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一章
2、出会い【2】
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うちの近くにある神社の石段に、その子は倒れとった。
正確には石段にうつ伏せになって、しゃがみこんでる。
なんか錆びた鉄のような臭いが、風に乗って漂ってきた。
「大丈夫? どうしたの?」
母さんがその子に向かって駆け寄った。走ることなんか滅多にない母さんの取り乱しように、ぼくも借りてきた本を地面に落として後を追う。
神社の鬱蒼とした木々の影が落ちて、その子の黒い髪と青白い顔が、いっそう生気なく見えたんや。
「へいき。こんなの、いたくない」
唇を噛みしめながら、その小さくてガリガリの男の子は答えたんやけど。でも、その子の背中に触れた母さんの手には、べったりと赤い血がついとった。
「ひ……っ」と、母さんは悲鳴を飲み込んだ。
きっと大声を上げたりしたら、その子が怖がったり痛がったりすると思たんやろ。
畳の上にバッタがおっただけでも、悲鳴を上げて父さんの背中に隠れる母さんやのに。そんな母さんの様子からも、これが異常事態やと伝わってきた。
「琥太郎さん。お家に帰って、誰か呼んできてちょうだい」
「誰でもええん? 波多野やのうても?」
「ええ。この子を抱えられるならだれでも」
「分かった」と、ぼくは築地塀に沿って走り、瓦葺きの大きな門についとう潜戸を開けようとした。
「若。言うてくれたら、開きますから」
「早よして。いや、むしろ一緒に来て」
ぼくは組員の手を引っ張って、母さんのいる神社の石段へと走った。
ほんまは父さんか、母さんの世話係をしとう波多野がええんやけど。そんなこと言うとう暇はあらへん。
急がないと。あの子が死んじゃう。母さんもきっと倒れてしまう。
どうしよう。もし間に合わなかったら。
ぼくの足は速ないから、すぐに組員の方が「若。こっちですね」と先に走っていった。
そして「どうしはったんですか」と叫ぶんが聞こえたんや。
少し遅れて石段に到着したぼくは、母さんが男の子を抱きしめてるのが目に入った。
「大丈夫、大丈夫よ。何も怖くないから」と、なだめている。
どないしたん? その子、泣いてるわけでもないで?
その黒い瞳は何も映ってへんかのように、虚ろで。
母さんは着物やら帯が血で汚れるのも構わんと、その子の頭を撫でてやっている。
ぶらんと下がった細い腕。高そうなシャツを着とうのに、背中は破れて赤く染まっとんや。
「……はなして」
「いいえ。一緒にうちにいらっしゃい。傷の手当てをしましょうね」
「いらない。どうせまた、たたかれるから。ひつようない」
なんて悲しいことを言う子なんやろ。
母さんの隣にしゃがみこんで、ぼくもその子の頭を撫でたった。
一瞬、びくりとしたみたいやけど。
その子は唇を噛みしめて、泣くのを堪えるように震えとった。
うちの組員が、少年を抱え上げて運んでくれた。
不思議なことに、その子は俺をじーっと見つめとった。
「このひと、おかあさん?」
「え? うん、ぼくの母さんやで」
「おかあさんなら、おにいちゃんのこともたたくの?」
ぼくと母さんは顔を見合わせた。
「おにいちゃん」というのが、ぼくのことなんは分かったけど。
もしかして、この子にとって「おかあさん」というのは叩く人なんやろか。
「そういう人がいるのね……」
かすれる声で母さんが呟いたから。せやから気づいたんや。
ぼくは、てっきり大人の男に暴力を振るわれたんやと思た。たとえば博打で負けてむしゃくしゃして、たまたま近くにいたこの子を傷つけた、みたいな。
でも違う。母親に傷つけられたんや。
「ぼくの母さんは、叩いたりせぇへん。大事にしてくれる。せやから君のことも助けたんや」
「ほんとうに?」
さっきまで虚ろだった黒い瞳に、かろうじて光が宿った。
正確には石段にうつ伏せになって、しゃがみこんでる。
なんか錆びた鉄のような臭いが、風に乗って漂ってきた。
「大丈夫? どうしたの?」
母さんがその子に向かって駆け寄った。走ることなんか滅多にない母さんの取り乱しように、ぼくも借りてきた本を地面に落として後を追う。
神社の鬱蒼とした木々の影が落ちて、その子の黒い髪と青白い顔が、いっそう生気なく見えたんや。
「へいき。こんなの、いたくない」
唇を噛みしめながら、その小さくてガリガリの男の子は答えたんやけど。でも、その子の背中に触れた母さんの手には、べったりと赤い血がついとった。
「ひ……っ」と、母さんは悲鳴を飲み込んだ。
きっと大声を上げたりしたら、その子が怖がったり痛がったりすると思たんやろ。
畳の上にバッタがおっただけでも、悲鳴を上げて父さんの背中に隠れる母さんやのに。そんな母さんの様子からも、これが異常事態やと伝わってきた。
「琥太郎さん。お家に帰って、誰か呼んできてちょうだい」
「誰でもええん? 波多野やのうても?」
「ええ。この子を抱えられるならだれでも」
「分かった」と、ぼくは築地塀に沿って走り、瓦葺きの大きな門についとう潜戸を開けようとした。
「若。言うてくれたら、開きますから」
「早よして。いや、むしろ一緒に来て」
ぼくは組員の手を引っ張って、母さんのいる神社の石段へと走った。
ほんまは父さんか、母さんの世話係をしとう波多野がええんやけど。そんなこと言うとう暇はあらへん。
急がないと。あの子が死んじゃう。母さんもきっと倒れてしまう。
どうしよう。もし間に合わなかったら。
ぼくの足は速ないから、すぐに組員の方が「若。こっちですね」と先に走っていった。
そして「どうしはったんですか」と叫ぶんが聞こえたんや。
少し遅れて石段に到着したぼくは、母さんが男の子を抱きしめてるのが目に入った。
「大丈夫、大丈夫よ。何も怖くないから」と、なだめている。
どないしたん? その子、泣いてるわけでもないで?
その黒い瞳は何も映ってへんかのように、虚ろで。
母さんは着物やら帯が血で汚れるのも構わんと、その子の頭を撫でてやっている。
ぶらんと下がった細い腕。高そうなシャツを着とうのに、背中は破れて赤く染まっとんや。
「……はなして」
「いいえ。一緒にうちにいらっしゃい。傷の手当てをしましょうね」
「いらない。どうせまた、たたかれるから。ひつようない」
なんて悲しいことを言う子なんやろ。
母さんの隣にしゃがみこんで、ぼくもその子の頭を撫でたった。
一瞬、びくりとしたみたいやけど。
その子は唇を噛みしめて、泣くのを堪えるように震えとった。
うちの組員が、少年を抱え上げて運んでくれた。
不思議なことに、その子は俺をじーっと見つめとった。
「このひと、おかあさん?」
「え? うん、ぼくの母さんやで」
「おかあさんなら、おにいちゃんのこともたたくの?」
ぼくと母さんは顔を見合わせた。
「おにいちゃん」というのが、ぼくのことなんは分かったけど。
もしかして、この子にとって「おかあさん」というのは叩く人なんやろか。
「そういう人がいるのね……」
かすれる声で母さんが呟いたから。せやから気づいたんや。
ぼくは、てっきり大人の男に暴力を振るわれたんやと思た。たとえば博打で負けてむしゃくしゃして、たまたま近くにいたこの子を傷つけた、みたいな。
でも違う。母親に傷つけられたんや。
「ぼくの母さんは、叩いたりせぇへん。大事にしてくれる。せやから君のことも助けたんや」
「ほんとうに?」
さっきまで虚ろだった黒い瞳に、かろうじて光が宿った。
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