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四章

20、しまった

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 うーん、おもいぃ。苦しいぃ。
 なんか体が動かへん。
 ぼくは息苦しさと身動きのとれへんしんどさで、うなってた。

 なにこれ、棒みたいなのがのっとう。
 力を込めてそれを押しのけると「いてっ」と声が聞こえた。

 ぼんやりと霞んだ目で見てみると。欧之丞がころんと転がっていくとこやった。
 え、なんで? 寝相が悪いんはぼくの方と違たん?

「やっと起きた。こたにいが起きるのまってたんだぞ」
「やっとって、まだそんな時間やないやろ。だってぼくは早朝に起きるつもりで……」

 なんで縁側の向こうの庭は、こんなにまぶしいん?
 夏の朝特有の、うっすらと靄がかかった感じでもない。
 しかも「ミーンミーン」って蝉の声が聞こえる。

 もしかして寝坊してしもた?
 ぼくは慌てて庭に飛び出した。草履も履かんと、足の裏が痛いけど。それも気にならんくらいに急いでた。

「朝顔、朝顔は?」

 いくつか並んだ鉢には、行灯仕立ての朝顔が花を咲かせてた。青い花、つつじみたいな赤紫の花、それから薄紅の花。
 けど、どれも少し元気がない。花びらの縁がしなっとしてる。
 しおれるほどではないけど、でも……ぼくの飴とおんなじ紫で白の絞りが入ってる花がない。

 もしかして泥棒?
 ううん。ヤクザの家に泥棒に入るような奴はおらんやろ。

 途方に暮れるぼくの耳には、蝉の声がやたらとうるさく聞こえた。照りつける太陽も、ぎらぎらと音が聞こえるほどや。
 蝉も太陽も、ぼくを責めてるみたい。

――ジブン、早起きするんとちゃうかったん?
――あらー、子どもにはお天道さまが昇る前に起きるなんて無理よねぇ。
――夜更かししたからちゃいますか? 子どもやのに。

 そんな幻の声が聞こえてくるように思えて、ぎゅっと瞼を閉じて両手で耳をふさぐ。

 ちゃうもん。普段のぼくやったら起きれるもん。疲れとっただけやもん。
 でも……そういうの甘えっていうんやろな。

 そら、寝坊したんはぼくやけど。どの朝顔ももう元気がないけど。
 でも、なんで飴ちゃんにそっくりなのがないん?

「こたにい。こっち」

 ちゃんと草履を履いた欧之丞が、寝間着姿のままでぼくを手招きしてる。その姿がぼやけてるから、自分が涙ぐんでるのに初めて気づいた。

「なに? 欧之丞」
「こっち来て。こっちこっち」

 拳で涙を乱暴にぬぐい、泣いてるのを気づかれんように大きい声を出す。そうやないと声が震えてしまいそうやったから。
 
 欧之丞はぼくの手を握って、玄関の方へと引っ張っていった。
 ぼくよりも小さくて温かい手。それやのに、なんかぼくの方が小さい子みたいで恥ずかしい。

「ほら、ここにあるぞ」

 指さす先を見ると玄関の軒先に、ほんのり仄暗い影になった部分に紫の朝顔が咲いとった。
 はかないほどに薄くって、羽衣みたいな紫の花弁。そこに白い絞りが絵の具を散らしたみたいに入ってる。

「なんで? 普段は玄関に置いてないのに」
「蒼一郎おじさんが運んでたよ。俺、厠に行ったときに見たんだ。『おじさん、何してるの?』ってきいたら『琥太郎が目ぇ覚ました時に、しおれとったら残念がるやろ』って言ってた」
「父さんが?」

「絲おばさんが『玄関の軒がいいですよ。日中でも涼しいですから』って言ってた」

 そうなん?

「俺も手伝った! ちょっとだけど」

 まだ夜が完全に明けきる前、前栽の木々の緑に霞む中を父さんと欧之丞が朝顔の鉢を運ぶ。
 そして二人を手招きする母さん。
 その光景が頭をよぎった。

 きっと父さんは一人で運んだ方が、楽やったやろ。身長が違いすぎるんやもん。

 ぼくはほっぺたが緩むのを感じた。力を入れとかんと、にやけてしまいそうやった。
 みんなの気持ちがうれしい。

 ぼくが疲れとうから起こさんようにして、それで朝顔がしおれてしまわんように、気を遣ってくれて。
 ほんまに子ども扱いやけど。
 子ども扱いされるのを、こんなに面映ゆくてうれしく感じたことはなかった。
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