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六章
7、今も泣いている
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「疫神は人の精気を口から奪うそうですね。武東の父が、大学で民俗学を教えていましてね。ぼくは助手なんですよ。だから史料や文献を調べさせてもらいました。何度、奴とくちづけを交わしたのですか?」
「……知らない」
長い口づけからようやく解放され、螢は弱々しく言った。
「ああ、十年ですからね。回数なんて覚えていませんよね。では言い方を変えましょう。月に何度、食べられましたか?」
間近に迫ってくる春見の瞳には光がない。
外は夏の光が溢れているのに。この格子の内は、深い闇が支配している。
優しい子だった。なのに今では、疫神と疎まれる空蝉よりも、もっと恐ろしい。
「……こんなの、ただの執着だわ」
「執着してはいけませんか? 欲しいものがあれば、実力で奪う。間違っていますか?」
春見を押しのけようにも、動かない手。逃れようにも、力の入らない足。
「大丈夫。薬は頻繁には使わないよう心がけます。意識の混濁した螢さんは、見るに忍びないですからね」
螢は気付いた。足の違和感の正体に。
左足首に縛られた縄が、だらりと柱にまで伸びている。
まるで封花祭の時に鎖をつながれていたように、今は縄で拘束されているのだ。
春見が再び顔を寄せてくる。
自分でも気づかぬうちに、螢は泣いていた。ただ涙がとめどなく溢れては頬を伝う。
「……いや」
「ぼくがこんなに螢さんのことを想っていても?」
「監禁して、自由を奪って。なのに好きと言われても、信じられない」
「こうでもしないと、あなたは逃げてしまうから」
春見が両手で螢の頬に触れた。
「十年前のぼくは、あなたを傷つけずに鎖を断ち切ることが精一杯でした。でも本当は、あの時兄さんを斬ってしまえばよかったんです。封花祭で依代を殺しても罪には問われない。ならば間違って事故が起こっても、公にはされません」
逃がすのではなかった、と春見は悔しそうに呟いた。その声が、とても切なくて。
彼の背負ってきた十年間の苦しさが、垣間見えた気がした。
「わたしにとって、あなたは希望だったわ。まぶしい光の中で、微笑むあなたのことを考えると元気になれた。でも、それはわたしの勝手な押しつけだったのね」
春見のいる場所はいつでも温かく、穏やかでのどかだ。それはまるで桃源郷。
けれど一方的に理想を重ね合わされた春見にとっては、迷惑以外の何物でもない。
何も知らなかった。家を、故郷を追われた自分だけが、悲劇のヒロインなのだと思い上がっていた。
「ごめんね、春見」
「謝らないでください。ぼくは螢さんが欲しいんです。謝罪が欲しいんじゃない」
「それでも、ごめんなさい」
螢は力をふりしぼり、春見の背に手をまわした。
逞しい彼の体を抱きしめる。
大人になっても、彼の中にはまだ子どもがいる。あの日、ふり返ることもなく置いて行ってしまった黒鬼が、今も泣いている。
たった一人で。
「……知らない」
長い口づけからようやく解放され、螢は弱々しく言った。
「ああ、十年ですからね。回数なんて覚えていませんよね。では言い方を変えましょう。月に何度、食べられましたか?」
間近に迫ってくる春見の瞳には光がない。
外は夏の光が溢れているのに。この格子の内は、深い闇が支配している。
優しい子だった。なのに今では、疫神と疎まれる空蝉よりも、もっと恐ろしい。
「……こんなの、ただの執着だわ」
「執着してはいけませんか? 欲しいものがあれば、実力で奪う。間違っていますか?」
春見を押しのけようにも、動かない手。逃れようにも、力の入らない足。
「大丈夫。薬は頻繁には使わないよう心がけます。意識の混濁した螢さんは、見るに忍びないですからね」
螢は気付いた。足の違和感の正体に。
左足首に縛られた縄が、だらりと柱にまで伸びている。
まるで封花祭の時に鎖をつながれていたように、今は縄で拘束されているのだ。
春見が再び顔を寄せてくる。
自分でも気づかぬうちに、螢は泣いていた。ただ涙がとめどなく溢れては頬を伝う。
「……いや」
「ぼくがこんなに螢さんのことを想っていても?」
「監禁して、自由を奪って。なのに好きと言われても、信じられない」
「こうでもしないと、あなたは逃げてしまうから」
春見が両手で螢の頬に触れた。
「十年前のぼくは、あなたを傷つけずに鎖を断ち切ることが精一杯でした。でも本当は、あの時兄さんを斬ってしまえばよかったんです。封花祭で依代を殺しても罪には問われない。ならば間違って事故が起こっても、公にはされません」
逃がすのではなかった、と春見は悔しそうに呟いた。その声が、とても切なくて。
彼の背負ってきた十年間の苦しさが、垣間見えた気がした。
「わたしにとって、あなたは希望だったわ。まぶしい光の中で、微笑むあなたのことを考えると元気になれた。でも、それはわたしの勝手な押しつけだったのね」
春見のいる場所はいつでも温かく、穏やかでのどかだ。それはまるで桃源郷。
けれど一方的に理想を重ね合わされた春見にとっては、迷惑以外の何物でもない。
何も知らなかった。家を、故郷を追われた自分だけが、悲劇のヒロインなのだと思い上がっていた。
「ごめんね、春見」
「謝らないでください。ぼくは螢さんが欲しいんです。謝罪が欲しいんじゃない」
「それでも、ごめんなさい」
螢は力をふりしぼり、春見の背に手をまわした。
逞しい彼の体を抱きしめる。
大人になっても、彼の中にはまだ子どもがいる。あの日、ふり返ることもなく置いて行ってしまった黒鬼が、今も泣いている。
たった一人で。
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