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五章
5、秋杜兄さん
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「春見。あなた、空蝉が見えるの?」
「そりゃあ見えますよ。ご立派な兄さんには見えなかったみたいですけどね。でも、それで正解かもしれません。もし兄さんに疫神を認知できたら、大変ですから」
ふふ、と含みのある笑みを春見は洩らした。
これは、誰?
黒羽春見は、こんな意地悪そうな笑い方をしない。やはり彼は武東春見だから?
丘を下りたところで、春見は持っていた鞄を若い娘に渡した。
「ちゃんと元あった場所に片づけておくように」
「はい。春見さま」
どうやら黒羽の使用人らしい。何度もふり返り、螢を見ては去っていく。
螢が育った家は、村の中でも最も日当たりの悪い北にあった。
窓ガラスにはヒビが入り、扉は外れかけている。
村にはもうない茅葺きの屋根からは、野放図に伸びた草が垂れ下がっている。
「秋杜兄さんを、自宅に置くわけにいかなくなって。しょうがないから、空き家になっている螢の家を借りたんですよ」
ぼろぼろの扉なのに、鍵は頑丈だ。やたらと大きな南京錠がかかっている。それに家の周囲には注連縄と紙垂が張り巡らされている。
まるで何かを封じているかのようだ。
「秋杜兄さんよりも、空蝉に会わせて」
「静かに。兄さんが興奮しますからね。疫神には、また後で会わせてあげましょう」
「本当ね?」
「物事には順番というものがあります。それにしても、口を開けば空蝉、空蝉。その名は少し聞き飽きましたね」
春見は鍵を開け、がたがたと軋む扉を開いた。
狭い玄関は、湿ってかび臭い。
雨漏りのせいか腐った廊下を、春見は土足のまま歩いた。
あちこちに穴が開き、床の木はささくれている。
螢も靴のまま、自宅に上がった。
「兄さん。螢さんを連れてきましたよ」
「ほ、たり?」
「いやだなぁ、螢さんですよ。ほら、覚えていませんか? 兄さんが、ぼくに殺させようとした……妹の」
ぼろぼろの障子が閉じられた和室に座りこんでいたのは、春見の言葉が正しいのなら、秋杜なのだろう。
逞しく、自身に満ちていた秋杜の姿はどこにもない。
浴衣を乱して首を傾げているのは、痩せこけた青白い肌の男だ。
かつての秋杜とあまりにも違いすぎて、螢は言葉を発することすらできなかった。
「螢さんは生きていたんですよ。よかったですね。ぼくは人殺しにならずに済みました。ああ、でもこうして十年前の姿のまま現れたってことは、復讐にきたのかもしれませんね」
「……螢?」
ようやく螢を視界に入れた秋杜は、目玉がこぼれるのではというほどに、目を見開いた。
「ひぃぃぃ! うわぁぁぁ!」
「秋杜兄さん」
「助けてくれ。助けてくれぇぇ! 俺は何もしていない。春見が殺したんだ。俺じゃないぃぃ」
「そんなお化けにみたいに言わなくても。螢さんの首はくっついているみたいですよ」
春見は、螢の両肩に手をかけて、ぐいっと兄の前に押し出した。
「やめろ。悪いのは俺じゃない。お前を斬ったのも、桜を伐ったのも全部春見だ。春見なんだよぉぉ」
秋杜は頭を抱えて、畳にうずくまった。
室内は、ろくに換気もしていないようで、吸うだけで体に悪そうな空気が満ちている。
ね、話にならないでしょ? という風に春見が肩をすくめた。
「そりゃあ見えますよ。ご立派な兄さんには見えなかったみたいですけどね。でも、それで正解かもしれません。もし兄さんに疫神を認知できたら、大変ですから」
ふふ、と含みのある笑みを春見は洩らした。
これは、誰?
黒羽春見は、こんな意地悪そうな笑い方をしない。やはり彼は武東春見だから?
丘を下りたところで、春見は持っていた鞄を若い娘に渡した。
「ちゃんと元あった場所に片づけておくように」
「はい。春見さま」
どうやら黒羽の使用人らしい。何度もふり返り、螢を見ては去っていく。
螢が育った家は、村の中でも最も日当たりの悪い北にあった。
窓ガラスにはヒビが入り、扉は外れかけている。
村にはもうない茅葺きの屋根からは、野放図に伸びた草が垂れ下がっている。
「秋杜兄さんを、自宅に置くわけにいかなくなって。しょうがないから、空き家になっている螢の家を借りたんですよ」
ぼろぼろの扉なのに、鍵は頑丈だ。やたらと大きな南京錠がかかっている。それに家の周囲には注連縄と紙垂が張り巡らされている。
まるで何かを封じているかのようだ。
「秋杜兄さんよりも、空蝉に会わせて」
「静かに。兄さんが興奮しますからね。疫神には、また後で会わせてあげましょう」
「本当ね?」
「物事には順番というものがあります。それにしても、口を開けば空蝉、空蝉。その名は少し聞き飽きましたね」
春見は鍵を開け、がたがたと軋む扉を開いた。
狭い玄関は、湿ってかび臭い。
雨漏りのせいか腐った廊下を、春見は土足のまま歩いた。
あちこちに穴が開き、床の木はささくれている。
螢も靴のまま、自宅に上がった。
「兄さん。螢さんを連れてきましたよ」
「ほ、たり?」
「いやだなぁ、螢さんですよ。ほら、覚えていませんか? 兄さんが、ぼくに殺させようとした……妹の」
ぼろぼろの障子が閉じられた和室に座りこんでいたのは、春見の言葉が正しいのなら、秋杜なのだろう。
逞しく、自身に満ちていた秋杜の姿はどこにもない。
浴衣を乱して首を傾げているのは、痩せこけた青白い肌の男だ。
かつての秋杜とあまりにも違いすぎて、螢は言葉を発することすらできなかった。
「螢さんは生きていたんですよ。よかったですね。ぼくは人殺しにならずに済みました。ああ、でもこうして十年前の姿のまま現れたってことは、復讐にきたのかもしれませんね」
「……螢?」
ようやく螢を視界に入れた秋杜は、目玉がこぼれるのではというほどに、目を見開いた。
「ひぃぃぃ! うわぁぁぁ!」
「秋杜兄さん」
「助けてくれ。助けてくれぇぇ! 俺は何もしていない。春見が殺したんだ。俺じゃないぃぃ」
「そんなお化けにみたいに言わなくても。螢さんの首はくっついているみたいですよ」
春見は、螢の両肩に手をかけて、ぐいっと兄の前に押し出した。
「やめろ。悪いのは俺じゃない。お前を斬ったのも、桜を伐ったのも全部春見だ。春見なんだよぉぉ」
秋杜は頭を抱えて、畳にうずくまった。
室内は、ろくに換気もしていないようで、吸うだけで体に悪そうな空気が満ちている。
ね、話にならないでしょ? という風に春見が肩をすくめた。
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