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七章
7、見えなくとも
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呆然と立ち尽くしていた春見が、我に返ったのか、二人の元へ走ってきた。
「螢さんを離せ」
「その執着は捨てた方がよいぞ」
空蝉が視線を向けた先に、鮮やかな光が浮かんでいた。赤や朱色、黄色に銀色。光魚の群れだ。
「本当に螢のことを思うのであれば、彼女の望むようにさせてやるべきなのではないか。手を離すこともまた、愛情であろうに」
「誰にも渡さない。螢さんの意思など知らない。彼女はぼくのものだ」
「憐れな」
空中で光に包まれ、長い尾びれを動かしていた魚が、クワッと口を開いた。
鋭い牙をむき出しにして、光魚は一斉に春見に群がった。ひらひらと動く無数の光の中に、春見は埋もれるように消えていった。
「ぼく……のだ」
とっさに空蝉が螢の頭を抱え込む。
空蝉の胸に顔をつける形になり、何も見えないけれど。春見の絶叫が聞こえた。
「春見……」
震える声で、螢はその名を呼んだ。
何も残さずに、春見は消えた。
◇◇◇
十年間、螢と空蝉が隠れ暮らしていた坑道跡になぜか祠が建った。
薬の影響が消え、常人に戻った秋杜の指示だった。
当初は、派手な朱色の鳥居や立派な社を建てるつもりだったらしいが。
必死に螢がお願いすると、その提案はようやく取り下げて、祠にしてくれた。それを伝言する京香は、さすがに飽きた様子だった。
「疫神はもういない。この山に棲むのが夫婦の益神ならば、社なり祠なり必要だろう」
それが秋杜の持論らしい。
「おそらく十年前に、すでに疫神はいなくなっていたのだろうな。封花祭の日、汽車が脱線したことがあってな。怪我人を襲おうとした熊を、緋色の瞳に銀髪の青年と、セーラー服姿の少女が救ったらしい。疫をまき散らす神を退治しようとしたその日に、その神は益神になろうとしていたのかもしれないな」
秋杜には、やはり空蝉の姿は見えない。螢のことも、今はもう見えてはいないようだ。
ただ京香が間を取り持つことで、会話が成立している。
その京香は、空蝉のことが見えているのに。以前、山で出会ったときには見えないふりをしていたのだから、やはり底が知れない。
秋杜は、杖をついている。
空蝉を憑依させたことで足が犠牲になり、もう二度とまともに歩くことはできないのだと、京香は言っていた。秋杜に聞こえぬように。
その目が妙に嬉しそうだったのは、見間違いだと思いたい。
螢は、やつれた秋杜の前に立っているが、彼の目は螢の向こうにある祠を見つめている。
「俺が口にするものに、春見が薬を入れていたのは知っていた。じわじわと俺を弱らせ、殺すつもりだったんだろう。あいつに螢の首を刎ねろと命じた俺を、憎悪するのは当然だ」
「贖罪のつもりだったんですか?」
螢の言葉を、京香が伝言する。「そうだ」と秋杜はうなずいた。
「春見が疫神と封花祭について調べていたのは、螢が深く関わっていたこと……それと」
長いため息のような息をつき、秋杜は顔を上げた。
「殺人を示唆した俺の罪を、白日の下にさらすためだったのだろうな。黒羽家の歴代の当主や黒鬼を務めた者の何人が、少女を殺めたのだろうな」
「螢さんを離せ」
「その執着は捨てた方がよいぞ」
空蝉が視線を向けた先に、鮮やかな光が浮かんでいた。赤や朱色、黄色に銀色。光魚の群れだ。
「本当に螢のことを思うのであれば、彼女の望むようにさせてやるべきなのではないか。手を離すこともまた、愛情であろうに」
「誰にも渡さない。螢さんの意思など知らない。彼女はぼくのものだ」
「憐れな」
空中で光に包まれ、長い尾びれを動かしていた魚が、クワッと口を開いた。
鋭い牙をむき出しにして、光魚は一斉に春見に群がった。ひらひらと動く無数の光の中に、春見は埋もれるように消えていった。
「ぼく……のだ」
とっさに空蝉が螢の頭を抱え込む。
空蝉の胸に顔をつける形になり、何も見えないけれど。春見の絶叫が聞こえた。
「春見……」
震える声で、螢はその名を呼んだ。
何も残さずに、春見は消えた。
◇◇◇
十年間、螢と空蝉が隠れ暮らしていた坑道跡になぜか祠が建った。
薬の影響が消え、常人に戻った秋杜の指示だった。
当初は、派手な朱色の鳥居や立派な社を建てるつもりだったらしいが。
必死に螢がお願いすると、その提案はようやく取り下げて、祠にしてくれた。それを伝言する京香は、さすがに飽きた様子だった。
「疫神はもういない。この山に棲むのが夫婦の益神ならば、社なり祠なり必要だろう」
それが秋杜の持論らしい。
「おそらく十年前に、すでに疫神はいなくなっていたのだろうな。封花祭の日、汽車が脱線したことがあってな。怪我人を襲おうとした熊を、緋色の瞳に銀髪の青年と、セーラー服姿の少女が救ったらしい。疫をまき散らす神を退治しようとしたその日に、その神は益神になろうとしていたのかもしれないな」
秋杜には、やはり空蝉の姿は見えない。螢のことも、今はもう見えてはいないようだ。
ただ京香が間を取り持つことで、会話が成立している。
その京香は、空蝉のことが見えているのに。以前、山で出会ったときには見えないふりをしていたのだから、やはり底が知れない。
秋杜は、杖をついている。
空蝉を憑依させたことで足が犠牲になり、もう二度とまともに歩くことはできないのだと、京香は言っていた。秋杜に聞こえぬように。
その目が妙に嬉しそうだったのは、見間違いだと思いたい。
螢は、やつれた秋杜の前に立っているが、彼の目は螢の向こうにある祠を見つめている。
「俺が口にするものに、春見が薬を入れていたのは知っていた。じわじわと俺を弱らせ、殺すつもりだったんだろう。あいつに螢の首を刎ねろと命じた俺を、憎悪するのは当然だ」
「贖罪のつもりだったんですか?」
螢の言葉を、京香が伝言する。「そうだ」と秋杜はうなずいた。
「春見が疫神と封花祭について調べていたのは、螢が深く関わっていたこと……それと」
長いため息のような息をつき、秋杜は顔を上げた。
「殺人を示唆した俺の罪を、白日の下にさらすためだったのだろうな。黒羽家の歴代の当主や黒鬼を務めた者の何人が、少女を殺めたのだろうな」
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