生贄の花嫁は、孤独な悪しき神に愛される

真風月花

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七章

5、たとえ戻れなくても

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 夏の陽射しは暑いはずなのに。空蝉に抱えられた螢はガタガタと震えていた。

(寒い……寒い)

 頭に浮かぶ言葉も、途切れ途切れの単語でしかない。考えることも、すでにつらい。

「しばし我慢しろ。どこか、安全な場所を探そう。京香や春見のように、見える者がいるからな」

 螢は、うなずこうとした。無論、頭を動かすことも難しいが。そんな様子を察したのか空蝉が「無理せずともよい」と言った。

 武東の屋敷の裏手には、一面の花野が広がっていた。
 紫色の桔梗や、淡い藤色の松虫草まつむしそう。薄いピンクの昼顔も咲いている。

 西洋の絵本に描かれるお姫さまのように、空蝉は螢を花野に降ろした。
 柔らかな草の上に横たえられると、視界に映るのは夏の空と下から見上げる花のいろどりだ。

(なにを……?)

 目で問いかけると、空蝉の長い指が螢の顎にかけられた。

「口を開くんだ。それもできぬか?」

 まるで螢を食べる時のような、命じ方。

(食べるの? おいしくない……よ)

 ふだんなら軽く唇を開くのは簡単なのに。まるで他人の口のように、動いてくれない。

「しかたない。怒るなよ」

 空蝉が、螢にくちづけた。しかも舌が、上下の歯が邪魔だとばかりに割って入ってくる。

「ん……っ」
「声はまだ出せるのだな」

 満足そうに、空蝉が緋色の目を細める。

 その時、口の中に気体のようなものが流れ込んできた。それはとても温かくて。冷えきった体の芯がじんわりと熱を持った。

 長いくちづけ。ぴくりと、螢の指が動いた。
 鉛が詰まったかのように重い手だけれど、かろうじて持ち上がる。
 螢は、空蝉の背中に手をまわした。


「もっと食べなさい。そなたを救うためだ」
「……これは?」
「この十年間、私が食べ続けた螢の精気だ。それをそなたに戻せば、生きる力となる。私は美味だと思うのだが。どうだ?」

 仄かに甘い、これはかつての螢の心そのものだ。

 春見を慕っていたから、甘くなるのだと思っていた。でも、違う。
 今ならわかる。

 空蝉は、螢のことを餌としてしか見ないと、思い込もうとしていた。
 心を通わせないことで、空蝉に裏切られても傷つかないように予防線を張っていた。
 
 本当はずっと空蝉のことが好きで。あなたに抱きしめられるたび、腕の中に閉じ込められるたびに、嬉しい気持ちが積み重なっていたのだ。
 

「好きよ……空蝉」

 ぎこちなく動く指で、螢は空蝉の頬に触れた。

「あなたと同じ時を生きたい。独りは嫌、独りにさせるのも嫌」
「酔狂な奴だ」
「千年の孤独はつらいけれど。二人なら、きっとつらくない」
「人には戻れぬぞ」

 螢はうなずいた。
 空蝉は空を仰ぎ、きつく瞼を閉じた。
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