49 / 56
七章
7、見えなくとも
しおりを挟む
呆然と立ち尽くしていた春見が、我に返ったのか、二人の元へ走ってきた。
「螢さんを離せ」
「その執着は捨てた方がよいぞ」
空蝉が視線を向けた先に、鮮やかな光が浮かんでいた。赤や朱色、黄色に銀色。光魚の群れだ。
「本当に螢のことを思うのであれば、彼女の望むようにさせてやるべきなのではないか。手を離すこともまた、愛情であろうに」
「誰にも渡さない。螢さんの意思など知らない。彼女はぼくのものだ」
「憐れな」
空中で光に包まれ、長い尾びれを動かしていた魚が、クワッと口を開いた。
鋭い牙をむき出しにして、光魚は一斉に春見に群がった。ひらひらと動く無数の光の中に、春見は埋もれるように消えていった。
「ぼく……のだ」
とっさに空蝉が螢の頭を抱え込む。
空蝉の胸に顔をつける形になり、何も見えないけれど。春見の絶叫が聞こえた。
「春見……」
震える声で、螢はその名を呼んだ。
何も残さずに、春見は消えた。
◇◇◇
十年間、螢と空蝉が隠れ暮らしていた坑道跡になぜか祠が建った。
薬の影響が消え、常人に戻った秋杜の指示だった。
当初は、派手な朱色の鳥居や立派な社を建てるつもりだったらしいが。
必死に螢がお願いすると、その提案はようやく取り下げて、祠にしてくれた。それを伝言する京香は、さすがに飽きた様子だった。
「疫神はもういない。この山に棲むのが夫婦の益神ならば、社なり祠なり必要だろう」
それが秋杜の持論らしい。
「おそらく十年前に、すでに疫神はいなくなっていたのだろうな。封花祭の日、汽車が脱線したことがあってな。怪我人を襲おうとした熊を、緋色の瞳に銀髪の青年と、セーラー服姿の少女が救ったらしい。疫をまき散らす神を退治しようとしたその日に、その神は益神になろうとしていたのかもしれないな」
秋杜には、やはり空蝉の姿は見えない。螢のことも、今はもう見えてはいないようだ。
ただ京香が間を取り持つことで、会話が成立している。
その京香は、空蝉のことが見えているのに。以前、山で出会ったときには見えないふりをしていたのだから、やはり底が知れない。
秋杜は、杖をついている。
空蝉を憑依させたことで足が犠牲になり、もう二度とまともに歩くことはできないのだと、京香は言っていた。秋杜に聞こえぬように。
その目が妙に嬉しそうだったのは、見間違いだと思いたい。
螢は、やつれた秋杜の前に立っているが、彼の目は螢の向こうにある祠を見つめている。
「俺が口にするものに、春見が薬を入れていたのは知っていた。じわじわと俺を弱らせ、殺すつもりだったんだろう。あいつに螢の首を刎ねろと命じた俺を、憎悪するのは当然だ」
「贖罪のつもりだったんですか?」
螢の言葉を、京香が伝言する。「そうだ」と秋杜はうなずいた。
「春見が疫神と封花祭について調べていたのは、螢が深く関わっていたこと……それと」
長いため息のような息をつき、秋杜は顔を上げた。
「殺人を示唆した俺の罪を、白日の下にさらすためだったのだろうな。黒羽家の歴代の当主や黒鬼を務めた者の何人が、少女を殺めたのだろうな」
「螢さんを離せ」
「その執着は捨てた方がよいぞ」
空蝉が視線を向けた先に、鮮やかな光が浮かんでいた。赤や朱色、黄色に銀色。光魚の群れだ。
「本当に螢のことを思うのであれば、彼女の望むようにさせてやるべきなのではないか。手を離すこともまた、愛情であろうに」
「誰にも渡さない。螢さんの意思など知らない。彼女はぼくのものだ」
「憐れな」
空中で光に包まれ、長い尾びれを動かしていた魚が、クワッと口を開いた。
鋭い牙をむき出しにして、光魚は一斉に春見に群がった。ひらひらと動く無数の光の中に、春見は埋もれるように消えていった。
「ぼく……のだ」
とっさに空蝉が螢の頭を抱え込む。
空蝉の胸に顔をつける形になり、何も見えないけれど。春見の絶叫が聞こえた。
「春見……」
震える声で、螢はその名を呼んだ。
何も残さずに、春見は消えた。
◇◇◇
十年間、螢と空蝉が隠れ暮らしていた坑道跡になぜか祠が建った。
薬の影響が消え、常人に戻った秋杜の指示だった。
当初は、派手な朱色の鳥居や立派な社を建てるつもりだったらしいが。
必死に螢がお願いすると、その提案はようやく取り下げて、祠にしてくれた。それを伝言する京香は、さすがに飽きた様子だった。
「疫神はもういない。この山に棲むのが夫婦の益神ならば、社なり祠なり必要だろう」
それが秋杜の持論らしい。
「おそらく十年前に、すでに疫神はいなくなっていたのだろうな。封花祭の日、汽車が脱線したことがあってな。怪我人を襲おうとした熊を、緋色の瞳に銀髪の青年と、セーラー服姿の少女が救ったらしい。疫をまき散らす神を退治しようとしたその日に、その神は益神になろうとしていたのかもしれないな」
秋杜には、やはり空蝉の姿は見えない。螢のことも、今はもう見えてはいないようだ。
ただ京香が間を取り持つことで、会話が成立している。
その京香は、空蝉のことが見えているのに。以前、山で出会ったときには見えないふりをしていたのだから、やはり底が知れない。
秋杜は、杖をついている。
空蝉を憑依させたことで足が犠牲になり、もう二度とまともに歩くことはできないのだと、京香は言っていた。秋杜に聞こえぬように。
その目が妙に嬉しそうだったのは、見間違いだと思いたい。
螢は、やつれた秋杜の前に立っているが、彼の目は螢の向こうにある祠を見つめている。
「俺が口にするものに、春見が薬を入れていたのは知っていた。じわじわと俺を弱らせ、殺すつもりだったんだろう。あいつに螢の首を刎ねろと命じた俺を、憎悪するのは当然だ」
「贖罪のつもりだったんですか?」
螢の言葉を、京香が伝言する。「そうだ」と秋杜はうなずいた。
「春見が疫神と封花祭について調べていたのは、螢が深く関わっていたこと……それと」
長いため息のような息をつき、秋杜は顔を上げた。
「殺人を示唆した俺の罪を、白日の下にさらすためだったのだろうな。黒羽家の歴代の当主や黒鬼を務めた者の何人が、少女を殺めたのだろうな」
0
お気に入りに追加
300
あなたにおすすめの小説

人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!


心を病んだ魔術師さまに執着されてしまった
あーもんど
恋愛
“稀代の天才”と持て囃される魔術師さまの窮地を救ったことで、気に入られてしまった主人公グレイス。
本人は大して気にしていないものの、魔術師さまの言動は常軌を逸していて……?
例えば、子供のようにベッタリ後を付いてきたり……
異性との距離感やボディタッチについて、制限してきたり……
名前で呼んでほしい、と懇願してきたり……
とにかく、グレイスを独り占めしたくて堪らない様子。
さすがのグレイスも、仕事や生活に支障をきたすような要求は断ろうとするが……
「僕のこと、嫌い……?」
「そいつらの方がいいの……?」
「僕は君が居ないと、もう生きていけないのに……」
と、泣き縋られて結局承諾してしまう。
まだ魔術師さまを窮地に追いやったあの事件から日も浅く、かなり情緒不安定だったため。
「────私が魔術師さまをお支えしなければ」
と、グレイスはかなり気負っていた。
────これはメンタルよわよわなエリート魔術師さまを、主人公がひたすらヨシヨシするお話である。
*小説家になろう様にて、先行公開中*

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる