生贄の花嫁は、孤独な悪しき神に愛される

真風月花

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番外編

2、翻弄されている

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 京香が用意してくれた浴衣は、絞り染めの高価そうなものだった。浴衣全体に絞りが入り、その中に流水と大輪の花の模様があしらってある。

 灰色と水色を基調とした、静かで品の良い浴衣だ。
 明らかに京香が選びそうな布地ではない。

「秋杜兄さんが見立ててくれたのね」
「あいつにはもう螢は見えないが。今でも詫びたいという気持ちがあるのだろうな」

 空蝉の言葉に、螢はうなずいた。
 絞りの布地は柔らかく、すぐに肌になじむだろう。

 もう互いに声を交わすことはない秋杜のことを考えた時、同時に春見のことも思い出した。
 肉のひとかけらも残さずに消滅してしまった彼の魂は、どうなってしまったのだろう。

「さて、花火に行くのであれば、そろそろ準備をせねばならぬな」

 空蝉の声に、螢は我に返った。

「自分で着付けをするから。空蝉は見ないでね」
「は? いきなり着替えとか、そなた愚かなことを申すものではない」

 突然、螢を「愚か」と言い放った空蝉は、浴衣とタオルを取り上げると、螢を抱え上げた。

 坑道跡の家からそのまま外に出て、近くの小川へと連れていく。

 水浴びをするための歩き慣れたいつもの道だ。午後の陽射しは強く、川面は水晶の粒をばらまいたかのように、きらきらと煌めいている。

「水浴びなら自分でできるから」
「まぁまぁ、そう頑なになるな」
「そう言って、すぐに人のお風呂を眺めてるじゃない」

 横抱きにされた状態で足をバタバタさせても、空蝉にはさほどダメージを与えられない。

「夫婦になったというのに、いつまで照れておるのだ。それまでの時間も含めれば、とうに十年を過ぎておるぞ。そなたはいつまでも初心うぶなのだな」

 はっはっは、とわざとらしく笑いながら、空蝉は螢を地面に降ろした。

 まぁ新しい浴衣を着るのならば、ちゃんと水浴びをすべきだろうと納得した螢は「絶対に見ないでね。立たないでよ」と念押ししながら、衝立ついたてを広げた。

 京香のように螢の姿が見える者もいるので、湯浴みの時は用心して衝立を立てることにしている。
 
「まったく恥ずかしがり屋なのだな、螢は。そんなことではいかんぞ」

 衝立の向こうから小言が聞こえるが、耳を貸してはダメだ。
 セーラー服の上を脱いで、衝立にかけていく。

「ああ、背中が洗えなかったら困るよな。せっかくの美しい浴衣なのにな」

 そ、そうかな。
 いや、ダメダメ。螢はスカートを脱ぎながら首を振る。

「螢。石鹸はあるか?」
「あるから、平気」
「そうだ。以前、京香が『しゃんぷう』と『とりぃとめんと』というものをくれたぞ。あれで髪を洗うといいらしいな。せっかくだから使えばどうだ?」

 確かに京香が「これ、美容院のヤツだから。いいわよー」と言って、プレゼントしてくれたけど。

「今日はいいわ。もう脱いじゃってるから、取りに戻るわけにもいかないし」
「ならば、私が行ってこよう」

 空蝉が足を動かしたのか、衝立越しに衣擦れの音が聞こえる。

「そうそう。今日は猪狩りで、猟師がこの山に入っているそうだ。ま、見える者がいなければいいな」
「えっ、ちょっと待って。一人にしないで」

 螢は慌てて踵を返し、空蝉の着物の袖を掴んだ。

「『いやん』だぞ。螢」
「え? きゃあああー!」

 頭が沸騰しそうになった。螢の顔は真っ赤で、首まで朱に染まっている。

 素っ裸の螢が、立ち去ろうとする空蝉を必死に引き留めていた。
 恥ずかしさで死ねる。もう死なない身体だけど。

 両手で顔を覆って、草の上にしゃがみこむ螢の頭を、大きな手が優しく撫でる。

「な? 最初から私に頼めばいいのだ。無理をするものではない」

 悪魔は優しい言葉と声音で近づいてくると聞いたことがある。
 空蝉は、きっと今も螢を翻弄する悪しき神なのだ。
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