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一章
19、助けるから【1】
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高瀬の家は不思議やった。
割と古い建物で、でも庭もきれいに整えてあるし。広い玄関かってちゃんと掃除してある。
せやのに、廊下には割れた花瓶や箱が散乱しとった。
「靴は脱がん方がええな。足を切るわ」
土足で家に上がることなんて初めてや。けど、いろんな修羅場を潜り抜けてきた父さんの言うことは聞いた方がええ。
ぼくは三和土から上がり框へと、革靴のまま上がった。
長い廊下は薄暗くて、食堂らしき場所の床には割れた皿が落ちとった。
欧之丞はどこ? ぼくは父さんの袖を掴みながら、きょろきょろと見まわした。
応接間……いない。庭に面した座敷……いない。
けど、やっぱり使用人の悲鳴が聞こえてくる。
「奥さま。もう、本当にお許しください。坊ちゃまが死んでしまいます」
やたらとキンキンと響くお清さんの声。普通の場所ではここまで響かへん。もしかしたら。
「風呂場やな」
「ぼくもそう思う」
ぼくらが外にいた時から、多分移動したんやろ。
ふいに父さんが廊下に視線を落とした。点々と、水が落ちている。
いや、ちゃう。水やあらへん。
廊下は薄暗いから目を凝らして見たら、それは赤い色をしとった。
「血ぃや」
欧之丞の血や。
神社の石段であの子を見つけた時に、血まみれになっとった背中を思い出した。
若先生に縫ってもらって、ようやく癒えた傷やのに。
「父さん。早よ行かな。欧之丞が殺されてまう」
ぼくは靴の裏が血で濡れるのも構わずに走った。ぬるついた廊下で足が滑りそうになる。
けど、そんなん構ってられへん。
水場っていうのはだいたいどの家も場所が決まっとう。ぼくは、父さんの手を引っ張って風呂場へと向かったんや。
裏庭にある渡り廊下。その先にあるのが風呂場らしい。
そこから、やっぱり悲鳴と怒声が聞こえてきた。
「琥太郎。父さんの後ろにおり。波多野、琥太郎を守るんやで」
「承知しました。頭」
いつの間に持っとったんやろ。波多野は一尺ほどのドスを手にしとった。
脱衣所には使用人が五人ほど集まっとった。
父さんの姿を見て、誰もが息を呑んで頭を下げる。
「どうか、坊ちゃんを助けてやってください」
「お願いです」
使用人たちは左右に分かれて、父さんに道を譲った。
三條組はヤクザやけど。地域の人が助けを求めて飛び込んでくることもある。
お清さんをはじめとする高瀬家の使用人が、うちに来ぉへんかったのは、この場を離れられへんかったんや。
風呂場にいる女を見た時、ぼくは背筋を悪寒が走った。
タイル張りの床に倒れた欧之丞の小さい体に馬乗りになって、その女は欧之丞の首を絞めとった。
欧之丞はびしょ濡れで、服が体に張りついとった。
「……や、め……」
言葉にならないほどの小さな声でそれだけを言うと、欧之丞はひゅ……という妙な息をした。
「お……っ」
欧之丞と叫ぼうとした時、父さんの手が口を塞いだ。
何をするんや、早よ止めな欧之丞が死んでしまう。
せやのに父さんは、ただ静かな目で欧之丞の母親を見据えとった。
「どうする? 殺すんか? あんたが憎いのは欧之丞やのうて、旦那やろうに」
血走った眼で、母親が父さんを睨み返す。
そうか、もうすでに逆上しとうから。これ以上怒らせたらあかんのや。
ほんまに欧之丞を殺そうと思たら、大人の力やったら、とっくに窒息させられる。
いつまでもだらだらと欧之丞を傷つけて。傷が治ったら、また殺さへんぎりぎりのところで痛めつけるんは、意味があるんや。
理解したないし、絶対に理解せぇへんけど。欧之丞が生きる為には、我慢せんとあかん。
この子は、あんたの玩具やないんや。
割と古い建物で、でも庭もきれいに整えてあるし。広い玄関かってちゃんと掃除してある。
せやのに、廊下には割れた花瓶や箱が散乱しとった。
「靴は脱がん方がええな。足を切るわ」
土足で家に上がることなんて初めてや。けど、いろんな修羅場を潜り抜けてきた父さんの言うことは聞いた方がええ。
ぼくは三和土から上がり框へと、革靴のまま上がった。
長い廊下は薄暗くて、食堂らしき場所の床には割れた皿が落ちとった。
欧之丞はどこ? ぼくは父さんの袖を掴みながら、きょろきょろと見まわした。
応接間……いない。庭に面した座敷……いない。
けど、やっぱり使用人の悲鳴が聞こえてくる。
「奥さま。もう、本当にお許しください。坊ちゃまが死んでしまいます」
やたらとキンキンと響くお清さんの声。普通の場所ではここまで響かへん。もしかしたら。
「風呂場やな」
「ぼくもそう思う」
ぼくらが外にいた時から、多分移動したんやろ。
ふいに父さんが廊下に視線を落とした。点々と、水が落ちている。
いや、ちゃう。水やあらへん。
廊下は薄暗いから目を凝らして見たら、それは赤い色をしとった。
「血ぃや」
欧之丞の血や。
神社の石段であの子を見つけた時に、血まみれになっとった背中を思い出した。
若先生に縫ってもらって、ようやく癒えた傷やのに。
「父さん。早よ行かな。欧之丞が殺されてまう」
ぼくは靴の裏が血で濡れるのも構わずに走った。ぬるついた廊下で足が滑りそうになる。
けど、そんなん構ってられへん。
水場っていうのはだいたいどの家も場所が決まっとう。ぼくは、父さんの手を引っ張って風呂場へと向かったんや。
裏庭にある渡り廊下。その先にあるのが風呂場らしい。
そこから、やっぱり悲鳴と怒声が聞こえてきた。
「琥太郎。父さんの後ろにおり。波多野、琥太郎を守るんやで」
「承知しました。頭」
いつの間に持っとったんやろ。波多野は一尺ほどのドスを手にしとった。
脱衣所には使用人が五人ほど集まっとった。
父さんの姿を見て、誰もが息を呑んで頭を下げる。
「どうか、坊ちゃんを助けてやってください」
「お願いです」
使用人たちは左右に分かれて、父さんに道を譲った。
三條組はヤクザやけど。地域の人が助けを求めて飛び込んでくることもある。
お清さんをはじめとする高瀬家の使用人が、うちに来ぉへんかったのは、この場を離れられへんかったんや。
風呂場にいる女を見た時、ぼくは背筋を悪寒が走った。
タイル張りの床に倒れた欧之丞の小さい体に馬乗りになって、その女は欧之丞の首を絞めとった。
欧之丞はびしょ濡れで、服が体に張りついとった。
「……や、め……」
言葉にならないほどの小さな声でそれだけを言うと、欧之丞はひゅ……という妙な息をした。
「お……っ」
欧之丞と叫ぼうとした時、父さんの手が口を塞いだ。
何をするんや、早よ止めな欧之丞が死んでしまう。
せやのに父さんは、ただ静かな目で欧之丞の母親を見据えとった。
「どうする? 殺すんか? あんたが憎いのは欧之丞やのうて、旦那やろうに」
血走った眼で、母親が父さんを睨み返す。
そうか、もうすでに逆上しとうから。これ以上怒らせたらあかんのや。
ほんまに欧之丞を殺そうと思たら、大人の力やったら、とっくに窒息させられる。
いつまでもだらだらと欧之丞を傷つけて。傷が治ったら、また殺さへんぎりぎりのところで痛めつけるんは、意味があるんや。
理解したないし、絶対に理解せぇへんけど。欧之丞が生きる為には、我慢せんとあかん。
この子は、あんたの玩具やないんや。
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