上 下
92 / 103
五章

1、瓦斯燈まで

しおりを挟む
 そろそろ秋になりそうなのが、空の色で分かる。
 この辺りは海の側やから、湿気が多いんやって。それで滲んだみたいな水色の空になることが多いんやけど。
 秋になると、そのくすんだ色から白い色をすぱっと抜いたみたいに、くっきりとした深い青になる。

 母さんと欧之丞とぼくで、今日は海の近くを散歩している。
 風がちょっと強いんか、普段はあんまり聞こえへん波音が聞こえてくる。
 
 なんか遠い所から聞こえてくる音楽みたいや。

「あの病院で琥太郎さんは生まれたのよ。二階の、あの窓のお部屋ね」

 潮の匂いのする風に揺れる着物の袂を押さえながら、母さんが洋館を指さした。鎧壁っていう、ちょっと変わった感じの壁や。
 
 覚えてるわけはないけど。それでも父さんから、ぼくが産まれた時のことや、母さんが今にも死にそうで大変やったことを聞いたことがあるから。
 知ってるような知らんような不思議な感覚で、そのモダンな建物を眺めた。

「俺は? 俺はどこで生まれたの?」
「え?」

 欧之丞に袖を引っ張られて、母さんは立ち止まった。

「俺もあの病院で生まれたの? こたにいとおんなじ部屋?」
「それは、どうかしら。お家で赤ちゃんを産む人も多いから。ちょっと分からないわ」
「えーっ」

 母さんの説明に、欧之丞は口をとがらせた。
 
「今度、お清さんに訊いておきましょうね」と、母さんが道にしゃがみこんで欧之丞の頭を撫でる。お清さんというのは、欧之丞の家で働いとう人や。
 さらりとした黒髪が、母さんの白い指の間から見え隠れする。

「俺もこたにいと、おんなじとこがいい」
「そうね」

 母さんは困ったように眉を下げた。松林を吹き抜ける風が、母さんの結い上げた髪のおくれ毛を揺らす。
 くせのあるふわっとした母さんの髪、ぼくのとよう似てる。
 澄んだ日差しに照らされた母さんとぼくの髪は、まるで茶色いように見えるけど。欧之丞のまっすぐな髪は、黒々としてる。

 こんな時や。ぼくはお兄ちゃんやのに、欧之丞のほんまのお兄ちゃんとちゃうから。
 欧之丞は、よその子やっていう事実を思い出してしまうんは。

 ぼくは欧之丞の手をきゅっと掴んだ。
「なに? どうしたんだ?」と欧之丞はびっくりして目を丸くするけど。
 欧之丞は気付かんでええねん。その気持ちが……母さんの子どもやないこと、ほんまのお母さんがもうおらへんこと、それら全部ひっくるめて寂しいんやっていうことは、知らんでええねん。

 今みたいに寂しなったら、ぼくが手ぇつないだるから。
 いつまでも一緒にいたげるから。

「こたにい、俺と手をつなぎたいのか?」
「え?」

 つなぎたいけど、つないであげてるっていうか。
 素直に頷くには、ちょっと抵抗がある訊かれ方やった。

「もーぉ、こたにいは甘えん坊だな。しょうがないなぁ」
「ちょ、そういうのとちゃうんやって」
「え? じゃあ俺と手をつなぎたくないのか?」

 くりっとした汚れのない黒い瞳で、欧之丞がぼくを見つめてくる。その目には、明らかにおろおろした表情のぼくが映ってる。
 欧之丞はというと、ほんまに素直な感じで尋ねてるみたいで。何かを含んだような、企んだような雰囲気はみられへん。

 え、どう答えたらええん? ぼく、もしかしたら試されてる?

「えっと、欧之丞と手ぇつなぎたいで」
「どこまで?」

 へ? 今日の欧之丞はちょっと扱いづらいで。

「えーと、そうやな。あの瓦斯燈のとこまで」と、ぼくは指で指し示した。

「瓦斯燈まででいいのか? 家までじゃなくて大丈夫?」

 身を乗り出して訊いてくる欧之丞は、瞬きもせぇへん。ぼくの手を握りしめて、じーっと見つめたままや。
 せやから、ぴんときた。
 そっか。欧之丞がずっと手を繋いでいてほしいんやな。

 しゃあないな。ここは兄ちゃんが気を利かせたろ。

「瓦斯燈までやのうて、家まで欧之丞と手ぇつなぎたいなー」
「ほんとに?」
「うん、ほんまやで」

 欧之丞の声が、突然弾んだ。ぼくは笑いをかみ殺して、何度もうなずく。
 小さい子どもなんやから、素直に兄ちゃんに甘えたらええのに。

 というか、五歳でここまで気をまわす子どもって普通おらへんやんなぁ。
 ぼくって、やっぱり賢くて聡いんやなぁ。
 
 なんか、くすくすという声が聞こえてぼくは顔を上げた。
 母さんがぼくに背を向けて、肩を震わせとった。

 んもーっ。笑わんといてよ。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...