50 / 103
三章
1、母さんと散歩【1】
しおりを挟む
ちょっと前のことや。欧之丞が自分の家に帰った。
高瀬の家で働いとうお清さんが迎えにきたんや。
ぼくにはよう分からへんけど、欧之丞の今後のことで一度戻るんやと父さんが言うとった。
この家に戻ってくるのは一週間後っていうとった。
今日で何日目やろ。
……嘘や。毎日指折り数えとうから、ちゃんと分かっとう。今は五日目や。
ぼくは派手な芙蓉の飾られた客間で、一人ぽつんと座っとった。
母さんが箒で床を掃いとう。
しゅっしゅっという箒と畳が擦れる音。
「ああ、絲お嬢さん。そんなん私らがしますから」と、後を追う波多野の声が聞こえる。
おかしいなぁ。元の生活に戻っただけやのに、物音や組員の話し声も聞こえるのに。
なんでこないに静かなんやろ。
うちの天井はこんなに高かったっけ。元々広い家やけど、もっともっと広く感じる。
ううん、ちゃうな。
がらんとしてるように思う。
「大丈夫? 琥太郎さん」
結局、波多野に箒を取り上げられた母さんがぼくの顔を覗きこんできた。
「平気やで。元気やもん」
「そうね。体は悪くはなさそうね。でも、しょんぼりしているわ」
「……うん」
「奇遇ね。わたしもなの」
母さんはぼくのとなりに正座をして、情けない笑みを浮かべた。
似合てない白い割烹着を脱いで(フリルのついた可愛いやつなんやけど、フリルの割烹着はなぜか波多野の方がよう似合う)それを丁寧にたたむ。
「不思議ねぇ。欧之丞さんがいないだけで、こんなにも静かだったのかしら」
「あいつ、ちっちゃいけどうるさいから」
最近は、圖鑑を本棚から出してもいない。
この間は母さんが貸本屋に連れて行ってくれたけど。読みたい本がなかった。
ちゃうな。欧之丞に読ませたい本ばっかりに目がいって。結局自分の本を選べへんかった。
「琥太郎さん。少しお散歩しない?」
「う、うん。ええけど」
まだ朝早いのに、ふだんはこんな時間に散歩なんかせぇへんのに。どないしたんやろ。
麦わら帽子を手にすると、もう一つおんなじ帽子が並んでるのが目に入った。
あいつ、出かける時にちゃんと帽子をかぶっとんやろか。
まぁ、お清さんがおるから。ぼくが心配することやないけど。
日傘を手にした母さんは、涼しそうな水色の紗の着物姿で玄関で待っとった。白っぽい帯に、帯留めは氷みたいな透明な宝石やった。
「あら」と、母さんはぼくの手元を見て目を丸くした。
ぼくは麦わら帽子をかぶって、そして手元に欧之丞の分の帽子を持っとった。
「どうして分かったの? 欧之丞さんの様子を見に行くって」
「そんなん考えんでも分かるもん」
ぼくは澄ました顔で言うたけど。
嘘やった。
実は内心、めっちゃ喜んどったんや。
けど「わーい」なんて言うたら、子どもっぽいやん。
普段よりも時間が早いせいか、大學生の姿が見える。
白い開襟シャツに黒いズボン、それと角帽をかぶってる。背も高いし、むさくるしいし。なんか怖い。
「今は夏休みですから、女學生の娘さんたちはいないわね」
「なんで大人は休みとちゃうん?」
「そうね。どうしてかしら。研究室に入ると休めないとは言うわねぇ。でも文科の人も、お勉強が大変なんでしょうね」
勉強は好きやけど。勉強ばっかりは嫌やなぁ。
高瀬の家で働いとうお清さんが迎えにきたんや。
ぼくにはよう分からへんけど、欧之丞の今後のことで一度戻るんやと父さんが言うとった。
この家に戻ってくるのは一週間後っていうとった。
今日で何日目やろ。
……嘘や。毎日指折り数えとうから、ちゃんと分かっとう。今は五日目や。
ぼくは派手な芙蓉の飾られた客間で、一人ぽつんと座っとった。
母さんが箒で床を掃いとう。
しゅっしゅっという箒と畳が擦れる音。
「ああ、絲お嬢さん。そんなん私らがしますから」と、後を追う波多野の声が聞こえる。
おかしいなぁ。元の生活に戻っただけやのに、物音や組員の話し声も聞こえるのに。
なんでこないに静かなんやろ。
うちの天井はこんなに高かったっけ。元々広い家やけど、もっともっと広く感じる。
ううん、ちゃうな。
がらんとしてるように思う。
「大丈夫? 琥太郎さん」
結局、波多野に箒を取り上げられた母さんがぼくの顔を覗きこんできた。
「平気やで。元気やもん」
「そうね。体は悪くはなさそうね。でも、しょんぼりしているわ」
「……うん」
「奇遇ね。わたしもなの」
母さんはぼくのとなりに正座をして、情けない笑みを浮かべた。
似合てない白い割烹着を脱いで(フリルのついた可愛いやつなんやけど、フリルの割烹着はなぜか波多野の方がよう似合う)それを丁寧にたたむ。
「不思議ねぇ。欧之丞さんがいないだけで、こんなにも静かだったのかしら」
「あいつ、ちっちゃいけどうるさいから」
最近は、圖鑑を本棚から出してもいない。
この間は母さんが貸本屋に連れて行ってくれたけど。読みたい本がなかった。
ちゃうな。欧之丞に読ませたい本ばっかりに目がいって。結局自分の本を選べへんかった。
「琥太郎さん。少しお散歩しない?」
「う、うん。ええけど」
まだ朝早いのに、ふだんはこんな時間に散歩なんかせぇへんのに。どないしたんやろ。
麦わら帽子を手にすると、もう一つおんなじ帽子が並んでるのが目に入った。
あいつ、出かける時にちゃんと帽子をかぶっとんやろか。
まぁ、お清さんがおるから。ぼくが心配することやないけど。
日傘を手にした母さんは、涼しそうな水色の紗の着物姿で玄関で待っとった。白っぽい帯に、帯留めは氷みたいな透明な宝石やった。
「あら」と、母さんはぼくの手元を見て目を丸くした。
ぼくは麦わら帽子をかぶって、そして手元に欧之丞の分の帽子を持っとった。
「どうして分かったの? 欧之丞さんの様子を見に行くって」
「そんなん考えんでも分かるもん」
ぼくは澄ました顔で言うたけど。
嘘やった。
実は内心、めっちゃ喜んどったんや。
けど「わーい」なんて言うたら、子どもっぽいやん。
普段よりも時間が早いせいか、大學生の姿が見える。
白い開襟シャツに黒いズボン、それと角帽をかぶってる。背も高いし、むさくるしいし。なんか怖い。
「今は夏休みですから、女學生の娘さんたちはいないわね」
「なんで大人は休みとちゃうん?」
「そうね。どうしてかしら。研究室に入ると休めないとは言うわねぇ。でも文科の人も、お勉強が大変なんでしょうね」
勉強は好きやけど。勉強ばっかりは嫌やなぁ。
0
お気に入りに追加
118
あなたにおすすめの小説
今、夫と私の浮気相手の二人に侵されている
ヘロディア
恋愛
浮気がバレた主人公。
夫の提案で、主人公、夫、浮気相手の三人で面会することとなる。
そこで主人公は男同士の自分の取り合いを目の当たりにし、最後に男たちが選んだのは、先に主人公を絶頂に導いたものの勝ち、という道だった。
主人公は絶望的な状況で喘ぎ始め…
王太子の子を孕まされてました
杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。
※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。
思い出を売った女
志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。
それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。
浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。
浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。
全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。
ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。
あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。
R15は保険です
他サイトでも公開しています
表紙は写真ACより引用しました
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
隣の人妻としているいけないこと
ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。
そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。
しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。
彼女の夫がしかけたものと思われ…
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる