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五章
4、影
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螢の目の前にいる春見は、とても健康そうだった。
京香から臥せっていると聞いたのに、汗の滲む春見の肌は、日に焼けて浅黒い。
春見の足下には、食事用のナイフが落ちている。
黒羽の家で食器を洗う時に見たことがある。テーブルナイフと呼ばれるものだ。
夏草の緑の中で、銀に光るナイフは異質だった。
まさか。
螢は胸騒ぎを覚えた。
(ううん。空蝉は不死身だもの。槍に刺されても、死んだりしなかったわ)
大丈夫だと、何度も自分に言い聞かせる。
「春見。嘘をついて、わたしをおびき寄せたの?」
「嘘も方便といいますよ。螢さんだって、ぼくの考えに賛同してくれるはずです」
春見は笑顔を浮かべた。肌の色の濃さとの対比で、歯が輝くほどに白い。
これは、誰? 自分の知っている春見は少年だったし、弱々しくて色白だった。人を騙したりしない子だった。
「今のあなた、まるで秋杜兄さんみたい」
「兄さんですか」
「そういえば秋杜兄さんは、どうしたの? あなたの婚礼の時も見かけなかったわ。兄弟なら結婚式に出るはずじゃないの?」
「無理言わないで、螢さん。兄さんにそんな辛いこと、させられないですよ」
辛いこと?
それは、どういうことなの。まさか病気なのは春見ではなくて、秋杜兄さんだというの?
それとも……。
「立ち話というわけにもいきませんね。どうですか? 本家で続きを話しましょうか」
「いいえ。行きたくないわ」
螢は首を振る。
あんなところ、近寄りたくもないし、本家の人間だって自分に来られたら困るだろう。
しかたないといった様子で、春見は丘に腰を下ろした。
大学で助手をしているとのことで、重そうな鞄を持っている。
「この村には、喫茶店なんて気の利いたものはないですからね」
「いいのよ。すぐに空蝉と一緒に戻るから」
「……十年の間に、仲良くなったものですね」
「用があるなら、早く話して。秋杜兄さんは、どうしたの? それに空蝉をどこへやったの?」
春見は右腕を伸ばすと、ある一点を指さした。
丘の上から見える一番大きな屋敷は、黒羽の本家だ。
かつては茅葺き屋根の家がほとんどだったのに、今では安っぽい青の瓦葺きや、四角い箱のような家ばかりになっている。
それらの奥にひっそりと、茅葺きの屋根が苔むした小さな家があった。
ドクン、と螢の心臓が鼓動を刻む。
娘を捨てて、男を選んだ母と暮らした家だった。
「兄さんに会わせてあげましょう」
立ち上がった春見は、螢に手を差し伸べた。
「自分で立てるわ」
「ふぅん? 疫神の手は取れるのに、ぼくの手はとれないんですね」
確かに春見は微笑んでいるはずなのに。
逆光になったその顔は、影に沈んで恐ろしいほどに黒く見えた。
京香から臥せっていると聞いたのに、汗の滲む春見の肌は、日に焼けて浅黒い。
春見の足下には、食事用のナイフが落ちている。
黒羽の家で食器を洗う時に見たことがある。テーブルナイフと呼ばれるものだ。
夏草の緑の中で、銀に光るナイフは異質だった。
まさか。
螢は胸騒ぎを覚えた。
(ううん。空蝉は不死身だもの。槍に刺されても、死んだりしなかったわ)
大丈夫だと、何度も自分に言い聞かせる。
「春見。嘘をついて、わたしをおびき寄せたの?」
「嘘も方便といいますよ。螢さんだって、ぼくの考えに賛同してくれるはずです」
春見は笑顔を浮かべた。肌の色の濃さとの対比で、歯が輝くほどに白い。
これは、誰? 自分の知っている春見は少年だったし、弱々しくて色白だった。人を騙したりしない子だった。
「今のあなた、まるで秋杜兄さんみたい」
「兄さんですか」
「そういえば秋杜兄さんは、どうしたの? あなたの婚礼の時も見かけなかったわ。兄弟なら結婚式に出るはずじゃないの?」
「無理言わないで、螢さん。兄さんにそんな辛いこと、させられないですよ」
辛いこと?
それは、どういうことなの。まさか病気なのは春見ではなくて、秋杜兄さんだというの?
それとも……。
「立ち話というわけにもいきませんね。どうですか? 本家で続きを話しましょうか」
「いいえ。行きたくないわ」
螢は首を振る。
あんなところ、近寄りたくもないし、本家の人間だって自分に来られたら困るだろう。
しかたないといった様子で、春見は丘に腰を下ろした。
大学で助手をしているとのことで、重そうな鞄を持っている。
「この村には、喫茶店なんて気の利いたものはないですからね」
「いいのよ。すぐに空蝉と一緒に戻るから」
「……十年の間に、仲良くなったものですね」
「用があるなら、早く話して。秋杜兄さんは、どうしたの? それに空蝉をどこへやったの?」
春見は右腕を伸ばすと、ある一点を指さした。
丘の上から見える一番大きな屋敷は、黒羽の本家だ。
かつては茅葺き屋根の家がほとんどだったのに、今では安っぽい青の瓦葺きや、四角い箱のような家ばかりになっている。
それらの奥にひっそりと、茅葺きの屋根が苔むした小さな家があった。
ドクン、と螢の心臓が鼓動を刻む。
娘を捨てて、男を選んだ母と暮らした家だった。
「兄さんに会わせてあげましょう」
立ち上がった春見は、螢に手を差し伸べた。
「自分で立てるわ」
「ふぅん? 疫神の手は取れるのに、ぼくの手はとれないんですね」
確かに春見は微笑んでいるはずなのに。
逆光になったその顔は、影に沈んで恐ろしいほどに黒く見えた。
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