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八章 囚われの王子様

42 マリーと蔦

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 レーヴをイメージしたようなミルクティー色の薔薇は、日に一度、一輪だけ咲くようになった。

 まるでそれはレーヴへの最期の贈り物のように思えて、マリーは薔薇を丁寧にスケッチした。摘み取ることは簡単だが、デュークの身に何かあってはと思うとーー研究者としては失格かもしれないが、出来なかった。

「はぁ……嫌だわ」

 今日もしっかりとスケッチし終えたマリーは、窓の外を見つめた。頰に手を当ててため息を吐く姿は、憂いに満ちている。そんな彼女のそばで、デュークの一部らしい蔦が同意するようにビタンと壁を叩いた。

 窓の外、ずっと向こうに見える魔の森はいつも通りに見えた。濃い魔素が、うっすらと紫がかった霧のように森を覆っている。

 けれど、どこか異様な空気を孕んでいる気がしてしまうのは、この状況のせいだろうか。視線を森から城内の中庭へ向けたマリーは、再びため息を吐いた。

「本当に、嫌ねぇ」

 マリーの視線の先では、ウォーレンのような体格の良い男たちが中庭で草むしりをしていた。いつもなら、いないはずの人たちだ。

 数日前から、魔獣保護団体の施設では屈強な男たちを護衛として雇っている。魔の森を挟んだ隣国、ディンビエが魔獣の被害を受けた報復に魔の森を焼き払う計画を立てているという情報を得たからだ。

「可愛い魔獣に報復なんて……ありえませんわ」

 新しい国は歴史も浅く、魔獣のこともよく知られていないのだ。しかし、ロスティが魔獣を保護するようになったのだって、ここ百年ほどのことである。領土拡大に精を出していたディンビエが、『魔獣の初恋』を知らなくても仕方がない。

 ディンビエは、焼き払い、更地になった土地を我が物顔で占領するのだろう。森から逃げた魔獣が、近くの村々を襲うとは思わないのだろうか。

 魔獣保護団体の施設は、魔の森のすぐ近くにある。もともとは魔の森に住む魔獣を監視、そして森を出てきた魔獣を殲滅するために置かれた城塞なのだ。魔獣の性質を暴いてからは、保護団体として機能してきた。

 その為、この城は国内で一番魔の森に近いところにある。森が焼き払われれば、間違いなく被害は甚大だ。保護した魔獣が暴走しても食い止められるように、そして万が一の場合は移送が出来るように、手伝いとして男たちはここにいる。

 とはいえ、現段階では何もすることがなく、暇を持て余した男たちは草むしりをしているというわけだ。

「有難いわねぇ」

 さすが、ウォーレンが契約した男たちだ。魔獣に怯えもせず、暇を持て余して草むしりに精を出している。

 ここの職員のほとんどは魔獣のことに手一杯で、中庭の雑草を気にかける余裕なんてない。それに加え、隣国が魔獣について未知なせいで大事な魔獣が多数死傷するかもしれない瀬戸際なのである。

「せめて、デュークの恋がうまくいっていれば、もう少し気は楽だったのだけれど」

 マリーの言葉に、蔦が申し訳なさそうにヘニャリとした。そんな蔦を、まるで猫の顎でも撫でるようにマリーはこしょこしょと擽る。けれど蔦は相変わらずつれなく、イヤイヤと逃げて行ってしまった。

「相変わらずねぇ」

 デュークらしいと言えばデュークらしいのかもしれない。彼は良くも悪くもレーヴだけが特別なのだ。

 彼女にだけ、甘ったるい表情を浮かべる。そして、彼女が見ているところでは良い子だ。無害で紳士で可愛らしいお馬さん。それ以外はどうでもいいという態度は一貫している。

 保護したマリーやウォーレンに対しても、多少は態度が軟化しているかなと思う程度。レーヴに誤解されたら堪らないと、女性が触れることを極端に嫌い、マリーでさえ拒絶する。

「……今は蔦ですけれど、ね」

 マリーのことなんて、いくらだって拒否したら良い。それでデュークが恋を全うできるなら、彼女はちっとも気にしない。

 幼い頃から、ずっと憧れてきたのだ。見目麗しい獣人が自分に恋をしてくれたら、と思ったこともある。告白すると、ウォーレンと結婚するまではもしかしてと魔の森へ通っていた。結婚してからは、祖母のように獣人を保護して、その恋を応援することが夢になった。

 だからだろうか。

「彼女には、イライラしてしまいますわ」

 あんなに素敵な生き物を選ばないなんて。選ばないだけでなく、責任さえ放棄しているレーヴにマリーは腹が立つ。苛立ちをぶつけるように、彼女は持っていたペンを握った。手の中で、ガラス製のペンにヒビが入る音がする。

 マリーとて、ロスティの国民である。そう、つまりは軍人。この国の一般的な教育は、履修してきている。研究者には不必要だと無駄に思っていたものだが、意外なところで役に立ちそうだと彼女はニンマリした。

「のこのこやって来たら、返り討ちにしてやりましょう」

 インクの漏れそうなガラスペンをハンカチに包み、ポケットにしまう。そしてマリーは、宙に向かってアッパーを決めるように拳を突き上げた。

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