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七章
1、京香の帰宅
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「たっだいまー」
華奢なバッグをぶんぶん振りまわしながら、京香が離れを覗いた。
時刻は昼前だった。うるさいほどに蝉が鳴き、格子が縁側に濃い影を落としている。
その格子の向こうで、京香は腰に手を当てて立っている。
「どう? 春見さん。積年の想いを遂げることができたぁ?」
時間の感覚が失われた螢には分からなかったが。どうやら、あれからすでに二日過ぎていたらしい。
京香は明らかにまだ酔っている。
「ねぇ、答えてよぉ」
「静かにしてください」
春見は縁側に向かう。
ようやく、うとうとと眠りにつこうとしている螢の方を、肩ごしに何度も確認しながら。
「起こしては可哀想でしょう?」
可哀想? あれだけ春見自身が眠りを邪魔していたのに?
(ああ、わたしは人形だから。春見がぼろぼろにするのは構わないけれど。他の人が触っちゃいけないんだ)
「で? これって事後ってことよね」
「下品なことを言わないでください。ぼくは螢さんを、そんな風に扱っていません」
「はぁぁ? 馬っ鹿じゃないの?」
「ぼく達は、清い関係なんですよ」
春見の言葉に、京香は目を丸くした。
本当は、笑い飛ばしたかったのだろう。口の端が奇妙に上がったが、それもすぐに下がってしまった。
「気持ち悪っ」
「……一言多いですね。京香さんは」
むっとした様子で、春見が眉を寄せる。
「なによ。その子、本当は私よりも年上でしょ。見た目は子どものくせに。薄気味悪いのよ」
「事情があってのことです」
「はいはい。父さんも春見さんも、変な祭りのことばっかり調べてるんだから。学者さんは大変よねー」
晴れすぎた空は、格子の前に立つ京香を暗い影にする。まるで彼女が黒鬼のようだ。
「二日も外泊して、さらに朝帰り……もう昼ですけど。奔放に生きる妻の自由を認めているんです。こちらのことも放っておいてください」
「なによ! 春見さんが私のことを見てくれないから、遊ぶしかないんじゃないの」
「子どもの理屈ですね。聞くに堪えません」
バシン! 京香が持っていたバッグを格子に叩きつけた。
眠りに落ちようとしていた螢も、騒ぎに目が覚めた。
「知ってるのよ。婚約までこぎつけておきながら、秋杜さんに捨てられた私を、父さんに押しつけられただけってこと。どうせ私のこと、好きでも何でもないんでしょ」
「知っているのなら、いいじゃないですか。そもそも婚約破棄は、京香さんが恋人と別れる気がなかったのが原因でしょうに」
「別れられるわけないじゃない!」
そう叫ぶと、京香は地面に落ちたバッグを拾い上げた。中から革のケースを取りだす。
姿を消した京香だが、玄関の方でガチャガチャと音が聞こえた。
「まさか合鍵を」
カチャリ。開錠の音。そして離れの玄関の引き戸が開かれる。
「甘いのよ、春見さん。たとえお屋敷に勤めていたって、使用人は貧しいのよ。女主人がお小遣いをあげたら、合鍵くらい渡すに決まってるじゃない。ほんと、男の人ってそういうところが、気が利かないのよね」
京香はハイヒールのまま、離れに上がってきた。
一つだけ敷かれた布団に横たわる螢を見下ろし、視線は螢の足からのびる縄をたどった。
「ほんっと悪趣味ね」
「逃げられるより、マシですから」
「別に縄なんて、必要ないと思うけど。ねぇ、訳分かんないんだけど。清らかな関係を主張しつつ、縄で縛って監禁とか。ありえないでしょ、ふつう」
「まぁ、京香さんには分からないでしょうね」
春見の言葉にかっとしたのか、京香が脱いだヒールを螢に向かって投げつけた。
華奢なバッグをぶんぶん振りまわしながら、京香が離れを覗いた。
時刻は昼前だった。うるさいほどに蝉が鳴き、格子が縁側に濃い影を落としている。
その格子の向こうで、京香は腰に手を当てて立っている。
「どう? 春見さん。積年の想いを遂げることができたぁ?」
時間の感覚が失われた螢には分からなかったが。どうやら、あれからすでに二日過ぎていたらしい。
京香は明らかにまだ酔っている。
「ねぇ、答えてよぉ」
「静かにしてください」
春見は縁側に向かう。
ようやく、うとうとと眠りにつこうとしている螢の方を、肩ごしに何度も確認しながら。
「起こしては可哀想でしょう?」
可哀想? あれだけ春見自身が眠りを邪魔していたのに?
(ああ、わたしは人形だから。春見がぼろぼろにするのは構わないけれど。他の人が触っちゃいけないんだ)
「で? これって事後ってことよね」
「下品なことを言わないでください。ぼくは螢さんを、そんな風に扱っていません」
「はぁぁ? 馬っ鹿じゃないの?」
「ぼく達は、清い関係なんですよ」
春見の言葉に、京香は目を丸くした。
本当は、笑い飛ばしたかったのだろう。口の端が奇妙に上がったが、それもすぐに下がってしまった。
「気持ち悪っ」
「……一言多いですね。京香さんは」
むっとした様子で、春見が眉を寄せる。
「なによ。その子、本当は私よりも年上でしょ。見た目は子どものくせに。薄気味悪いのよ」
「事情があってのことです」
「はいはい。父さんも春見さんも、変な祭りのことばっかり調べてるんだから。学者さんは大変よねー」
晴れすぎた空は、格子の前に立つ京香を暗い影にする。まるで彼女が黒鬼のようだ。
「二日も外泊して、さらに朝帰り……もう昼ですけど。奔放に生きる妻の自由を認めているんです。こちらのことも放っておいてください」
「なによ! 春見さんが私のことを見てくれないから、遊ぶしかないんじゃないの」
「子どもの理屈ですね。聞くに堪えません」
バシン! 京香が持っていたバッグを格子に叩きつけた。
眠りに落ちようとしていた螢も、騒ぎに目が覚めた。
「知ってるのよ。婚約までこぎつけておきながら、秋杜さんに捨てられた私を、父さんに押しつけられただけってこと。どうせ私のこと、好きでも何でもないんでしょ」
「知っているのなら、いいじゃないですか。そもそも婚約破棄は、京香さんが恋人と別れる気がなかったのが原因でしょうに」
「別れられるわけないじゃない!」
そう叫ぶと、京香は地面に落ちたバッグを拾い上げた。中から革のケースを取りだす。
姿を消した京香だが、玄関の方でガチャガチャと音が聞こえた。
「まさか合鍵を」
カチャリ。開錠の音。そして離れの玄関の引き戸が開かれる。
「甘いのよ、春見さん。たとえお屋敷に勤めていたって、使用人は貧しいのよ。女主人がお小遣いをあげたら、合鍵くらい渡すに決まってるじゃない。ほんと、男の人ってそういうところが、気が利かないのよね」
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一つだけ敷かれた布団に横たわる螢を見下ろし、視線は螢の足からのびる縄をたどった。
「ほんっと悪趣味ね」
「逃げられるより、マシですから」
「別に縄なんて、必要ないと思うけど。ねぇ、訳分かんないんだけど。清らかな関係を主張しつつ、縄で縛って監禁とか。ありえないでしょ、ふつう」
「まぁ、京香さんには分からないでしょうね」
春見の言葉にかっとしたのか、京香が脱いだヒールを螢に向かって投げつけた。
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