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【牢屋】
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日本全国にある神社の数についてご存知だろうか?
文部科学省の調査によると、登録されている神社の数は約8500社、さらに登録されていない小さな神社を含めると10~20万を超える数が存在していると言われている。
基本的には信仰の対象となっている神社だが、中には人にあだなす禍々しい何かを封じ込める役割を持つ神社もあり、そのような神社は信仰するものなどいるはずもなく、大抵は寂れてボロボロになっているという。
これは、私がまだ駆け出しのライターだった頃、ある企画について協力して頂いた出版社の方ーー仮に菅原さんとしておくーーから聞いたお話である。
*
菅原さんが今の出版社に勤め始めてまもない頃、彼は勤め先から程ない所でアパートを借りて一人暮らしをしていた。
かつてそこは新規開発計画により山を削って作られた土地だったらしく、そのためもあってか、出版社のある街を見下ろせるほどの高台にあった。
その頃の菅原さんは、まだ自動車を持っておらず、会社への通勤は原動機付き自転車で行っていたという。
「行きはよいよい帰りは辛い、だったよ」
当時のことを回想しながら、菅原さんがそうしみじみと呟くように、勾配のきつい坂道は、出勤の時はエンジンを掛ける必要がないくらいにスムーズに進むのだが、帰り道はのろのろとしか進まず、中には降りて原付を押していかなければならないような坂道もあったという。
そんな過酷な帰り道であったのだが、余りお金が無かった新人社員時代(ベテランと言われるようになった今も大して変わらねえよ、と彼は笑うが)の菅原さんは、"辛いながらも"毎日その道を通って自宅へと帰っていた。
そんなある日のこと、深夜まで残業をしていた菅原さんは、疲れた身体に鞭打ってヨタヨタと原付を押しながら坂道を登っていたところ、ふとぶつぶつと何かを呟く女の声が聞こえて来たという。
菅原さんは腕時計に目を向ける。
薄暗い街灯光に仄かに照らされて、辛うじて午前2時を指し示していることがわかった。
こんな夜更けに誰だ?
菅原さんは少し気味悪く思いながらも誰かいるのかと立ち止まってみた。
足を止めた途端、猛烈な焦臭さを感じ菅原さんは何事かと眉を潜めて辺りを見回す。
どこかで小火でも起こしてる訳じゃないよな。
そうして注意深く周囲を観察していると、再び何者かの呻き声が聞こえて来た。
「……さい…………こ………い………しね………」
耳を澄まして声の方向へ目を向けると、住宅と住宅の隙間にポッカリと空いた空き地に誰かが立っていた。
暗がりの中、その人物は目立つ赤い上衣を身につけていた。
上着の感じから女性であることがわかった。
そしてその女の前から、真っ黒い煤煙が黙々と立ち昇っているのが菅原さんの目に入った。
「おい、お前!何やってんだ⁉︎」
付け火をしているのかと思わず駆け寄った菅原さんが叫ぶ。
「ヴぅアアァァァ‼︎」
女はばっと菅原さんの方を振り返ると、獣のような唸り声を上げて菅原さんを突き飛ばした。
彼はバランスを崩して、その場に尻もちをつく。
その隙に赤い服を着た女は脱兎の如く駆け出すと菅原さんが登って来た坂道を走り去っていってしまった。
長い坂道を等間隔に照らす街灯の下、走り去ってゆくその女の背中を、唖然としながら見送っていた菅原さんだったが、ハッとして目の前の空き地へ顔を戻す。
「……あれ?」
しかし、目の前の隠れるように奥まった空き地には、菅原さんの予感した火の気はなかった。
そこにはただボロボロになった小さな社が、街灯の光が届かない暗がりの中、ポツンと建てられているだけであった。
もちろん、先ほど見た真っ黒な煙など、どこからも上がっていない。
「おかしいなぁ……結構煙出ていたはずなんだけどなあ」
菅原さんは困惑しつつも、どこか薄気味悪く思い、それ以上近づかずに自宅へと帰った。
翌朝、一眠りして頭の整理がついた菅原さんは、昨夜の女は変質者か何かで、あの煙はきっと見間違いか勘違いだったのだろうと結論をつけ、出勤のための身支度を整えていた。
菅原さんの務める出版社では、服装は自由とされていた。
しかし菅原さん達新入社員は、一年目まではスーツ姿でなければならないという暗黙のルールが存在していたので、面倒くさいながらも、不器用な菅原さんは毎朝苦戦しながらネクタイを結んでいた。
出勤の準備もすみ、つけっぱなしにしていたテレビを止めようとチャンネルを手に取った時、菅原さんは見覚えのある場所が画面に映っていることに気付いて手を止めた。
『死亡していたのは、飲食店従業員、鏑木拓実さん、32歳。死因は今のところ不明とのことですが…』
ニュースキャスターが話す背後に映し出された映像は、菅原さんが普段の通勤でいつも通っている道にあった住宅であった。
菅原さんが眉を潜めながらニュースの続きを眺めているとテレビに突然、赤い服を着た仏頂面の中年女の写真が現れた。
『……署は、現在連絡が取れない妻、鏑木光子さん、31歳を参考人として捜索しているとの事です。……さて続いてのニュースは』
菅原さんはそこでテレビを切った。
暗くなった画面に青い顔をした自分が映り込む。
まさか昨日のあの女、今の鏑木光子じゃねえだろうな……
菅原さんはなんとなく落ち着かない気分になった。
昨日深夜まで残業をしていた事もあって、その日菅原さんはまだ日が明るいうちに帰宅する事ができた。
出版社というハードな職業で、インスタント食品ばかり食べていた菅原さんは、久しぶりに料理を作ろうと思いスーパーで買い物をしてから帰路へついた。
季節は少しずつ夏に近づいて来ているという事もあって、日の出ているうちは暑いなぁ、などと呑気に考えつつ原付のハンドルに食材を詰めたビニール袋をぶら下げていつも通りの坂道を登っていると、ふと真横から薙ぐような突風に吹かれ咄嗟に原付を止める。
パチパチパチとビニール袋が音をたて、菅原さんは中身が飛び出ないように手で押さえた。
幸い風は一瞬で通り過ぎて行ったようで、すぐに何事もなかったようにそれまで通りの住宅街の静けさが戻ってくる。
「凄い風だったな……」
菅原さんはポツリとつぶやく。
するとその言葉に反応したようなタイミングで、カランカランと軽い木と木がぶつかり合うような、乾いた音が響いて来た。
おや、と思い菅原さんはその音の方へ目を向ける。
菅原さんの視線の先には、昨夜、あの赤い服を着た女が立っていた所に建てられていた小さな社があった。
そしてその社の建てられているコンクリートの土台に、古ぼけて全体的に燻んだ色をしている社には似つかわしくないように感じるほど新しい絵馬が落ちていた。
社に取り付けられた格子状になっている木戸に、ちぎれた紐が結んである。
どうやらさっきの風で落ちてしまったのだろう。
菅原さんはその落ちた絵馬を見て、その絵馬にどんなことが書かれているのか無性に気になってしまった。
まあ、落ちてた絵馬を戻してやるついでなら、少しくらい覗き見してもいいよな。
昨夜の事もあって、若干の気味悪さはあったもののまだ日は高く、社のある場所も隣の住宅の陰にはなってはいるが、怖さを感じるほど暗くもなかったので、菅原さんは道路の端に原付を止めると、多少の好奇心も相まって、その絵馬を拾ってみることにした。
近づけば近づくほど、その社はボロボロで、誰かの手入れがなされた様子はないことがわかった。
半ば崩れかかったような状態の社に少し躊躇するも、菅原さんは落ちていた絵馬を手に取った。
「さて、何が書かれてんのかな……」
絵馬を裏返す、そこにはこう記されていた。
『鏑木拓実を殺してください』
菅原さんはそれを見て凍りついた。
鏑木拓実ーー今朝ニュースでやっていたこの近くで殺された男の名前だ。
そして菅原さんは最悪の結論に辿り着く。
昨夜のあの女はやはり鏑木光子だったのだ、と。
菅原さんが絵馬を手に動けないでいると、不意に昨夜感じたのと同じ猛烈な焦臭さが辺りに漂い始めた。
ハッとして菅原さんが顔を上げると、目の前の社の格子状の木戸の中から、真っ黒な煙が漏れ出ていた。
驚きつつも、昨夜見たのはこれか、と妙に納得した菅原さんは社の中に何があるのか、やはり無性に気になって覗き込んでみる。
だが何か黒いテープでも貼られているような暗闇があるだけで、煙の発生源がなんなのかはよくわからない。
菅原さんは、誘われるように徐にその木戸へ手を伸ばした。
手をかければ、その木戸はすんなり開くという妙な確信があった。
ゆっくり伸ばした手が、あと数センチで木戸に触れる、といったところで、
「おい、あんた。何してんだ?」
と声をかけられ、菅原さんは正気に戻った。
慌てて手を引っ込めて、後ずさる。
後を振り返ると、怪訝な表情をしたジャージ姿の初老の男が立っていた。
「あ、いや……その……」
初老の男はしどろもどろに何かを答えようとする菅原さんとその後ろの社を交互に見比べると、
「あの神社にお参りしてたのかい?」
と菅原さんに尋ねた。
「え、ああ……はい」
「あの神社にお参りすんのはやめときな」
「それって……」
「なんでかは知らんよ、俺も他の奴に聞いただけだからな」
菅原さんが理由を尋ねようとするのを拒むように男はそう言った。
「ところで、その手に持ってる絵馬はお前さんのもんかい?」
その男は唐突に菅原さんの手を指差して言った。
菅原さんの右手には、先ほど拾った絵馬がまだ握られていた。
かなり気持ち悪かったので、自分のものではないとハッキリと伝えると、男は「ならいい、悪い事は言わないからあの社の辺りに捨てときな」と言う。
「あの、この絵馬とかあの社について何か知ってるんですか?」
気になって菅原さんはその男に尋ねてみた。
するとその男は視線を菅原さんの背後の社に向ける。
「さぁ、俺は詳しいことはよくわからん。あの神社だってこの土地が開発されてから、ごく最近建てられたものの筈だから、そんな大したいわれも由緒もないと思うんだが……。でもな、いつからかはよくわからんが、時々あの社に絵馬がかけられてることがあるようになってな……毎回、誰がかけて行くのかはわからんが、その絵馬に書かれている事はほとんど同じだ」
男は視線を菅原さんに戻す。
「……そしてあの社に絵馬がかけられると、大抵誰か死ぬ。だからみんな気味悪がってあの社には近づかないし、誰も手入れしないからご覧の通り荒れ放題だ」
男は少し空気を紛らわせるように笑うが、菅原さんは正直最悪な気分だった。
男はすぐ横の家を指差す。
「俺はその家のもんだが……ここをほったらかすとすぐに草が伸びてな。夏場は虫が沸いて仕方ないからこうして俺が草むしりをしに来ているって訳よ。ちょっとついて来な」
男は、空き地に入ると、小さな社の裏に周り菅原さんに手招きする。
「あんたに見せたいもんがあるんだよ」
菅原さんは何か嫌な予感を感じたが、なんとなく断ることが出来ず、男のいる社の裏手に回った。
「ほら、これ」
男は社の裏で、地面に指を指していた。
「これ、今までそこにくっつけられてた奴、全部」
男の指差す地面には、大人の肩幅程度の広さの穴が掘られており、その中に大量の絵馬が詰まっていた。
「この神社に何が祀られてんのか知らんけど、絶対ろくなもんじゃないから、兄ちゃんも絶対お参りしたらあかんよ」
男は菅原さんから絵馬を受け取ると、それを穴の中に放り投げ、そう言った。
*
「その社ってさ、実は今もまだ残ってるんだよね」
この話をしてくれた後、菅原さんは私にそう話してくれた。
そのことについて私はふと気になって尋ねてみた。
「それって、菅原さんが新入社員の時の話ですから20年以上前の話ですよね。今もその隣の家に住んでる方が絵馬の処理をしているんですか?」
「さすが、鋭いね。面白いのはそこなんだけど……」
菅原さんはにやりと笑う。
「直接見に行ったほうがいいと思うよ。今じゃ、ちょっと凄いことになってるから」
それから何度かその社に行こうと思っていたのだが、その頃から私の仕事が軌道に乗り始め、行こう行こうと思っているうちに菅原さんも、出版社を退職してしまった。
未だ私は、その社に行けていない。近いうちに行ければ、と思ってはいるのだが……。
文部科学省の調査によると、登録されている神社の数は約8500社、さらに登録されていない小さな神社を含めると10~20万を超える数が存在していると言われている。
基本的には信仰の対象となっている神社だが、中には人にあだなす禍々しい何かを封じ込める役割を持つ神社もあり、そのような神社は信仰するものなどいるはずもなく、大抵は寂れてボロボロになっているという。
これは、私がまだ駆け出しのライターだった頃、ある企画について協力して頂いた出版社の方ーー仮に菅原さんとしておくーーから聞いたお話である。
*
菅原さんが今の出版社に勤め始めてまもない頃、彼は勤め先から程ない所でアパートを借りて一人暮らしをしていた。
かつてそこは新規開発計画により山を削って作られた土地だったらしく、そのためもあってか、出版社のある街を見下ろせるほどの高台にあった。
その頃の菅原さんは、まだ自動車を持っておらず、会社への通勤は原動機付き自転車で行っていたという。
「行きはよいよい帰りは辛い、だったよ」
当時のことを回想しながら、菅原さんがそうしみじみと呟くように、勾配のきつい坂道は、出勤の時はエンジンを掛ける必要がないくらいにスムーズに進むのだが、帰り道はのろのろとしか進まず、中には降りて原付を押していかなければならないような坂道もあったという。
そんな過酷な帰り道であったのだが、余りお金が無かった新人社員時代(ベテランと言われるようになった今も大して変わらねえよ、と彼は笑うが)の菅原さんは、"辛いながらも"毎日その道を通って自宅へと帰っていた。
そんなある日のこと、深夜まで残業をしていた菅原さんは、疲れた身体に鞭打ってヨタヨタと原付を押しながら坂道を登っていたところ、ふとぶつぶつと何かを呟く女の声が聞こえて来たという。
菅原さんは腕時計に目を向ける。
薄暗い街灯光に仄かに照らされて、辛うじて午前2時を指し示していることがわかった。
こんな夜更けに誰だ?
菅原さんは少し気味悪く思いながらも誰かいるのかと立ち止まってみた。
足を止めた途端、猛烈な焦臭さを感じ菅原さんは何事かと眉を潜めて辺りを見回す。
どこかで小火でも起こしてる訳じゃないよな。
そうして注意深く周囲を観察していると、再び何者かの呻き声が聞こえて来た。
「……さい…………こ………い………しね………」
耳を澄まして声の方向へ目を向けると、住宅と住宅の隙間にポッカリと空いた空き地に誰かが立っていた。
暗がりの中、その人物は目立つ赤い上衣を身につけていた。
上着の感じから女性であることがわかった。
そしてその女の前から、真っ黒い煤煙が黙々と立ち昇っているのが菅原さんの目に入った。
「おい、お前!何やってんだ⁉︎」
付け火をしているのかと思わず駆け寄った菅原さんが叫ぶ。
「ヴぅアアァァァ‼︎」
女はばっと菅原さんの方を振り返ると、獣のような唸り声を上げて菅原さんを突き飛ばした。
彼はバランスを崩して、その場に尻もちをつく。
その隙に赤い服を着た女は脱兎の如く駆け出すと菅原さんが登って来た坂道を走り去っていってしまった。
長い坂道を等間隔に照らす街灯の下、走り去ってゆくその女の背中を、唖然としながら見送っていた菅原さんだったが、ハッとして目の前の空き地へ顔を戻す。
「……あれ?」
しかし、目の前の隠れるように奥まった空き地には、菅原さんの予感した火の気はなかった。
そこにはただボロボロになった小さな社が、街灯の光が届かない暗がりの中、ポツンと建てられているだけであった。
もちろん、先ほど見た真っ黒な煙など、どこからも上がっていない。
「おかしいなぁ……結構煙出ていたはずなんだけどなあ」
菅原さんは困惑しつつも、どこか薄気味悪く思い、それ以上近づかずに自宅へと帰った。
翌朝、一眠りして頭の整理がついた菅原さんは、昨夜の女は変質者か何かで、あの煙はきっと見間違いか勘違いだったのだろうと結論をつけ、出勤のための身支度を整えていた。
菅原さんの務める出版社では、服装は自由とされていた。
しかし菅原さん達新入社員は、一年目まではスーツ姿でなければならないという暗黙のルールが存在していたので、面倒くさいながらも、不器用な菅原さんは毎朝苦戦しながらネクタイを結んでいた。
出勤の準備もすみ、つけっぱなしにしていたテレビを止めようとチャンネルを手に取った時、菅原さんは見覚えのある場所が画面に映っていることに気付いて手を止めた。
『死亡していたのは、飲食店従業員、鏑木拓実さん、32歳。死因は今のところ不明とのことですが…』
ニュースキャスターが話す背後に映し出された映像は、菅原さんが普段の通勤でいつも通っている道にあった住宅であった。
菅原さんが眉を潜めながらニュースの続きを眺めているとテレビに突然、赤い服を着た仏頂面の中年女の写真が現れた。
『……署は、現在連絡が取れない妻、鏑木光子さん、31歳を参考人として捜索しているとの事です。……さて続いてのニュースは』
菅原さんはそこでテレビを切った。
暗くなった画面に青い顔をした自分が映り込む。
まさか昨日のあの女、今の鏑木光子じゃねえだろうな……
菅原さんはなんとなく落ち着かない気分になった。
昨日深夜まで残業をしていた事もあって、その日菅原さんはまだ日が明るいうちに帰宅する事ができた。
出版社というハードな職業で、インスタント食品ばかり食べていた菅原さんは、久しぶりに料理を作ろうと思いスーパーで買い物をしてから帰路へついた。
季節は少しずつ夏に近づいて来ているという事もあって、日の出ているうちは暑いなぁ、などと呑気に考えつつ原付のハンドルに食材を詰めたビニール袋をぶら下げていつも通りの坂道を登っていると、ふと真横から薙ぐような突風に吹かれ咄嗟に原付を止める。
パチパチパチとビニール袋が音をたて、菅原さんは中身が飛び出ないように手で押さえた。
幸い風は一瞬で通り過ぎて行ったようで、すぐに何事もなかったようにそれまで通りの住宅街の静けさが戻ってくる。
「凄い風だったな……」
菅原さんはポツリとつぶやく。
するとその言葉に反応したようなタイミングで、カランカランと軽い木と木がぶつかり合うような、乾いた音が響いて来た。
おや、と思い菅原さんはその音の方へ目を向ける。
菅原さんの視線の先には、昨夜、あの赤い服を着た女が立っていた所に建てられていた小さな社があった。
そしてその社の建てられているコンクリートの土台に、古ぼけて全体的に燻んだ色をしている社には似つかわしくないように感じるほど新しい絵馬が落ちていた。
社に取り付けられた格子状になっている木戸に、ちぎれた紐が結んである。
どうやらさっきの風で落ちてしまったのだろう。
菅原さんはその落ちた絵馬を見て、その絵馬にどんなことが書かれているのか無性に気になってしまった。
まあ、落ちてた絵馬を戻してやるついでなら、少しくらい覗き見してもいいよな。
昨夜の事もあって、若干の気味悪さはあったもののまだ日は高く、社のある場所も隣の住宅の陰にはなってはいるが、怖さを感じるほど暗くもなかったので、菅原さんは道路の端に原付を止めると、多少の好奇心も相まって、その絵馬を拾ってみることにした。
近づけば近づくほど、その社はボロボロで、誰かの手入れがなされた様子はないことがわかった。
半ば崩れかかったような状態の社に少し躊躇するも、菅原さんは落ちていた絵馬を手に取った。
「さて、何が書かれてんのかな……」
絵馬を裏返す、そこにはこう記されていた。
『鏑木拓実を殺してください』
菅原さんはそれを見て凍りついた。
鏑木拓実ーー今朝ニュースでやっていたこの近くで殺された男の名前だ。
そして菅原さんは最悪の結論に辿り着く。
昨夜のあの女はやはり鏑木光子だったのだ、と。
菅原さんが絵馬を手に動けないでいると、不意に昨夜感じたのと同じ猛烈な焦臭さが辺りに漂い始めた。
ハッとして菅原さんが顔を上げると、目の前の社の格子状の木戸の中から、真っ黒な煙が漏れ出ていた。
驚きつつも、昨夜見たのはこれか、と妙に納得した菅原さんは社の中に何があるのか、やはり無性に気になって覗き込んでみる。
だが何か黒いテープでも貼られているような暗闇があるだけで、煙の発生源がなんなのかはよくわからない。
菅原さんは、誘われるように徐にその木戸へ手を伸ばした。
手をかければ、その木戸はすんなり開くという妙な確信があった。
ゆっくり伸ばした手が、あと数センチで木戸に触れる、といったところで、
「おい、あんた。何してんだ?」
と声をかけられ、菅原さんは正気に戻った。
慌てて手を引っ込めて、後ずさる。
後を振り返ると、怪訝な表情をしたジャージ姿の初老の男が立っていた。
「あ、いや……その……」
初老の男はしどろもどろに何かを答えようとする菅原さんとその後ろの社を交互に見比べると、
「あの神社にお参りしてたのかい?」
と菅原さんに尋ねた。
「え、ああ……はい」
「あの神社にお参りすんのはやめときな」
「それって……」
「なんでかは知らんよ、俺も他の奴に聞いただけだからな」
菅原さんが理由を尋ねようとするのを拒むように男はそう言った。
「ところで、その手に持ってる絵馬はお前さんのもんかい?」
その男は唐突に菅原さんの手を指差して言った。
菅原さんの右手には、先ほど拾った絵馬がまだ握られていた。
かなり気持ち悪かったので、自分のものではないとハッキリと伝えると、男は「ならいい、悪い事は言わないからあの社の辺りに捨てときな」と言う。
「あの、この絵馬とかあの社について何か知ってるんですか?」
気になって菅原さんはその男に尋ねてみた。
するとその男は視線を菅原さんの背後の社に向ける。
「さぁ、俺は詳しいことはよくわからん。あの神社だってこの土地が開発されてから、ごく最近建てられたものの筈だから、そんな大したいわれも由緒もないと思うんだが……。でもな、いつからかはよくわからんが、時々あの社に絵馬がかけられてることがあるようになってな……毎回、誰がかけて行くのかはわからんが、その絵馬に書かれている事はほとんど同じだ」
男は視線を菅原さんに戻す。
「……そしてあの社に絵馬がかけられると、大抵誰か死ぬ。だからみんな気味悪がってあの社には近づかないし、誰も手入れしないからご覧の通り荒れ放題だ」
男は少し空気を紛らわせるように笑うが、菅原さんは正直最悪な気分だった。
男はすぐ横の家を指差す。
「俺はその家のもんだが……ここをほったらかすとすぐに草が伸びてな。夏場は虫が沸いて仕方ないからこうして俺が草むしりをしに来ているって訳よ。ちょっとついて来な」
男は、空き地に入ると、小さな社の裏に周り菅原さんに手招きする。
「あんたに見せたいもんがあるんだよ」
菅原さんは何か嫌な予感を感じたが、なんとなく断ることが出来ず、男のいる社の裏手に回った。
「ほら、これ」
男は社の裏で、地面に指を指していた。
「これ、今までそこにくっつけられてた奴、全部」
男の指差す地面には、大人の肩幅程度の広さの穴が掘られており、その中に大量の絵馬が詰まっていた。
「この神社に何が祀られてんのか知らんけど、絶対ろくなもんじゃないから、兄ちゃんも絶対お参りしたらあかんよ」
男は菅原さんから絵馬を受け取ると、それを穴の中に放り投げ、そう言った。
*
「その社ってさ、実は今もまだ残ってるんだよね」
この話をしてくれた後、菅原さんは私にそう話してくれた。
そのことについて私はふと気になって尋ねてみた。
「それって、菅原さんが新入社員の時の話ですから20年以上前の話ですよね。今もその隣の家に住んでる方が絵馬の処理をしているんですか?」
「さすが、鋭いね。面白いのはそこなんだけど……」
菅原さんはにやりと笑う。
「直接見に行ったほうがいいと思うよ。今じゃ、ちょっと凄いことになってるから」
それから何度かその社に行こうと思っていたのだが、その頃から私の仕事が軌道に乗り始め、行こう行こうと思っているうちに菅原さんも、出版社を退職してしまった。
未だ私は、その社に行けていない。近いうちに行ければ、と思ってはいるのだが……。
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