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序章 王子様はお馬さん
02 クララベル夫妻の拾い物
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日の光を拒絶するように木々は枝を伸ばし、絡み合う。それでも足りないと言わんばかりに枝の合間には宿り木が茂り、光を遮る。ゴツゴツとしたコブのある木や腐れ落ちて空洞のある木は、恐ろしい怪物の顔のようであり、枯れた枝は襲いかかってくる腕のようだった。
昼間でも黄昏時のように薄暗い森は、深い霧と濃い魔素に覆われて、神秘的であり不気味でもあった。
ひと組の男女が、目印もない深い森を黙々と歩いていた。女は時折立ち止まっては周囲の様子を窺い、持っている記録帳に何かを書きつける。そうして再び歩いてーーという作業を繰り返していた。男はその後ろでギラギラと目を光らせて周囲を警戒している。
女の名前はマリー・クララベル。彼女はここ、魔の森に生息する魔獣と呼ばれる生き物を保護する団体に籍を置く研究員だ。後ろに控えるのはその夫、ウォーレン。がっちりとした体躯は厳つい熊のようで、見た目通り武闘派な彼は主に凶暴化した魔獣の捕縛を担当する魔獣保護団体の職員である。
「あらあらまぁ」
魔の森は、魔獣の生息地であり、魔素が満ちた場所である。魔力耐性のない者が入ればあっさりと迷い、惑わされる。その点、マリーは魔力耐性が強い体質なので心配はない。魔の森で魔獣を保護観察するという仕事は彼女にとって天職だった。
今日も今日とて、夫であるウォーレンと共に魔の森にて魔獣の観察及び保護をするべく見回りをしていた途中のこと。彼女は、珍しい生き物を見つけておっとりとした口調であらまぁと言った。
とても驚いているようには思えなかったが、ウォーレンは彼女がとんでもなく驚き、そして歓喜していることを察知していた。
「マリー、どうした?」
マリーほど魔力耐性がないウォーレンは、森に惑わされやすい。迷わないように彼女のすぐ後ろを歩いていたので、背後から覗き込むように視線の先を追った。
「あなた。あの子ってもしかして……」
きらりきらきら。マリーの目が感動に潤む。普段からおっとりとしてあまり表情の変化がない妻であるが、分かりやすく興奮している彼女の様子に、ウォーレンはおやおやと眉だけを動かした。
(これで感動されるのは夫として微妙な心境なんだが……)
夫妻の目の前には、全裸の男が一人。膝を抱えて小さく縮こまっていた。
黒灰色の髪に黒色の目、鼻筋が通った顔は美形といえるだろう。縮こまってはいるが、その体躯に無駄なところは見受けられない。男として、現時点で勝てるところは筋肉量だけだ。隠れている股間次第では敗北を喫するかもしれない。
無表情を貫く夫が内心では男相手にマウントを取ろうとしているなんて思いもしないマリーは、そっと男へ歩み寄った。
「あの、あなた……こんなところでどうしたの?」
「……」
マリーの声に男が立ち上がろうとしたので、ウォーレンは慌てて妻の前に身体を滑り込ませた。彼の頭の中は、男に負けてはならんという気持ちでいっぱいである。
果たして彼の股間がウォーレンのそれより上かどうかは敢えて見ないことにして、驚くべきは彼の容姿が夫妻とやや違うということだった。
「お前は、獣人なのか」
「あら、やっぱりそうなのね?」
確かめようとする妻を阻止しながら、ウォーレンは男をまじまじと見つめた。伏せられているせいで初見では分からなかったが、男の頭の上には髪と同色のつんと尖った耳が生えており、尻の後ろでチラチラ見え隠れしている結ったような長毛の束は尻尾なのだろう。予想するに、彼は馬のーー
「魔馬の獣人だと思う」
「魔馬の?獣人っていたのねぇ。初めてお会いしたけれど、聞いていた通り、お顔が優れていらっしゃるわ」
恋の話をする乙女のようにキャッキャとはしゃぐ妻に、ウォーレンはどうしたものかと頭を悩ませた。彼女の仕事は魔獣の保護であり、その仕事の一つとして、獣人の保護も含まれるからだ。
(出来るならばこのまま見なかったことにして回れ右をしたい)
愛妻家のウォーレンは妻が彼を好きになったらどうしようと内心で焦っているというのに、マリーはいつものようにおっとりとした様子で小首を傾げた。
「とりあえず、保護しても良いかしら。ねぇ、ウォーレン……?」
マリーの目がうるうると潤む。小動物のような愛らしさでお願いしてくる妻に、ウォーレンが否など言えるはずがなかった。もしも拒否しようものならーー笑顔で冷たく罵られる光景は想像しただけで震えそうだ。それに、獣人の保護は魔獣保護団体の義務でもある。
(そう、これは義務なのだ。決して、妻のためではーー)
「そう、だな」
微笑みつつ、ウォーレンは舌打ちを我慢した。あくまで妻の前ではかっこいい男でいたい、そんな男心からのやせ我慢だった。
素っ裸の男をこのまま妻に渡すわけにはいかないので、魔獣保護用の特殊な生地で出来た頑丈な布で男の体を覆う。
「ねぇねぇ、あなた。あなたのお名前は?」
ようやく接近できた獣人に、マリーは興味津々である。しげしげと男を見る目は恋する乙女というより母のような慈愛に満ちていた。
希少な獣人と出会い、支援することはマリーの長年の夢だった。出会うことさえ珍しいことなので、嬉しくて仕方がないのだろう。分かってはいるが、愛する妻が自分以外の男に笑いかけることは面白いことではなかった。
(あぁ、早く手放したい)
見る限り、獣人はマリーに興味がなさそうである。可愛いマリーが熱心に構っているというのに、目も向けない。
ということは、とウォーレンは聞いていた話を思い出す。
(あの話は本当だったか)
ーー獣人とは、人に恋した魔獣が人型に変化した存在であり、その恋を成就させなければ塵となり消滅する。叶う叶わないに関係なく、生涯に渡り恋した相手を一途に愛し抜く。
獣人の恋は盲目的らしい。
昼間でも黄昏時のように薄暗い森は、深い霧と濃い魔素に覆われて、神秘的であり不気味でもあった。
ひと組の男女が、目印もない深い森を黙々と歩いていた。女は時折立ち止まっては周囲の様子を窺い、持っている記録帳に何かを書きつける。そうして再び歩いてーーという作業を繰り返していた。男はその後ろでギラギラと目を光らせて周囲を警戒している。
女の名前はマリー・クララベル。彼女はここ、魔の森に生息する魔獣と呼ばれる生き物を保護する団体に籍を置く研究員だ。後ろに控えるのはその夫、ウォーレン。がっちりとした体躯は厳つい熊のようで、見た目通り武闘派な彼は主に凶暴化した魔獣の捕縛を担当する魔獣保護団体の職員である。
「あらあらまぁ」
魔の森は、魔獣の生息地であり、魔素が満ちた場所である。魔力耐性のない者が入ればあっさりと迷い、惑わされる。その点、マリーは魔力耐性が強い体質なので心配はない。魔の森で魔獣を保護観察するという仕事は彼女にとって天職だった。
今日も今日とて、夫であるウォーレンと共に魔の森にて魔獣の観察及び保護をするべく見回りをしていた途中のこと。彼女は、珍しい生き物を見つけておっとりとした口調であらまぁと言った。
とても驚いているようには思えなかったが、ウォーレンは彼女がとんでもなく驚き、そして歓喜していることを察知していた。
「マリー、どうした?」
マリーほど魔力耐性がないウォーレンは、森に惑わされやすい。迷わないように彼女のすぐ後ろを歩いていたので、背後から覗き込むように視線の先を追った。
「あなた。あの子ってもしかして……」
きらりきらきら。マリーの目が感動に潤む。普段からおっとりとしてあまり表情の変化がない妻であるが、分かりやすく興奮している彼女の様子に、ウォーレンはおやおやと眉だけを動かした。
(これで感動されるのは夫として微妙な心境なんだが……)
夫妻の目の前には、全裸の男が一人。膝を抱えて小さく縮こまっていた。
黒灰色の髪に黒色の目、鼻筋が通った顔は美形といえるだろう。縮こまってはいるが、その体躯に無駄なところは見受けられない。男として、現時点で勝てるところは筋肉量だけだ。隠れている股間次第では敗北を喫するかもしれない。
無表情を貫く夫が内心では男相手にマウントを取ろうとしているなんて思いもしないマリーは、そっと男へ歩み寄った。
「あの、あなた……こんなところでどうしたの?」
「……」
マリーの声に男が立ち上がろうとしたので、ウォーレンは慌てて妻の前に身体を滑り込ませた。彼の頭の中は、男に負けてはならんという気持ちでいっぱいである。
果たして彼の股間がウォーレンのそれより上かどうかは敢えて見ないことにして、驚くべきは彼の容姿が夫妻とやや違うということだった。
「お前は、獣人なのか」
「あら、やっぱりそうなのね?」
確かめようとする妻を阻止しながら、ウォーレンは男をまじまじと見つめた。伏せられているせいで初見では分からなかったが、男の頭の上には髪と同色のつんと尖った耳が生えており、尻の後ろでチラチラ見え隠れしている結ったような長毛の束は尻尾なのだろう。予想するに、彼は馬のーー
「魔馬の獣人だと思う」
「魔馬の?獣人っていたのねぇ。初めてお会いしたけれど、聞いていた通り、お顔が優れていらっしゃるわ」
恋の話をする乙女のようにキャッキャとはしゃぐ妻に、ウォーレンはどうしたものかと頭を悩ませた。彼女の仕事は魔獣の保護であり、その仕事の一つとして、獣人の保護も含まれるからだ。
(出来るならばこのまま見なかったことにして回れ右をしたい)
愛妻家のウォーレンは妻が彼を好きになったらどうしようと内心で焦っているというのに、マリーはいつものようにおっとりとした様子で小首を傾げた。
「とりあえず、保護しても良いかしら。ねぇ、ウォーレン……?」
マリーの目がうるうると潤む。小動物のような愛らしさでお願いしてくる妻に、ウォーレンが否など言えるはずがなかった。もしも拒否しようものならーー笑顔で冷たく罵られる光景は想像しただけで震えそうだ。それに、獣人の保護は魔獣保護団体の義務でもある。
(そう、これは義務なのだ。決して、妻のためではーー)
「そう、だな」
微笑みつつ、ウォーレンは舌打ちを我慢した。あくまで妻の前ではかっこいい男でいたい、そんな男心からのやせ我慢だった。
素っ裸の男をこのまま妻に渡すわけにはいかないので、魔獣保護用の特殊な生地で出来た頑丈な布で男の体を覆う。
「ねぇねぇ、あなた。あなたのお名前は?」
ようやく接近できた獣人に、マリーは興味津々である。しげしげと男を見る目は恋する乙女というより母のような慈愛に満ちていた。
希少な獣人と出会い、支援することはマリーの長年の夢だった。出会うことさえ珍しいことなので、嬉しくて仕方がないのだろう。分かってはいるが、愛する妻が自分以外の男に笑いかけることは面白いことではなかった。
(あぁ、早く手放したい)
見る限り、獣人はマリーに興味がなさそうである。可愛いマリーが熱心に構っているというのに、目も向けない。
ということは、とウォーレンは聞いていた話を思い出す。
(あの話は本当だったか)
ーー獣人とは、人に恋した魔獣が人型に変化した存在であり、その恋を成就させなければ塵となり消滅する。叶う叶わないに関係なく、生涯に渡り恋した相手を一途に愛し抜く。
獣人の恋は盲目的らしい。
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