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22、千円札
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何かがぶつかる音がした。同時に、鏡花さんが悲鳴を上げる。
「いったぁい。どうしよう、血が出たわ」
「え? 大丈夫ですか」
「植木鉢が飛んできたのよ。痛い、痛いわ」
植木鉢は、すべて風の入りこまない場所に移動したのに。見落としがあったのかも。
わたしは思わず玄関を開けた。
それが失敗だった。
ガシッ、と玄関のドアの隙間に、サンダルを履いた足が突っ込まれる。
「もーう、やっと開けてくれた」
「け、怪我は?」
「ああ。困っちゃうわよね。ほら、ビニール傘が折れちゃった」
鏡花さんは曲がったビニール傘を、持ち上げた。
閉じられたままひしゃげた状態の傘は、風ではなく、玄関ポーチを殴りつけて折れたように見えた。
「ね、伊吹先生が帰ってくるまで、中で待たせてよ」
「無理です」
ドアを閉じようとするけれど、鏡花さんは体を割り込ませて中に入ってきた。
秋山の話から、派手なイメージを抱いていたけれど。実際は真面目そうな黒髪の女性だった。でも行動が……怖い。
「お邪魔しまーす」
勝手にそう告げると、鏡花さんはサンダルを脱ぎ散らかして、宵待荘に上がりこんだ。
折れた傘を放り投げるから、廊下が濡れてしまった。
「えーと、先生のお部屋はどこかなぁ。ねぇ、あなた。花見さんっていったっけ。教えてよ」
「な、何でですか。帰ってください」
「えー、無理よぉ。傘が壊れちゃったんだもの。ね、先生のお部屋は一階でしょ? 二階のはずないものね」
なぜか勝手にそう決めつけて、奥へと進む鏡花さんの服を、わたしは掴んだ。
「勝手に入らないでください」
「お邪魔しますって、言ったわよぉ。鏡花、礼儀正しいもの」
話が通じない。
わたしは唖然とした。
「あーあ、濡れちゃった。先にタオルを貸してちょうだい。それから温かい飲み物がほしいわ」
「帰ってください。どうして人の家に勝手に上がりこむんですか」
「なんで? ここって、お店なんでしょ。カフェだっけ? お金はちゃんと払うから、いいじゃない」
鏡花さんは鞄からお財布を出すと、千円札を取りだした。
「ほら、これでいいでしょ」
ひらひらと千円札が廊下に落ちていく。
床に落ちたお金を、さぁ、拾いなさいよとでもいうように、鏡花さんは顎を上げる。
「いりません。お引き取りください」
お金は大事。
でも、プライドを売り渡してまで欲しくはない。
「ふーん。でも聞いたわよ。あんた、ここの女主人を守るために、お金を稼いでいるんだって。千円じゃ足りない? もっとあげようか」
わたしは、指の関節が白くなるほどに、手をきつく握りしめた。
「あんたって『湿地の子』なんでしょ? 育ててくれた女主人や伊吹先生に恩返ししようなんて、えらいじゃない。でも、鏡花が頼んだことが聞けないなんて、何様って感じよね」
「……先生との仲を取り持てってことですか?」
くいしばった歯の間から、かろうじて声を出す。
「そうそう、それ。えっと、弟から聞いたんでしょ。鏡花のお願いを断るなんて、ありえないし。しかも『湿地の子』が、よ」
実際に、わたしにお願いしたことなんて一度すらなかったくせに。
全部弟に押し付けていたくせに。
『湿地の子』と罵られたのは、十五年生きてきて二度目だ。
一度目は、すみれさんが孤児だったわたしを引き取ってくれたとき。青柳の親戚が「『湿地の子』を育てるなんて」と渋い顔をしていた。
十年前、低地が湖に沈んでしまった水害。あの水害で孤児となった子ども達に対する蔑称が『湿地の子』だ。
こうして面と向かって罵られて、改めて気づいた。
今までのわたしは、皆にどれほど愛されていたのかを。
「いったぁい。どうしよう、血が出たわ」
「え? 大丈夫ですか」
「植木鉢が飛んできたのよ。痛い、痛いわ」
植木鉢は、すべて風の入りこまない場所に移動したのに。見落としがあったのかも。
わたしは思わず玄関を開けた。
それが失敗だった。
ガシッ、と玄関のドアの隙間に、サンダルを履いた足が突っ込まれる。
「もーう、やっと開けてくれた」
「け、怪我は?」
「ああ。困っちゃうわよね。ほら、ビニール傘が折れちゃった」
鏡花さんは曲がったビニール傘を、持ち上げた。
閉じられたままひしゃげた状態の傘は、風ではなく、玄関ポーチを殴りつけて折れたように見えた。
「ね、伊吹先生が帰ってくるまで、中で待たせてよ」
「無理です」
ドアを閉じようとするけれど、鏡花さんは体を割り込ませて中に入ってきた。
秋山の話から、派手なイメージを抱いていたけれど。実際は真面目そうな黒髪の女性だった。でも行動が……怖い。
「お邪魔しまーす」
勝手にそう告げると、鏡花さんはサンダルを脱ぎ散らかして、宵待荘に上がりこんだ。
折れた傘を放り投げるから、廊下が濡れてしまった。
「えーと、先生のお部屋はどこかなぁ。ねぇ、あなた。花見さんっていったっけ。教えてよ」
「な、何でですか。帰ってください」
「えー、無理よぉ。傘が壊れちゃったんだもの。ね、先生のお部屋は一階でしょ? 二階のはずないものね」
なぜか勝手にそう決めつけて、奥へと進む鏡花さんの服を、わたしは掴んだ。
「勝手に入らないでください」
「お邪魔しますって、言ったわよぉ。鏡花、礼儀正しいもの」
話が通じない。
わたしは唖然とした。
「あーあ、濡れちゃった。先にタオルを貸してちょうだい。それから温かい飲み物がほしいわ」
「帰ってください。どうして人の家に勝手に上がりこむんですか」
「なんで? ここって、お店なんでしょ。カフェだっけ? お金はちゃんと払うから、いいじゃない」
鏡花さんは鞄からお財布を出すと、千円札を取りだした。
「ほら、これでいいでしょ」
ひらひらと千円札が廊下に落ちていく。
床に落ちたお金を、さぁ、拾いなさいよとでもいうように、鏡花さんは顎を上げる。
「いりません。お引き取りください」
お金は大事。
でも、プライドを売り渡してまで欲しくはない。
「ふーん。でも聞いたわよ。あんた、ここの女主人を守るために、お金を稼いでいるんだって。千円じゃ足りない? もっとあげようか」
わたしは、指の関節が白くなるほどに、手をきつく握りしめた。
「あんたって『湿地の子』なんでしょ? 育ててくれた女主人や伊吹先生に恩返ししようなんて、えらいじゃない。でも、鏡花が頼んだことが聞けないなんて、何様って感じよね」
「……先生との仲を取り持てってことですか?」
くいしばった歯の間から、かろうじて声を出す。
「そうそう、それ。えっと、弟から聞いたんでしょ。鏡花のお願いを断るなんて、ありえないし。しかも『湿地の子』が、よ」
実際に、わたしにお願いしたことなんて一度すらなかったくせに。
全部弟に押し付けていたくせに。
『湿地の子』と罵られたのは、十五年生きてきて二度目だ。
一度目は、すみれさんが孤児だったわたしを引き取ってくれたとき。青柳の親戚が「『湿地の子』を育てるなんて」と渋い顔をしていた。
十年前、低地が湖に沈んでしまった水害。あの水害で孤児となった子ども達に対する蔑称が『湿地の子』だ。
こうして面と向かって罵られて、改めて気づいた。
今までのわたしは、皆にどれほど愛されていたのかを。
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