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五章
9、千年の孤独
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「……空蝉! 空蝉!」
螢は叫んだ。
「螢、か」
くぐもった声が聞こえる。間違いない、この箱の中に空蝉は入れられている。
「出てこられないの?」
「出られるだろう。文献で調べたのか、なんだか知らんが。あいつの封じ方は甘い。金気のもの……おそらくは短刀だろうか。首を切りつけられ、背中に札を貼られ、姿を保てなくなったところを……このざまだ」
なんてこと。
螢は後悔した。
春見が重そうに抱えていた鞄。あの中に、空蝉を封じ込めた箱が入っていたのだ。
空蝉は首を切られると無力化するのだろう。
だからこそ、依代の少女を餌に乗り移らせ、その首を斬り落とすことで、完全に封印するに違いない。
「今、助けるから」
水の中に手を入れて、ずしりと重い箱を持ち上げる。
「このままで、よいのだ」
「空蝉?」
「ここでお別れだ、螢。そなたは、人の世に戻るがよい」
「どうしてなの。閉じ込められて、それで平気なの? いずれまた疫病が流行れば、あなたは依代に封じられて斬られて……捨てられるのよ」
空蝉は求めずにはいられなかったのだろう。
果てのない孤独を、共に生きてくれる人を。
だから、封じられると分かっていても、代々の依代に近づいた。
「……平気ではないかもしれぬが。そういう星の下に生まれついたと思えば、諦めもつく」
「じゃあ、どうしてわたしに生きようと言ったのよ!」
雨が川面を激しく叩く。雨と水でびしょ濡れになりながら、螢は叫んだ。
「開けるわ」
箱を引き上げたとき、螢の手に電流のような痛みが走った。
まじないか、なにか分からないけれど。見えぬ封が施してある。
痛みをこらえて、螢は箱を開こうとした。
「ぐ……っ、くぅ……っ」
閃光が弾け、そのたびに螢の指や手の皮膚が裂ける。血がしたたり落ちて、川の水に混じって流れる。
「やめなさい、螢」
「いやよ。一緒に生きるって決めたの」
「一緒は無理だ」
「どういう……こと?」
これまで十年間、共にいたではないか。なのになぜ今になって。
「信約の儀を交わしていない。螢は、まだ人だ。ただ時を私に合せているだけで、人としての時を止めたわけではない」
「でも、わたしは昔のままだわ」
「髪が伸びただろう? ほんのわずかだが。螢の時は、流れているのだ」
螢はしとどに濡れた自分の髪に触れた。たしかに以前より、ほんのわずかであるが長くなっている。
「今、別れるのも、百年後に別れるのも同じこと。私は螢を人ではないものに落としたくはない」
「じゃあ、儀式をするから」
「子どもじみた我儘を言うものではない。見ただろう? わたしの記憶を。すべては過ぎ去り、ただ自分一人が取り残される。終わりもない、果てもない。千年の孤独だ」
螢は、濡れた箱を抱きしめた。
光はほとばしり、螢の着ている服を裂く。痛みと苦しさに、螢は呻いた。
「何をしている。放さぬか」
「だって……苦しいんでしょう? わたし、知ってるもの。その中に閉じ込められたら、閃光に裂かれるってこと」
沈黙が訪れた。ただ川面や稲の葉を叩きつける雨音だけが響いている。
「私はもう人の世に飽いたのだ。螢と過ごした十年は楽しかった。思い出としては充分だ」
「わたしは充分じゃないもの」
「馬鹿な娘だ。疫神を選ぶ娘など、これまでいなかったというのに」
空蝉の声は呆れている。けれど、とても温かく聞こえた。
「じゃあ、わたしが最初になる。最初で最後になるから」
「……悪くない提案だな」
「それなら」
「却下させてもらう」
螢は叫んだ。
「螢、か」
くぐもった声が聞こえる。間違いない、この箱の中に空蝉は入れられている。
「出てこられないの?」
「出られるだろう。文献で調べたのか、なんだか知らんが。あいつの封じ方は甘い。金気のもの……おそらくは短刀だろうか。首を切りつけられ、背中に札を貼られ、姿を保てなくなったところを……このざまだ」
なんてこと。
螢は後悔した。
春見が重そうに抱えていた鞄。あの中に、空蝉を封じ込めた箱が入っていたのだ。
空蝉は首を切られると無力化するのだろう。
だからこそ、依代の少女を餌に乗り移らせ、その首を斬り落とすことで、完全に封印するに違いない。
「今、助けるから」
水の中に手を入れて、ずしりと重い箱を持ち上げる。
「このままで、よいのだ」
「空蝉?」
「ここでお別れだ、螢。そなたは、人の世に戻るがよい」
「どうしてなの。閉じ込められて、それで平気なの? いずれまた疫病が流行れば、あなたは依代に封じられて斬られて……捨てられるのよ」
空蝉は求めずにはいられなかったのだろう。
果てのない孤独を、共に生きてくれる人を。
だから、封じられると分かっていても、代々の依代に近づいた。
「……平気ではないかもしれぬが。そういう星の下に生まれついたと思えば、諦めもつく」
「じゃあ、どうしてわたしに生きようと言ったのよ!」
雨が川面を激しく叩く。雨と水でびしょ濡れになりながら、螢は叫んだ。
「開けるわ」
箱を引き上げたとき、螢の手に電流のような痛みが走った。
まじないか、なにか分からないけれど。見えぬ封が施してある。
痛みをこらえて、螢は箱を開こうとした。
「ぐ……っ、くぅ……っ」
閃光が弾け、そのたびに螢の指や手の皮膚が裂ける。血がしたたり落ちて、川の水に混じって流れる。
「やめなさい、螢」
「いやよ。一緒に生きるって決めたの」
「一緒は無理だ」
「どういう……こと?」
これまで十年間、共にいたではないか。なのになぜ今になって。
「信約の儀を交わしていない。螢は、まだ人だ。ただ時を私に合せているだけで、人としての時を止めたわけではない」
「でも、わたしは昔のままだわ」
「髪が伸びただろう? ほんのわずかだが。螢の時は、流れているのだ」
螢はしとどに濡れた自分の髪に触れた。たしかに以前より、ほんのわずかであるが長くなっている。
「今、別れるのも、百年後に別れるのも同じこと。私は螢を人ではないものに落としたくはない」
「じゃあ、儀式をするから」
「子どもじみた我儘を言うものではない。見ただろう? わたしの記憶を。すべては過ぎ去り、ただ自分一人が取り残される。終わりもない、果てもない。千年の孤独だ」
螢は、濡れた箱を抱きしめた。
光はほとばしり、螢の着ている服を裂く。痛みと苦しさに、螢は呻いた。
「何をしている。放さぬか」
「だって……苦しいんでしょう? わたし、知ってるもの。その中に閉じ込められたら、閃光に裂かれるってこと」
沈黙が訪れた。ただ川面や稲の葉を叩きつける雨音だけが響いている。
「私はもう人の世に飽いたのだ。螢と過ごした十年は楽しかった。思い出としては充分だ」
「わたしは充分じゃないもの」
「馬鹿な娘だ。疫神を選ぶ娘など、これまでいなかったというのに」
空蝉の声は呆れている。けれど、とても温かく聞こえた。
「じゃあ、わたしが最初になる。最初で最後になるから」
「……悪くない提案だな」
「それなら」
「却下させてもらう」
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