上 下
2 / 71
序章 王子様はお馬さん

02 クララベル夫妻の拾い物

しおりを挟む
 日の光を拒絶するように木々は枝を伸ばし、絡み合う。それでも足りないと言わんばかりに枝の合間には宿り木が茂り、光を遮る。ゴツゴツとしたコブのある木や腐れ落ちて空洞のある木は、恐ろしい怪物の顔のようであり、枯れた枝は襲いかかってくる腕のようだった。

 昼間でも黄昏時のように薄暗い森は、深い霧と濃い魔素に覆われて、神秘的であり不気味でもあった。

 ひと組の男女が、目印もない深い森を黙々と歩いていた。女は時折立ち止まっては周囲の様子を窺い、持っている記録帳に何かを書きつける。そうして再び歩いてーーという作業を繰り返していた。男はその後ろでギラギラと目を光らせて周囲を警戒している。

 女の名前はマリー・クララベル。彼女はここ、魔の森に生息する魔獣と呼ばれる生き物を保護する団体に籍を置く研究員だ。後ろに控えるのはその夫、ウォーレン。がっちりとした体躯は厳つい熊のようで、見た目通り武闘派な彼は主に凶暴化した魔獣の捕縛を担当する魔獣保護団体の職員である。

「あらあらまぁ」

 魔の森は、魔獣の生息地であり、魔素が満ちた場所である。魔力耐性のない者が入ればあっさりと迷い、惑わされる。その点、マリーは魔力耐性が強い体質なので心配はない。魔の森で魔獣を保護観察するという仕事は彼女にとって天職だった。

 今日も今日とて、夫であるウォーレンと共に魔の森にて魔獣の観察及び保護をするべく見回りをしていた途中のこと。彼女は、珍しい生き物を見つけておっとりとした口調であらまぁと言った。

 とても驚いているようには思えなかったが、ウォーレンは彼女がとんでもなく驚き、そして歓喜していることを察知していた。

「マリー、どうした?」

 マリーほど魔力耐性がないウォーレンは、森に惑わされやすい。迷わないように彼女のすぐ後ろを歩いていたので、背後から覗き込むように視線の先を追った。

「あなた。あの子ってもしかして……」

 きらりきらきら。マリーの目が感動に潤む。普段からおっとりとしてあまり表情の変化がない妻であるが、分かりやすく興奮している彼女の様子に、ウォーレンはおやおやと眉だけを動かした。

(これで感動されるのは夫として微妙な心境なんだが……)

 夫妻の目の前には、全裸の男が一人。膝を抱えて小さく縮こまっていた。

 黒灰色の髪に黒色の目、鼻筋が通った顔は美形といえるだろう。縮こまってはいるが、その体躯に無駄なところは見受けられない。男として、現時点で勝てるところは筋肉量だけだ。隠れている股間次第では敗北を喫するかもしれない。

 無表情を貫く夫が内心では男相手にマウントを取ろうとしているなんて思いもしないマリーは、そっと男へ歩み寄った。

「あの、あなた……こんなところでどうしたの?」

「……」

 マリーの声に男が立ち上がろうとしたので、ウォーレンは慌てて妻の前に身体を滑り込ませた。彼の頭の中は、男に負けてはならんという気持ちでいっぱいである。

 果たして彼の股間がウォーレンのそれより上かどうかは敢えて見ないことにして、驚くべきは彼の容姿が夫妻とやや違うということだった。

「お前は、獣人なのか」

「あら、やっぱりそうなのね?」

 確かめようとする妻を阻止しながら、ウォーレンは男をまじまじと見つめた。伏せられているせいで初見では分からなかったが、男の頭の上には髪と同色のつんと尖った耳が生えており、尻の後ろでチラチラ見え隠れしている結ったような長毛の束は尻尾なのだろう。予想するに、彼は馬のーー

「魔馬の獣人だと思う」

「魔馬の?獣人っていたのねぇ。初めてお会いしたけれど、聞いていた通り、お顔が優れていらっしゃるわ」

 恋の話をする乙女のようにキャッキャとはしゃぐ妻に、ウォーレンはどうしたものかと頭を悩ませた。彼女の仕事は魔獣の保護であり、その仕事の一つとして、獣人の保護も含まれるからだ。

(出来るならばこのまま見なかったことにして回れ右をしたい)

 愛妻家のウォーレンは妻が彼を好きになったらどうしようと内心で焦っているというのに、マリーはいつものようにおっとりとした様子で小首を傾げた。

「とりあえず、保護しても良いかしら。ねぇ、ウォーレン……?」

 マリーの目がうるうると潤む。小動物のような愛らしさでお願いしてくる妻に、ウォーレンが否など言えるはずがなかった。もしも拒否しようものならーー笑顔で冷たく罵られる光景は想像しただけで震えそうだ。それに、獣人の保護は魔獣保護団体の義務でもある。

(そう、これは義務なのだ。決して、妻のためではーー)

「そう、だな」

 微笑みつつ、ウォーレンは舌打ちを我慢した。あくまで妻の前ではかっこいい男でいたい、そんな男心からのやせ我慢だった。

 素っ裸の男をこのまま妻に渡すわけにはいかないので、魔獣保護用の特殊な生地で出来た頑丈な布で男の体を覆う。

「ねぇねぇ、あなた。あなたのお名前は?」

 ようやく接近できた獣人に、マリーは興味津々である。しげしげと男を見る目は恋する乙女というより母のような慈愛に満ちていた。

 希少な獣人と出会い、支援することはマリーの長年の夢だった。出会うことさえ珍しいことなので、嬉しくて仕方がないのだろう。分かってはいるが、愛する妻が自分以外の男に笑いかけることは面白いことではなかった。

(あぁ、早く手放したい)

 見る限り、獣人はマリーに興味がなさそうである。可愛いマリーが熱心に構っているというのに、目も向けない。

 ということは、とウォーレンは聞いていた話を思い出す。

(あの話は本当だったか)

 ーー獣人とは、人に恋した魔獣が人型に変化した存在であり、その恋を成就させなければ塵となり消滅する。叶う叶わないに関係なく、生涯に渡り恋した相手を一途に愛し抜く。

 獣人の恋は盲目的らしい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。

しげむろ ゆうき
恋愛
 男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない  そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった 全五話 ※ホラー無し

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。 国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。 カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。 王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。 失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。 公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。 逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。  心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

処理中です...