43 / 56
七章
1、京香の帰宅
しおりを挟む
「たっだいまー」
華奢なバッグをぶんぶん振りまわしながら、京香が離れを覗いた。
時刻は昼前だった。うるさいほどに蝉が鳴き、格子が縁側に濃い影を落としている。
その格子の向こうで、京香は腰に手を当てて立っている。
「どう? 春見さん。積年の想いを遂げることができたぁ?」
時間の感覚が失われた螢には分からなかったが。どうやら、あれからすでに二日過ぎていたらしい。
京香は明らかにまだ酔っている。
「ねぇ、答えてよぉ」
「静かにしてください」
春見は縁側に向かう。
ようやく、うとうとと眠りにつこうとしている螢の方を、肩ごしに何度も確認しながら。
「起こしては可哀想でしょう?」
可哀想? あれだけ春見自身が眠りを邪魔していたのに?
(ああ、わたしは人形だから。春見がぼろぼろにするのは構わないけれど。他の人が触っちゃいけないんだ)
「で? これって事後ってことよね」
「下品なことを言わないでください。ぼくは螢さんを、そんな風に扱っていません」
「はぁぁ? 馬っ鹿じゃないの?」
「ぼく達は、清い関係なんですよ」
春見の言葉に、京香は目を丸くした。
本当は、笑い飛ばしたかったのだろう。口の端が奇妙に上がったが、それもすぐに下がってしまった。
「気持ち悪っ」
「……一言多いですね。京香さんは」
むっとした様子で、春見が眉を寄せる。
「なによ。その子、本当は私よりも年上でしょ。見た目は子どものくせに。薄気味悪いのよ」
「事情があってのことです」
「はいはい。父さんも春見さんも、変な祭りのことばっかり調べてるんだから。学者さんは大変よねー」
晴れすぎた空は、格子の前に立つ京香を暗い影にする。まるで彼女が黒鬼のようだ。
「二日も外泊して、さらに朝帰り……もう昼ですけど。奔放に生きる妻の自由を認めているんです。こちらのことも放っておいてください」
「なによ! 春見さんが私のことを見てくれないから、遊ぶしかないんじゃないの」
「子どもの理屈ですね。聞くに堪えません」
バシン! 京香が持っていたバッグを格子に叩きつけた。
眠りに落ちようとしていた螢も、騒ぎに目が覚めた。
「知ってるのよ。婚約までこぎつけておきながら、秋杜さんに捨てられた私を、父さんに押しつけられただけってこと。どうせ私のこと、好きでも何でもないんでしょ」
「知っているのなら、いいじゃないですか。そもそも婚約破棄は、京香さんが恋人と別れる気がなかったのが原因でしょうに」
「別れられるわけないじゃない!」
そう叫ぶと、京香は地面に落ちたバッグを拾い上げた。中から革のケースを取りだす。
姿を消した京香だが、玄関の方でガチャガチャと音が聞こえた。
「まさか合鍵を」
カチャリ。開錠の音。そして離れの玄関の引き戸が開かれる。
「甘いのよ、春見さん。たとえお屋敷に勤めていたって、使用人は貧しいのよ。女主人がお小遣いをあげたら、合鍵くらい渡すに決まってるじゃない。ほんと、男の人ってそういうところが、気が利かないのよね」
京香はハイヒールのまま、離れに上がってきた。
一つだけ敷かれた布団に横たわる螢を見下ろし、視線は螢の足からのびる縄をたどった。
「ほんっと悪趣味ね」
「逃げられるより、マシですから」
「別に縄なんて、必要ないと思うけど。ねぇ、訳分かんないんだけど。清らかな関係を主張しつつ、縄で縛って監禁とか。ありえないでしょ、ふつう」
「まぁ、京香さんには分からないでしょうね」
春見の言葉にかっとしたのか、京香が脱いだヒールを螢に向かって投げつけた。
華奢なバッグをぶんぶん振りまわしながら、京香が離れを覗いた。
時刻は昼前だった。うるさいほどに蝉が鳴き、格子が縁側に濃い影を落としている。
その格子の向こうで、京香は腰に手を当てて立っている。
「どう? 春見さん。積年の想いを遂げることができたぁ?」
時間の感覚が失われた螢には分からなかったが。どうやら、あれからすでに二日過ぎていたらしい。
京香は明らかにまだ酔っている。
「ねぇ、答えてよぉ」
「静かにしてください」
春見は縁側に向かう。
ようやく、うとうとと眠りにつこうとしている螢の方を、肩ごしに何度も確認しながら。
「起こしては可哀想でしょう?」
可哀想? あれだけ春見自身が眠りを邪魔していたのに?
(ああ、わたしは人形だから。春見がぼろぼろにするのは構わないけれど。他の人が触っちゃいけないんだ)
「で? これって事後ってことよね」
「下品なことを言わないでください。ぼくは螢さんを、そんな風に扱っていません」
「はぁぁ? 馬っ鹿じゃないの?」
「ぼく達は、清い関係なんですよ」
春見の言葉に、京香は目を丸くした。
本当は、笑い飛ばしたかったのだろう。口の端が奇妙に上がったが、それもすぐに下がってしまった。
「気持ち悪っ」
「……一言多いですね。京香さんは」
むっとした様子で、春見が眉を寄せる。
「なによ。その子、本当は私よりも年上でしょ。見た目は子どものくせに。薄気味悪いのよ」
「事情があってのことです」
「はいはい。父さんも春見さんも、変な祭りのことばっかり調べてるんだから。学者さんは大変よねー」
晴れすぎた空は、格子の前に立つ京香を暗い影にする。まるで彼女が黒鬼のようだ。
「二日も外泊して、さらに朝帰り……もう昼ですけど。奔放に生きる妻の自由を認めているんです。こちらのことも放っておいてください」
「なによ! 春見さんが私のことを見てくれないから、遊ぶしかないんじゃないの」
「子どもの理屈ですね。聞くに堪えません」
バシン! 京香が持っていたバッグを格子に叩きつけた。
眠りに落ちようとしていた螢も、騒ぎに目が覚めた。
「知ってるのよ。婚約までこぎつけておきながら、秋杜さんに捨てられた私を、父さんに押しつけられただけってこと。どうせ私のこと、好きでも何でもないんでしょ」
「知っているのなら、いいじゃないですか。そもそも婚約破棄は、京香さんが恋人と別れる気がなかったのが原因でしょうに」
「別れられるわけないじゃない!」
そう叫ぶと、京香は地面に落ちたバッグを拾い上げた。中から革のケースを取りだす。
姿を消した京香だが、玄関の方でガチャガチャと音が聞こえた。
「まさか合鍵を」
カチャリ。開錠の音。そして離れの玄関の引き戸が開かれる。
「甘いのよ、春見さん。たとえお屋敷に勤めていたって、使用人は貧しいのよ。女主人がお小遣いをあげたら、合鍵くらい渡すに決まってるじゃない。ほんと、男の人ってそういうところが、気が利かないのよね」
京香はハイヒールのまま、離れに上がってきた。
一つだけ敷かれた布団に横たわる螢を見下ろし、視線は螢の足からのびる縄をたどった。
「ほんっと悪趣味ね」
「逃げられるより、マシですから」
「別に縄なんて、必要ないと思うけど。ねぇ、訳分かんないんだけど。清らかな関係を主張しつつ、縄で縛って監禁とか。ありえないでしょ、ふつう」
「まぁ、京香さんには分からないでしょうね」
春見の言葉にかっとしたのか、京香が脱いだヒールを螢に向かって投げつけた。
0
お気に入りに追加
300
あなたにおすすめの小説

人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!


心を病んだ魔術師さまに執着されてしまった
あーもんど
恋愛
“稀代の天才”と持て囃される魔術師さまの窮地を救ったことで、気に入られてしまった主人公グレイス。
本人は大して気にしていないものの、魔術師さまの言動は常軌を逸していて……?
例えば、子供のようにベッタリ後を付いてきたり……
異性との距離感やボディタッチについて、制限してきたり……
名前で呼んでほしい、と懇願してきたり……
とにかく、グレイスを独り占めしたくて堪らない様子。
さすがのグレイスも、仕事や生活に支障をきたすような要求は断ろうとするが……
「僕のこと、嫌い……?」
「そいつらの方がいいの……?」
「僕は君が居ないと、もう生きていけないのに……」
と、泣き縋られて結局承諾してしまう。
まだ魔術師さまを窮地に追いやったあの事件から日も浅く、かなり情緒不安定だったため。
「────私が魔術師さまをお支えしなければ」
と、グレイスはかなり気負っていた。
────これはメンタルよわよわなエリート魔術師さまを、主人公がひたすらヨシヨシするお話である。
*小説家になろう様にて、先行公開中*

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる