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44、寂しい子どもたち
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「まだまだ子どものくせにね。三太っていうんだっけ? そういう精霊だか妖怪だかに憧れて、真似をしようとするんだから」
「鏡花さん。三太じゃなくて、サンタですね」
「あーら。昔は三太九郎って呼んでたわよ」
これだから、若い者は……と、見た目だけは二十歳くらいの鏡花さんが、ひらひらと手を振る。ちょっとおばさんっぽい動作で。
「もっと人の姿を保てると思ったんだけどね。あの子が少年の頃だったかな。人の世にいすぎたせいで、あたしは湖に戻らないと消えそうになったのよ。人間の姿が保てなくなっちゃったの」
「何も言わずに?」
「言えるわけないでしょ。あんたのお母さんは人じゃありませんよ、なーんて。ナイーブっていうの? 繊細な年ごろなのにさ。それに、あの水害でしょ。もうお手上げ」
その言葉通りに、鏡花さんは両手を挙げた。
「湖姫とか、神さまなんていっても無力なものよ。お祈りされても何もできやしないし、あの子はあたしの湖が見えない所に行っちゃうし。きっと逃げたのね。あの子との生活が楽しかったのは、あたしだけだったのかな」
「でも、先生は今も瑠璃湖を見てますよ」
「へ?」
素っ頓狂な声だった。
「見てますよ、ずっと」
「や、やだ。年寄りをからかうもんじゃないわよ」
鏡花さんは、もじもじと体をくねらせた。
「っていうか。あたしも見たわよ!」
さっきまで恥じらっていた鏡花さんが、急に目をひんむいたと思うと、わたしの両頬をつねった。
「ひてて……ひたいれふよー」
「あんた! 十五にもなって屋根の上で飛び跳ねてたでしょ! 足を滑らせて落っこちたらどうすんのよ。あの子なんてね、それで足首骨折して、手術して。何か月も松葉杖生活だったのよ」
なるほど。
だからわたしが屋根に上がるのを嫌がるし、高所恐怖症なんですね、先生は。
そう言いたかったのに、口から出てくる言葉は「ひゃるほろ」にしかならなかった。
それでもつねられても、トレイのレモネードをこぼさないわたし、えらい。
「あんたはね、お父さんとお母さんが最後まで守ってた子だったのよ。あたしはね、あんたの両親から頼まれたの。だから、大怪我されちゃったら、あたしの立場ってもんがないでしょ! 分かってんの?」
「でも、鏡花さんのせいで怪我しましたよ……」
「なによ」
ぎろりと睨まれてしまい、わたしはとっさに「以後、気を付けます」と答えた。
十年前の水害の時のことは、ほとんど覚えていない。
どうして湖に落ちたのかとか、どうやって助かったのかとか、ずっと知らなかったし。考えようともしなかった。
でも、わたしは託されたんだ。両親から鏡花さんへと。
だから今ここにいて、伊吹先生やすみれさんと一緒に暮らせてる。
「伊吹って名前をつけたのは、鏡花さんなんですか?」
「ああ、それね。あの子の父親と出会ったのが、あたしの神社の伊吹って木の下だったのよ。最初はね、青柳一族の中に溶け込んで生きてるだけで、満足だったんだけど。あたしのことを人じゃないって分かっていながら、好きなんて言うもんだから」
鏡花さんは、遠い目をした。
「人なんて好きになるもんじゃないわね。あんたらは弱すぎて。すぐにいなくなっちゃうから……ほんと、困るのよ」
鏡花さんは、またわたしの頬をつねった。
「おい、何をしてるんだ」
木道を歩く低い音と共に、伊吹先生が姿を現した。
「ぎゃー!」という叫びが湖畔に響く。白鷺やカイツブリが一斉に飛び立った。
わたしみたいな悲鳴を上げたのは、伊吹先生だ。
「こら、湖姫! 沙雪に何てことをするんだ」
「あらら、見つかっちゃったー」
「いたずら好きなのは、あんたの自由だが。俺の沙雪をこれ以上、いじめるなよ」
「……俺の?」
繰り返すわたしの言葉が耳に届いたのか、伊吹先生ははっとした表情を浮かべた。
ランタンの明かりしかない暗がりでも、分かる。
徐々に先生の顔は赤くなった。耳や首まではっきりと赤い。
ぷっと吹きだしたのは、鏡花さんだった。
「ごちそうさま。おいしかったわ」
「鏡花さん?」
「またご招待してねぇ。今度は巫女に見つからないように、招待状を置いてよね」
鏡花さんは氷だけになったグラスを、トレイに載せてきた。
トレイを持ったわたしは、伊吹先生の腕に閉じ込められた。
「あたし、帰るわ。じゃ、三太九郎がんばりなさいよね」
「三太九郎? なんだ? それは」
「ひ・み・つ」
人差し指でリズムを取りながら、歌うように言う。
「三太九郎は正体を秘密にするけど、その秘密を知らないでいてあげるのも、プレゼントをもらう方の礼儀よねぇ」
わたしに向かってウィンクすると、鏡花さんの姿は消えた。
まるで宵闇にすうっと溶け込むように。
さっきまで鏡花さんのいた場所からは、華やかなスターマインがあでやかな花を次々と咲かせている。
少し遅れて、ドンドン、ドンと花火の音が届いた。
このカフェを開いてよかったと思った。
寂しい子どもと、かつての寂しい子ども達。だからこそ宵待カフェは、ほんのひとときでも孤独を癒せる場所になり得るんだから。
「鏡花さん。三太じゃなくて、サンタですね」
「あーら。昔は三太九郎って呼んでたわよ」
これだから、若い者は……と、見た目だけは二十歳くらいの鏡花さんが、ひらひらと手を振る。ちょっとおばさんっぽい動作で。
「もっと人の姿を保てると思ったんだけどね。あの子が少年の頃だったかな。人の世にいすぎたせいで、あたしは湖に戻らないと消えそうになったのよ。人間の姿が保てなくなっちゃったの」
「何も言わずに?」
「言えるわけないでしょ。あんたのお母さんは人じゃありませんよ、なーんて。ナイーブっていうの? 繊細な年ごろなのにさ。それに、あの水害でしょ。もうお手上げ」
その言葉通りに、鏡花さんは両手を挙げた。
「湖姫とか、神さまなんていっても無力なものよ。お祈りされても何もできやしないし、あの子はあたしの湖が見えない所に行っちゃうし。きっと逃げたのね。あの子との生活が楽しかったのは、あたしだけだったのかな」
「でも、先生は今も瑠璃湖を見てますよ」
「へ?」
素っ頓狂な声だった。
「見てますよ、ずっと」
「や、やだ。年寄りをからかうもんじゃないわよ」
鏡花さんは、もじもじと体をくねらせた。
「っていうか。あたしも見たわよ!」
さっきまで恥じらっていた鏡花さんが、急に目をひんむいたと思うと、わたしの両頬をつねった。
「ひてて……ひたいれふよー」
「あんた! 十五にもなって屋根の上で飛び跳ねてたでしょ! 足を滑らせて落っこちたらどうすんのよ。あの子なんてね、それで足首骨折して、手術して。何か月も松葉杖生活だったのよ」
なるほど。
だからわたしが屋根に上がるのを嫌がるし、高所恐怖症なんですね、先生は。
そう言いたかったのに、口から出てくる言葉は「ひゃるほろ」にしかならなかった。
それでもつねられても、トレイのレモネードをこぼさないわたし、えらい。
「あんたはね、お父さんとお母さんが最後まで守ってた子だったのよ。あたしはね、あんたの両親から頼まれたの。だから、大怪我されちゃったら、あたしの立場ってもんがないでしょ! 分かってんの?」
「でも、鏡花さんのせいで怪我しましたよ……」
「なによ」
ぎろりと睨まれてしまい、わたしはとっさに「以後、気を付けます」と答えた。
十年前の水害の時のことは、ほとんど覚えていない。
どうして湖に落ちたのかとか、どうやって助かったのかとか、ずっと知らなかったし。考えようともしなかった。
でも、わたしは託されたんだ。両親から鏡花さんへと。
だから今ここにいて、伊吹先生やすみれさんと一緒に暮らせてる。
「伊吹って名前をつけたのは、鏡花さんなんですか?」
「ああ、それね。あの子の父親と出会ったのが、あたしの神社の伊吹って木の下だったのよ。最初はね、青柳一族の中に溶け込んで生きてるだけで、満足だったんだけど。あたしのことを人じゃないって分かっていながら、好きなんて言うもんだから」
鏡花さんは、遠い目をした。
「人なんて好きになるもんじゃないわね。あんたらは弱すぎて。すぐにいなくなっちゃうから……ほんと、困るのよ」
鏡花さんは、またわたしの頬をつねった。
「おい、何をしてるんだ」
木道を歩く低い音と共に、伊吹先生が姿を現した。
「ぎゃー!」という叫びが湖畔に響く。白鷺やカイツブリが一斉に飛び立った。
わたしみたいな悲鳴を上げたのは、伊吹先生だ。
「こら、湖姫! 沙雪に何てことをするんだ」
「あらら、見つかっちゃったー」
「いたずら好きなのは、あんたの自由だが。俺の沙雪をこれ以上、いじめるなよ」
「……俺の?」
繰り返すわたしの言葉が耳に届いたのか、伊吹先生ははっとした表情を浮かべた。
ランタンの明かりしかない暗がりでも、分かる。
徐々に先生の顔は赤くなった。耳や首まではっきりと赤い。
ぷっと吹きだしたのは、鏡花さんだった。
「ごちそうさま。おいしかったわ」
「鏡花さん?」
「またご招待してねぇ。今度は巫女に見つからないように、招待状を置いてよね」
鏡花さんは氷だけになったグラスを、トレイに載せてきた。
トレイを持ったわたしは、伊吹先生の腕に閉じ込められた。
「あたし、帰るわ。じゃ、三太九郎がんばりなさいよね」
「三太九郎? なんだ? それは」
「ひ・み・つ」
人差し指でリズムを取りながら、歌うように言う。
「三太九郎は正体を秘密にするけど、その秘密を知らないでいてあげるのも、プレゼントをもらう方の礼儀よねぇ」
わたしに向かってウィンクすると、鏡花さんの姿は消えた。
まるで宵闇にすうっと溶け込むように。
さっきまで鏡花さんのいた場所からは、華やかなスターマインがあでやかな花を次々と咲かせている。
少し遅れて、ドンドン、ドンと花火の音が届いた。
このカフェを開いてよかったと思った。
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