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四章
2、あなたの幸せを
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「春見に何かあったら、どうしてくれるんだ!」
「そうよ。あんな小さな子を夜に連れ出すなんて。螢、あんたは母親に似て常識がないのね」
本家に見舞いに行った幼い螢を、秋杜とその母が責めた。
いつもは優しいおばさんが、半狂乱になって螢の胸ぐらを掴む。
「あんたの顔なんて見たくないのよ。二度と我が家に現れないで。春見に何かあったら、許さないわ」
「ご……ごめんなさい」
「殺してやる。春見が死んだら、あんたなんて殺してやるわ」
玄関に置いてあった花瓶を、投げつけられた。螢の額に当たった花瓶は、三和土に落ちて砕け散った。
美しく活けられていた花が散乱し、螢は頭から水に濡れた。
それでもまだ足りないのか、玄関にあった革靴で何度も何度も叩かれた。
螢は声を上げなかった。
この痛みよりも、春見はもっと苦しんでいる。
「男狂いの母親に似て、あんたもきっと男の前で簡単に足を……」
言いかけて、春見の母はバツの悪そうな表情を浮かべた。
「ごめんなさい……ごめんなさい。おばさん、ごめんなさい」
「やめてよ。まるで私が悪者みたいじゃないのよ! 悪いのは私じゃないわ」
「母さん」
家の奥から現れた秋杜が、母親の肩に手を置いた。
「そうだよ。母さんは何も悪くない。螢もだ」
「秋杜兄さん」
「だが、このままでは螢も気が済まないだろ? 春見が助かったとしても、責任を感じるだろうし。それにこれから、螢はうちの子になるんだ。春見を肺炎にして、うちに厄介になって。螢は優しいから、そういうの気に病むよな?」
秋杜の言いたいことは、よく分からなかった。
けれど螢はうなずいた。春見のためなら何でもする。そう思ったから。
「螢、よく聞くんだ。この村には疫神が潜んでいる。そいつは散る花と共に災厄をまき散らすんだ。ああ、春見の病気もそいつのせいかもしれないなぁ。でも、疫神さえ退治できれば、紺田村は平和でいられるし、春見も元気になる」
「う、うん」
「螢は疫神を封じるための、依代になるんだ」
「そうしたら、春見の病気は治るの?」
「もちろんだ。引き受けてくれるね」
「分かった」
螢はうなずいた。
その時だった、花瓶の水を滴らせた螢が風を感じたのは。
玄関の引き戸は閉められているし、窓を開いているようでもない。
なのに確かに、螢の耳元を冷たい風が吹き抜けた。
――愚かな取り引きだ。元々この娘は我のもの。我のために産ませたであろうに。
そして螢は黒羽の本家に引き取られた。疫神の依代となるために。
おばさんはもう螢を罵ったりしなかったし、表面上は気にかけてくれたけど。
おじさんが螢に優しく接するのを、苦い表情で眺めることが多かった。
肺炎が治った春見は、自分が螢のお母さんになるんだと言い張った。
言葉遣いも変わり「螢さん」と呼ぶようになった。
男の子は、どんなに頑張ってもお母さんにはなれないのに。一生けんめい背伸びをする春見が、とても可愛くて。
春見の幸せだけを願っていた。
◇◇◇
「そうよ……そうよね」
坑道跡の中で、螢は寝返りを打った。
春見は生涯の伴侶を得たのだ。黒羽の家と紺田村を出て、武東の家に婿に入ったのなら。
きっとそれが春見にとっての幸福なのだろう。
彼の人生に螢は必要ではなかった。ただそれだけのことだ。
好きな人が、心安らかに楽しく過ごせるのなら……それだけで満足すべきなのだ。
「結婚、おめでとう。春見」
本人に向かっては言えなかった言葉を、螢は呟いた。
「そうよ。あんな小さな子を夜に連れ出すなんて。螢、あんたは母親に似て常識がないのね」
本家に見舞いに行った幼い螢を、秋杜とその母が責めた。
いつもは優しいおばさんが、半狂乱になって螢の胸ぐらを掴む。
「あんたの顔なんて見たくないのよ。二度と我が家に現れないで。春見に何かあったら、許さないわ」
「ご……ごめんなさい」
「殺してやる。春見が死んだら、あんたなんて殺してやるわ」
玄関に置いてあった花瓶を、投げつけられた。螢の額に当たった花瓶は、三和土に落ちて砕け散った。
美しく活けられていた花が散乱し、螢は頭から水に濡れた。
それでもまだ足りないのか、玄関にあった革靴で何度も何度も叩かれた。
螢は声を上げなかった。
この痛みよりも、春見はもっと苦しんでいる。
「男狂いの母親に似て、あんたもきっと男の前で簡単に足を……」
言いかけて、春見の母はバツの悪そうな表情を浮かべた。
「ごめんなさい……ごめんなさい。おばさん、ごめんなさい」
「やめてよ。まるで私が悪者みたいじゃないのよ! 悪いのは私じゃないわ」
「母さん」
家の奥から現れた秋杜が、母親の肩に手を置いた。
「そうだよ。母さんは何も悪くない。螢もだ」
「秋杜兄さん」
「だが、このままでは螢も気が済まないだろ? 春見が助かったとしても、責任を感じるだろうし。それにこれから、螢はうちの子になるんだ。春見を肺炎にして、うちに厄介になって。螢は優しいから、そういうの気に病むよな?」
秋杜の言いたいことは、よく分からなかった。
けれど螢はうなずいた。春見のためなら何でもする。そう思ったから。
「螢、よく聞くんだ。この村には疫神が潜んでいる。そいつは散る花と共に災厄をまき散らすんだ。ああ、春見の病気もそいつのせいかもしれないなぁ。でも、疫神さえ退治できれば、紺田村は平和でいられるし、春見も元気になる」
「う、うん」
「螢は疫神を封じるための、依代になるんだ」
「そうしたら、春見の病気は治るの?」
「もちろんだ。引き受けてくれるね」
「分かった」
螢はうなずいた。
その時だった、花瓶の水を滴らせた螢が風を感じたのは。
玄関の引き戸は閉められているし、窓を開いているようでもない。
なのに確かに、螢の耳元を冷たい風が吹き抜けた。
――愚かな取り引きだ。元々この娘は我のもの。我のために産ませたであろうに。
そして螢は黒羽の本家に引き取られた。疫神の依代となるために。
おばさんはもう螢を罵ったりしなかったし、表面上は気にかけてくれたけど。
おじさんが螢に優しく接するのを、苦い表情で眺めることが多かった。
肺炎が治った春見は、自分が螢のお母さんになるんだと言い張った。
言葉遣いも変わり「螢さん」と呼ぶようになった。
男の子は、どんなに頑張ってもお母さんにはなれないのに。一生けんめい背伸びをする春見が、とても可愛くて。
春見の幸せだけを願っていた。
◇◇◇
「そうよ……そうよね」
坑道跡の中で、螢は寝返りを打った。
春見は生涯の伴侶を得たのだ。黒羽の家と紺田村を出て、武東の家に婿に入ったのなら。
きっとそれが春見にとっての幸福なのだろう。
彼の人生に螢は必要ではなかった。ただそれだけのことだ。
好きな人が、心安らかに楽しく過ごせるのなら……それだけで満足すべきなのだ。
「結婚、おめでとう。春見」
本人に向かっては言えなかった言葉を、螢は呟いた。
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