40 / 71
七章 所詮は軍人、姫になどなれません
40 王都の母は娘を任務へ送り出す
しおりを挟む
総司令官補佐とその秘書、わらわらと引き連れてきた護衛という名の部下たちを見送ったレーヴは、さっと頭を上げると深いため息を吐いた。
そうすると、飲み込み溜め込んでいた何かが流れ出ていくようだ。みぞおちの辺りが空っぽになったような感覚も、落ち着きを取り戻す。
笑いを堪えていたせいで、腹筋が痛い。イテテとお腹をさすりながら、レーヴは手にしていた書類ケースを大事そうに抱えた。帰り際に渡された、隣国へ渡す書類である。
「大丈夫……?」
声をかけられ、レーヴは振り返った。応接室の開け放たれたままの扉の所で、アーニャが心配そうな顔をして立っている。
「大丈夫だよ、アーニャ」
「大丈夫って……でも、早馬部隊の任務なんでしょう?じゃあ、私だって良いじゃない」
アーニャの顔には「可愛い娘に危ないことはさせたくない」と書いてあるようだった。
けれど、この任務はレーヴ一人でどうにか出来るものではない。デュークがいて、初めて成立する任務なのだ。アーニャに任せるつもりはない。
だってそうしないと、彼女に嫉妬してしまいそうだった。デュークとアーニャがどうこうなるわけはないけれど、デュークが自分以外の女性と二人きりでいることが面白くない。
なにより、この任務はチャンスでもある。デュークと二人きり。不謹慎かもしれないが、心が踊る。
(この任務が終わったら、デュークに告白しよう)
栗毛の牝馬として初陣をこなし、自信を付けた上で満を持して告白する。それは、とても良い案のように思えた。
「魔の森を横断するから、デュークと一緒に行くの。だから、大丈夫」
彼の強さは、ジョシュアの折り紙つきである。確実に安全とは言えないが、レーヴ一人で戦地へ赴くよりだいぶマシだろう。
それに、魔の森は人が容易に立ち入れる場所ではない。慣れたデュークが一緒ならば、安全度はより増すに違いなかった。
「そう、分かったわ」
それでも、不安は尽きない。だが、大事な娘の初陣を阻害するほどアーニャは悪い親ではないつもりだ。
「頑張ってきなさい」
アーニャは喝を入れるようにレーヴの背を勢いよく叩いた。気を抜いていたレーヴの体が、勢いに押されて倒れそうになる。慌てて踏ん張ったレーヴに、アーニャは「アハハ」と大袈裟に笑ってみせた。
「もう。シャッキリなさいな」
「うん」
「デュークが一緒なら大丈夫よ」
「うん」
甘えるように不安を滲ませるレーヴに、アーニャは「仕方がない子ね」と笑った。
緊張に強張るレーヴの顔にそっと手を添えて、子供をあやすように頰を撫でる。柔らかな手のぬくもりに、レーヴはくすぐったそうに頬を緩めた。
緊張がほぐれてきたところで、アーニャはそニヤリとやり手の肝っ玉母ちゃんな顔をしてこう言った。
「デュークが、好きなんでしょう?」
アーニャの言葉に、レーヴは壊れたオモチャのようにギギギと顔を向けた。その顔は隠し事がバレた子供のようだ。
「……気付いてた?」
「気付かない方がどうかしているわ」
お母さんをなんだと思っているの。やや不満げに口をへの字にしてみれば、レーヴは慌ててごめんと手を合わせた。
「どうかしてる、か」
苦い笑みを浮かべ、レーヴは困ったように眉を下げた。
「自覚したなら、後悔しないようにね」
「そうする!」
「レーヴ!」
手を振って駆け出そうとしているレーヴに、アーニャは用意していたカバンを投げた。
ワタワタとそれを受け取ったレーヴは、隙間から溢れ出る香ばしい小麦の香りに思わず頰を緩ませる。そして、カバンの中身を期待してか、やけにキラキラした目でアーニャを見た。
キラキラの視線に、アーニャは自信たっぷりに頷いた。彼女はレーヴの第二の母なのである。間違えることはない。
「ネッケローブさんのパン、詰めておいたから。デュークと食べなさい」
いつの間に、用意したのだろう。アーニャの心遣いに、感謝してもし足りない。
監禁されていたこの数日、デュークに会えないことの次に残念だったのが、ネッケローブのパンが食べられないことだった。
あの不思議な箱は囚人に与えるにしてはやけに豪華な食事を出してくれたが、パンはやはり師匠と崇めるネッケローブのものに限る。
レーヴは嬉しさのあまり、カバンに頬ずりした。ザラザラの帆布の生地が頰に当たるが、気にしない。鼻を寄せてゆっくり呼吸すれば、小麦の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
スーハーと半ば我を忘れてパンの匂いを堪能するレーヴに、アーニャは「相変わらずね」と苦笑いした。恋をしても、彼女は彼女のままだ。
デュークはそのままの彼女を好いているから、彼女も変わることなく年齢不相応に純粋でいられるのだろう。
それはそれで素敵なことね、とアーニャは思う。獣人の恋は盲目と聞く。レーヴは一生涯、デュークに愛されていくのだろう。心変わりしやすい人族よりも、安心して彼女を渡すことが出来る。
アーニャもレーヴの母も、夫に苦労させられたから。レーヴには、二人の分も幸せになってもらいたかった。
「ほらほら。パンならまた買ってあげるから。それより、ほら。大事な任務、遂行してきなさい」
気を取り直すようにパンパンと手を叩けば、我に返ったレーヴがエヘヘと誤魔化すように笑う。
そんな彼女に全力の笑顔を向けて、アーニャは「いってらっしゃい」と手を振って送り出した。
そうすると、飲み込み溜め込んでいた何かが流れ出ていくようだ。みぞおちの辺りが空っぽになったような感覚も、落ち着きを取り戻す。
笑いを堪えていたせいで、腹筋が痛い。イテテとお腹をさすりながら、レーヴは手にしていた書類ケースを大事そうに抱えた。帰り際に渡された、隣国へ渡す書類である。
「大丈夫……?」
声をかけられ、レーヴは振り返った。応接室の開け放たれたままの扉の所で、アーニャが心配そうな顔をして立っている。
「大丈夫だよ、アーニャ」
「大丈夫って……でも、早馬部隊の任務なんでしょう?じゃあ、私だって良いじゃない」
アーニャの顔には「可愛い娘に危ないことはさせたくない」と書いてあるようだった。
けれど、この任務はレーヴ一人でどうにか出来るものではない。デュークがいて、初めて成立する任務なのだ。アーニャに任せるつもりはない。
だってそうしないと、彼女に嫉妬してしまいそうだった。デュークとアーニャがどうこうなるわけはないけれど、デュークが自分以外の女性と二人きりでいることが面白くない。
なにより、この任務はチャンスでもある。デュークと二人きり。不謹慎かもしれないが、心が踊る。
(この任務が終わったら、デュークに告白しよう)
栗毛の牝馬として初陣をこなし、自信を付けた上で満を持して告白する。それは、とても良い案のように思えた。
「魔の森を横断するから、デュークと一緒に行くの。だから、大丈夫」
彼の強さは、ジョシュアの折り紙つきである。確実に安全とは言えないが、レーヴ一人で戦地へ赴くよりだいぶマシだろう。
それに、魔の森は人が容易に立ち入れる場所ではない。慣れたデュークが一緒ならば、安全度はより増すに違いなかった。
「そう、分かったわ」
それでも、不安は尽きない。だが、大事な娘の初陣を阻害するほどアーニャは悪い親ではないつもりだ。
「頑張ってきなさい」
アーニャは喝を入れるようにレーヴの背を勢いよく叩いた。気を抜いていたレーヴの体が、勢いに押されて倒れそうになる。慌てて踏ん張ったレーヴに、アーニャは「アハハ」と大袈裟に笑ってみせた。
「もう。シャッキリなさいな」
「うん」
「デュークが一緒なら大丈夫よ」
「うん」
甘えるように不安を滲ませるレーヴに、アーニャは「仕方がない子ね」と笑った。
緊張に強張るレーヴの顔にそっと手を添えて、子供をあやすように頰を撫でる。柔らかな手のぬくもりに、レーヴはくすぐったそうに頬を緩めた。
緊張がほぐれてきたところで、アーニャはそニヤリとやり手の肝っ玉母ちゃんな顔をしてこう言った。
「デュークが、好きなんでしょう?」
アーニャの言葉に、レーヴは壊れたオモチャのようにギギギと顔を向けた。その顔は隠し事がバレた子供のようだ。
「……気付いてた?」
「気付かない方がどうかしているわ」
お母さんをなんだと思っているの。やや不満げに口をへの字にしてみれば、レーヴは慌ててごめんと手を合わせた。
「どうかしてる、か」
苦い笑みを浮かべ、レーヴは困ったように眉を下げた。
「自覚したなら、後悔しないようにね」
「そうする!」
「レーヴ!」
手を振って駆け出そうとしているレーヴに、アーニャは用意していたカバンを投げた。
ワタワタとそれを受け取ったレーヴは、隙間から溢れ出る香ばしい小麦の香りに思わず頰を緩ませる。そして、カバンの中身を期待してか、やけにキラキラした目でアーニャを見た。
キラキラの視線に、アーニャは自信たっぷりに頷いた。彼女はレーヴの第二の母なのである。間違えることはない。
「ネッケローブさんのパン、詰めておいたから。デュークと食べなさい」
いつの間に、用意したのだろう。アーニャの心遣いに、感謝してもし足りない。
監禁されていたこの数日、デュークに会えないことの次に残念だったのが、ネッケローブのパンが食べられないことだった。
あの不思議な箱は囚人に与えるにしてはやけに豪華な食事を出してくれたが、パンはやはり師匠と崇めるネッケローブのものに限る。
レーヴは嬉しさのあまり、カバンに頬ずりした。ザラザラの帆布の生地が頰に当たるが、気にしない。鼻を寄せてゆっくり呼吸すれば、小麦の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
スーハーと半ば我を忘れてパンの匂いを堪能するレーヴに、アーニャは「相変わらずね」と苦笑いした。恋をしても、彼女は彼女のままだ。
デュークはそのままの彼女を好いているから、彼女も変わることなく年齢不相応に純粋でいられるのだろう。
それはそれで素敵なことね、とアーニャは思う。獣人の恋は盲目と聞く。レーヴは一生涯、デュークに愛されていくのだろう。心変わりしやすい人族よりも、安心して彼女を渡すことが出来る。
アーニャもレーヴの母も、夫に苦労させられたから。レーヴには、二人の分も幸せになってもらいたかった。
「ほらほら。パンならまた買ってあげるから。それより、ほら。大事な任務、遂行してきなさい」
気を取り直すようにパンパンと手を叩けば、我に返ったレーヴがエヘヘと誤魔化すように笑う。
そんな彼女に全力の笑顔を向けて、アーニャは「いってらっしゃい」と手を振って送り出した。
0
お気に入りに追加
499
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても
千堂みくま
恋愛
「この卑しい娘め、おまえはただの身代わりだろうが!」 ケルホーン伯爵家に生まれたシーナは、ある理由から義理の家族に虐げられていた。シーナは姉のルターナと瓜二つの顔を持ち、背格好もよく似ている。姉は病弱なため、義父はシーナに「ルターナの代わりに、婚約者のレクオン王子と面会しろ」と強要してきた。二人はなんとか支えあって生きてきたが、とうとうある冬の日にルターナは帰らぬ人となってしまう。「このお金を持って、逃げて――」ルターナは最後の力で屋敷から妹を逃がし、シーナは名前を捨てて別人として暮らしはじめたが、レクオン王子が迎えにやってきて……。○第15回恋愛小説大賞に参加しています。もしよろしければ応援お願いいたします。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】ひとりぼっちになった王女が辿り着いた先は、隣国の✕✕との溺愛婚でした
鬼ヶ咲あちたん
恋愛
側妃を母にもつ王女クラーラは、正妃に命を狙われていると分かり、父である国王陛下の手によって王城から逃がされる。隠れた先の修道院で迎えがくるのを待っていたが、数年後、もたらされたのは頼りの綱だった国王陛下の訃報だった。「これからどうしたらいいの?」ひとりぼっちになってしまったクラーラは、見習いシスターとして生きる覚悟をする。そんなある日、クラーラのつくるスープの香りにつられ、身なりの良い青年が修道院を訪ねて来た。
旦那様は大変忙しいお方なのです
あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。
しかし、その当人が結婚式に現れません。
侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」
呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。
相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。
我慢の限界が――来ました。
そちらがその気ならこちらにも考えがあります。
さあ。腕が鳴りますよ!
※視点がころころ変わります。
※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。
果たされなかった約束
家紋武範
恋愛
子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。
しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。
このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。
怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。
※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる