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三章
8、夕暮れの追跡【2】
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父さんと欧之丞は仲良く手をつないで、薄暗くなった道を歩いとった。
空はまだ夕暮れの紫や薄紅の色やのに。二人が向かう先は、影絵みたいや。
小川にかかる木の小さい橋を渡って、さらに欧之丞は進んでいく。その先は、初夏には螢がよう飛んどう場所や。
そういえば欧之丞と出会った頃には、もう螢の時季は過ぎとったから。一緒に螢狩りに来たことはない。
また来年、連れてきてもらおかな。
「琥太郎さん。手をつなぎましょうね」
木の橋の前で母さんが立ち止まって、ぼくに手を差し伸べてきた。
ははーん。きっと暗いのが怖いんやな。
けど、ぼくはええ子やから。ちゃんと子どもらしく、母さんと手をつなぐ。
母さんの左の薬指には、小さな宝石が煌めいとった。
珍しいなぁと思ったら「絲さんは大事にしすぎて滅多につけへん」と、父さんがこぼしとったんを思い出した。
背後からは波多野の気配がする。やっぱりついてきてもろて正解やんか。
「苔むした橋ですからね、足を滑らせては大変ですよ」
「うん、わかった」
後ろで波多野が笑いを噛み殺しているのが分かる。たぶん父さんやったら「絲さんこそ、足を滑らせんようにな。それ、絲さん自身に対する注意なんやろ?」って突っ込んで、母さんを膨れさせるんだ。
けど、ぼくも波多野もその辺は失敗せぇへん。
だって、母さんの機嫌を取る父さんは大変そうやもん。まぁ、自業自得やけど。
橋を渡ったら、ヴォォヴォォォという妙な声が聞こえてきた。空気を震わせるみたいな鳴き声。それと水に匂いが濃くなってくる。
「変な声が聞こえますね」
立ち止まった母さんが、ぼくの手をぎゅっと握りしめてくる。
「蛙やで」
「え、でも。蛙ってゲロゲロじゃないんですか? ケロケロとか」
あれ? もしかして母さんはウシガエルを知らんのやろか。
なんかぼくが生まれるよりも前に、お肉を食べるために日本に持ち込んで、それがあちこちで繁殖しとうとか読んだことがあるけど。
「母さんが言うとうのはアマガエルとかやろ? 緑で小さいの」
「ええ、そうですよ」
「あのヴォォって鳴いてるのウシガエルやで。こーんなに大きいねん」
ぼくは母さんから手を離して、ウシガエルのだいたいの大きさを両手で示した。
母さんが「ひっ」と引きつった声を出した。辺りは暗かったけど、その顔が強張ってるのが分かる。
「もしかしてわたし達に内緒なのは、ウシガエルをお庭の池で飼うのかしら」
「えっ?」
今度はぼくが顔を引きつらせる番やった。
「ど、どうしましょう。止めた方がいいわよね」
「でも父さんが許してるし」
「いや……それでも庭の池にウシガエルが繁殖してるのは困ります。あいつらすごい繁殖力ですからね」
なぜか波多野まで話に加わってきた。
「庭の池から、でかいウシガエルがびょんびょん跳びはねて、それが縁側やら部屋に入ってきたら困るでしょ」
波多野の言葉は怪談なみの恐ろしさや。ぼくと母さんは悲鳴を上げつつ、互いに抱きしめあった。
怖い。ほんまに怖い。
暑い盛りやから、夜は蚊遣りを焚いて蚊帳を吊るして寝ることもあるけど。
ウシガエルが何匹も、寝てるとこに入ってきたらどうしよ。
「止めなければなりません」
突然、母さんは拳を握りしめて立ち上がった。
「ええ、今はわたしが欧之丞さんの母親なんです。良いことと悪いことはちゃんと教えてあげなければ。蒼一郎さんは、欧之丞さんに嫌われたくないから甘いんです」
突然、躾というか教育に熱がこもったみたいや。
暗いのが怖いはずの母さんは、ぼくを波多野に預けて夏草に覆われた道を、ずんずんと進んだ。
というか、父さんってそんな人やったっけ? 母さんはよっぽどウシガエルが怖いから、躍起になっとうみたいやけど。
でも、ぼくもウシガエルと一緒に暮らすんはいやや。
空はまだ夕暮れの紫や薄紅の色やのに。二人が向かう先は、影絵みたいや。
小川にかかる木の小さい橋を渡って、さらに欧之丞は進んでいく。その先は、初夏には螢がよう飛んどう場所や。
そういえば欧之丞と出会った頃には、もう螢の時季は過ぎとったから。一緒に螢狩りに来たことはない。
また来年、連れてきてもらおかな。
「琥太郎さん。手をつなぎましょうね」
木の橋の前で母さんが立ち止まって、ぼくに手を差し伸べてきた。
ははーん。きっと暗いのが怖いんやな。
けど、ぼくはええ子やから。ちゃんと子どもらしく、母さんと手をつなぐ。
母さんの左の薬指には、小さな宝石が煌めいとった。
珍しいなぁと思ったら「絲さんは大事にしすぎて滅多につけへん」と、父さんがこぼしとったんを思い出した。
背後からは波多野の気配がする。やっぱりついてきてもろて正解やんか。
「苔むした橋ですからね、足を滑らせては大変ですよ」
「うん、わかった」
後ろで波多野が笑いを噛み殺しているのが分かる。たぶん父さんやったら「絲さんこそ、足を滑らせんようにな。それ、絲さん自身に対する注意なんやろ?」って突っ込んで、母さんを膨れさせるんだ。
けど、ぼくも波多野もその辺は失敗せぇへん。
だって、母さんの機嫌を取る父さんは大変そうやもん。まぁ、自業自得やけど。
橋を渡ったら、ヴォォヴォォォという妙な声が聞こえてきた。空気を震わせるみたいな鳴き声。それと水に匂いが濃くなってくる。
「変な声が聞こえますね」
立ち止まった母さんが、ぼくの手をぎゅっと握りしめてくる。
「蛙やで」
「え、でも。蛙ってゲロゲロじゃないんですか? ケロケロとか」
あれ? もしかして母さんはウシガエルを知らんのやろか。
なんかぼくが生まれるよりも前に、お肉を食べるために日本に持ち込んで、それがあちこちで繁殖しとうとか読んだことがあるけど。
「母さんが言うとうのはアマガエルとかやろ? 緑で小さいの」
「ええ、そうですよ」
「あのヴォォって鳴いてるのウシガエルやで。こーんなに大きいねん」
ぼくは母さんから手を離して、ウシガエルのだいたいの大きさを両手で示した。
母さんが「ひっ」と引きつった声を出した。辺りは暗かったけど、その顔が強張ってるのが分かる。
「もしかしてわたし達に内緒なのは、ウシガエルをお庭の池で飼うのかしら」
「えっ?」
今度はぼくが顔を引きつらせる番やった。
「ど、どうしましょう。止めた方がいいわよね」
「でも父さんが許してるし」
「いや……それでも庭の池にウシガエルが繁殖してるのは困ります。あいつらすごい繁殖力ですからね」
なぜか波多野まで話に加わってきた。
「庭の池から、でかいウシガエルがびょんびょん跳びはねて、それが縁側やら部屋に入ってきたら困るでしょ」
波多野の言葉は怪談なみの恐ろしさや。ぼくと母さんは悲鳴を上げつつ、互いに抱きしめあった。
怖い。ほんまに怖い。
暑い盛りやから、夜は蚊遣りを焚いて蚊帳を吊るして寝ることもあるけど。
ウシガエルが何匹も、寝てるとこに入ってきたらどうしよ。
「止めなければなりません」
突然、母さんは拳を握りしめて立ち上がった。
「ええ、今はわたしが欧之丞さんの母親なんです。良いことと悪いことはちゃんと教えてあげなければ。蒼一郎さんは、欧之丞さんに嫌われたくないから甘いんです」
突然、躾というか教育に熱がこもったみたいや。
暗いのが怖いはずの母さんは、ぼくを波多野に預けて夏草に覆われた道を、ずんずんと進んだ。
というか、父さんってそんな人やったっけ? 母さんはよっぽどウシガエルが怖いから、躍起になっとうみたいやけど。
でも、ぼくもウシガエルと一緒に暮らすんはいやや。
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