生贄の花嫁は、孤独な悪しき神に愛される

真風月花

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六章

9、十年の孤独

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「汚れてしまいましたね。床を掃除させて、体を洗った方がいい。布団も交換させましょう」

 春見の提案に、螢は「ひっ」と身をすくめた。

「疫神に食われているところを、解剖するわけにもいきませんしね」
「……解剖」
 
 その言葉にぞっとする。
 春見の言うことは冗談なのか判断がつかない。

「大事な螢さんが研究対象というのは、難しいですね。こうして手元に置けるのは嬉しいのですが、どうにもあなたを傷つけるわけにはいかないので」

 縄を解いて螢を抱えると、春見は風呂場へと向かった。
 春見は抱き上げていると思っているかもしれない。
 けれど、螢にとってはただ運ばれているとしか感じなかった。

「武東の義父が、疫神は裏表であると、おかしなことを言いだしましてね。義父は伝承や口伝を集めることに奔走していますが。螢さんを観察できるぼくの方が有利ですね」

 ああ、そうなのか。螢は気付いた。
 春見は京香の父である教授を出し抜きたいのだ。京香と結婚したのも、螢を幽閉するのも。

 紺田村出身の春見こそが疫神や封花祭について一番詳しいのだから、研究の第一人者になる権利がある、と。
 そう考えているのだ。

(立身出世のために、わたしを利用しているのね)

 脱衣所に着くと、春見は螢の浴衣を脱がせた。帯を解き、一糸まとわぬ姿にして螢を洗い場に座らせる。

 ろくに力が入らないから、浴槽にもたれる形になった。
 洗い場に敷き詰められたタイルが、肌にひんやりとする。

「しかし、本当に成熟していないのですね。あの頃のまま、時が止まっているなんて不思議です」

 螢の薄くて細い体を、春見はしげしげと眺める。
 まるで観察するように。

「夏だから、湯でなくとも平気ですよね」

 春見は桶に水を汲んで、螢の頭からバシャンとかけた。
 水の冷たさに鳥肌が立つ。歯が噛みあわずにガチガチと、耳障りな音を立てた。

「浴衣が何枚あっても、足りませんね。また仕立てさせましょうか」
「いらない……わ」

「そんなことを言わないでください。螢さんには、どんな模様が似合うでしょうね。清楚な朝顔なんて、どうでしょう」

 なおも執拗に水をかけられ、指先が痺れていく。
 冷たくて、体が鉛のように重くて。疲れて眠いのに、眠らせてもらえない。

「こんなの……ただの拷問よ」
「人聞きの悪いことを言わないでください。螢さんだからこそ、これほど丁重に扱っているというのに。とても大事なんですよ」

「大事、これで?」
「汚れたら、すぐに洗っているでしょう? 汚らしいあなたなんて、見ていられませんからね。ぼくは清らかな気持ちで、あなたを欲しいと思っているのですから」

 春見の言う「欲しい」は愛の囁きでもなんでもなく、本当に欲しいのだろう。

 手に入れることができなかった相手だから。立身出世に役立つ対象だから。

「わたしを手に入れたら、こうやって尋問を続けるの?」
「それは螢さん次第ですよ。協力的であれば、力ずくなんてことはしません。ですが、いいですね。すぐ近くの未来を思い描くのは」

 桶を置いた春見は、うっとりと目を細めた。

「勤務時間が終われば、すぐに帰宅しますよ。ぼくが仕事の間は寂しいと思いますが。我慢してください。毎日二人でここで寝起きし、螢さんに見送られて出勤する。夢のような日々ですね」
 
 檻の中に閉じ込め続けて、夢も何もないだろうに。

「京香さんをないがしろにするの?」
「彼女のことを、螢さんが気にすることはありませんよ。互いに自由を尊重する夫婦関係ですからね。ぼくが愛しているのは螢さんだけです」
 
 それは、違う。
 今の螢はただ、彼に採取されただけだ。
 無邪気な子どもが、生きたままの蝶の翅を虫ピンで留めて、眺め続けるように。

 そしていつか標本にされるのだろう。自分の行為が、相手を苦しめているなど考えもせずに。

 十年の孤独が、寂しさが彼を変えてしまった。
 もう元には戻らない。
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