ペニスマン

終焉の愛終(しゅうえんのあいうぉあ)

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20.体育祭

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 来週に体育祭を控えた今日、グラウンドで真弓が選んだ団体競技二人三脚の練習をしていた。
 体育の時間がそのまま、体育祭の練習となるので、この体育の時間に個人競技や団体競技の練習をまとめてするわけである。
 真弓が参加する二人三脚では、古屋敷を相棒に走ることが決まっていた。
 体育祭当日、白い線の引かれたトラックで二人は一心同体息を合わせて走らないといけないのだが……。

「古屋敷、歩幅が違うよ、ちゃんと僕と合わせて」
「まゆみんこそ、あたしに合わせて。タイミングが遅いよー」

 この通り、二、三歩あるだけで体制が崩れてしまい、二人三脚としての形には程遠く、そればかりか意見もぶつかり合い、さっきから文句を言い合っていた。
 十五分に設定された練習時間がもうすぐ来るというのに、この有様では他の組に比べて進歩が遅いと言わざるを得ない。

「分かった、僕が合わせるよ。じゃあ三秒数えるから、いいね?」
「うん」
「三、二、一……0!」
「うわ「きゃ」」

 互いに出す足が早かったり、遅かったりで思いっきり前にこけてしまった二人。
 砂を顔に付けて、起き上がる二人は、他のクラスメイト達から笑いを引き起こした。

「僕たち……」
「あたしたち……もしかして」
「運動のセンスない……?」

 十五分の練習時間が終わり、種目はクラス全体で行うリレーに切り替わった。
 リレーの時間では、まずは前後の順番でバトンの受け渡し練習から始まる。
 そして、このリレー、真弓にとって最大の緊張がやってくる時間でもあった。
 何故緊張するのかと言うと、真弓は古屋敷のバトンを受け取り、五十メートル走り、そのあとに月丘はづきにバトンを渡すのだ。
 クラス全体的な順番で見れば、真弓は後ろのほうであり、月丘はづきにバトンを渡した後、赤塚が次の番走って、アンカーである蓮杖が最後に代表として走り切る。
 
「まゆみん、次あたしがバトン渡すよ!」
「オッケー、古屋敷!」

 トラックに白い線で引かれたバトン専用ゾーン内で、バトンは私切らなければならない。その線を過ぎてバトンを渡してしまうと、クラスはその時点で失格になってしまうので個人個人の責任は重大だ。
 それも、大切な最後の辺りの順番である。
 走ることが得意ではない真弓にしたら、できるならば出たくない種目であり、しかし月丘はづきが前の順番にいる限り、決してサボれない種目でもあった。
 古屋敷からのバトンをテイクオーバーゾーンギリギリで受け取って、何とかバトンの受け渡しが成功する。

「あぶない……もっと、出るの遅い方がいいかな?」
「ごめん、まゆみん渡すのに集中し過ぎて、遅くなっちゃった!」
「いいよ、僕が調節すればいいだけだし、それより……この次は、僕が渡す番か」

 一定の距離を開けて、真弓はバトンを右手に持って立つ。
 二十メートルほど先に待っているのは、目を逸らしたくなる人物月丘はづき。
 彼女が後ろを向いて、真弓の一挙手一投足を見ている。それだけで真弓に緊張が走り、変な冷や汗をかく。
 ──バトン落としたらどうしよう。ミスしたらどうしよう。
 たかがリレーの練習だ。
 それは分かっている。
 でも、彼女が関係すると、そのたかががまるで別物のように感じられる。
 いつまでも止まっているわけにはいかないので、真弓が軽く走り出す。
 二人の距離が五メートルまで縮み、真弓は右手に持っていたバトンを左手に持ち替えた。
 真弓が近づいたため、月丘はづきは走るのをスタートする。
 あとはバトンを渡す必要のある真弓が彼女に遅れないよう、掛け声とともにバトンを渡すのだ。
 しかし、ここで二人の距離が縮まらないというアクシデントが起きた。
 真弓の走る速度を、月丘はづきが完全に上回って、バトンを渡す限界テイクオーバーゾーンを過ぎてしまった。
 
「ご、ごめん! 月丘さん!」
「私こそ、速く走り過ぎたから、ごめんなさい」
「いやいや、僕が走るのが遅いんですよ! 本当にごめんなさい……」

 真弓が申し訳なさそうに謝れば、彼女は「大丈夫だよ」といって笑ってくれた。
 全体的な練習の流れがあるので、再度のチャレンジはとりあえず見送りにされ、月丘さんが赤塚にバトンを渡す練習が始まる。
 体育館横にある階段に真弓は座って、二人の一切ミスがない練習を眺め出す。
 落ち込んでいる真弓の隣に古屋敷が座る。

「ねえ、古屋敷……僕、走るのが遅いしさ、足の速い月丘さんとは相性が悪いんじゃないかな……? 他の人はミスなんてしてないし、練習でこれじゃ、本番になって失敗したら最悪だ」
「大丈夫だよ、まゆみん、本番までにできるようになれば!」
「そんなこといっても、本番はもう来週だよ? 本番は今回のバトンを渡すだけじゃなくて、五十メートルも誰かと競って走り合って次の人にバトンを渡さなくちゃいけない。僕、嫌だよ、最下位で月丘さんにバトンを渡すの」
「まゆみん……」

 自分の運動センスのなさに、たかが一回のリレー練習で落ち込んでいる自分の情けなさに、より一層自分はダメなんだなと自己嫌悪に陥る。
 その自己嫌悪の原因は、好意を抱いている月丘はづきに自分のカッコ悪い姿を見せたくないことだ。
 現在、足の速い赤塚がアンカーである蓮杖に完璧にバトンを渡して、その蓮杖はクラス全体で二回もリレーに出るのだ。いくら運動ができて、足の速い蓮杖でさえ、クラスから向けられる期待には些かの緊張感があるに違いない。
 リレーのバトン練習が一通り終わり、体育の時間は終了になった。
 教室にとぼとぼと戻る真弓に、古屋敷と赤塚はそれでも付き合って一緒に歩いてくれる。今はそれが何よりも有難かった。

===

 放課後、教室から帰ろうとした真弓に訪問者が訪れる。その相手は、一年後輩の雨宮つばめであった。

「先輩、一緒に『古時計』に行きましょう! ……って、有式先輩、なんか落ち込んでます?」
「雨宮さんか……何?」
「あの、いつもの喫茶店に誘おうとしたのですが……」
「あぁー、いいよ、今から行く?」
「……はい、行きましょう! 有式先輩! 今日はわたしと二人で!」
「え、二人で? でも……」
「いいから、行きますよ!」

 雨宮は真弓の手を強く引っ張って、連れていく。
 そして喫茶店に着き、その扉を開けて店内に入る。
 
「マスター、来ましたよ! 有式先輩と二人で!」
「マスター」
「おう、つばめ、真弓。今日は二人で来たのか」
「はい、そうなんです!」

 やけに嬉しそうな雨宮のことを不思議に見ながら、真弓は雨宮の前に座る。
 そんな明るい雨宮が、真弓は今、少しだけ眩しく見えた。
 
「それで、先輩、どうしたんですか?」
「どうした、とは?」
「自分で分かってないんですか? 凄い落ち込んでるオーラ出してますよ、先輩」
「僕が、落ち込んでいる……? 別にそんな」
「いいえ、落ち込んでます! 正直暗いです! 根暗です!」
「根暗……そこまで落ち込んでるかな? まぁ、確かに落ち込んでるのかも、僕……」
「どうしてですか? どうして、そこまで落ち込んでるんですか? わたしに教えてください!」

 何故、雨宮が真弓の落ち込んでいる理由を聞きたがるのか、分からない。けれど、珍しく雨宮が今回は引き下がらない。
 だから真弓は渋々、今日起きたことを雨宮に教える。

「体育祭のリレー練習で、先輩がミスをしてしまったから、落ち込んでるんですか?」
「うん、そうなんだけど……あの相手が、月丘さんで……」
「月丘はづき! またその名前ですか! まさか月丘はづきのこと、有式先輩……その、好きなんですか」
「す、好きとかそんなんじゃ!」
「本当ですか?」
「いや……好きだよ、月丘さんのことが僕は好きだ」
「──そうですか、好き、なんですね、先輩。月丘はづきのことが」
「うん、たぶん、好きなんだと思う」

 真面目な顔で一年後輩の雨宮に、自分の恋愛事情を語る先輩。
 何をしているんだろうと、真弓自身が思い、雨宮は笑うのかと予想したが──彼女は笑いはしなかった。

「雨宮さんは笑わないの? 僕が月丘さんに好意を抱いていても、どうしようもないのに」
「笑うはずないじゃないですか、先輩は蓮杖先輩に告白した私を笑いませんでした。それどころか、私のこと色々助けてくれたじゃないですか! 先輩はわたしが先輩の好きな相手を聞いて、笑うと思ってたんですか!? もしそう思ってるんでしたら、先輩はわたしのこと全然っ、分かってません!」
「雨宮、さん?」

 何故か怒り出した雨宮に、真弓は戸惑いの色を浮かべる。
 彼女が怒っているのは、どうしてなんだろうか。
 ──いや、彼女の立場が僕だったら、僕は笑わない。彼女も、そういうことなんだろう。誰かが本気で恋をして、その人を笑う人間ではないことは、僕は雨宮と出会ったころから知っていたはずだ。

「今の先輩は情けないです! まだ練習を一回して少し失敗しただけなのに! わたしが知っている先輩なら、こういうはずです! 『まだ可能性があるのに、諦めるのはもったいない』って! それとも、そんな少しだけカッコいい先輩はもういなくなったんですか!?」
「雨宮さん……僕……、月丘さんにカッコ悪い姿を見せたくない。だから、一回失敗しただけで落ち込んで弱音はいて、立ち向かうことから逃げてた。弱音を吐いてた方が、よっぽど楽だったよ。でも、今のままじゃだめだ、それは僕自身分かってるんだ。ううん、雨宮さんに言われて気付かされた。雨宮さん」
「はい、先輩、何ですか」
「雨宮さん、お願いがあるんだ。僕、体育祭本番までに、できる限り努力したい。その結果、本番でカッコ悪くなったっていい。だけど、やることやらないで、最初から逃げたままなのは嫌なんだ。雨宮さん、僕の練習に付き合ってくれるか?」
「勿論です! その言葉を待っていました、先輩」

 そういって、雨宮は微笑んで真弓のお願いを承諾してくれた。
 最初からそのお願いを待っていたかのように、雨宮は返事を真弓に返したのだ。
 二人はマスターに別れの挨拶をした後、最寄りの公園に向かった。
 その公園は大きな運動広場となっていて、平日の四時過ぎだというのに、結構な数の子供がそれぞれ遊びにふけている。
 
「懐かしいなあ、この公園。小さい頃はよく遊びに来てたな」
「有式先輩もですか? わたしもこの公園でよく遊んでました。ここ広いから、鬼ごっことかかくれんぼとか、みんなで遊べるからいいですよね」
「うん、僕が遊んでたのは、ポコペンとかケイドロだけど。森林も混ざっているから、隠れる場所があるのがいいんだよ」
「本当に懐かしいですね、ここ」
「あぁ」

 遊具はないが、そのデメリットをかき消す広さがこの公園にはある。
 子供たちが元気いっぱい体を動かすのに向いた場所と言えるだろう。
 
「あ、いたまゆみん!」
「遅かったな、有式」
「古屋敷、それに赤塚!? どうしてここに!?」

 呼んでいない二人が何故か公園にいて真弓は驚きの声を上げた。
 二人の発言を察するに、真弓が来る以前よりこの公園で待っていたらしい。
 その真弓の疑問は、すぐに晴れることになる。

「それは、わたしが呼んだからです」
「雨宮さんが?」

 どうやら雨宮が二人を公園に呼んだことが分かったが、果たしてその理由を答えたのは本人ではなく、代わりに赤塚が説明した。

「有式が体育祭のことで落ち込んでいるという話は古屋敷から雨宮に元々伝わっていて、話を聞いた雨宮が有式のために体育祭練習を自主的に開こうと提案したんだ。それで、おれと古屋敷は放課後になってすぐこの公園に来て待っていたというわけだ」
「じゃあ、雨宮さんが喫茶店に僕を誘ったのは……」
「雨宮は有式が自分の口で直接練習に付き合ってほしいと言った上で、今回の体育祭練習をしたかったんだろ。本人がしたくもないのに、勝手に開くのはまずいと雨宮が気を使って、そんな遠回しなやり方を取ったのさ。違うか、雨宮?」
「……はい、赤塚先輩の言う通りです」

 雨宮は落ち込んでいた真弓のために、体育祭の練習を計画してくれたのである。
 直接体育祭の練習に誘うのではなく、あえて喫茶店に誘って真弓の意思を尊重してくれた。
 
「そうだったのか、雨宮さん。色々気を使ってくれてありがとう。雨宮さんは優しいんだな」
「別にそんな、優しいとかじゃなくて、先輩が落ち込んでいるのは似合わないと思っただけです……!」
「それでも、ありがとうと言いたいんだ、雨宮さん。僕のためにしてくれたんだよね? 素直に嬉しい、だからありがとう」
「……どういたしまして、先輩」

 頬をほんのりと朱色に染めて雨宮は返事をした。
 その二人の空間を古屋敷が嫉妬したのか、頬を膨らませて真弓に抱き着いて来た。

「もう、まゆみん! 早く練習しないと日が暮れちゃうよ! 最初は二人三脚の練習からね!」
「分かったよ。古屋敷も来てくれてありがとう。それに赤塚も」
「まゆみんが困ってるなら付き合うのは当然! あたしたち友達なんだよ?」
「まぁ、他にすることもなかったからな、暇つぶしで来てやった」

 それから体育祭までの数日、練習に努力した真弓は古屋敷との二人三脚は走っても特に転ぶことはなくなり、リレーの練習についてはバトンを失敗せずに渡すことが出来るようになった。
 足の速い赤塚に付き合ってもらって、走る特訓もしたおかげで少しは足の速さが変わったはずだ。
 後は体育祭本番を残すのみとなった。

===
 
 そして体育祭当日、天気は雲一つない晴れ空。
 グラウンドにはカラフルな旗が風に靡き、スローガンの書かれた横断幕が校舎に大きく張られている。
 現在、百メートルの徒競走が始まり、直線のラインの上で体育着姿の生徒たちが一位目指して走っていた。

「次、赤塚か」
「ホントだ、あかつんだよあかつん!」」
「わたし、なんか自分が出てないのに緊張してきました」

 徒競走の列に並んでいた赤塚はようやく順番が回ってきて、スタートラインの後ろで立つ。
 赤塚の応援に徒競走を見に来ていた真弓、古屋敷、雨宮の三人。

「赤塚、頑張れ!」
「あかつんー! 頑張ってー!」
「赤塚先輩!」

 三人の応援する声が赤塚の元まで届き、その応援されている本人は「声がでかいんだよ、あいつら……」とクラウチングスタートを構えながら気怠げに呟く。
 スターターピストルの爆音が響き、横並びに待機していた生徒が赤塚含め一斉に走り出す。
 結果、百メートルの直線を制したのは、他を圧倒して赤塚が一位でゴールした。

「赤塚が一位取ったよ! 凄い!」
「あかつん、一位!」
「赤塚先輩、あんなに足が速かったんですね!」

 赤塚の次順は蓮杖が簡単に一位を取り、応援していた女子を黄色い声で湧かせて徒競走男子が終わった。
 徒競走男子の次は女子の番である。
 他の三人がクラスの応援席に戻る中、真弓はそのまま徒競走を応援する位置で待って観戦を続ける。
 真弓が一人で観戦を続けた理由は、月丘はづきの出番がこの徒競走女子にあるからであった。

「月丘さんだ」

 その出番がついにやってきて、月丘はづきがスタートラインに躍り出る。
 彼女がクラウチングスタートを構える姿は、フォームが綺麗でそれだけで一枚の絵として完成する美しさがあった。

「月丘さん、頑張れ……」

 真弓の小さな応援は彼女に届くわけがなかった。
 それでも、口にして応援したかったのだ。
 ピストルの大きい音が鳴り、彼女は理想的なスタートを切った。
 他の女子を全員置いて、ダントツで一位を取った月丘はづきを見て、真弓はというと見惚れて表情が止まっていた。

「凄い……僕の応援、いらなかったな」

 見たいものが無くなった真弓は背を向けて、クラスの応援席に向かう。
 その背を目で追う者がいた。
 
「有式くん──こんなとこに。もしかして、応援してくれてたの?」

 真弓の小さい背中が人混みに紛れ、姿が見えなくなる。
 月丘はづきは、もう見えなくなった背に向かって「応援してくれてありがとう」と感謝の言葉を返した。

==


 応援席に戻った真弓は、古屋敷に声を掛け、一緒に出る二人三脚の待機場所に赴いた。
 二人三脚の待機場では、既にほぼ全員の参加者が列を作って待っていた。
 真弓たちもその列に並び、二人三脚で使う紐を事前に結んで用意しておく。

「まゆみん、楽しみだね」
「古屋敷は緊張しないのか? 僕なんてもう緊張して落ち着かないよ」
「まー少しは緊張するけど、まゆみんと一緒に種目出れるのが楽しみなの。まゆみんは楽しみじゃない?」
「そりゃあ、楽しみだよ。あんだけ練習したしね。そろそろ始まるみたいだ、行こう古屋敷」
「うん、まゆみん!」

 トラックの校舎側、その位置に二人は待機する。
 二人三脚はチームのリレー方式で動き、バトンの代わりにタスキを順番に引き継いで一番最初にゴールテープを切ったものが優勝だ。
 真弓たちの出番は三番目で、すでに一走者目がスタートをしてトラックを懸命に走り出していた。
 五組ほどのペアが走り、真弓のクラスは二走者目の段階で五組中三位と真ん中をキープして進んできている。
 三人組の二走者目が走り出したので、三走者目の真弓たちは待機線の前で待たなければならない。
 真弓は古屋敷の足と自分の足を紐で結んで、待機線の前に立った。
 
「古屋敷、頑張ろう。せめてこのまま三位をキープして次の人にタスキを渡したいな」
「何言ってるのまゆみん、あたしは一位狙ってるもんっ」
「ふ、そうだな、せっかくなら一位目指すか。来るぞ、古屋敷!」

 二走者目の人からタスキを真弓は受け取り、「せーの」という掛け声とともに足を前に運ぶ。
 紐で結んである真弓の出した右足と古屋敷の出した左足が、最高の一歩を踏み出す。
 特段速いわけではなかったが、丁寧に一歩ずつ前に進んで、前に走る走者までの距離を徐々に縮めていく。
 一週間前の二人とはまるで別人の順調さで、前の走者を抜かし、二位に変動した。
 
「兄さん、良いぞ!」

 真弓が応援席をちらりと覗くと、弟の剣太がさりげなく応援をしていて、いつの間に来てたのかと思う。
 ──引きこもりの剣太が応援に来るなんて、これは頑張らないとだめだよな!

 前に走る走者までの距離が十メートルに縮む。
 あともう少し。
 一位で次の走者に渡すことが出来れば、凄いことだ。
 練習で一歩も進めなかった二人がここまでできたのは、ここ数日間の練習の成果と言っていいだろう。
 無意味ではなかった。
 後、五メートル。
 その時、真弓のつま先が地面に引っ掛かり、躓きそうになる。
 ──せっかくここまできたのに、あれだけ練習して一位まであともう少しなのに……僕のせいで台無しになるのか。そんなの嫌だ……ごめん、古屋敷、みんな……!

「諦めるな、有式!」

 前傾姿勢になる真弓の耳に届いたのは、赤塚の叫ぶ声。
 ──あの赤塚が、諦めるな、だって? そんなこと言われたら、諦めるわけにはいかないじゃないか!
 真弓は転びそうになる体勢を無理やりに足を捻って地面を踏み込み、片足を代わりに出す。その速くなったリズムに古屋敷が気を使って、ついてきてくれる。
 赤塚の声で気を取り直して、なんとか、走る状態を維持できることに成功した。
 転倒を回避した二人は、その勢いを無くさずに前の走者を抜き去り、次の走者にタスキを渡す。

「後は頼む!」
「よく踏みとどまった! あとは任せろ!」

 次の走者のリーダーがそう言って、タスキの引継ぎが完了する。
 役目を終えた二人はトラックの内側に行って、レースの観戦に切り替えて応援に加わった。
 結果として、真弓のクラスが一位を保持してゴールし、二人三脚で優勝した。
 練習の時点では笑いものだった二人が、本番で誰よりも活躍するとは思いもしなかったのか、クラスは二人を褒め称える。
 雨宮も二年の応援席に活躍した二人を褒めにやって来た。

「有式先輩、古屋敷先輩、二人とも凄かったです!」
「雨宮さん、自分でも驚いてる、練習した効果が発揮したのかも」
「つばめん、あたしは始まる前から一位狙ってたんだよー!」
「そうなんですか、古屋敷先輩凄いです!」
「えへへ、そうでしょーもっと褒めていいんだよー」

 あまり褒めると古屋敷が調子に乗るので真弓が雨宮を止めて、さっきから黙っている赤塚に顔を向ける。

「赤塚、さっきは言ってくれてありがとう。あれがなかったら、転んで今頃最下位だったかもしれない」
「女子の古屋敷が転んで怪我をするのは見ていられなかった、それだけだ」
「照れるなよ赤塚、本気で応援してくれたくせにー」
「あかつんはツンデレだもんね~」
「こいつら……うざいな」

 昼休憩を挟んで、様々な種目をした後、最後のメインとなるのは、学年リレー。
 真弓が本腰を入れて練習した種目だった。
 学年リレーでは、クラスごとに偶数、奇数に分かれて待機場所に列を作り、自分の順番が来るまで待機することになる。
 真弓と赤塚は同じ偶数の列で、前後の順番だ。
 真弓のクラスの代表としてスタートを切るのは、アンカーであり、第一走者である蓮杖。
 その蓮杖はたった今、ピストルのスタート音と同時に最高のスタートダッシュを決め、ずば抜けて他の組に距離を取って先頭を走っていく。

「速い……流石蓮杖」
「いや、有式、あれはもはや反則のレベルだろ」

 規格外の蓮杖は後続に三十メートル以上離して、第二走者にバトンを完璧に渡し、颯爽と列の一番後ろに加わった。
 久々に蓮杖と自分とのかけ離れた差を実感し、真弓は歯を食いしばる。
 ──今は、同じクラスとして協力してるんだ。蓮杖が距離を開いてくれたのは、僕にとっても有難いこと。今は、待ち続けるんだ、自分の順番を。

「あっ、せっかく蓮杖が距離を離したのに、あっという間に二位と距離が縮んでる」
 
 真弓のクラスは蓮杖以外で、足が速い人は赤塚、月丘はづき、後数人ぐらいで、足の遅い人が他のクラスに比べて比較的に多い。
 よって、蓮杖がとびっきりのスピードで離した距離は、バトンを渡す度に無くなりかけていた。
 順番は後半に突入するも、なんとか一位をギリギリのところで保ち続けている2-D。
 二位が真後ろに来ている位置で、ここにきて順番が回ってきたのは古屋敷だった。
 
「古屋敷……耐えて、頑張れ!」
「有式、次はお前の番だぞ、準備しとけ」
「うん、分かってる」

 二位の女子が真後ろに迫っているのにも関わらず、練習よりも速い調子で走る古屋敷は想像以上に頑張っていた。
 ──次は僕の番。古屋敷があんなに頑張ってくれているんだ、僕も……。
 待機線に出る準備をするため、立ち上がった真弓の前、応援席に弟の剣太が必死になって何かを真弓に伝えようとしていた。

「剣太?」
「兄さん、今街近くのトンネルが崩れて人が下敷きになったって!! 救助隊も向かってるけど、早く助けに行かないと沢山の人が!」
「……トンネルが、崩れて……、今、僕は行けないから、他の誰かが助けに……」
 
 剣太からの突如の知らせに、頭の中が真っ白になる。
 ──他の誰か? そんなのいるのか? 今、僕が赤い巨人として助けに行かなければ救える命が救えなくなってしまうのではないか? 人命を犠牲にして、みすみす見逃して、僕はただの体育祭のリレーを優先するのか?
 頭がぐるぐると回る。
 考えて、回転させて、何かいい案を。
 今この瞬間に赤い巨人に変身して、一瞬でトンネルに敷かれた人を助けて、戻ってリレーに参加する。無理だ、そこまで赤い巨人は速くない。
 いくら考えても、同じ結論に行きつくしかなかった。
 ──ごめん、あれだけ練習に付き合ってくれたのに。赤塚、古屋敷、雨宮さん。そして、月丘さん。

「赤塚、いきなりなんだけど僕に代わって古屋敷のバトンを受け取ってくれ! ちょっと、体調が悪くて! 保健室に行ってくる!」
「おい、ちょ、有式! 代われって、いいのかよ! リレーをするために練習したんじゃないのか!? 月丘に成長したところ見せるんじゃなかったのか!?」
「──本当は出たいけど、しょうがないんだ!」
「有式……! くそ、しょうがないことなんてあるかよ、お前はあれだけ……リレーにかけてたじゃないかよ、少しは月丘に見直してもらうって、言ったじゃないかよ……! あぁ、分かったよ、おれが代わりに出ればいいんだろ」
「悪い、頼む!」

 グラウンドを走って誰もいない校舎裏に着き、真弓は何かあった時用に草むらの茂みに隠しておいたエロ本を手に取った。

「頼むぞ、赤塚」

 その一言を吐いて、赤い巨人に変身した真弓はすぐさま地面を蹴ってトンネルの方向へ跳躍する。
 一瞬で崩壊したトンネルに着陸した赤い巨人は、瓦礫で入口が塞がれた塊を体全体で体当たりして突破。瓦礫に敷かれた人を見つけ次第、救出に向かう。
 車の中で閉じ込められて出られなくなった人は車ごとトンネルの外へ運び出し、瓦礫の中に埋まった人は肩に複数担いで外に出した。
 全員助けたことを確認した後、急いで学校に戻る。
 戻る途中でパワーを使い、変身を解除した真弓はグラウンドに走った。

「間に合ったか……!?」

 リレーは続いており、自分の番はできないことはともかく、最後まで見送ることはできると思った。
 しかし、保護者の人混みの隙間から、赤塚が現れる。

「有式……大丈夫なのか、体調は?」
「う、うん。赤塚、リレーは? まだ続いて……」
「もう終わったよ」
「え?」
「今やってるのは三年のリレーだ」
「じゃあ……」
「安心しろ、おれたちのクラスは一位でゴールした。蓮杖がぶっちぎりでな」
「そう、なんだ──」

 自分のクラスがリレーで優勝したことは嬉しかった。
 真弓は応援席に戻り、蓮杖と嬉し気に話している月丘はづきを眺める。
 一人、呆然と眺めていたら、真弓の後ろから剣太が静かに現れた。

「兄さん……、トンネルは……?」
「全部助けたよ」
「そっか……よかった、兄さんごめん、もっと早く僕が情報を得ていれば……兄さんはリレーに参加できたのに」
「いいんだよ、剣太にもできないことはある。しょうがなかったんだ」
「兄さん……」

 ただ、真弓は蓮杖と話している月丘はづきを眺める。
 嬉しそうに、楽しそうに、このリレーでより仲は良くなったのだろう。
 その二人の空間に、真弓は眺めることしかできなかった。
 
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