうかがった。
「ひどいお熱だ。中にお運びしてベットに寝かせましょう。それからコペトンさんを呼んでください」
その場にいた一番頑丈な御者に抱えられ、ノアは公爵邸の客間のベッドに寝かされた。
やってきた主治医のコペトンの見立てでは風邪による熱だという話。
薬を調合し数日間は安静にするようにと言いつけて帰っていった。
「風邪をこじらせたって大公殿下の作り話じゃなかったのですね」
遺言公開の場では発表されるまで息子の存在を隠しておきたい大公の『嘘』だと解釈していたアンジュがつぶやいた。
「すいません、父に言われてできるだけ早くご挨拶をと思い……、ゴホッ!」
「ああ、どうかそのままで。どうやらお気を使わせてしまったようですね」
ヴォルターが起き上がろうとするノアを制止して再び寝かせた。
「無理をしてお帰りになられては悪化するかもしれませんし、よくなられるまでこちらにて静養された方がいいかもしれませんわね。家の方々にはその旨使いを出して知らせましょう」
「おお、セシル様、それは良いお考えです」
幼いながらもこの屋敷の女主人としてしっかりと意思決定をするセシルの様子に、ヴォルターは頼もしさを感じた。
「我が家には母の代から乳母をやってくれていたばあやしかいません。そのばあやが家のこまごまとしたメイドのような仕事から僕の世話まで一人でやってくれているのです。僕が帰らないとなると心配するでしょう」
セシルの提案にノアは答える。
しかし、それを聞いたマールベロー家の面々は面食らった。
庶子とはいえ大公の息子の家の使用人がばあや一人?
「では、お言葉に甘えて使いを頼めますか? 自宅は……、そうだ上着の胸ポケットに父からの手紙が入っていてそこに住所が……」
ノアに言われてアンジュは掛けられていた彼の上着を探り手紙を取り出した。
「ミリュタイユ通りですね。私が行ってまいりましょう。ついでに、ばあやさんに滞在の間必要なものをいただいて持ってまいりますね」
アンジュが使いをうけおった。
「セシル様はウィズダム子爵のそばについてさし上げてください」
「ちょっと、アンジュさん」
部屋を出て行ったアンジュをヴォルターが追いかけた。
「待ってください。そこに行かれるなら腕利きの騎士を何名かつけましょう、念のためですが」
「……?」
「ミリュタイユ通りというのは貴族の住む高級住宅街の南のはずれ。今はどちらかというと中流の平民の方が多くなっている地域です。治安はそこまで悪くはないでしょうが、公爵家の馬車で行けばどうなるか予想ができませんし……」
「そうなのですか? たしか、この通りはあまりお金のない男爵や子爵が王都に滞在する間だけ間借りするための住宅が多く、子爵とはいえ大公殿下のご子息が、と、疑問には思いましたが……」
「今は様変わりして平民の方が多くなったという話です」
ヴォルターの命令でアンジュには二名の騎士が同行した。
ミリュタイユ通りは、貴族も借りるくらいなのでそれなりにしっかりとした建物が多いが、全体的に集合住宅になっているところが多かった。そして、書かれていた住所には、一階から三階まで一続きのメゾネット式になっている住居がいくつも連なっている集合住宅があった。
アンジュは騎士二人を後ろに立たせてウィズダム邸の玄関のベルを押した。
ハイ、と、中から女性の声が響き扉があいた。
「坊ちゃま、お帰りなさいませ。どうでした、あちらのお嬢様は?」
扉を開けたのは小柄な年配の女性。
この者がノアの言っていた『ばあや』だろう。
彼女は確かめもせず、外にいるのがこの家の主人ノアだと判断し、ドアを開けるとそう声をかけてきた。
「あの……、初めまして。私はマールベロー公爵家から……」
ばあやのせっかちな勘違いにうろたえながらアンジュは名乗ろうとした。
「まあまあ、あなたが坊ちゃまのお嫁さんになってくださる! なんて上品そうでお美しい! あの大公もようやく父親らしい仕事をしたようですね!」
ばあやのせっかちな勘違いはさらに続くのだった。
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