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四章
7、横転した馬車
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「そうですね。姫さまは、混乱のさなか王宮を脱出なさいましたから。ちゃんと召し上がらないと、考えもまとまりませんね」
「そんな風に言われると、恥ずかしいです」
ゾヤ女官長の母親のような態度が、嬉しくも照れてしまう。
それにシャールーズが食事をとらないから、自分の空腹が余計に気になってしまう。
「恥ずかしがることは、ねぇよ。生きるために大事なことだろ」
「そうですね、アフタルさま。殿下も、お好きなものばかり、召し上がっておいででしたよ。あのタルトは、殿下の好物でしたのに……」
ラウルの美しい瞳が翳る。
それは、この先のティルダードが幸せでいられないことを、案ずる瞳だった。
「追っ手は来ていないようですね」
窓を開き、アフタルは来た道をふり返った。やわらかな金髪が、砂混じりのきつい風になびく。
さして馬車が揺れるわけでもなく、離宮から王都までの快適な一本道。
三国の国境から王都へは馬車で半日。ならば騎馬ならば、どれほどの速さで到達するのだろう。
ともすれば、国境から騎馬兵が侵入した場合、王宮へはその報せよりも騎馬兵の到着の方が速い。
アフタルは、体を震わせた。
もし他国との戦争が起これば、迅速さは軍事にとって重要なこと。
サラーマの王族が離宮に赴くために敷かれた、この石畳舗装の快適な道は、サラーマを滅ぼす原因となりかねない。
これまで考えようともしなかった、自分の呑気さが恐ろしかったのだ。
ガタン!
突然の激しく馬車が上下し、体が揺さぶられる。
「きゃあっ!」
馬車のワゴン内にアフタルとゾヤ女官長の悲鳴が響いた。
横倒しになる馬車。
御者席から、ヤフダを抱えてミトラが飛び降りるのが見えた。ひらりと翻るスカートの裾。
「危ねぇな」
シャールーズがアフタルを、ラウルがゾヤ女官長を支える。
一瞬、外が鮮やかな青に輝いた。空の色とは明らかに違う。きらめくような青だ。
馬車に繋がれていた馬が自由になる。
馬車は地面に叩きつけられたのに。覚悟していたほどの衝撃は訪れなかった。
だが窓ガラスが割れて、その破片がアフタルを襲った。
シャールーズは舌打ちをして、その背でガラスの破片を受ける。
「シャールーズ!」
「平気だ。気にすんな」
「でも、怪我を」
シャールーズの腕の中に閉じ込められたままで、アフタルは身動きできずにいる。
「あのな、俺にとっては自分の怪我よりもアフタルが負傷する方が、よっぽどつらいんだ。いいかげん、そこのところを覚えておけ」
アフタルの髪に、シャールーズが顔を埋める。そして耳元に口を寄せた。今にも唇がアフタルの耳朶に触れそうな近さ。彼の息遣いを肌で感じてしまう。
「離宮に着いたら、アフタルに手当てをしてもらう。約束だぞ」
「……はい」
「そんな風に言われると、恥ずかしいです」
ゾヤ女官長の母親のような態度が、嬉しくも照れてしまう。
それにシャールーズが食事をとらないから、自分の空腹が余計に気になってしまう。
「恥ずかしがることは、ねぇよ。生きるために大事なことだろ」
「そうですね、アフタルさま。殿下も、お好きなものばかり、召し上がっておいででしたよ。あのタルトは、殿下の好物でしたのに……」
ラウルの美しい瞳が翳る。
それは、この先のティルダードが幸せでいられないことを、案ずる瞳だった。
「追っ手は来ていないようですね」
窓を開き、アフタルは来た道をふり返った。やわらかな金髪が、砂混じりのきつい風になびく。
さして馬車が揺れるわけでもなく、離宮から王都までの快適な一本道。
三国の国境から王都へは馬車で半日。ならば騎馬ならば、どれほどの速さで到達するのだろう。
ともすれば、国境から騎馬兵が侵入した場合、王宮へはその報せよりも騎馬兵の到着の方が速い。
アフタルは、体を震わせた。
もし他国との戦争が起これば、迅速さは軍事にとって重要なこと。
サラーマの王族が離宮に赴くために敷かれた、この石畳舗装の快適な道は、サラーマを滅ぼす原因となりかねない。
これまで考えようともしなかった、自分の呑気さが恐ろしかったのだ。
ガタン!
突然の激しく馬車が上下し、体が揺さぶられる。
「きゃあっ!」
馬車のワゴン内にアフタルとゾヤ女官長の悲鳴が響いた。
横倒しになる馬車。
御者席から、ヤフダを抱えてミトラが飛び降りるのが見えた。ひらりと翻るスカートの裾。
「危ねぇな」
シャールーズがアフタルを、ラウルがゾヤ女官長を支える。
一瞬、外が鮮やかな青に輝いた。空の色とは明らかに違う。きらめくような青だ。
馬車に繋がれていた馬が自由になる。
馬車は地面に叩きつけられたのに。覚悟していたほどの衝撃は訪れなかった。
だが窓ガラスが割れて、その破片がアフタルを襲った。
シャールーズは舌打ちをして、その背でガラスの破片を受ける。
「シャールーズ!」
「平気だ。気にすんな」
「でも、怪我を」
シャールーズの腕の中に閉じ込められたままで、アフタルは身動きできずにいる。
「あのな、俺にとっては自分の怪我よりもアフタルが負傷する方が、よっぽどつらいんだ。いいかげん、そこのところを覚えておけ」
アフタルの髪に、シャールーズが顔を埋める。そして耳元に口を寄せた。今にも唇がアフタルの耳朶に触れそうな近さ。彼の息遣いを肌で感じてしまう。
「離宮に着いたら、アフタルに手当てをしてもらう。約束だぞ」
「……はい」
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