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魂の在り処Ⅰ
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“安くて早くてお味もお約束!”
ふっと点灯した街灯に、一枚の張り紙が照らし出された。
その軒下に貼られた宣伝文句を見て取った一行が、ぞろぞろと入店していった。
看板には〈格安料理屋トラヴァー〉とある。
卓を囲んで、注文を伺いに来たウェイトレスを交えながら、ワイワイと談笑を始めた作業着の一行は、自立稼働型人形の技師たちだ。
東側には多くの工房が点在する。
組み立てから解体、そして整備まで。油にまみれながら、自立稼働型人形に命を吹き込み、ときには奪ったりもする。そんなふうに、日夜勤しむ者が多く見られる区域だ。
技師たちの卓に、新たに一人が歓迎されて席に座った。装いは軍服だったが、通常と異なり、銃火器の類いは身に着けていない。
錬金術師だった。
自立稼働型人形の部品の製造には、錬金術師でなければ生み出せないものがあり、必然的にこの区域に出入りしているのが目に付く。互いに手を取り合い、技師と錬金術師の関係は良好だ。
また、端のほうの卓で、その様子を見て、面白くなさそうに酒を呷るものが続出してもいた。
一様にローブ姿をした魔導士たちである。
錬金術師の補助役として、魔導士協会から遣わされた末端の魔導士たちであるらしい。鬱憤が溜まっているのか、自棄酒が止まらない。ぶつぶつ何事か言っている。
それらの客層に挟まれながら、ロウェルたちは三人で、食事をしていた。
「やっぱり、この店の飯、美味いっすねえっ」
ロウェルが、こんがり焼いた鳥の香草焼きを、大雑把にナイフで刺し上げて、噛みちぎる。がつがつと食らった。
「それに、財布にも優しいとくれば、言うことはなにもないね」
アズランドが頷いた。甘酸っぱい香りのソースを掛けられた焼き魚を、フォークで切り分け、口に運び入れて味わう。
「アズランド、あなた……いつでもそれよね。まあ、たしかに、味は悪くないからいいけれど」
エリーゼが概ね同意して、チーズを溶かし込んだスープをスプーンで口に含み、愉しむ。
その三人の背後に立ち、フラワーゴーレムが首を回すようにして、順番に精結晶の光の視線を当てていた。
傍らでは、ロウェルの杭打ち機が向かい合って寝ており、合わせて見ると重量感が凄かった。木の床は、今のところ穴が空くような気配はない。
「いつでも、と言えばだけどさ」
ふと、思い出したように、アズランドが顔を上げる。コップの水を飲み切ってから、言葉を繋いだ。
「ロウェルの例の日課って、いつからつづけているんだい?」
「えっ?」
とりあえずロウェルは、口のなかのものをごくん、と胃に流した。そして、考えてみて、
「んー。いつからだったっけ……?」
疑問符を宙にたくさんつくって、悩んだ。
「五年前には、もうやっていたんじゃない?」
エリーゼがロウェルを見た。
ロウェルとエリーゼが知りあってからの年数が、それくらいのはずであるのは、ロウェルも覚えている。鮮明なほどに。今でも色褪せないでいるのは、強烈だったからだと思う。
それは難問なようなので、と苦笑する感じに、アズランドが質問を変えた。
「じゃあ、どうして、それを始めたんだい?」
「一日百善をやろうと思ったきっかけ、っすか?」
ああ、それなら、答えられるとロウェルは思った。
「そうそう。前から、少し、気になってたんだ」
「いや、でも……いつも達成不足なんすよ」
「けど、止めようとは思わないんだろう? それだけの、理由があるんじゃないかい?」
「んー、そんな大した理由じゃないんすけどね」
「いいじゃない。私も知りたいわ」
エリーゼも少しだけ、食いつく素振りをみせた。
まあ、いいか。ロウェルは、どう説明するか思案を重ねた。
手始めに、という感じにこう言った。
「十年くらい前、だったかな。おっさんが、一人、倒れてて」
「廃棄区画のなかで?」エリーゼが小首を傾げる。
「そっ。とりあえず、みんなで――廃棄区画の連中で、運んだんだけど」
ロウェルのねぐらは、当時からゴミで築かれた小屋だった。それでも、雨風は凌げるだけ、マシのはずだった。
“おっさん”というのは渾名みたいなもので、実際は老人と呼ぶべき風貌であったことをロウェルは述べ、
「いやー、これが偏屈なおっさんで」
翌日、目覚めたおっさんは、ろくに口を聞いてくれもしなかった。
どうにかみんなで調達してきた食事を――多くの場合、廃棄された残飯であったそれを――分け与えても、目を逸らす始末だ。とはいえ、しばらく経って行ってみると、なくなっているのだ。ちゃっかりしていたな、と今でも思う。
「それから少しして、酒を拾ったことがあって。けど、みんな子供だし。大人もいることにはいたけど、まだあんまり付き合いなくて」
廃棄区画の住人が、みんな親戚同士という仲ではないと伝えようとしてみたが、そもそも親戚ってどういう感じなんだ? と脱線しかけ、とにかく、そのときの大迫力のおっさんを思い出しながら、ロウェルは言った。
「その酒を見た途端、おっさん泣き出しちゃって」
「感涙ってことかな?」アズランドが相づちを打つ。
「あれ以上に、感動して泣いてる人は見たことないっすね」
誇る場面でもないが、そんな顔つきになってロウェルは返した。
それからというもの、おっさんは饒舌になった。
もともとは明るい性格の持ち主だったのか、ロウェルを含む子供たちと打ち解けていった。子供たちのほうも、残飯漁りのついでに、酒の調達を視野にいれるようになっていた。
「んで、いつだったかな。すっごく上機嫌なときがあって。もちろん、酔っぱらってたんすけど……」
〝悪い出来事より良い出来事が多くなれば人は幸せになれる″と、おっさんは豪語した。
「俺、子供ながらに思ったんす。――たしかに、って」
子供だから、というほうが正しいかもしれない。ロウェルは、至極単純な道理に、深く感銘を受けた。
「んじゃさ、みんながそうなれば世界中が幸せってことじゃん!」
と、当時の口ぶりを再現気味に、ロウェルは叫んだ。
ほかの卓から視線が集まるのを、アズランドがそれとなく愛想笑いで誤魔化すのに務め、エリーゼは知らない顔で通した。
「なんか、おっさんと意気投合しちゃって。そしたら、鍛えてやるって言ってくれて」
そのときはじめて、おっさんが武術の達人であるとロウェルは知った。
実際、恐ろしいほどに、強かった。
子供相手とはいえ、十人まとめて挑んでいっても、顔色ひとつ変えずに全員をなぎ倒したのだ。
デジールのような借金取りが、ゴーレムを引き連れて来たときなど、素手でゴーレムを粉砕したほどだ。
ますます、胸を打たれたロウェルは、彼に武術の手ほどきを三年にわたって受けたことを語り――そして、ある日、忽然と廃棄区画から姿を消したことを併せて告げた。
「……ってな、感じっす」
上手く説明できたかどうかわからないけど。そんな、不安をロウェルは顔に表す。
「ありがとう。興味深い話を聞かせてもらったよ。……なるほど、キミのその腕を見てると、二重に納得だ」
アズランドが、ロウェルの腕に視線を向けた。
食事中なので、今は道着の袖を捲り上げていた。おっさんがいなくってからも鍛錬を重ねた結果、鋼のような筋肉が出来上がっている。
剝き出しの刃物を直視するに近い目つきになり、アズランドは笑った。
「キミも、素手でゴーレムを砕けそうだけどね」
「いやー、さすがに無理っすよ。それで、いつもアレ使ってるんすから」
ロウェルは、フラワーゴーレムが前屈みになって見物している杭打ち機を見た。
「もとは、採掘機械かなんかだったのかな。あるいは、実を結ぶことのなかった研究品だったとか。この街、挑戦的な技師とか多いからなぁ」
アズランドも横目でそれを眺め遣る。少し感じ入る様子だった。作り手の熱意は凄そうだ、というふうに。
「組み立てたり、分解したりすんのも、俺好きで。ゴミ山のなかで、見つけた瞬間――閃いたっていうか。構造は、そんな複雑でもなかったし」
廃棄区画はロウェルにとって、ねぐらであると同時に、遊び場であり、稼ぎ場だった。状態が良い物に限るが、鉄くずは意外と、売れば金になるのだ。
アズランドはロウェルへ視線を戻して、
「ともあれ、そうして、一日百善を掲げて日々、走り回っているわけ、か。……悪い出来事より良い出来事が、多くある世界になるように」
しみじみと言った。
「変、すかね?」
「理想論だね」
アズランドが断言した。しかし、揶揄の響きはなかった。むしろ感心したようになって、こう続けた。
「理想は、言わば夢物語のようなものさ。決して、そこには、至れない。それが理想だ。けど、可能な限り、そうであろうとすることはできる。キミがやっているのは、そういうことさ」
「そんな、大層なことじゃないと思うんすけど」
「立派なことだと、俺は思うけどね」
「ちょっと、持ち上げすぎじゃない? ただ、愚直なだけよ」
ややむきになったように、エリーゼが口を挟む。どことなく、煙たそうな表情を浮かべている。
「がむしゃらにやっていれば、いつか、そんな日が来るかもしれない。見ていると、俺も協力したいと思えてくるよ。……ただ――あっ、お姉さん、これひとつ、お願い」
アズランドは言いかけ、通りかかったウェイトレスに卓上脇のメニュー表を指で示した。何杯も飲まない限りは、そうは酔わない軽めの酒だった。
ウェイトレスが注文に応じるために去ってから、
「キミたちも、一杯やるかい?」
アズランドが、ロウェルとエリーゼに、視線を交互に送る。
「俺、まだ十六なんす」
「私だって、無理ね」
「あれ」アズランドが意外そうな顔をした。エリーゼに対してだけ。
「なによ?」
「いや、お姫様は俺と同い年くらいか――もしかしたら、年上なのかな、と思ってたものでね」
国の決まりで、飲酒は十八歳以上と定められていることは、子供でも知っていることである。
ロウェルとて、どんな味がするのか、気にはなる。それでも、二年の我慢ができないわけでもない。
「私はまだ、十七よ」
ツンとして、エリーゼが返した。困ったような笑みでアズランドは応対する。
「これはどうも、ご無礼を。日頃から、大人びた――しっかりした女性だと、思っていたもので、ね」
「おべんちゃらは結構よ。……それより、昼間にあなたは私に訊きたいことがあるって、言ってたんじゃない?」
眉をひそめたまま、エリーゼが詰問調で言う。
それでロウェルも、思い出した。
アズランドがいつもなにかを調べて回っているのは、ロウェルは印象として持っている。それこそ、ロウェルの日課のように、いつも“ちょっとした用事”と称してあちこち出入りしているのだ。
そんなアズランドが、エリーゼに訊きたいこととは、いったい。
アズランドは、指で卓上を軽く叩きながら、迷う素振りをした。
そして、一枚の写真をジャケットの内側から取り出し、卓上に置いた。
「この人物について、なにか知っていることがあれば、教えてもらいたいんだ」
長い黒髪の、こけた頬の男が写った写真だった。装いは重々しい外套であり、それには勲章が幾つも胸で輝いている。
「だれかと思えば、クノッヘン卿じゃない」
そんなことだったの? というふうにエリーゼが答える。
「だれ?」写真を覗き込んで、ロウェルは首を傾げた。
常識を疑うような眼差しをエリーゼはロウェルに向け、アンタならそうよね、と納得した様子で、
「……偉い人よ。そうね、貢献者という意味では、この国で、一番なんじゃないかしら」
と言葉を選んでロウェルに言って聞かせた。
「ふーん」
ロウェルは、頷く。そうなんだ、という感想を抱くのがせいぜいだった。
エリーゼよりも、偉いのかというような解釈をしていた。
「お姫様の言う通りさ。現国王ペーターソンを支え、戦乱を鎮めることに尽くした。宮廷魔導士で、魔術的観点から王や軍略を補佐する人物だ。錬金術にも精通している。むしろ、こっちのほうが本業と言えるようだね」
そこで、アズランドはいったん区切りを入れ、
「魔力発電技術の確立。精結晶の錬金。自立稼働型人形の製法の拡大。……そこらで光っている電球にしたって、彼の産物によるものさ。なにせ、数々の偉業を成し遂げた“稀代の錬金術師”と称される人物なんだ」
やや口早に偉い人こと、クノッヘン卿の経歴を並び立てていった。
「そこまで知っているなら、私に訊くことなんてないんじゃない?」
エリーゼは、ほかになにを? と訴えるような顔でいる。
「個人的なことを、知りたいんだ。人柄とか噂話とか、なんだっていい」
いつの間にか、アズランドは真顔になっていた。ロウェルは、なんだか、初めて見る顔のような気がした。
「個人的なこと、って言われても。私だって、王宮にそんなに出入りすることはないし……あまり、表舞台に立たない人らしいから。式典に出席したとき、一度、見かけたくらいのものよ。あれは、王子の成人祝いの場だったかしら」
「そのときの印象は?」
少し考え込んで、エリーゼはこう告げた。
「……顔色が悪かったわね。無礼を承知で言ってしまうなら、ちょっと不気味なくらい。なにかしらの病を抱えているって、囁かれているみたいだけれど」
アズランドは握り拳をつくり、口元に押し当てた。如何にも思案に没頭している、という感じに。
「もう、質問はないわよね?」
エリーゼが、声を飛ばすと、
「あ、ああ……。ありがとう。参考に、なったよ」
肩を小突かれたようになり、アズランドが返事した。いつものさまになる微笑の、出来損ないみたいなものを顔に浮かべている。
なんか、変だな。らしくないな、とロウェルがぼんやり思った矢先のことだった。
不意に、外から悲鳴が聞こえ始めた。ロウェルが過敏に反応し、皿の上の料理を慌てて平らげる。
「五十善目だ!」
急いで席を立ち、椅子をぐらつかせた。杭打ち機を、まるで手袋みたいに軽々と両手に装着し、
「行ってくるっ!」
〈格安料理屋トラヴァー〉の扉をくぐり抜け、騒動の中心へ目掛けて、飛び出した。
「少し、ノルマの数を減らしてもいいんじゃないかな」
「あなたは行かないの?」
フラワーゴーレムの肩に身を預けたエリーゼが、アズランドを見下ろした。
「今回は、彼にお譲りしようかな。それに……」
「それに、なによ?」
「注文した料理を残すのは、百の不徳に値するものだよ」
アズランドの視線の先には、エリーゼの注文した料理がある。
それほど多くはないが、エリーゼがすぐに食べきるのは不可能だろう。ロウェルなら、一瞬かもしれない。
「いずれ、その不徳も帳消しにしてあげるわよ」
言い捨て、エリーゼは肩をすくめた。
フラワーゴーレムが木の床を軋ませてロウェルの後を追って行き、すぐに見えなくなった。
ちょうどそのとき、ウェイトレスが、アズランドの注文した酒を運んできた。
「ありがとう」
お決まりのような微笑で、酒を置いて行ったウェイトレスを見送った。かと思えば、
「錬金術による数々の利権……。金のため? いや、そんなんじゃない。名誉のためというのも違うだろう。それ以外の目的があったはずだ……」
アズランドは真剣――というよりも深刻な表情で、卓上の写真のなかの人物を見つめた。
「……出不精であるのは事実らしい。それが、あのとき、あの場には姿を見せていた――」
次第に、きつく睨むような目になっていった。
ふっと点灯した街灯に、一枚の張り紙が照らし出された。
その軒下に貼られた宣伝文句を見て取った一行が、ぞろぞろと入店していった。
看板には〈格安料理屋トラヴァー〉とある。
卓を囲んで、注文を伺いに来たウェイトレスを交えながら、ワイワイと談笑を始めた作業着の一行は、自立稼働型人形の技師たちだ。
東側には多くの工房が点在する。
組み立てから解体、そして整備まで。油にまみれながら、自立稼働型人形に命を吹き込み、ときには奪ったりもする。そんなふうに、日夜勤しむ者が多く見られる区域だ。
技師たちの卓に、新たに一人が歓迎されて席に座った。装いは軍服だったが、通常と異なり、銃火器の類いは身に着けていない。
錬金術師だった。
自立稼働型人形の部品の製造には、錬金術師でなければ生み出せないものがあり、必然的にこの区域に出入りしているのが目に付く。互いに手を取り合い、技師と錬金術師の関係は良好だ。
また、端のほうの卓で、その様子を見て、面白くなさそうに酒を呷るものが続出してもいた。
一様にローブ姿をした魔導士たちである。
錬金術師の補助役として、魔導士協会から遣わされた末端の魔導士たちであるらしい。鬱憤が溜まっているのか、自棄酒が止まらない。ぶつぶつ何事か言っている。
それらの客層に挟まれながら、ロウェルたちは三人で、食事をしていた。
「やっぱり、この店の飯、美味いっすねえっ」
ロウェルが、こんがり焼いた鳥の香草焼きを、大雑把にナイフで刺し上げて、噛みちぎる。がつがつと食らった。
「それに、財布にも優しいとくれば、言うことはなにもないね」
アズランドが頷いた。甘酸っぱい香りのソースを掛けられた焼き魚を、フォークで切り分け、口に運び入れて味わう。
「アズランド、あなた……いつでもそれよね。まあ、たしかに、味は悪くないからいいけれど」
エリーゼが概ね同意して、チーズを溶かし込んだスープをスプーンで口に含み、愉しむ。
その三人の背後に立ち、フラワーゴーレムが首を回すようにして、順番に精結晶の光の視線を当てていた。
傍らでは、ロウェルの杭打ち機が向かい合って寝ており、合わせて見ると重量感が凄かった。木の床は、今のところ穴が空くような気配はない。
「いつでも、と言えばだけどさ」
ふと、思い出したように、アズランドが顔を上げる。コップの水を飲み切ってから、言葉を繋いだ。
「ロウェルの例の日課って、いつからつづけているんだい?」
「えっ?」
とりあえずロウェルは、口のなかのものをごくん、と胃に流した。そして、考えてみて、
「んー。いつからだったっけ……?」
疑問符を宙にたくさんつくって、悩んだ。
「五年前には、もうやっていたんじゃない?」
エリーゼがロウェルを見た。
ロウェルとエリーゼが知りあってからの年数が、それくらいのはずであるのは、ロウェルも覚えている。鮮明なほどに。今でも色褪せないでいるのは、強烈だったからだと思う。
それは難問なようなので、と苦笑する感じに、アズランドが質問を変えた。
「じゃあ、どうして、それを始めたんだい?」
「一日百善をやろうと思ったきっかけ、っすか?」
ああ、それなら、答えられるとロウェルは思った。
「そうそう。前から、少し、気になってたんだ」
「いや、でも……いつも達成不足なんすよ」
「けど、止めようとは思わないんだろう? それだけの、理由があるんじゃないかい?」
「んー、そんな大した理由じゃないんすけどね」
「いいじゃない。私も知りたいわ」
エリーゼも少しだけ、食いつく素振りをみせた。
まあ、いいか。ロウェルは、どう説明するか思案を重ねた。
手始めに、という感じにこう言った。
「十年くらい前、だったかな。おっさんが、一人、倒れてて」
「廃棄区画のなかで?」エリーゼが小首を傾げる。
「そっ。とりあえず、みんなで――廃棄区画の連中で、運んだんだけど」
ロウェルのねぐらは、当時からゴミで築かれた小屋だった。それでも、雨風は凌げるだけ、マシのはずだった。
“おっさん”というのは渾名みたいなもので、実際は老人と呼ぶべき風貌であったことをロウェルは述べ、
「いやー、これが偏屈なおっさんで」
翌日、目覚めたおっさんは、ろくに口を聞いてくれもしなかった。
どうにかみんなで調達してきた食事を――多くの場合、廃棄された残飯であったそれを――分け与えても、目を逸らす始末だ。とはいえ、しばらく経って行ってみると、なくなっているのだ。ちゃっかりしていたな、と今でも思う。
「それから少しして、酒を拾ったことがあって。けど、みんな子供だし。大人もいることにはいたけど、まだあんまり付き合いなくて」
廃棄区画の住人が、みんな親戚同士という仲ではないと伝えようとしてみたが、そもそも親戚ってどういう感じなんだ? と脱線しかけ、とにかく、そのときの大迫力のおっさんを思い出しながら、ロウェルは言った。
「その酒を見た途端、おっさん泣き出しちゃって」
「感涙ってことかな?」アズランドが相づちを打つ。
「あれ以上に、感動して泣いてる人は見たことないっすね」
誇る場面でもないが、そんな顔つきになってロウェルは返した。
それからというもの、おっさんは饒舌になった。
もともとは明るい性格の持ち主だったのか、ロウェルを含む子供たちと打ち解けていった。子供たちのほうも、残飯漁りのついでに、酒の調達を視野にいれるようになっていた。
「んで、いつだったかな。すっごく上機嫌なときがあって。もちろん、酔っぱらってたんすけど……」
〝悪い出来事より良い出来事が多くなれば人は幸せになれる″と、おっさんは豪語した。
「俺、子供ながらに思ったんす。――たしかに、って」
子供だから、というほうが正しいかもしれない。ロウェルは、至極単純な道理に、深く感銘を受けた。
「んじゃさ、みんながそうなれば世界中が幸せってことじゃん!」
と、当時の口ぶりを再現気味に、ロウェルは叫んだ。
ほかの卓から視線が集まるのを、アズランドがそれとなく愛想笑いで誤魔化すのに務め、エリーゼは知らない顔で通した。
「なんか、おっさんと意気投合しちゃって。そしたら、鍛えてやるって言ってくれて」
そのときはじめて、おっさんが武術の達人であるとロウェルは知った。
実際、恐ろしいほどに、強かった。
子供相手とはいえ、十人まとめて挑んでいっても、顔色ひとつ変えずに全員をなぎ倒したのだ。
デジールのような借金取りが、ゴーレムを引き連れて来たときなど、素手でゴーレムを粉砕したほどだ。
ますます、胸を打たれたロウェルは、彼に武術の手ほどきを三年にわたって受けたことを語り――そして、ある日、忽然と廃棄区画から姿を消したことを併せて告げた。
「……ってな、感じっす」
上手く説明できたかどうかわからないけど。そんな、不安をロウェルは顔に表す。
「ありがとう。興味深い話を聞かせてもらったよ。……なるほど、キミのその腕を見てると、二重に納得だ」
アズランドが、ロウェルの腕に視線を向けた。
食事中なので、今は道着の袖を捲り上げていた。おっさんがいなくってからも鍛錬を重ねた結果、鋼のような筋肉が出来上がっている。
剝き出しの刃物を直視するに近い目つきになり、アズランドは笑った。
「キミも、素手でゴーレムを砕けそうだけどね」
「いやー、さすがに無理っすよ。それで、いつもアレ使ってるんすから」
ロウェルは、フラワーゴーレムが前屈みになって見物している杭打ち機を見た。
「もとは、採掘機械かなんかだったのかな。あるいは、実を結ぶことのなかった研究品だったとか。この街、挑戦的な技師とか多いからなぁ」
アズランドも横目でそれを眺め遣る。少し感じ入る様子だった。作り手の熱意は凄そうだ、というふうに。
「組み立てたり、分解したりすんのも、俺好きで。ゴミ山のなかで、見つけた瞬間――閃いたっていうか。構造は、そんな複雑でもなかったし」
廃棄区画はロウェルにとって、ねぐらであると同時に、遊び場であり、稼ぎ場だった。状態が良い物に限るが、鉄くずは意外と、売れば金になるのだ。
アズランドはロウェルへ視線を戻して、
「ともあれ、そうして、一日百善を掲げて日々、走り回っているわけ、か。……悪い出来事より良い出来事が、多くある世界になるように」
しみじみと言った。
「変、すかね?」
「理想論だね」
アズランドが断言した。しかし、揶揄の響きはなかった。むしろ感心したようになって、こう続けた。
「理想は、言わば夢物語のようなものさ。決して、そこには、至れない。それが理想だ。けど、可能な限り、そうであろうとすることはできる。キミがやっているのは、そういうことさ」
「そんな、大層なことじゃないと思うんすけど」
「立派なことだと、俺は思うけどね」
「ちょっと、持ち上げすぎじゃない? ただ、愚直なだけよ」
ややむきになったように、エリーゼが口を挟む。どことなく、煙たそうな表情を浮かべている。
「がむしゃらにやっていれば、いつか、そんな日が来るかもしれない。見ていると、俺も協力したいと思えてくるよ。……ただ――あっ、お姉さん、これひとつ、お願い」
アズランドは言いかけ、通りかかったウェイトレスに卓上脇のメニュー表を指で示した。何杯も飲まない限りは、そうは酔わない軽めの酒だった。
ウェイトレスが注文に応じるために去ってから、
「キミたちも、一杯やるかい?」
アズランドが、ロウェルとエリーゼに、視線を交互に送る。
「俺、まだ十六なんす」
「私だって、無理ね」
「あれ」アズランドが意外そうな顔をした。エリーゼに対してだけ。
「なによ?」
「いや、お姫様は俺と同い年くらいか――もしかしたら、年上なのかな、と思ってたものでね」
国の決まりで、飲酒は十八歳以上と定められていることは、子供でも知っていることである。
ロウェルとて、どんな味がするのか、気にはなる。それでも、二年の我慢ができないわけでもない。
「私はまだ、十七よ」
ツンとして、エリーゼが返した。困ったような笑みでアズランドは応対する。
「これはどうも、ご無礼を。日頃から、大人びた――しっかりした女性だと、思っていたもので、ね」
「おべんちゃらは結構よ。……それより、昼間にあなたは私に訊きたいことがあるって、言ってたんじゃない?」
眉をひそめたまま、エリーゼが詰問調で言う。
それでロウェルも、思い出した。
アズランドがいつもなにかを調べて回っているのは、ロウェルは印象として持っている。それこそ、ロウェルの日課のように、いつも“ちょっとした用事”と称してあちこち出入りしているのだ。
そんなアズランドが、エリーゼに訊きたいこととは、いったい。
アズランドは、指で卓上を軽く叩きながら、迷う素振りをした。
そして、一枚の写真をジャケットの内側から取り出し、卓上に置いた。
「この人物について、なにか知っていることがあれば、教えてもらいたいんだ」
長い黒髪の、こけた頬の男が写った写真だった。装いは重々しい外套であり、それには勲章が幾つも胸で輝いている。
「だれかと思えば、クノッヘン卿じゃない」
そんなことだったの? というふうにエリーゼが答える。
「だれ?」写真を覗き込んで、ロウェルは首を傾げた。
常識を疑うような眼差しをエリーゼはロウェルに向け、アンタならそうよね、と納得した様子で、
「……偉い人よ。そうね、貢献者という意味では、この国で、一番なんじゃないかしら」
と言葉を選んでロウェルに言って聞かせた。
「ふーん」
ロウェルは、頷く。そうなんだ、という感想を抱くのがせいぜいだった。
エリーゼよりも、偉いのかというような解釈をしていた。
「お姫様の言う通りさ。現国王ペーターソンを支え、戦乱を鎮めることに尽くした。宮廷魔導士で、魔術的観点から王や軍略を補佐する人物だ。錬金術にも精通している。むしろ、こっちのほうが本業と言えるようだね」
そこで、アズランドはいったん区切りを入れ、
「魔力発電技術の確立。精結晶の錬金。自立稼働型人形の製法の拡大。……そこらで光っている電球にしたって、彼の産物によるものさ。なにせ、数々の偉業を成し遂げた“稀代の錬金術師”と称される人物なんだ」
やや口早に偉い人こと、クノッヘン卿の経歴を並び立てていった。
「そこまで知っているなら、私に訊くことなんてないんじゃない?」
エリーゼは、ほかになにを? と訴えるような顔でいる。
「個人的なことを、知りたいんだ。人柄とか噂話とか、なんだっていい」
いつの間にか、アズランドは真顔になっていた。ロウェルは、なんだか、初めて見る顔のような気がした。
「個人的なこと、って言われても。私だって、王宮にそんなに出入りすることはないし……あまり、表舞台に立たない人らしいから。式典に出席したとき、一度、見かけたくらいのものよ。あれは、王子の成人祝いの場だったかしら」
「そのときの印象は?」
少し考え込んで、エリーゼはこう告げた。
「……顔色が悪かったわね。無礼を承知で言ってしまうなら、ちょっと不気味なくらい。なにかしらの病を抱えているって、囁かれているみたいだけれど」
アズランドは握り拳をつくり、口元に押し当てた。如何にも思案に没頭している、という感じに。
「もう、質問はないわよね?」
エリーゼが、声を飛ばすと、
「あ、ああ……。ありがとう。参考に、なったよ」
肩を小突かれたようになり、アズランドが返事した。いつものさまになる微笑の、出来損ないみたいなものを顔に浮かべている。
なんか、変だな。らしくないな、とロウェルがぼんやり思った矢先のことだった。
不意に、外から悲鳴が聞こえ始めた。ロウェルが過敏に反応し、皿の上の料理を慌てて平らげる。
「五十善目だ!」
急いで席を立ち、椅子をぐらつかせた。杭打ち機を、まるで手袋みたいに軽々と両手に装着し、
「行ってくるっ!」
〈格安料理屋トラヴァー〉の扉をくぐり抜け、騒動の中心へ目掛けて、飛び出した。
「少し、ノルマの数を減らしてもいいんじゃないかな」
「あなたは行かないの?」
フラワーゴーレムの肩に身を預けたエリーゼが、アズランドを見下ろした。
「今回は、彼にお譲りしようかな。それに……」
「それに、なによ?」
「注文した料理を残すのは、百の不徳に値するものだよ」
アズランドの視線の先には、エリーゼの注文した料理がある。
それほど多くはないが、エリーゼがすぐに食べきるのは不可能だろう。ロウェルなら、一瞬かもしれない。
「いずれ、その不徳も帳消しにしてあげるわよ」
言い捨て、エリーゼは肩をすくめた。
フラワーゴーレムが木の床を軋ませてロウェルの後を追って行き、すぐに見えなくなった。
ちょうどそのとき、ウェイトレスが、アズランドの注文した酒を運んできた。
「ありがとう」
お決まりのような微笑で、酒を置いて行ったウェイトレスを見送った。かと思えば、
「錬金術による数々の利権……。金のため? いや、そんなんじゃない。名誉のためというのも違うだろう。それ以外の目的があったはずだ……」
アズランドは真剣――というよりも深刻な表情で、卓上の写真のなかの人物を見つめた。
「……出不精であるのは事実らしい。それが、あのとき、あの場には姿を見せていた――」
次第に、きつく睨むような目になっていった。
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