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二章

3、抱っこ【1】

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 知らんかった。ぼくって夜は暴れん坊やったんや。
 おとなしくて賢くて、利発でお利口で……あ、ほとんど一緒の意味や。とにかく、お行儀のいい子やのに。

「うそや。まさか自分の知らん一面が、ぼくにあったとは」
「自分のことは、自分が一番分からないものよ」

 母さんは、母さんらしからぬ小難しいことを言い始めた。しかもお澄まし顔や。
 きっと、貸本屋で文学とやらを借りてきたんやろ。

 もー、普段は大人やのに少女小説を読んでるくせに。
「大人でも、二十歳をいくらか過ぎたくらいなら、少女小説を読んでもおかしくないんですよ」と、都合のいい言い訳をしとうくせして。
 子どものおる大人は、そんなの読みませーん。たぶん。

◇◇◇

 夕方。「帰ったでー」と言いながら、父さんが欧之丞が寝とう客間にやってきた。
 ぼくは波多野と母さんを手伝って、三人分の夕食を座卓に並べてた。欧之丞は、薬が効いてるのかよう寝てる。

「おかえりなさい、蒼一郎さん。今日は遅くなると仰っていたのでは?」
「んー。そんなつれないことを言わんと。絲さんの顔を見たいから、はよ帰って来たんやんか」

「絲さん」と言うたけど。その中に、ぼくと欧之丞も含まれとんのは明白や。
 ぼくはお利口さんやから、わざわざ「なぁ、母さんにだけ? ぼくは?」なんて言うたらへん。
 だって、父さんを喜ばせてしまうやん。

「お夕食は召し上がっていらっしゃると思っていたんです」
「ん? 一緒に食うで。波多野、俺の分はあるか?」

 波多野はよう心得とうから、すぐに父さんの分の食事も運んできた。普段から、料理番に余分に作らせとんやろな。

 座卓の上には、夏らしい翡翠色の焼き茄子や冷たそうな玉子豆腐が並べられた。
 たぶん、欧之丞が食べやすいように、柔らかいモンなんやろ。

 焼き魚は、なんの魚かぼくはよう知らん。だって切り身で出てくるし。あと澄まし汁には、そうめんが入っとった。
 それから、ぼくの好きな西瓜。これは母さんも好物で、よく父さんに「絲さんも琥太郎も、西瓜は最後に食べるんやで」と注意される。

 好きなもんから食べたい時もあるやんなぁ。

「あっ。待って、波多野さん。お塩はかけないでぇ」

 突然、母さんが珍しく大きな声を上げた。
 せや、緊急事態や。

 ぼくも母さんの真似をして、西瓜の盛られた大皿の上を手で覆う。
 二人分の手の甲に、ぱらぱらと白い塩が振られていく。

「……何しとん」
「だって、西瓜にお塩は合わないんですもの」
「そうや。甘さが引き立つなんて、うそや。しょっぱいだけやもん」

 呆れた口調で座卓に肘をつく父さんを、ぼくと母さんは恨めしく睨んだ。
 波多野はというと、塩の入れ物を持ったままおろおろとしている。

「どうでもええと思うんやけど。もしかして、それはすごい大事なことなん?」

 父さんの問いかけに、ぼくと母さんは揃ってうなずいた。
 大事に決まっとうやん。

 二人して縁側に出て、手の甲についた塩を地面に払う。

「お砂糖だったら蟻が来ますねぇ」
「いやなこと、言わんといて」

 昼間に降っていた雨はとうに止んで、夕暮れは少し涼しいくらいや。
 庭の草に雨の粒が宿り。それが暮れていく太陽に煌めいている。
 なんか、水晶で草を飾ったみたい。

「んー? なにぃ?」

 ぼんやりとした目を擦って、欧之丞が目を覚ました。
 父さんの声が大きいからなぁ。

「おーぉ、欧之丞。目ぇ覚めたか」

 父さんは、欧之丞を抱き上げると自分の膝に乗せた。
 うわっ、ぼくも時々される子ども扱いや。
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