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七章 所詮は軍人、姫になどなれません

40 王都の母は娘を任務へ送り出す

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 総司令官補佐とその秘書、わらわらと引き連れてきた護衛という名の部下たちを見送ったレーヴは、さっと頭を上げると深いため息を吐いた。

 そうすると、飲み込み溜め込んでいた何かが流れ出ていくようだ。みぞおちの辺りが空っぽになったような感覚も、落ち着きを取り戻す。

 笑いを堪えていたせいで、腹筋が痛い。イテテとお腹をさすりながら、レーヴは手にしていた書類ケースを大事そうに抱えた。帰り際に渡された、隣国へ渡す書類である。

「大丈夫……?」

 声をかけられ、レーヴは振り返った。応接室の開け放たれたままの扉の所で、アーニャが心配そうな顔をして立っている。

「大丈夫だよ、アーニャ」

「大丈夫って……でも、早馬部隊の任務なんでしょう?じゃあ、私だって良いじゃない」

 アーニャの顔には「可愛い娘に危ないことはさせたくない」と書いてあるようだった。

 けれど、この任務はレーヴ一人でどうにか出来るものではない。デュークがいて、初めて成立する任務なのだ。アーニャに任せるつもりはない。

 だってそうしないと、彼女に嫉妬してしまいそうだった。デュークとアーニャがどうこうなるわけはないけれど、デュークが自分以外の女性と二人きりでいることが面白くない。

 なにより、この任務はチャンスでもある。デュークと二人きり。不謹慎かもしれないが、心が踊る。

(この任務が終わったら、デュークに告白しよう)

 栗毛の牝馬として初陣をこなし、自信を付けた上で満を持して告白する。それは、とても良い案のように思えた。

「魔の森を横断するから、デュークと一緒に行くの。だから、大丈夫」

 彼の強さは、ジョシュアの折り紙つきである。確実に安全とは言えないが、レーヴ一人で戦地へ赴くよりだいぶマシだろう。

 それに、魔の森は人が容易に立ち入れる場所ではない。慣れたデュークが一緒ならば、安全度はより増すに違いなかった。

「そう、分かったわ」

 それでも、不安は尽きない。だが、大事な娘の初陣を阻害するほどアーニャは悪い親ではないつもりだ。

「頑張ってきなさい」

 アーニャは喝を入れるようにレーヴの背を勢いよく叩いた。気を抜いていたレーヴの体が、勢いに押されて倒れそうになる。慌てて踏ん張ったレーヴに、アーニャは「アハハ」と大袈裟に笑ってみせた。

「もう。シャッキリなさいな」

「うん」

「デュークが一緒なら大丈夫よ」

「うん」

 甘えるように不安を滲ませるレーヴに、アーニャは「仕方がない子ね」と笑った。

 緊張に強張るレーヴの顔にそっと手を添えて、子供をあやすように頰を撫でる。柔らかな手のぬくもりに、レーヴはくすぐったそうに頬を緩めた。

 緊張がほぐれてきたところで、アーニャはそニヤリとやり手の肝っ玉母ちゃんな顔をしてこう言った。

「デュークが、好きなんでしょう?」

 アーニャの言葉に、レーヴは壊れたオモチャのようにギギギと顔を向けた。その顔は隠し事がバレた子供のようだ。

「……気付いてた?」

「気付かない方がどうかしているわ」

 お母さんをなんだと思っているの。やや不満げに口をへの字にしてみれば、レーヴは慌ててごめんと手を合わせた。

「どうかしてる、か」

 苦い笑みを浮かべ、レーヴは困ったように眉を下げた。

「自覚したなら、後悔しないようにね」

「そうする!」

「レーヴ!」

 手を振って駆け出そうとしているレーヴに、アーニャは用意していたカバンを投げた。

 ワタワタとそれを受け取ったレーヴは、隙間から溢れ出る香ばしい小麦の香りに思わず頰を緩ませる。そして、カバンの中身を期待してか、やけにキラキラした目でアーニャを見た。

 キラキラの視線に、アーニャは自信たっぷりに頷いた。彼女はレーヴの第二の母なのである。間違えることはない。

「ネッケローブさんのパン、詰めておいたから。デュークと食べなさい」

 いつの間に、用意したのだろう。アーニャの心遣いに、感謝してもし足りない。

 監禁されていたこの数日、デュークに会えないことの次に残念だったのが、ネッケローブのパンが食べられないことだった。

 あの不思議な箱は囚人に与えるにしてはやけに豪華な食事を出してくれたが、パンはやはり師匠と崇めるネッケローブのものに限る。

 レーヴは嬉しさのあまり、カバンに頬ずりした。ザラザラの帆布の生地が頰に当たるが、気にしない。鼻を寄せてゆっくり呼吸すれば、小麦の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

 スーハーと半ば我を忘れてパンの匂いを堪能するレーヴに、アーニャは「相変わらずね」と苦笑いした。恋をしても、彼女は彼女のままだ。

 デュークはそのままの彼女を好いているから、彼女も変わることなく年齢不相応に純粋でいられるのだろう。

 それはそれで素敵なことね、とアーニャは思う。獣人の恋は盲目と聞く。レーヴは一生涯、デュークに愛されていくのだろう。心変わりしやすい人族よりも、安心して彼女を渡すことが出来る。

 アーニャもレーヴの母も、夫に苦労させられたから。レーヴには、二人の分も幸せになってもらいたかった。

「ほらほら。パンならまた買ってあげるから。それより、ほら。大事な任務、遂行してきなさい」

 気を取り直すようにパンパンと手を叩けば、我に返ったレーヴがエヘヘと誤魔化すように笑う。

 そんな彼女に全力の笑顔を向けて、アーニャは「いってらっしゃい」と手を振って送り出した。
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