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五章

4、会いたくもない人

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 疲れて眠ってしまったのだろう。夜中にアフタルは目覚めた。
 天井が違うことに、自分がどこにいるのか一瞬分からなくなった。

「お目覚めでいらっしゃいますか」

 アフタルの顔を覗きこんできたのは、ラウルだ。

「えっ。ここってわたくしの部屋ですよね」
「存じ上げております」
「どうして勝手に入っているんですか?」

 ラウルは屈みこんで「しーっ」と言いながら、唇の前で人差し指を立てた。

「離宮の庭に、人影を見ました」
「まさか。シャールーズ?」
「いいえ。残念ながら」

 ラウルは静かに首を振る。アフタルは落胆に肩を落とした。
 分かっている。あんな矢傷を負って、普通に戻ってこられるわけがないことを。

「門番はいないのですか?」
「正妃さまの護衛はおりますが。他に男性といえば、御者に庭師、下働きの者くらいだそうです」

 アフタルは寝間着の上からガウンを羽織り、長い髪を一つにまとめた。

「ミトラ姉さまと一緒に行きましょう。護衛とヤフダ姉さまは、正妃さまのお側に」
「了解いたしました」

 恭しく頭を下げ、ラウルは部屋を出ていった。
 アフタルは双子神ディオスクリの短剣を手にして、廊下へと出る。

 夜の静寂を破るように、離宮の扉を派手に叩く音が聞こえた。

「開けてください! 人を捜しているんです!」

 ホールへと続く階段を下りながら、アフタルとラウルは顔を見合わせた。

「人捜しに離宮へ? なんとも奇妙なことです」
「この声、聞き覚えがあります」

 アフタルは額を指で押さえた。
 懐かしいと言えなくもない、聞きたくもない声だ。

「ぼくの大事な人が、姿を消してしまったんです! こちらにいるはずなんです」

 けたたましく扉を叩く音。
 正妃についている護衛のうちの一人が、二階の廊下を駆けてきた。

「平気。あたしにまかせて!」

 護衛を押しとどめて、階段の手すりを滑り降りてきたのはミトラだった。
 細い手すりの上に立ち、あっという間に一階に到着だ。見事な平衡感覚としかいいようがない。

「ミトラ姉さま。さすがにそれはお行儀がよろしくないかと」
「うん。そう思ってね、淑女らしく手すりをまたいだりしなかったわ」
「……そこですか」

 ラウルがため息をついた。誰を相手にしても、彼は苦労性のようだ。

(まぁ、わたくしはそんなにラウルに心配をかけていませんよね)

 うんうん、とアフタルはうなずいた。

「あんた、誰よ! ここが王家の離宮であると知ってるんでしょうね」
「知っています。開けてください」
「名乗れって言ってんでしょ」
「ぼ、ぼくは、ロヴナ・キラドです」

 ドカッ!
 ミトラの蹴りで、重いはずの扉が勢いよく開いた。たぶんゆっくりと扉が開かれると思っていたのだろう。暗闇に、顔を押さえてしゃがみこむロヴナの姿があった。

「ア、アフタル! フィラを知らないか?」

 鼻を赤くしながら、ロヴナがアフタルの肩を掴む。だがすぐにアフタルの左右に視線を走らせた。

「あいつは? あの粗野な男は」
「少し席を外しているだけです。あなたほど粗野で乱暴な男性は、わたくしの知人にはおりませんが」

 ロヴナが、ほっと息をついた。だがすぐにミトラがロヴナに釘つき棒を突きつける。

「えっと、この女性は? 変わった護衛だね。えらく物騒だ」
「わたくしの姉、第二王女ミトラです」

 喉の奥にヒキガエルでも飼っているのかというような奇妙な音を、ロヴナが発した。

「あんたさぁ、なんで婚約破棄しておいて、何度もアフタルに関わるわけ? 別に王家はもうキラド家の交易に便宜を図ろうとも思わないし、あんたも誰と結婚しようが勝手だけどさ。今更、妹の周囲をちょろちょろされちゃ迷惑なのよ」
「フィラはこちらにはおりません。では失礼」

 アフタルはロヴナの眼前で、扉を閉めた。

「待ってくれ、アフタル。ぼくのフィラを返してくれ。君が彼女を隠したんじゃないのか?」

 扉を叩く音は、いつまでも止むことがなかった。
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