上 下
71 / 153
六章

6、彼は少年のように

しおりを挟む
「こうも殿下と離れていると、演じる必要がなくなるのです。強くて正しいお目付け役という立場を。せめてシャールーズがいてくれたら……あの粗雑でいい加減で、だらしない彼を怒ることで、私は正しくいられるのですが」
「心配いりませんよ」

 アフタルは、ラウルの手をきゅっと握り返した。今の彼は、一人置いていかれた少年のように思えた。

「わたくし達は、その粗雑でいい加減でだらしない人を捜すために、国境を越えたんですから。あ、そうでした」
「アフタルさま?」
「湖を渡る舟を見たんです。水煙が上がるほどの速度を出せる人って、ミトラ姉さまくらいしかいませんよね」
「まぁ、確かに」

 ラウルはうなずいた。ようやくアフタルから手を離すと、髪についた砕けた石の粒を払ってくれる。
 とても丁寧な手つきだ。

「……アフタルさまは、私にとっても特別な方です。殿下の姉君でいらっしゃいますし、それに……兄……いや、あの生意気な兄気取りの彼が大事になさっている方ですから」
「ありがとう、ラウル」

 先が見えずに不安なのは、自分だけではない。

「大丈夫でいらっしゃいますか? 姫さま」
「ええ。ミーリャ、上から見た感じでは、漁師町も漁村もなさそうですが」
「あ、えっと。そうですね。カシアのことですから、あたしもちゃんと分からなくて」

 眠たそうな目のままで、ミーリャが横を向く。アフタルはじっと彼女の顔を覗きこんだ。

「ミーリャ、さっきラウルが使った力のことですけど。見ましたか?」
「あ、はい。すごい呪術でしたね」

 ミーリャの答えに、アフタルはにっこりと微笑んだ。

「道案内をお願いしますね、ミーリャ」

 町の入り口には石碑があり、朽ちて崩れた石像が二つ立っている。
 カシア語の会話本を手に、アフタルは石碑に書かれている文字を読み解く。

「『オスティア。……三……えっと?』」
「オスティアというのは、この町の名前です。堕落と退廃の三女神、ですね。都を所払いされた者が、ここで兵役に就く、でしょうか」

 どうやらミーリャは、ヤフダからカシア語の辞書も渡されていたようだ。

「では、この像が女神でしょうか。でも、二柱しかありませんね」
「元は三つあったかもしれませんよ」

 カシアは神を信じない国。なのに、なぜ女神像があるのだろうか。アフタルは考え込んだ。
 ミーリャはなおも碑文と格闘している。

「この石碑、古カシア語ですね。読みにくいです」
「すごいですね、ミーリャは。わたくしは現在のカシア語は会話程度しか」

 むしろ、かつては嫁ぎ先の候補であった、ウェド語の方が理解できる。

「語学は嫌いではないので」

 ミーリャは顔の前で、ぱたぱたと手を振る。目立たず、あえて化粧もせず。ぼんやりとした印象のミーリャだが、時折聡明さが透けて見える。

(学や知識を隠しきれないのですね)

 徐々に、アフタルの中で確信が強まっていく。ただミーリャの目的が、まだはっきりしていない。

(今ここで本人に尋ねても、素直に答えてくれるとは思えませんし)

 顎に手を当ててアフタルは考え込んだ。そんな彼女を案じてか、ラウルが肩に手を置いた。

「姫さま? さっきの落下で具合が悪いのでは? それともまだ船酔いが?」
「いえ、平気ですよ。ラウル」

 見上げると、やはりラウルは不安そうな表情を浮かべている。
 今は行動を共にしている上に、ティルダードとも離れているからしょうがないだろうが。
 ラウルは他のことよりも、アフタルを優先させようとしている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

婚約破棄が成立したので遠慮はやめます

カレイ
恋愛
 婚約破棄を喰らった侯爵令嬢が、それを逆手に遠慮をやめ、思ったことをそのまま口に出していく話。

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

神のいとし子は追放された私でした〜異母妹を選んだ王太子様、今のお気持ちは如何ですか?〜

星井柚乃(旧名:星里有乃)
恋愛
「アメリアお姉様は、私達の幸せを考えて、自ら身を引いてくださいました」 「オレは……王太子としてではなく、一人の男としてアメリアの妹、聖女レティアへの真実の愛に目覚めたのだ!」 (レティアったら、何を血迷っているの……だって貴女本当は、霊感なんてこれっぽっちも無いじゃない!)  美貌の聖女レティアとは対照的に、とにかく目立たない姉のアメリア。しかし、地味に装っているアメリアこそが、この国の神のいとし子なのだが、悪魔と契約した妹レティアはついに姉を追放してしまう。  やがて、神のいとし子の祈りが届かなくなった国は災いが増え、聖女の力を隠さなくなったアメリアに救いの手を求めるが……。 * 2023年01月15日、連載完結しました。 * ヒロインアメリアの相手役が第1章は精霊ラルド、第2章からは隣国の王子アッシュに切り替わります。最終章に該当する黄昏の章で、それぞれの関係性を決着させています。お読みくださった読者様、ありがとうございました! * 初期投稿ではショートショート作品の予定で始まった本作ですが、途中から長編版に路線を変更して完結させました。 * この作品は小説家になろうさんとアルファポリスさんに投稿しております。 * ブクマ、感想、ありがとうございます。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

処理中です...