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三章
1、母さんと散歩【1】
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ちょっと前のことや。欧之丞が自分の家に帰った。
高瀬の家で働いとうお清さんが迎えにきたんや。
ぼくにはよう分からへんけど、欧之丞の今後のことで一度戻るんやと父さんが言うとった。
この家に戻ってくるのは一週間後っていうとった。
今日で何日目やろ。
……嘘や。毎日指折り数えとうから、ちゃんと分かっとう。今は五日目や。
ぼくは派手な芙蓉の飾られた客間で、一人ぽつんと座っとった。
母さんが箒で床を掃いとう。
しゅっしゅっという箒と畳が擦れる音。
「ああ、絲お嬢さん。そんなん私らがしますから」と、後を追う波多野の声が聞こえる。
おかしいなぁ。元の生活に戻っただけやのに、物音や組員の話し声も聞こえるのに。
なんでこないに静かなんやろ。
うちの天井はこんなに高かったっけ。元々広い家やけど、もっともっと広く感じる。
ううん、ちゃうな。
がらんとしてるように思う。
「大丈夫? 琥太郎さん」
結局、波多野に箒を取り上げられた母さんがぼくの顔を覗きこんできた。
「平気やで。元気やもん」
「そうね。体は悪くはなさそうね。でも、しょんぼりしているわ」
「……うん」
「奇遇ね。わたしもなの」
母さんはぼくのとなりに正座をして、情けない笑みを浮かべた。
似合てない白い割烹着を脱いで(フリルのついた可愛いやつなんやけど、フリルの割烹着はなぜか波多野の方がよう似合う)それを丁寧にたたむ。
「不思議ねぇ。欧之丞さんがいないだけで、こんなにも静かだったのかしら」
「あいつ、ちっちゃいけどうるさいから」
最近は、圖鑑を本棚から出してもいない。
この間は母さんが貸本屋に連れて行ってくれたけど。読みたい本がなかった。
ちゃうな。欧之丞に読ませたい本ばっかりに目がいって。結局自分の本を選べへんかった。
「琥太郎さん。少しお散歩しない?」
「う、うん。ええけど」
まだ朝早いのに、ふだんはこんな時間に散歩なんかせぇへんのに。どないしたんやろ。
麦わら帽子を手にすると、もう一つおんなじ帽子が並んでるのが目に入った。
あいつ、出かける時にちゃんと帽子をかぶっとんやろか。
まぁ、お清さんがおるから。ぼくが心配することやないけど。
日傘を手にした母さんは、涼しそうな水色の紗の着物姿で玄関で待っとった。白っぽい帯に、帯留めは氷みたいな透明な宝石やった。
「あら」と、母さんはぼくの手元を見て目を丸くした。
ぼくは麦わら帽子をかぶって、そして手元に欧之丞の分の帽子を持っとった。
「どうして分かったの? 欧之丞さんの様子を見に行くって」
「そんなん考えんでも分かるもん」
ぼくは澄ました顔で言うたけど。
嘘やった。
実は内心、めっちゃ喜んどったんや。
けど「わーい」なんて言うたら、子どもっぽいやん。
普段よりも時間が早いせいか、大學生の姿が見える。
白い開襟シャツに黒いズボン、それと角帽をかぶってる。背も高いし、むさくるしいし。なんか怖い。
「今は夏休みですから、女學生の娘さんたちはいないわね」
「なんで大人は休みとちゃうん?」
「そうね。どうしてかしら。研究室に入ると休めないとは言うわねぇ。でも文科の人も、お勉強が大変なんでしょうね」
勉強は好きやけど。勉強ばっかりは嫌やなぁ。
高瀬の家で働いとうお清さんが迎えにきたんや。
ぼくにはよう分からへんけど、欧之丞の今後のことで一度戻るんやと父さんが言うとった。
この家に戻ってくるのは一週間後っていうとった。
今日で何日目やろ。
……嘘や。毎日指折り数えとうから、ちゃんと分かっとう。今は五日目や。
ぼくは派手な芙蓉の飾られた客間で、一人ぽつんと座っとった。
母さんが箒で床を掃いとう。
しゅっしゅっという箒と畳が擦れる音。
「ああ、絲お嬢さん。そんなん私らがしますから」と、後を追う波多野の声が聞こえる。
おかしいなぁ。元の生活に戻っただけやのに、物音や組員の話し声も聞こえるのに。
なんでこないに静かなんやろ。
うちの天井はこんなに高かったっけ。元々広い家やけど、もっともっと広く感じる。
ううん、ちゃうな。
がらんとしてるように思う。
「大丈夫? 琥太郎さん」
結局、波多野に箒を取り上げられた母さんがぼくの顔を覗きこんできた。
「平気やで。元気やもん」
「そうね。体は悪くはなさそうね。でも、しょんぼりしているわ」
「……うん」
「奇遇ね。わたしもなの」
母さんはぼくのとなりに正座をして、情けない笑みを浮かべた。
似合てない白い割烹着を脱いで(フリルのついた可愛いやつなんやけど、フリルの割烹着はなぜか波多野の方がよう似合う)それを丁寧にたたむ。
「不思議ねぇ。欧之丞さんがいないだけで、こんなにも静かだったのかしら」
「あいつ、ちっちゃいけどうるさいから」
最近は、圖鑑を本棚から出してもいない。
この間は母さんが貸本屋に連れて行ってくれたけど。読みたい本がなかった。
ちゃうな。欧之丞に読ませたい本ばっかりに目がいって。結局自分の本を選べへんかった。
「琥太郎さん。少しお散歩しない?」
「う、うん。ええけど」
まだ朝早いのに、ふだんはこんな時間に散歩なんかせぇへんのに。どないしたんやろ。
麦わら帽子を手にすると、もう一つおんなじ帽子が並んでるのが目に入った。
あいつ、出かける時にちゃんと帽子をかぶっとんやろか。
まぁ、お清さんがおるから。ぼくが心配することやないけど。
日傘を手にした母さんは、涼しそうな水色の紗の着物姿で玄関で待っとった。白っぽい帯に、帯留めは氷みたいな透明な宝石やった。
「あら」と、母さんはぼくの手元を見て目を丸くした。
ぼくは麦わら帽子をかぶって、そして手元に欧之丞の分の帽子を持っとった。
「どうして分かったの? 欧之丞さんの様子を見に行くって」
「そんなん考えんでも分かるもん」
ぼくは澄ました顔で言うたけど。
嘘やった。
実は内心、めっちゃ喜んどったんや。
けど「わーい」なんて言うたら、子どもっぽいやん。
普段よりも時間が早いせいか、大學生の姿が見える。
白い開襟シャツに黒いズボン、それと角帽をかぶってる。背も高いし、むさくるしいし。なんか怖い。
「今は夏休みですから、女學生の娘さんたちはいないわね」
「なんで大人は休みとちゃうん?」
「そうね。どうしてかしら。研究室に入ると休めないとは言うわねぇ。でも文科の人も、お勉強が大変なんでしょうね」
勉強は好きやけど。勉強ばっかりは嫌やなぁ。
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