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三章

21、タスケテ

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 しばらくして戻ってきた欧之丞は、豆皿を手にしとった。
 座布団の前に皿を置いて、そこに烏瓜を載せていく。

 食べろ、ということやんな。
 ぼくと母さんは顔を見合わせた。
 欧之丞は「はい、どうぞ」と言いながら、父さんにも烏瓜を勧めている。

「俺は燈灯ランプにしようと思とったんやけど」
「また摘みに行こ、おじさん」
「それはええで。でも、烏瓜って食えるんか?」
「食べられるよ、きっと」

 父さんの向かいの座布団にちょこんと座った欧之丞は、お行儀よく「いただきます」と手を合わせた。

 父さんと母さんとぼく、三人が欧之丞を凝視しとう。沈黙が辺りを支配して、部屋に飾ってある花からひとひらの花びらがぽとりと畳に落ちる音が聞こえた。

「なぁ、今更やけど。食べへん方がええんとちゃうん?」
「だーいじょうぶ」

 なんで、そないに自信満々なん? どこに美味しいという根拠があるん? ふつう果物いうたら、お日さまがさんさんと輝く下でなるもんとちゃうん?

 あんな日陰の薄暗くて、鬱蒼として湿った川沿いでなってる実がおいしいとは到底思われへんのやけど。

「わ、わたしは丸かじりはちょっと」
「ぼくも」
「そうだわ。お台所から包丁を持ってこようかしら」

 ぼくらがためらっている内に、欧之丞は橙色の烏瓜にかじりついた。そして咀嚼する。

「あっ」

 声を上げたんは、ぼくやった。
 にこにこしとった欧之丞の顔が、一瞬凍る。
 そして、そのまま畳に倒れたんや。

「欧之丞っ」
「大丈夫か、しっかりしろ。吐け、吐くんや。ぺってするんや」
「ああ、神さま。どうかお慈悲を」

 駆け寄るぼくらの真ん中で、欧之丞はうつ伏せに倒れたままや。

「ま……まずい」

 ようやく絞り出した声は、震えとった。
 父さんは欧之丞の体を起こして、口を開かせる。

「あかん。こいつ根性が座っとう。もう飲み込んでしもとう」
「……タスケテ」

 もはや日本語なのか外国語なのか分からないほどの、たどたどしい言葉だった。

「どないしたらええん? 口直しは何がええん。飴とか」
「欧之丞さんは、甘いものは苦手よ」
「そうか。烏瓜の甘さに欧之丞はやられたんや」

 ぼくの言葉が届いたんか、欧之丞はふるふると力なく首を振る。

「アマい……ちょっとアマくて、ニ、ニガくて、シブ……い」
「もうっ。そんな満身創痍で味を伝えんでええから」

 とりあえず水やろか。
 ぼくは台所に走った。

 ほんまに手のかかる子やで。一年前、ぼくが四歳の時はあんな風に悪いことはせんかったのに。
 んもーっ。弟ってほんまに厄介やな。

 厄介で面倒で、騒動ばっかり起こして。
 
「……退屈はせぇへんけど」

 台所に飛び込んだぼくに、波多野が目を丸くした。

「どうしたんですか、若。何かありましたか。まさか絲お嬢さんが倒れはったとか」
「なんで波多野はいっつも母さん優先なん? ちゃうて。欧之丞が倒れてん」
「えっ!」

 フリルのついた白い割烹着姿の波多野は、あっというまに台所からいなくなった。
 もう、水を汲むのん手伝ってくれたらええのに。

 井戸水を出す取っ手は重くて、ぼくは全体重をかけて何とか水を出した。
 あかん。水を入れるコップを用意してへんかった。
 
 ぼくとも思えへん失敗や。
 ざーざーと流しから聞こえる水音を耳にしながら、急いで食器棚からコップを出す。
 戻ってきた時にはもう、水は止まっとった。

 あー、もう。お兄ちゃんって面倒くさい。

 なんでも人にしてもらうことに慣れとったぼくにとって、欧之丞はほんまに手のかかる子ぉやった。
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