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七章
14、意味があるのならば
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アフタルはシャールーズの手を取り、そっと自分の頬に触れさせた。
なめらかな手触り。いつからだろう。彼が無精ひげを生やさなくなったのは。
小綺麗にしていても、そうでなくても、シャールーズであることに変わりはないから。あまり気にしていなかった。
「わたくしには伝えられないことがあるのですね。分かりました、あなたの仰る通りにします」
大丈夫。縁が切れるわけではない。
新たにラウルとの縁を重ねるだけなのだから。
「アフタルさま、本当によろしいのですか?」
椅子から立ち上がったラウルが、不安そうに問いかけてくる。
「ええ。契約を結びましょう」
アフタルがラウルに向かい合ったとき、シャールーズがその手を離した。指先が離れる瞬間、冷たい風が吹いた気がした。寒い季節ではないのに。
(シャールーズ?)
なぜだろう。一瞬、別れの予感がした。
だが確認するよりも先に、契約の儀が始まってしまった。
ラウルは自分の親指を噛むと、滲む血をアフタルのてのひらにつけた。
そして向かい合う形で、恭しくひざまずく。
「天の女主人より命を授かりし、我が名はラウル。光満ちるアフタル・サラーマの影として、我が石が砕け、光が失せるその日まで、常に己より彼女の益を優先することを、天の女主人に誓う」
涼しい声だった。
ラウルはアフタルの手を、自分の額につけた。
触れた箇所から、清冽な蒼の光が広がっていく。
光はラウルとアフタルを包み、そして静かに消えていった。
「これより私は、アフタルさまの僕。心を込めて、お仕え致します」
「これで終わりなのですか?」
「はい」
あまりにも呆気なく新たな契約は結ばれた。
呆然としているアフタルに、ラウルが囁く。
「ただの主従と割り切らせてください」
「それは、どういうことですか?」
「アフタルさまとの関係に、人のような感情を抱え込みたくはないのです」
ラウルが指す感情が、どのようなものかは分からない。きっと追求しない方がいいのだろう。
それにティルダードのことも聞かない方がいいに違いない。
あんなにもティルダードのことを可愛がっていたラウルが、あの子のことを口にしないのは理由があってのことだ。
「これでいいんですよね? シャールーズ」
シャールーズは瞬きすらせずに、アフタルのことをじっと見据えている。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。なんでもない」
「終わりましたよ」
「そうだな。ラウル、手はどうだ?」
問われたラウルが手をさしだす。もう床が透けて見えることもない。
(よかった。人の姿が保てるのですね)
それだけでも、この契約には意味があったのだと思える。
「じゃあ、これで問題なしってことだ」
シャールーズは、ひらひらと手を振って部屋を出ていこうとする。
アフタルは思わず、彼の服の裾を掴んだ。
このまま行かせてはいけないような気がしたから。理由は分からないけれど。
「何か用か?」
「用がなければ、引き止めてはいけませんか?」
「まぁ、いけなくはねぇな」
アフタルの心に影がよぎった。
(いえ。きっと思い過ごしです)
ラウルが部屋にいるにもかかわらず、アフタルはシャールーズにぎゅっとしがみつく。
その途端、シャールーズがびくっと身をすくめたのが伝わってきた。
(どうして?)
しばらく彼の胴に腕をまわしていたけれど、いつものようにシャールーズが抱き返してくれない。
まるで柱に抱き付いているみたいだ。
「もう気は済んだだろ?」
「えっ?」
「じゃあな。用事があるから、もう行くぜ」
「どこに行くんですか? 用事って?」
「主の許可がないと、俺は出歩いちゃいけないのか?」
まるで突き放すような話し方だ。
(いいえ、きっと理由があるんです。だって「信じろ」と言われたじゃないですか)
アフタルは、そっと腕を離した。
聞き分けが良くて真面目で、いい子でいようとする自分を、初めて恨めしいと思った。
なめらかな手触り。いつからだろう。彼が無精ひげを生やさなくなったのは。
小綺麗にしていても、そうでなくても、シャールーズであることに変わりはないから。あまり気にしていなかった。
「わたくしには伝えられないことがあるのですね。分かりました、あなたの仰る通りにします」
大丈夫。縁が切れるわけではない。
新たにラウルとの縁を重ねるだけなのだから。
「アフタルさま、本当によろしいのですか?」
椅子から立ち上がったラウルが、不安そうに問いかけてくる。
「ええ。契約を結びましょう」
アフタルがラウルに向かい合ったとき、シャールーズがその手を離した。指先が離れる瞬間、冷たい風が吹いた気がした。寒い季節ではないのに。
(シャールーズ?)
なぜだろう。一瞬、別れの予感がした。
だが確認するよりも先に、契約の儀が始まってしまった。
ラウルは自分の親指を噛むと、滲む血をアフタルのてのひらにつけた。
そして向かい合う形で、恭しくひざまずく。
「天の女主人より命を授かりし、我が名はラウル。光満ちるアフタル・サラーマの影として、我が石が砕け、光が失せるその日まで、常に己より彼女の益を優先することを、天の女主人に誓う」
涼しい声だった。
ラウルはアフタルの手を、自分の額につけた。
触れた箇所から、清冽な蒼の光が広がっていく。
光はラウルとアフタルを包み、そして静かに消えていった。
「これより私は、アフタルさまの僕。心を込めて、お仕え致します」
「これで終わりなのですか?」
「はい」
あまりにも呆気なく新たな契約は結ばれた。
呆然としているアフタルに、ラウルが囁く。
「ただの主従と割り切らせてください」
「それは、どういうことですか?」
「アフタルさまとの関係に、人のような感情を抱え込みたくはないのです」
ラウルが指す感情が、どのようなものかは分からない。きっと追求しない方がいいのだろう。
それにティルダードのことも聞かない方がいいに違いない。
あんなにもティルダードのことを可愛がっていたラウルが、あの子のことを口にしないのは理由があってのことだ。
「これでいいんですよね? シャールーズ」
シャールーズは瞬きすらせずに、アフタルのことをじっと見据えている。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。なんでもない」
「終わりましたよ」
「そうだな。ラウル、手はどうだ?」
問われたラウルが手をさしだす。もう床が透けて見えることもない。
(よかった。人の姿が保てるのですね)
それだけでも、この契約には意味があったのだと思える。
「じゃあ、これで問題なしってことだ」
シャールーズは、ひらひらと手を振って部屋を出ていこうとする。
アフタルは思わず、彼の服の裾を掴んだ。
このまま行かせてはいけないような気がしたから。理由は分からないけれど。
「何か用か?」
「用がなければ、引き止めてはいけませんか?」
「まぁ、いけなくはねぇな」
アフタルの心に影がよぎった。
(いえ。きっと思い過ごしです)
ラウルが部屋にいるにもかかわらず、アフタルはシャールーズにぎゅっとしがみつく。
その途端、シャールーズがびくっと身をすくめたのが伝わってきた。
(どうして?)
しばらく彼の胴に腕をまわしていたけれど、いつものようにシャールーズが抱き返してくれない。
まるで柱に抱き付いているみたいだ。
「もう気は済んだだろ?」
「えっ?」
「じゃあな。用事があるから、もう行くぜ」
「どこに行くんですか? 用事って?」
「主の許可がないと、俺は出歩いちゃいけないのか?」
まるで突き放すような話し方だ。
(いいえ、きっと理由があるんです。だって「信じろ」と言われたじゃないですか)
アフタルは、そっと腕を離した。
聞き分けが良くて真面目で、いい子でいようとする自分を、初めて恨めしいと思った。
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